第三章 烈火獣(6)
三人の女を抱いてから仮眠を取ると、すっかり夜になっていた。
護衛の兵に揺り起こされ、ガウルは寝起きの獣のような唸り声を上げた。
「……なんだ」
「お休みのところ失礼いたしました。領主が、宴の準備ができたのでガウル様をお連れしろと」
「あいつか」
ガウルは苛立ちを隠さずに吐き捨てると、身繕いもせずに、円月輪だけを持って部屋を出た。
宴の場所は、兵舎に隣接した食堂だった。食堂からはほとんどの椅子が取り払われ、立食会のようになっている。炎熱騎士団の半数が詰め込まれ、ガウルの卓にだけ椅子が用意されていた。
宴にはクレインの姿もあった。
「遠路はるばるお越し頂いた炎熱騎士団の方々のために、本日は贅を尽くしたもてなしを準備させていただきました。存分にお楽しみください」
卑屈な態度でクレインが言うと、酒と料理が運ばれてきた。山葡萄を発酵させて作った酒に、蒸した鶏の肉。鹿肉や野菜をふんだんに入れて煮込んだ鍋などは、匂いだけで胃を刺激されるほどだった。
ガウルは思わず食事に手を伸ばしかけ、はっと手を止めた。クレインはおどおどとした卑屈な態度のまま、兵たちが食事に手を付けようとするのを眺めていた。単に接待する側の礼儀として、客が食事に手を付けてから、自分も食事を始めようと思っているのかもしれない。だが、ガウルは椀を持ってクレインに詰め寄った。
「おい、ネーデルスタイン。まずはお前が食え」
「えっ? しかし、僕は……」
「うるせえ。この俺が、毒見しろって言ってんだ」
恫喝すると、クレインは怯えた様子でガウルから椀を受け取った。鍋をかき混ぜてから、中身を椀によそって啜る。蒸した鶏肉も何切れか口に運び、葡萄酒もうまそうに飲み干した。
「……これでよろしいでしょうか?」
機嫌を伺うように問われ、ガウルは落胆した。
(本当に、なにもないのか)
毒くらい盛られているのではと期待したのに、クレインの様子を見る限りそれもなさそうだった。もし毒を仕込んでいたとしたら、この小物の領主が、あんな風に平然と食事に手を付けられるはずがない。
兵たちが食事を始めたそうにうずうずしている。それを感じ取って、ガウルはやむなく酒杯を掲げ、飲み干した。
それを合図に、兵たちが食事に取りかかった。気の抜けた調子で談笑しながら、酒や料理をうまそうに味わっている。横目で見やると、クレインも普通に食事を楽しんでいた。
(クソ忌々しい野郎だ)
食事を喉に流し込みながら、ガウルは殺意を込めてクレインを睨み据えた。明日、絶対に殺す。こんな男に期待していた事実ごと、灰になるまで焼き尽くしてやる。
嗜虐的な想像で悦に浸りながら、黙々と食事を貪り続け――小一時間ほど経った頃、ふと、自分の身体に違和感を覚えた。
指先が、痺れたように動かなくなっている。酒に酔ったのとは、また違う感覚だった。頭が痺れるのではなく、身体の末端から力が失われていくようなおぞましさ。どこか、戦場で死を予感した時の感覚に似ていた。
(毒だ)
一瞬で、ガウルは確信した。
兵たちの三割は、酔い潰れたようにあちこちで突っ伏し始めていた。いくらなんでも、早すぎる。鋭くクレインに視線を向けると、彼も泥酔したように卓に寄りかかっていた。ガウルは猛然とクレインに詰め寄ると、胸ぐらを掴み上げた。
「やりやがったな、てめえっ!」
「な、なんのことです……?」
「とぼけんな! てめえが毒を盛ったんだろうが!」
吠えながら、ガウルは口元に笑みが浮かぶのを止められなかった。
やはり、来たか。卑屈な小物を演じながら、虎視眈々と自分の命を狙っていたのか。自ら毒を食らうことで、十二神将を手玉に取るつもりだったのか。
気骨がある、などという次元ではなかった。決死の覚悟がなければ、毒とわかっている食事を平然と平らげるような真似はできないはずだ。
痺れとは別に、身体の奥が熱くなるのを感じた。今までのどんな戦でも、これほど昂揚したことはなかった。
騙し通せないとわかったのか、クレインは視線を鋭くした。ぞっとするほど冷たい瞳だった。
背筋に冷たいものが走り、ガウルは冷静さを取り戻した。いつの間にか、食堂の周囲を数百人分の殺気が取り囲んでいる。
(伏兵か)
ガウルの脳裏によぎったのは、賊徒のことだった。
(こいつ、まさか)
北の賊徒、オービル軍の敗走、料理に仕込まれた毒――そして、この場に潜んでいた数百もの伏兵。すべての情報が繋がった時、ガウルは肌が粟立つのを感じていた。
「……すべて、お前の計画通りってわけか、クレイン・ネーデルスタイン」
「こんなに早く、気づかれるとは……思ってなかったけどね」
