第二章 叛乱軍(1)

 監視の目をかいくぐるのはたやすかった。

 クレインとレイシアは、昼下がりの宿場街を歩いていた。ふたりとも旅装に身を包み、布で髪を隠していた。教国民の中では金髪は目立つため、念のための処置だ。オービルのあるガリアス山脈は岩山が多く、細かい土砂の落下から身を守るために、旅人が頭に布を巻くのはよくあることだった。

 今朝早くに、ガウルは護衛を連れてオービルを出ていた。さすがに一軍を率いる将だけあって、あまり長期間軍を離れてはいられないようだ。

 ガウルを見送ってから、監査官のマリシクは露骨にクレインを下に見るようになっていた。ガウルに対する卑屈な態度を見たせいか、表面上で敬意を払うことすらやめていた。監視の質も、どことなく変わった気がする。以前のように反乱分子を見るような目ではなく、どこか政敵を見張るような監視に近かった。クレインがガウルに取り入ることを警戒し、自分が領主になる機会を奪われるのを恐れているのだろう。

 目的地に向けて歩きながら、レイシアが眉根を寄せてうなっていた。

「……う〜ん。ねえ、クレイン。本当にあいつの力を借りるの?」

「もちろん。こういうことになるなら、真っ先に頼るって決めてたし」

「真っ先に……? お姉ちゃんよりも、あいつのほうが頼りになるってこと?」

「レイシアが反対するなら、僕は戦すること自体やめてるよ」

「そ、そう? なら、いいんだけど」

 なぜかご機嫌になった義姉に首を傾げながら、クレインは歩みを進めた。

 たどり着いたのは、路地の外れにある寂れた宿だった。中に入るとすぐに食堂があり、数人の旅客が酒を飲んでいる。寂れた宿の食堂で、昼から酒に手を出している割りには、男たちの目には鋭い光が灯っている。クレインの顔を見ると、彼らは値踏みするような警戒の表情を浮かべた。

「いらっしゃいませ」

 接客に現れたのは、楚々とした女性だった。

 腰まで伸びた栗色の髪を三つ編みにし、垂れ目がちな翠眼には、人を安心させる不思議な魅力があった。整った鼻梁に白皙の美貌。すらりとした長身はほとんどクレインと肩を並べるほどで、レイシアとは比べるのも失礼なほど体つきも女性らしい。匂い立つようなたおやかな色香を漂わせながら、彼女はにこりと微笑んだ。

「あらあら。いつもご贔屓にしてくださって、ありがとうございます。さ、奥へお入り下さいませ」

 促されるまま、クレインは女性を追って店の奥へと入った。レイシアも羨望と嫉妬が混ざった目で女性の肢体を見つめながら、あとに続く。

 通された部屋には、クレインのよく知る男が待っていた。白髪交じりの頭に、意欲に満ちた双眸。すでに五十歳を過ぎたはずだが、体つきはがっしりしており、卓の前にどっかりと座っている様は、どこか威厳のようなものを感じさせる。

 彼はクレインの顔を見るなり、白い歯を見せて笑った。

「よお。久しぶりだな、坊主」

「ご無沙汰してます、ヘクターさん」

「今日はまた、随分とすっきりした面構えをしてるじゃないか」

「色々問題がありまして、逆に吹っ切れたみたいです」

「なに。男なんてのは、問題を抱えてるくらいのほうが、張り合いがあってちょうどいいもんさ」

「相変わらずですね」

 豪快に笑うヘクターに、クレインはわずかに苦笑した。

 ヘクター・レーディックといえば、王国で知らぬものはいないほどの豪商だった。一代でレーディック商会を立ち上げ、王国全土に張り巡らされた交易路を築き上げるなど、優れた商才を遺憾なく発揮することで、その地位を確かなものにしていた。敗戦したあとも、みすぼらしい宿を拠点にして周囲を欺きながら、交易路を偽装して役人の目をかいくぐり、今なお王国内の物資の流れを掌握し続けている。義父が死んでからは軍がまともに機能しなくなったため、市や商人の不正取り締まりまで引き受けてくれている。クレインにとっては、大恩あるもう一人の義父のような存在だった。

