第二章 叛乱軍(4)

 賊徒とオービル軍の戦は、昼過ぎに始まりそうだった。

 ガリアス山脈の険しい岩棚の上に座り、シメオンは両軍の動きをつぶさに観察していた。

 バルアン・グリューン率いる賊徒は、山頂から少し下った場所に布陣していた。数千の兵が駆け回れるほどの広さがあり、ところどころに切り立った岩が柱のようにそびえ立っている。普通の用兵で戦えもするが、岩を利用して意表を突くこともできる。戦場としてはなかなかの場所だった。

 かつてネーデルスタインが率いた軍だけあって、賊徒はいずれも鍛え上げられていた。姿を見せているのは七百ほどだが、岩陰に隠れて残りの三百が埋伏している。久しぶりの戦のはずだが、彼らの表情には過度な気負いも緊張もなかった。全員に戟や剣が行き渡るほど武装は充実していたが、まとっている服はみすぼらしい奴隷服のままだった。気持ちとしては王国の軍袍をまといたいところだろうが、露骨に叛乱軍の格好をしているとクレインに疑惑の目が行くため、まだ遠慮しているのだろう。

 バルアンは、七百の指揮を取っていた。顔に浮かんだ皺は老いを感じさせるが、神経質そうな顔立ちがどこか峻厳な雰囲気を漂わせている。兵に対して厳しいが、自分に対してはもっと厳しい。そういう種類の指揮官に見えた。

 対して、山道を登ってくるオービル軍は、とてもではないが精強とは言いがたかった。山道を歩いているだけで疲れを見せ、まだ敵はいないと油断しきって隊列も乱している。陣の中央に位置するクレインが指示を出す度に、兵たちの顔には不平の色が浮かぶ。

 勝負は、始まる前から見えていた。

 そこまでわかっていながら、シメオンはその場を動こうとはしなかった。

 クレイン・ネーデルスタインにかけている期待がどれほどなのか、自分でもわからなくなっていた。最初に会った時、女の陰に隠れて戦うつまらない男だと思った。教国を少しでも騒がせて、叛乱の呼び水にでもなればいい、という程度の期待しかなかった。

 だが――この数日で、クレインはこちらが期待していた以上に叛乱の計画を推し進めていた。叛徒を束ね、将を招き、兵站を整える。その上、仮にも十二神将である烈火獣を手玉に取ろうという。それが、シメオンには小気味よかった。

(お前の言った通りになるかもな、アルバート・ネーデルスタイン)

 三年前、シメオンは教皇直々に暗殺の勅を受けた。その頃には、シメオンはとっくに人生を倦み切っていた。

 望んだ生き方を選ぶことの許されない、狂った信仰。権力を笠に着て、暴虐の限りを尽くす神官や武官。それを諾々と受け入れ、搾取されることに疑問を抱かない愚民ども。

 教国のなにもかもが醜かった。地獄などというものがあるのなら、この世界こそがそれなのだと、シメオンは確信していた。

 そんな折に、王国最高の英雄と謳われた男の暗殺命令が出た。シメオンは黙ってそれを受け入れ、ネーデルスタインの元に赴いた。精兵が守る難攻不落の城だろうと、シメオンにとっては空き家も同然だった。すんなりと内部に入り込むと、ネーデルスタインに真っ向から勝負を挑み、彼を打ち負かしてから脅迫した。

