第三章 烈火獣(4)

 オービルの様子には、どこにもおかしなところはなかった。

 ガウル・アドルスターは失望を隠そうともせず、炎熱騎士団五千を引き連れて、昼下がりの街を歩いていた。

 クレイン・ネーデルスタインは、相変わらず卑屈な態度でガウルを出迎えた。やたらと腰が低く、媚を売るように細やかな気配りを見せながら、ガウルを城へと案内している。ガウルには、それがひたすらにわずらわしかった。

(あの時は、気骨があると思ったんだがな)

 クレインの姉を奴隷にしようとした時、奴はなんとか時間を稼ごうと必死に頭を働かせていたように見えた。とりあえず時間を稼ぎ、その時間を使って街を出るか、街に罠を仕掛ける。そう来ると思っていたのだが、完全に期待外れだったようだ。オービルに監視を何人か残しておいたが、報告によれば、クレインは街から逃げ出すような素振りもなければ、罠を仕掛けた様子もないようだった。

 こうして実際に街を歩いてみても、なにもおかしなところは見つけられなかった。婚儀の式場のほうも、準備はきちんと進められていた。付近の鉱山で奴隷の蜂起があったようだが、その連中もクレインが組織した叛乱軍というわけではないようだ。討伐のためにクレイン自ら軍を率い、兵の半数を失うほどの痛撃を受けたらしい。中央の役人や武官の間では、クレインの評価は地の底まで落ちていた。

 権力に逆らう気概もなければ、賊徒すら討伐できないほど武芸の才もない。致命的に、つまらない男だった。

 こちらの視線に気づいたのか、クレインが愛想笑いを浮かべながら振り向いてきた。

「あ、あの……ガウル様。なにか、お気に召さないことでもございましたでしょうか?」

「なんでもねえよ」

「で、ですが……」

「うるせえ。黙ってろ。蹴り飛ばすぞ」

 不機嫌さを隠そうともせずに言うと、クレインは怯えたように肩を震わせ、再度先導するために歩き出した。その背中を睨みながら、ガウルは聞こえよがしに嘆息した。

(なんて、つまらない男だ)

 少しでも期待していた自分が、とんでもない愚か者に思えた。同時に、自嘲の念が湧いてくるのを押さえられなかった。

(つまらない奴という意味じゃ、人のことは言えねえか)

 ガウルは、自分が凡夫だと自覚していた。

 凡夫と言っても、十二神将のひとりである。無論、武芸は人並み以上に磨いてきたし、火のチャクラの扱いに関しては大陸でも屈指だと自負している。

 それでも、所詮、ガウルは凡夫だった。

 父が生きていた頃、ガウルは自儘に軍を動かしては、敵軍を蹂躙して遊び回っていた。どんな敵が現れても恐れるに足らず、瞬く間に蹂躙できる自信があった。自分が天に選ばれ、傑出した才能に恵まれた存在なのだと信じて疑わなかった。

 ネーデルスタインに父が殺され、十七歳で十二神将に選ばれた時、昇り詰めたという感慨が胸を満たした。

 無邪気に喜んでいられたのは、わずかな期間だけだった。十二神将の面々は、ガウルが見ても化物のような連中ばかりだった。人間離れした武勇に、研ぎ澄まされた知略。練り上げられるチャクラの凄まじさなど、自分のチャクラが情けなくなるほどだった。火のチャクラだけは唯一連中に対抗できたが、それすらも父と比べると明らかに見劣りしていた。

 それを知ってから、十二神将でいることが苦痛でしかなくなった。

 絶えず、父や他の十二神将と比べられた。烈火獣は扱いやすい。他の十二神将と比べれば、格が落ちる。当代において、最弱の十二神将だ。陰で叩かれる罵言が胸に突き刺さり、毒のように心を蝕んだ。特に、同年代の十二神将である告死鳥と比べられることは、ガウルにとって最もつらいことだった。

