第二章 叛乱軍(3)

 賊徒の噂が、話題に上るようになっていた。

 バルアンとの会合から五日が経っていた。鉱山で奴隷による蜂起が起こり、オービルの北に結集している。そういう噂が、市井の間でも、マリシクとの会話でもよく聞くようになっていた。賊徒の総勢は千に届くと推測されており、今も数を増やし続けているという。放置するのは危険だと、誰もが感じ始めているようだった。

「順調みたいだね」

 朝の練兵場で、レイシアがぽつりとそれだけを言った。なにが、という話はしない。早朝で人影は見えないが、一応城内だ。誰かが聞き耳を立てている可能性もあった。

 クレインは長剣を構えながら、微かにうなずいた。レイシアは水流結界を展開し、曲刀を構えてクレインの打ち込みを待っている。

 シメオンに手痛い敗北を喫してから、レイシアは水流結界を工夫し始めていた。十二神将相手では、今の水流結界は通用しない。そのことを、レイシアは気にしているようだった。

 レイシアとしては、彼らと真っ向から対するのは自分の役目だと感じているのだろう。実際問題、十二神将とまともに対抗できるほどの武官はそうそういない。叛乱軍をまとめ上げたとしても、レイシアに匹敵するほどの兵はまず見つからないだろう。今回ばかりは、レイシアの力を当てにせざるを得なかった。

(本当は、レイシアを戦わせたくない……なんて言ったら、怒られるだろうな)

 レイシアは義父に似て、誇り高い武官としての気性を持っている。彼女に戦場に出るなというのは、侮辱ですらあるだろう。

 今度の戦に関しては、ガウルも麻痺毒で本来の力を出せないはずだ。その状態の彼を城内に追い出すくらいなら、危険も少ない。そう信じるしかなかった。

(僕も、少しは戦えるようにならないとな)

 義父ほどとは言わないものの、レイシアと同等に戦えれば、彼女を危地に向かわせる必要がなくなる。そのためには、自分がレイシアにも負けないのだと証明しなければならない。

 そう考える内に、クレインは真面目に稽古に取り組むようになっていた。

「……なにぼーっとしてるの?」

 物思いにふけっていると、レイシアが不機嫌そうに頬を膨らませていた。

「稽古中に考え事しないの。戦場でそんなことしてると、命取りになるんだからね?」

「ごめん」

 わかればいいのと言いたげに、レイシアは曲刀の切っ先を誘うように動かす。

 クレインは苦笑してから、長剣を構え直した。水のチャクラを長剣にまとわせ、レイシアに向かって駆ける。

 同時に、水流結界が動いた。水流が三本、正面と両側面からクレインに向かってくる。水流の速度は、以前よりも数段速くなっていた。

 クレインは走る勢いを緩めずに、正面の水流を長剣で受け止めた。受け止めた瞬間、水流に水のチャクラを流し込む。レイシアのチャクラとクレインのチャクラが混ざり合い、指令系統が混乱した水流が動きを停止する。

 クレインは水流に長剣を突っ込んだまま、レイシアに向かって駆け続けた。側面から迫っていた水流は完全に空振りになり、レイシアはとっさにそれらの制御を放棄し、周囲の水流を前方に集めて盾にする。

 このまま真正面から突っ込んでも、盾に動きを押さえられてから、曲刀で斬り伏せられる。

(元より、レイシアに真正面から挑む気はない)

 クレインは風のチャクラを全身にまといながら、地のチャクラを地面に流し込んだ。地面が盛り上がってクレインを前方に弾き飛ばし、背中を押す颶風が更に加速させる。

 凄まじい速度でレイシアの横を通り過ぎから、クレインは強引に身体をひねって反転すると、同じ方法でレイシアの背後めがけて跳んだ。

 レイシアはこちらの動きに反応していた。だが、水流結界を維持していては、対応が遅れると判断したのだろう。とっさに水流結界の制御を放棄すると、全身にチャクラを漲らせて身体を反転させた。

(このままぶつかっても、勝てない)

 クレイン程度の直線的な攻撃など、レイシアに簡単にいなされてしまうだろう。クレインは思わず、歯噛みした。

(あと一手。レイシアの剣をかわせるだけの、なにかがあれば……!)