「この国をぶっ潰せ、ネーデルスタイン。そうすると約束するなら、一度だけ、命を貸してやる」

「無茶なことを言う」

「無茶なものか。お前、英雄だろう?」

「たった五千で国と戦えるものか。お前一人にさえ、敵わぬというのに」

「戦わないのなら、お前の家族の命もないぞ」

「お前なら、やるだろうな」

 初対面だというのに、ネーデルスタインはシメオンに妙に理解を示していた。似たような人間と、普段から接しているかのようだった。

「だが、お前が本気で教国を滅ぼしたいのなら、あの子らを生かしておいたほうがいい」

「なに?」

「特に、クレイン。あいつは、私以上の将になる」

 その言葉に、シメオンは心惹かれた。自分とこれほどまでに渡り合った男が、それ以上とまで称する男。どれほどの英傑なのか、思わず心が踊った。

「強いのか、そいつは」

「弱い」

「……お前、俺のことをバカにしているのか?」

「違う。あの子は弱い。だからこそ、私よりも強くなるのだ」

 シメオンには、ネーデルスタインの言っていることはまったく理解できなかった。

 生まれた時から、シメオンは強かった。幼少の頃から身体中の気孔が生まれつき開き切っており、五歳になる前に死ぬと宣告された。だが、生き延びた。生きることへの貪欲な執着が、身体を蹂躙し続けるチャクラの嵐に耐え切った。苦しみ抜き、痛みを当たり前のことと思うようになって、彼はようやく自分の命を手に入れた。

 代わりに、シメオンは心と人生を失った。

 凄まじいチャクラを持つと噂されたシメオンは、教国軍に高値で売り払われた。本来、教国は武官の家以外から武官を任命しない。だが例外として、戦に適した奴隷を買い上げ、戦奴せんどとして軍に組み込むことがあった。

 シメオンは戦奴となり、厳しい調練を受けた。自分と同じように、気孔が開ききった子どもが大勢いた。その全員と殺し合いのような過酷な調練を続け、最後に生き残ったのはシメオンを含めた数名だけだった。

 それから、シメオンは教国の名家アヴィディア家の養子となり、間諜として活動を始めた。一二歳だった。暗殺や密偵だけではなく、毒を放って街を壊滅させ、他国の仕業を装って教国の権力者を惨殺したこともあった。教国への忠誠を見せるために、自分を産んだ両親も殺した。シメオンを恐れたアヴィディア家の人間も、殺した。どんな任務をこなした時も、微塵も心は動かなかった。

 強いというのはそういうことだと、シメオンにはある種の確信があった。

「息子を死なせないために、適当なことを言っているのか?」

「そうではない」

「なら、どういう意味だ」

「そうだな」

 ネーデルスタインは少し困ったように苦笑した。

「あいつは、臆病で卑劣だ。弱くて、凡庸だ。だからこそ、勝つためには手段を選ばない。自分がこれと決めた目的のためなら、他のすべてを犠牲にできる。迷い、悩みはしても、最終的にそれを選び取る。なまじ武名を馳せると、私のように名誉や誇りに縛られてしまう。そういう人間には持てない強さを、あいつは手に入れる。……手に入れてしまう」

 わかるだろうと言いたげに、シメオンに真っ直ぐ視線を向けてくる。その視線がむしょうにわずらわしかったのを、シメオンはよく覚えていた。

 鋭い号令が、シメオンを物思いから引き戻した。

 戦が始まろうとしていた。七百の賊徒は横に広く展開し、中央を引いて両翼で包み込むような陣形を取っていた。中央の軍が兵を引きつけている間に、両側面から敵を押しつぶすのを目的とした、鶴翼の陣だ。指揮官であるバルアンは、わずかな手勢とともに中央に陣取っている。

 それを見て、クレインは即座に中央突破のためにやじりのような陣形を取った。強い突破力を持つくさびの陣だったが、兵たちはどこか浮足立っている様子だった。

 オービル軍の弱兵どもには、実戦経験など一度もなかった。ただ家柄を笠に着て、武官の威を振り回しているだけの小物どもだ。その上、真面目に調練もしてない。武装した同数の兵と向き合えば、恐れをなすのは当然だった。

(それにしても、見事なものだ)

 バルアンとクレインの無言のやり取りに、シメオンは素直に感心していた。

 オービル軍の弱兵ぶりを知っているバルアンは、迷わず鶴翼の陣形を組んだようだった。兵力が均衡している同士の戦いとなれば、軍学上は楔が鶴翼に打ち勝つ。薄く伸ばした兵が包囲に回る前に、中央の指揮官を撃破する。相手が賊徒なら尚更、頭目を失えば陣を立て直すこともできずに潰走するだろう。