 ヘクターはにやにやしながら、クレインの隣に視線を向けた。

「だいたい、半年近くも許嫁を放っておくってのはどういう了見だ? なあ、メリル」

「まったくですわ」

 部屋への案内をした三つ編みの女性――メリルが、頬に手を当てて嘆かわしげにため息をついた。

 メリルはヘクターの娘で、幼い頃から父の教育で商売について学んでいた。クレインと二つしか変わらないというのに、すでにレーディック商会の幹部として暗躍しているようだ。「彼女に頼めば、揃えられないものはない」とまで噂されるほど、メリルの仕事ぶりは商人同士の情報網で知れ渡っているようだった。

 メリルは拗ねたように唇を尖らせながら、クレインの腕に抱きついてきた。豊かな胸に腕が挟まれる形になり、クレインは激しく動揺した。

「クレイン様。お忙しいのはわかりますが、さすがにちょっとつれないのではありませんか? どこかで浮気でもなさっているんじゃないかって、わたくし、とっても心配でしたのよ?」

「ご、ごめん。謝るから、もうそういう冗談はやめてよ」

「あら。わたくしは冗談のつもりはありませんよ? だって、クレイン様とわたくしが許嫁なのは、事実じゃありませんか」

 許嫁の約束は、クレインとメリルが生まれる前に結ばれたものだった。

 義父とヘクターとの親交は、三十年以上も続いていたらしい。まだ小さな隊を任されたばかりの義父と、商人を始めたばかりのヘクターが、酒の席で「子どもができたら娶せよう」と口約束をしたらしい。そのことをヘクターが冗談で話したら、幼い頃のメリルがすっかり本気にしてしまったということだった。

 子どもの頃ならいざ知らず、今も自分が好かれているとは、クレインにはとても信じられなかった。昨日の騒動の一部始終を、当然メリルも聞いているはずだった。ガウルの靴を舐めようとし、オービルの財を売り渡して身の安全を買おうとした。そんな男を好きでいられるほど、メリルは思慮が浅くはないはずだ。

「もうっ! いつまでひっついてるのよ! いい加減離れなさい、この無駄乳女っ!」

 クレインが考えを巡らせていると、レイシアが顔を真っ赤にしてメリルを引き剥がしていた。メリルは名残惜しそうに離れてから、レイシアに冷たく微笑みかける。

「あら。そんなところにいらしたのね、レイシアさん。小さ過ぎて見えなかったわ」

「あんたのほうこそ、いちいちでかすぎるのよ。少しは痩せたらどう?」

「殿方は、このくらいのほうが好みと聞きますよ? レイシアさんこそ、訓練のし過ぎで胸のお肉までなくなってしまったようですわね」

「色惚け」

「筋肉女」

 二人の女性が火花を散らしているのを見て、クレインは密かに嘆息した。

 レイシアとメリルが顔を合わせると、いつもこの調子だった。

 許嫁と知ってから、メリルは「クレインを自分に相応しい男に育てよう」と躍起になり始めた。武家で育って粗野になりがちなクレインに、メリルは礼儀作法や計算などを教え込んだ。

 当然、姉を自称するレイシアは面白くない。クレインをかまいたがるメリルにやたらと突っかかるようになり、メリルもやり返す。そんなことを繰り返していたら、二人はこんな関係になっていた。

「大変だな、色男」

「笑ってないで止めてくださいよ、ヘクターさん」

「そういうのはお前の仕事だろ。たまには甲斐性を見せろ」

 笑いながら突き放され、クレインは諦めて、レイシアたちの間に割って入ることにした。

「ふたりとも、そろそろ本題に入っていいかな」

「あら。申し訳ありません。わたくしとしたことが、すっかりレイシアさんに乗せられてしまって」

「あたしのせいにすんなっ!」

 牽制し合う二人を卓につけてから、クレインはようやく本題を切り出した。

「今日は、折り入ってお二人にお願いしたいことがあって来ました」

「ほう。商人相手にただで頼み事をする気か、クレイン。お前には、まだ貸しも残ってるんだぜ?」

「商人の不正を取り締まってくれていることには、感謝しています」

「感謝なんかいらねえよ。売る物の価値に見合う物を、もらう。それが商人ってもんだ。それもないんじゃ、いくらお前の頼みでも聞けねえな」

 にやにやと笑っているが、ヘクターが本気であることはすぐにわかった。商売人としては譲れないところなのだろう。普段甘やかしてくるメリルも、焦れったそうにしているだけで助け舟を出そうとはしなかった。

(僕は、また試されているのか)