 だが、その一手がもう思いつかなかった。

 クレインは開き直って、無心で長剣を握りしめた。この速度では、悠長にチャクラを練っている時間はない。ただ、斬る。もはやそれしかない。

 長剣を振りかぶり、勢いのまま振り下ろす。レイシアはそれに合わせて、即座に曲刀を頭上に掲げた。

 頭上の守りを固めたせいで、身体の守りが空いた。クレインはとっさの判断で剣を捨て、身を屈めてレイシアの腹に体当たりをしかける。

 激突。同時に、クレインは地面を転がった。天と地が激しく入れ替わり、視界が定まらない。目を回さないようにとっさに目を瞑り、手探りで手近なものにしがみつこうとする。

「ひゃんっ!」

 艶っぽい悲鳴が聞こえるが、構わずにクレインはなにかにしがみつき続けた。回転の勢いが止まるまで待ってから、クレインはゆっくりと目を開く。

 目の前に、レイシアの後頭部があった。どうやら、しがみついていたのはレイシアの身体だったようだ。転がっている間に、運良く彼女の身体を押さえ込めたらしい。

「僕の勝ち、ってことでいいかな?」

「あ、あうあ……」

「レイシア、聞いてる?」

「ク、クレイン……手……」

 そこでようやく、クレインは柔らかいものに触れていることに気づいた。

 レイシアを、後ろから抱きしめるような体勢だった。華奢な両腕を抱きかかえるようにして、彼女の身体の前面に両手を回している。必然、両手はちょうど彼女の腹より少し上にあった。

 確認するように、つい指先に力を込めてしまう。布越しに控えめながら柔らかい弾力が返ってきて、クレインは一気に顔が熱くなるのを自覚した。

「ご、ごめんっ!」

 両手を離し、慌てて立ち上がる。レイシアは上体だけ起こしたまま、振り返らずに自身の胸元を抱きしめている。耳を真っ赤にしながら、恐る恐ると言った感じで振り返ると、半分涙目で睨んできた。

「……クレインの、性欲魔人」

「ご、誤解だって」

「一回、わざと揉んだくせに」

「いや、それは…………そうです。ごめんなさい」

 言い訳を途中で諦めて、クレインは素直に謝罪した。こういう時にくどくど言い訳するのも、あまり男らしくない気がした。

 レイシアはしばらくクレインを涙目で睨んでいたが、気持ちの踏ん切りをつけるように大きく嘆息した。

「……しょうがないなぁ。許してあげるよ」

 言って、レイシアはようやく立ち上がった。軍袍についた土を払ってから、クレインの前に来て人差し指を突きつけてくる。

「でも、もうこんなことしちゃダメだからね? 特に、他の子には! そんなことしたら、お姉ちゃん絶対に許さないんだからっ」

「う、うん……ごめん」

 気圧されながら答えると、レイシアはよろしいと言いたげに大げさにうなずいた。

「それにしても……最近、クレインは強くなったよね。まさか、あそこまで追い詰められるとは思わなかったよ」

「いざって時のために、僕も強くなっておかないとね」

「でも、普通はそんなに急には強くならないよ。やっぱり、今までちょっと手を抜いてたんじゃないの?」

 レイシアが疑わしげに目を向けてくるが、クレインは苦笑してごまかした。

 実際、今まで稽古には、それほど身が入っていたとは言えなかった。少なくとも、ここ数年は真面目にレイシアに勝とうとしたことはなかった。

 叛乱を決めてからは、なにがなんでもレイシアに勝たなくてはと思うようになり、なりふり構わずに戦っている。その成果が、ようやく出始めてきたということだろうか。

「結局、今回のは僕の勝ちってことでいいの?」

「ダメダメ! あんな卑猥な戦い方、お姉ちゃんは認めません」

「じゃ、引き分けってところかな」

 呟きつつ、クレインの頭は嫌に冷静に考えを巡らせていた。

 やはり、レイシアは戦場に立つべきではない。戦場というものは、どんな非道でもまかり通る最悪の地獄だ。負けて捕虜になれば男より悲惨な目に遭うし、戦う際にも、女の弱みを狙って付け入ろうとする指揮官はいる。勝つために必要なら、自分だって容赦なくそこを突くだろう。

 そういう覚悟ができていないのなら、レイシアは戦場に立つべきではない。女性として、ごく普通の幸せを求めて生きるべきだ。

(まるで、教国の理屈だな)