 バルアンはそこまでわかった上で、自らの命を差し出すように、鶴翼の布陣を敷いた。クレインはバルアンの意図を汲み取り、即座に楔の陣形を取った。

 恐らく、クレインは確信しているだろう。このまま楔で突っ込めば、オービル軍のほうが潰走すると。

 怯懦な兵には、武装した敵を相手に真っ向から突撃するような度胸はない。戦場において、死を恐れる。その恐れが足を鈍らせ、あっという間に陣を崩壊させる。

 あの二人は、陣を組むだけでそれを伝え合った。十年来の戦友同士のような連携だった。

 クレインを中央に据え、オービル軍が風のチャクラをまとって突撃を開始した。駆け出した時点で、勢いが足りていなかった。のたのたと進む楔が徐々に速度を落とし、案の定、陣形を崩し始める。

 それを見て、岩陰から伏兵の三百が飛び出した。百ずつ分かれて潜伏していた彼らは、素早くオービル軍の背後に回り込んで水のチャクラを練った。乾燥した地面があっという間に泥に変じ、オービル軍の後退を妨げる。

 思わぬ伏兵に仰天している隙に、正面の七百が動いた。鶴翼と伏兵に四方を包囲され、オービル軍は瞬く間に押しつぶされていく。

「退却!」

 クレインが大声を張り上げ、泥に塗れながら後退していく。チャクラの扱いは、いくらかマシになったようだった。ぬかるんだ地面に水と地のチャクラを通し、水と土を分離させながら駆けている。今までのように頭ごなしに水と土を従わせようとするのではなく、水の流れる性質を利用して、土と水とが互いにあるべき姿に戻ろうとするのに任せていた。まだぎこちなさはあるが、なにかを掴み始めているようだった。

 オービル軍の中には、クレインほど見事に退却できているものはいなかった。泥に足を取られながら、味方を押しのけて無様に敗走する。ある程度まで兵を潰したあと、バルアンはすぐに追撃をやめさせた。このまま攻め続ければ全滅させられたはずだが、下手に深追いして犠牲を出すのも馬鹿らしいと判断したのだろう。拠点への道を塞ぐように陣を整えながら、バルアンはオービル軍が逃げていくのをただ見据えていた。

 泥の中には、四百近い死体が残されていた。オービル軍のおよそ半数近くが、ほんの一時間足らずで失われたことになる。

 口元に昏い笑みが浮かぶのを、シメオンは止められなかった。

「……面白くなってきたな」

 ヘクター・レーディックによって兵站が整えられ、バルアン・グリューンの巧みな用兵によって、アルバート・ネーデルスタインが鍛え上げた精兵が戦う。十二神将直属の軍には及ばないものの、攻めにくい拠点さえ手に入れれば、教国の正規軍でも苦戦させられるだろう。

 そして、その上にクレイン・ネーデルスタインが立っている。今回の戦は、完全に奴が手綱を握っていた。オービル軍の兵力を削ぎ、予定通り炎熱騎士団を呼び寄せる名目を作った上に、叛乱軍に実戦の勘と自信を取り戻させた。その癖、自分はなんの名誉も武勲もない役割を担っている。指揮したオービル軍を利用しただけでなく、自分自身すら手駒として利用する狡猾さ。それは、確かにアルバート・ネーデルスタインとは違う種類の強さだった。

 ずっと引っかかっていたことが、ようやく腹に落ちた。

(あいつは、俺に似ている)

 目的のためなら、どんな非道な手段も辞さない卑劣さ。ただ己の力を試すためだけに戦い、人の思いを容赦なく踏みにじって利用する傲慢さ。誇りや名誉などに価値を見出さず、結果だけを思い求める冷徹さ。

 ――ある意味、それこそシメオンが探し求めていたものだった。

 アルバート・ネーデルスタインがやたら馴れ馴れしかったのは、シメオンの奥に息子と同じ影を感じていたからなのだろう。それもまた、シメオンには愉快に思えた。

 戦場から水気が取り除かれ、死体が火のチャクラによって燃やされ始めていた。死体を放置すると疫病の原因となる。そのあたりについても、バルアンは抜かりがないようだった。

 蒼穹に向かって燃え立つ炎が、シメオンには天に食らいつこうとする獣のように見えた。

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