身体の痺れのせいか、クレインはわずかにろれつの回らない口調で言った。震える足で立ちながら、視線はガウルを見据えたまま揺るがない。
ガウルは獰猛な笑みを浮かべたまま、冷静に状況を整理した。ここにいる兵どもは役に立つまい。すぐ隣の兵舎に半数の兵が残っているが、ガウルには呼び出すつもりはなかった。
(こんな面白いこと、他の奴らに分けてやるかよ)
飢えた獣のように牙を剥きながら、ガウルは火のチャクラを練った。同時に、食堂の窓を突き破って、伏兵たちが飛び込んでくる。剣や戟で武装した彼らは、王国の軍袍を身にまとっていた。
叛乱軍。脳裏に浮かんだ言葉に、ガウルは更に気分が昂揚した。
「最高だぜ、お前!」
吠えながら、ガウルはクレインを床に突き飛ばした。火のチャクラを練り、身体の中で燃焼させ始める。血が沸騰するような熱さが全身を駆け巡り、身が焼け焦げるように痛み出す。
痛みに耐えている間にも、敵兵どもが隊を組んで襲い掛かってくる。
ガウルは即座に、両手に円月輪を構えた。突き出された数本の戟を弾き、もう一方の手で円月輪を投げる。風のチャクラをまとった円月輪は、飛燕のごとき速さで室内を飛び回った。円月輪によって手や腕が斬り飛ばされ、敵兵は勢いを削がれたようだった。ガウルの手元に円月輪が戻ってきた時には、誰もがガウルから距離を取っていた。
いや――ひとりだけ、進み出てきた兵がいた。
レイシア・ネーデルスタインだった。曲刀を構えたまま、水のチャクラを巧みに練り上げている。水流を身体にまとうようにしながら、レイシアはじりじりと間合いを詰めてくる。
「観念しなさい、烈火獣」
「来いよ。遊んでやる」
レイシアが床を蹴った。地を這うように低く、駆けてくる。身体にまとった幾筋の水流が、剣閃のようにガウルにぶつかってきた。水流を火のチャクラで相殺しながら、腿を狙ってきた斬撃を円月輪で受け止める。水流の斬撃はなかなかの鋭さだったが、皮膚を薄く裂いただけだった。
レイシアはすぐに剣を引くと、更に多くの水流をまとった。水流の速度も、わずかに上がっている。レイシアはそれを数秒で終えると、再度ガウルに向かって飛びかかってきた。
――だがその頃には、ガウルのほうも準備ができていた。
指先から、痺れるような感覚が消えていた。それを感じた瞬間、ガウルは身体の中で暴れていた火のチャクラを一気に放出した。
飛びかかってきたレイシアを、燃え盛る円月輪で床に叩きつける。とっさに曲刀で防いだようだが、石畳に叩きつけられた時に頭を打ったらしく、倒れたまま起き上がる気配はなかった。レイシアがまとっていた水流も、制御を失ってその場に霧散していた。
気を失ったレイシアを無視して、もう片方の円月輪を投げる。室内に猛火を撒き散らしながら、円月輪は敵兵を十、二十と屠っていく。自分の手兵にも火が燃え移るが、ガウルはそんなことに頓着しなかった。弱い者は、死ぬ。それが敵であろうと、部下であろうと、ガウルには関係がなかった。
叛乱軍に守られているクレインが、驚愕に目を見開くのが見えた。
「まさか、お前……」
「選んだ毒が悪かったな、クレイン・ネーデルスタイン。熱すれば、死ぬ。そういう毒もある」
「火のチャクラで、毒を殺したって言うのか……? そんなことをすれば、普通は人間のほうが先に死ぬはずだ」
「十二神将を舐めるな。この程度ができなくて、親父や告死鳥と並び立てるかよ」
獰猛に笑うと、クレインが血の気が失せたような表情を浮かべた。
兵舎のほうから、兵が動き出している気配があった。これだけ派手に暴れたのだ。さすがに兵どもも、騒ぎを聞きつけたのだろう。
ガウルは胸の奥から、熱い感慨が湧いてくるのを感じていた。
(勝った)
運命に。そして、宿敵に。
それはガウルにとって、今までのどんな勝利よりも甘美だった。
床に倒れていたレイシアが、ガウルの足をつかんだ。決死の覚悟を秘めた眼光でガウルを睨みながら、かすれた声を張り上げる。
「クレインを連れて、逃げてっ!」
その一声で、固まっていた叛乱軍が我に返った。麻痺毒で動けないクレインを担ぎ上げ、現れた時と同様に素早く移動を開始する。クレインは抵抗していたようだったが、麻痺した身体で屈強な兵たちに抗えるはずもなかった。
追おうと思えば、追って連中を殲滅できた。だが、ガウルはあえてそうしなかった。
(まだだ。まだ楽しませてもらうぞ、クレイン・ネーデルスタイン)
自分の腹は、まだ満たされていない。骨の髄をしゃぶり尽くすまで、お前を殺してなどやるものか。
燃え盛る炎の中で、ガウルは獣の咆哮のように哄笑を上げ続けた。
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