 自分の考えに、クレインは急におぞましさを覚えた。

 ――人は生まれつき、生きる道を定められている。神官は神官に、武官は武官に、庶民は庶民に、奴隷は奴隷に。

 その信仰を覆したいと願っているのに、女性に女性としての幸せを全うすべきだと説くのは、筋が違っている。それがむしょうに、クレインにはもどかしかった。

 レイシアと別れてから、クレインは執務室で領主の仕事に没頭した。だがどれだけ書類に目を通しても、レイシアを戦わせるべきか、という問いが絶えず襲いかかってきた。

 気持ちを切り替えるために眉間を揉んでいると、横で仕事を見ていたマリシクがぽつりと呟いた。

「……例の、賊徒の件ですが」

 ついに来た。マリシクの声の調子から、クレインは敏感に彼の意図を汲み取っていた。気持ちが昂るのを自覚しながら、あくまで素知らぬ顔で応対する。

「北に結集したという、あの連中か?」

「はい。どうやらまだ数が増え続けているようで、そろそろ一度攻勢に出たほうがよいのではないかと」

「そうだな。下手に放置して、これ以上増えても困る」

「最速の場合、出兵はいつ頃になりますか?」

「今日、兵たちに伝えて、明日出立しよう。二百をオービルの防衛に当て、残り八百を連れて行く」

「承知いたしました。……しかし、領主御自ら指揮を取るおつもりですか? レイシア様に任せたほうが、よろしいのではないでしょうか」

「レイシアを戦場に出せるわけがないだろう。万が一、彼女に傷でもつけたら、ガウル様にどう弁明するつもりだ? そんなこと、認められるわけがない」

 自分の言っていることがわざと負けるための方便なのか、クレインには自信がなかった。

 だが、少なくともマリシクは納得してくれたようだった。クレインの指揮にいくつか注文をつけると、その話題をそれきり打ち切った。

 午前の仕事を終わらせてから、クレインは一度自室に戻った。窓から街を一望すると、喧騒までは聞こえてこないものの、市や大通りに人が集まっているのを見ることができた。

 クレインはしばらく外の景色を眺めてから、日除けのとばりを下ろして光を遮った。普段は濃褐色の帳をしているが、数日前から赤い帳に取り替えてある。

 それは、出兵の合図だった。

 バルアンによる蜂起が成功してからも、彼とはレーディック商会を通して定期的に連絡を取り合っている。最初の連絡で取り決めたのが、出兵の合図についてだった。バルアンたちもオービル軍の動きには注視しているようだったが、初戦だけあって、激しい調練の翌日に実戦が来るような事態は避けたいようだった。クレインの窓に下ろされた帳を、レーディック商会の手の者が交代で監視し、赤い帳が降りていたらバルアンへ伝令が飛ぶ。そういう仕組みらしかった。

 光が遮られ、闇が立ち込めた部屋に佇んでいると、唐突に抑揚のない声が響いた。

「順調のようだな」

 部屋の隅の影に、シメオンが立っていた。まるで闇から這い出しきたような不気味さに、クレインは背筋が凍りつくのを感じた。

 シメオンには、こちらの状況は一切伝えていない。そもそも所在もわからないため、連絡のつけようがなかった。初遭遇以来、一度も姿を現していないから、顔を合わせるのは今日でまだ二度目だ。

 それにも関わらず、彼の言葉はこちらの動向をすべて見通しているかのようだった。

(まあ、この男なら不思議じゃないか)

 シメオンからすれば、クレインたちはシメオンの目を盗んで、オービルから逃げ出している可能性だってあったのだ。それらしい気配は感じ取れなかったが、当然、監視くらいはつけられていたのだろう。

 クレインは淡い苦笑を浮かべることで、身体の震えを和らげた。

「今のところはね。でも、ここからが本番だ」

「しかし、毒とはな。王族が取る手とは思えん」

「王族の自覚もないし、そんな悠長なことを言ってる余裕もないからね」

「だとしても、普通は踏み切れまい」

「必要なことを、やる。僕みたいな凡人には、それを積み重ねていくしかないんだよ。義父みたいに武芸の才でもあれば、違う策も立てられたんだろうけど」

「変わらんさ。例え駒が揃っていても、お前は最適だと信じる策を選ぶ。それがどれだけ非道でもな」

 見透かしたようなことを言われて、クレインは思わず鼻白んだ。

「あんたなんかに、僕のことがわかるもんか」

「わかるさ」

 シメオンは闇から這い出すと、一瞬でクレインの眼前まで間合いを詰めていた。

「ひとつ、教えてやる」

 言うなり、シメオンの手がクレインの首に触れた。

 ――視界が暗転したと思った瞬間、クレインは床に倒れていた。身体の気孔が強引に押し開かれ、凄まじいチャクラの嵐が全身を駆け巡る。燃え滾るような熱が血を燃やし、全身から洪水のごとく汗が溢れ出す。肺腑が空気を求めて激しく活動し、救いを求める指先が必死に石の床をつかむ。

 ぼやけ始めた視界に、シメオンの顔が見えた気がした。

「気孔をこじ開けて、強引にチャクラを流し込んだ。およそ三十分は、苦痛が続く」

「……な、んで……っ」

「戦いぶりを見ていたが、お前の技はあまりにひどい。なにもかもを御そうとし過ぎる。チャクラとは、操るものではない。委ねるものだ。チャクラが道具なのではなく、お前が、チャクラを束ねるための道具なのだ。それを理解しろ」

 もがき苦しむクレインを見て楽しむように嗤ってから、シメオンは再び闇の中へと消えていった。

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