 昨日は、ガウルやシメオンにも試された。マリシクや兵たちも、いつもクレインの度量を推し量ろうとしている。

 皆が自分と義父を比べたがっていることは、クレインも身に沁みてわかっていた。太陽のような義父の輝きが失われて以来、同じ輝きを跡継ぎであるクレインに求めているのだ。アルバート・ネーデルスタインは、正真正銘の英雄だ。自分があのような男になれるとは、クレインにはとても思えなかった。

(でも、試されるということは、機会を与えられているってことだ)

 ただのクレインなら鼻で笑われて素通りされるところを、クレイン・ネーデルスタインならば交渉する余地を持って接してくれる。これを利用しない手はなかった。

 クレインは必死に頭を回転させ、この場を切り抜ける戦略を練った。

「正直に言いましょう。今の僕には、ヘクターさんが満足するだけのものを支払うことはできません。ですが、未来のことなら約束できます」

「ほう。なにを約束してくれるってんだ?」

「レーディック商会は今、役人の目を避けてこそこそと商売をしていますよね。僕の頼みを聞いてもらえれば、前のように大っぴらに商売をできるようになります」

「悪くないが、今のままでも結構儲かってるぜ? わざわざ元のやり方に戻さなくても、食っていくには困らねえ」

「ですが、いずれは役人に気づかれます。そうなれば商売どころじゃない。奴隷に落とされて、消耗品のように使い捨てられるだけです」

「おいおい、俺を脅す気か?」

 ヘクターの目が、剣呑な光を帯びた。弱みをちらつかせて、強引に頼みを聞かせようとしている。そう誤解されたのかもしれない。クレインはやはり、そういう人間の機微には疎かった。

「脅すつもりはありませんよ。ただの予想です。ヘクターさんも、同じことは考えているでしょう?」

「否定はしねえが」

「だからこそ、ヘクターさんには僕の話に乗ってほしいんです。僕の頼みを聞いてもらえれば、きっと王国で商売していた時より、商会を大きくできると思います」

「大きく出たじゃないか。お前さんは一体、俺になにを頼むつもりなんだ?」

「軍を」

 場が凍りついた。

 皆が意味を飲み込むまでたっぷり間を空けてから、クレインは続ける。

「僕とレイシアの名を使って、叛乱軍を組織したいんです。そのためには、ヘクターさんの情報網が必要です。武装や糧秣も必要になるので、ヘクターさんには相当な先行投資をお願いすることになりますが」

「……坊主、自分がなにを言ってるのかわかってるか?」

「無論です」

「正気になれ。即席の軍を組織して、教国相手に勝てると思ってるのか? しかも、今のお前は十二神将の烈火獣にも目をつけられてる。すぐにぶっ潰されるのがオチだぞ」

「僕は正気ですよ。真面目に、教国をぶっ潰す方法を考えてきました」

「なら聞かせろ。その方法ってやつを」

 ヘクターが身を乗り出すように、クレインに促してきた。口では否定的なことを言いながら、こちらの話にかなり興味を持ってくれたようだった。

「まず初めに、兵の質です。叛乱軍を組織すると言っても、民兵を募兵する気はありません」

「そうは言うが、民兵以外集めようがないぞ」

「あるじゃないですか。三年前に解体された、もう一つの軍が」

 義父が組織していた、精兵揃いのオービル軍。彼らの多くは、奴隷としてオービル付近の鉱山に送られたはずだった。

「彼らには、ヘクターさんも目をつけていたんでしょう? 食堂で酒を飲んでいた男たち。あれはたぶん、旧オービル軍の兵じゃないですか?」

「……気づいてたのか」

「昼間から飲んでるにしては、やたら殺気立ってましたからね。目下、一番僕を殺したがってるのは旧オービル軍の皆でしょう」

 偉大な義父が築き上げた功績を、すべて無に帰した愚息。彼らからそういう評価を受けているだろうことは、容易に想像がついた。

「そこまでわかってて、連中を集めるのか」

「もちろん。今集められる中で、間違いなく最強の兵たちですから」

「お前に御せるとは思えないが」

「そうですね。ですが、本来の指揮官が戻れば別です」

「アルバート・ネーデルスタインは死んだ」

「ええ。ですが、バルアン・グリューン将軍はまだ生きてます」

 バルアン将軍は、長く義父の副官を務めた武官だった。兵を見事に統率し、義父の変幻自在の戦術に軍を即応させられる唯一の将軍だ。義父との信頼関係は厚かったようで、一度は一軍を率いるほどに昇格したというのに、あえて義父の副官であることを望んだらしい。義父も戦で軍を分ける時は、必ずもう一方の軍をバルアン将軍に任せていた。