 十二神将最強と称されるシメオンに対して、同い年の自分は十二神将最弱だった。どこでこんな差がついたのだ、と思わずにはいられなかった。武芸の鍛錬も、チャクラの修練も、怠ったつもりはなかった。ずっと父を見上げて育ってきたのだ。それこそ血の滲むような努力を続けてきたつもりだった。それでも劣るというのならば、所詮、自分はその程度の人間だったのだと思うしかなかった。

 どうしようもない重荷に苦しんでいる時に、オービル巡察の指令が届いた。

 オービルには、ずっと行ってみたかった。

 自分の凡庸さを思い知って以来、アルバート・ネーデルスタインに対して、ガウルは並々ならぬ興味を抱いていた。父が死んだ戦のことも何度も調べ直し、自分ならどう戦うかを考え抜いた。ネーデルスタインと戦うことを常に考え、厳しすぎる調練を課して多くの兵を死なせた。いつか、どこかで顔を見る機会があると期待していたのだが、結局彼はシメオンの手によって暗殺されてしまった。

 自然と、興味は息子のほうに移った。父を殺した男の、息子だ。どんな男なのか、興味を持たないほうが難しい。どれほどの傑物なのかと思いきや、クレイン・ネーデルスタインは自分と同じように、偉大な父を持った凡夫だという噂だった。奇妙な共感を覚えながら、どこかでクレインが並外れたなにかを持っていることに期待していた。

 なにより――ガウルは、クレインと戦ってみたかった。

(きっと、俺と同じような運命を背負った男に違いない)

 徐々に、ガウルの中でクレイン・ネーデルスタインは特別な存在になっていった。彼を打ち倒すことができれば、ネーデルスタイン将軍に敗れた父を超えられるのではないか。父の威光や十二神将の影に埋もれ、腐りかけた自分の運命を超克できるのではないか。ありえないとわかっていても、そんな期待さえ抱いていた。

 その男が、これほどつまらない男だったとは。

 ガウルが勝手に期待していただけとはいえ、手酷い裏切りを受けたような気分だった。

 レイシア・ネーデルスタインは、一度も姿を現さなかった。城で待っているということだったが、ガウルは彼女にまったく興味がなかった。単純に好みの女ではなかったし、戦う相手としてもそれほど惹かれる部分はなかった。武芸もチャクラもなかなかのものだったが、戦い方が綺麗すぎた。訓練では優れた使い手なのだろうが、実戦を経験していないだろうことは容易に想像がついた。

 正直なところ、婚儀などどうでもよかった。適当に付き合ってから、すべての段取りをぶち壊して、ネーデルスタインの顔を潰す。それでも卑屈な態度を取ってくるようなら、その場でクレインを殺してやるつもりだった。女のほうは、少し味見してから部下どもにくれてやるとしよう。

 城に到着すると、ガウルは百の手兵だけを護衛に残し、残りはオービルの兵舎で休ませることにした。元々、オービルには五千の兵が駐屯できるほどの兵舎があった。アルバート・ネーデルスタインが統治していた頃の名残で、一時は取り壊しも議論されたようだが、オービルは教国領と旧王国領を結ぶ貴重な輸送路でもあったため、不意の輸送隊に対処できるように兵舎が残されたらしい。

 ガウルは客室の椅子に腰掛けると、深く嘆息をついた。

 正直、クレイン・ネーデルスタインには失望しきっていた。もう、殺してしまっていいのではないかとすら思えた。今日一日だけで、ガウルは何度も円月輪に手を伸ばしかけていた。

 だが、ガウルは踏みとどまった。踏み切れなかった、というほうが適切かもしれない。あんな男に期待するだけ無駄だと理性でわかってはいても、夢想してきた宿敵への未練を、ガウルは簡単には断ち切ることができなかった。

(まったく、情けねぇな)

 苦笑交じりの嘆息を漏らしてから、ガウルは護衛の兵に声をかけた。

「おい。街から適当に女を連れてこい」

 兵はいちいち返事を返すこともなく、敬礼して部屋を出ていった。

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