 彼もまだ、このオービルにいるはずだった。クレインには彼の情報を集めることはできないが、ヘクターならとっくに居場所を突き止め、密かに連絡を取っているはずだった。

「彼が旗を振れば、兵たちは必ず集まります。つまり、僕は彼だけを動かせればいい」

「難物だぞ、奴は」

「それも、わかってます」

 バルアン将軍とは面識があるが、それほど親しいわけではなかった。気難しく、頑固な性格だということはすぐにわかったが、義父の副官であることにこだわり続けた男だ。必ず、火をつける方法はあるはずだった。

「もし彼を動かせなかったとしても、レイシアがいます」

「えっ?  あたしっ!?」

「僕が養子だということは、兵たちも知ってるでしょう。ですが、レイシアは僕と違って、ネーデルスタイン将軍の本当の娘です。僕には従えなくても、レイシアには従ってくれるはずです」

「希望的観測だな」

「いえ、確かです。なにより、彼らは奴隷生活に嫌気が差しているでしょう。例え勝ち目が少ないとしても、奴隷としてこき使われて死ぬより、戦で戦い抜いて死ぬほうがいい。大恩ある将軍の娘のためとあれば、命を賭ける理由には十分です。そう考えるのが、武官というものです」

「確かに、いつまでも奴隷でいようなんて考える連中じゃないが」

「兵が集まる。そうすれば、僕らの兵站線はレーディック商会に依存することになります。レーディック商会が潰れれば、僕らも共倒れです。当然、兵を動員してでも、あらゆる外敵から商会を守ることになるでしょう。つまり、軍を顎で使いながら商売をできるというわけです」

「そりゃ、前代未聞だな」

「食っていくには困らないと言ってましたが、ヘクターさんの場合、ただ食べていくために商人をしているわけじゃないでしょう? もっと商売を大きくして、大陸一の商人になる。それくらいの野望を持っていたんじゃありませんか? 軍を操る商会。そんなものが作れるのに、まだこそこそと小さい商売を続けていくつもりですか?」

 ヘクターが考え込むように黙ったので、クレインはここぞとばかりに追い打ちをかけた。

「それから……烈火獣への対策ですが、これもちゃんと考えがあります。そのあたりは、バルアン将軍と引き合わせてくれた時にお話しましょう」

「ふん。駆け引きってもんがわかってきたじゃないか」

「おかげさまで」

 互いに不敵に笑い合ってから、ヘクターは急に張り詰めていた空気を弛緩させた。

「それにしても、あの坊主が随分と思い切ったもんだな。でもまあ、成長ぶりは期待以上だったぜ」

「やっぱり、試してたんですね。人が悪いな」

 隣でやり取りを見ていたメリルも、すっかり緊張を解いて苦笑している。

「もう。お父さん、少しやり過ぎではないですか? そもそもこういう時のために、レーディック商会を隠してきたんじゃありませんか?」

「なに言ってやがる。こっちだって命懸けなんだ。半端な覚悟で叛乱を口に出すようなら、とてもじゃないが命は預けられねえ」

「だからって、自分ばっかりクレイン様と話して……ずるいです」

「お前はどうも、坊主に甘いからな。演技でも、交渉役は任せられん」

「いい加減、娘を信用してください」

 メリルが不服そうに頬を膨らませるが、ヘクターが豪快に笑って席を立った。

「バルアンの件は手配させる。それより、せっかく来たんだ。酒に付き合え」

「でも、まだ領主の仕事が」

「これから国に逆らおうってやつが、なにクソ真面目なこと言ってんだ」

「クレイン様。久しぶりに会った許嫁に、お金の無心だけして帰るおつもりですか? クレイン様は、そんな甲斐性なしじゃありませんよね?」

「ちょっと! 隙あらばクレインにひっつこうとして、あんたには貞操の観念ってものがないわけっ!?」

 先ほどまでの重苦しい雰囲気を吹き飛ばすように、皆が一斉に騒ぎ出す。

 騒ぎの中心にいて苦笑しながら、クレインは不思議と居心地のよさを感じていた。

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