第一章 オービルの奴隷領主(2)

 なだらかな斜面に布陣していた。

 木剣や棒を持たせての調練だった。斜面の上下に二百ずつが布陣し、合図と同時に両軍が激突する。上方の軍は斜面を下る勢いを利用して攻め下ろし、下方の軍は下ってくる兵の勢いを食い止める。いずれも、山岳戦の基礎となる重要な調練だった。

 クレインは、下方の軍の指揮官だった。隊列をなしている兵たちは、明らかに調練に身が入っていない。浮かれて味方同士で打ち合いを始めたり、こちらを指差して露骨に嘲笑したりしている。

 それも当然だろう。兵たちは皆、教国の出身だった。

 義父の死と同時に、義父が組織したオービル軍は解体を余儀なくされた。兵たちは猛反発したが、反発した兵たちの家族が惨殺される事件が相次ぎ、戦う気力を失った兵たちは解体を受け入れ、全員が奴隷として鉱山に送られてしまった。

 改めて教国民だけでオービル軍が組織されたが、兵の数はわずか千だった。しかも、士気も低く、調練も行き届いていない弱兵ばかりだ。

 教国は今、北方のガレク共和国と戦をしている。精兵はすべて北方に集められ、大陸南西部に位置するオービルには、ろくな兵が回されてこなかった。兵たちも左遷されたことで一層やる気を失い、調練も流し流しやっているような状態だった。

 上方の軍から、何度か光が瞬いた。鏡を使って光を反射させる、簡単な通信だ。上方の軍を指揮するレイシアからの、開戦の合図だった。

「構え」

 クレインは大声を張り上げた。

 兵たちは舌打ちしながら、おざなりに得物を構えた。奴隷領主が、という悪態がどこからか聞こえてきたが、クレインはそれを咎め立てしなかった。

 イシュヴァリア教国の国教では、人の身分は生まれによって定められるとされていた。神官の家に生まれたものは神官に、武官の家に生まれたものは武官に、庶民の家に生まれたものは庶民に。

 ――そして、異教徒は奴隷に。

 それを幼い頃から教え込まれた教国民からすれば、クレインの立場は異質なのだろう。奴隷のはずの男が、なぜか領主をやっている。そんな風に見られており、尊敬を受けるどころかあからさまに侮蔑されていた。生まれにあぐらをかき、当たり前のように家柄の恩恵を受けてきた武官ばかりが揃っているので、尚更風当たりは強く感じた。

 それでも、クレインは調練の手を抜くわけにはいかなかった。

 弱兵でも、異国民でも、彼らはオービル軍だった。有事の時、彼らが使いものにならないのでは、民を守ることもおぼつかない。

(民を守る。それが武官……ですよね、義父上)

 義父が言っていた芯のようなものを、クレインはいまだにつかめていなかった。だが、義父の教えはしっかりと胸に刻んでいた。

「突撃」

 号令とともに、クレインはチャクラをまとって疾風の如く駆け出した。上方から攻め下ってくる二百の勢いに圧倒されながら、まっすぐに斜面を駆け上がる。クレイン麾下の兵たちも、だらだらとした歩調であとに続いてきた。

 あと数歩で激突する。その機を見て、クレインは再度大声を張り上げた。

「散開」

 正面衝突する軌道から、クレインは横にそれた。上方からの軍は攻め下る勢いを止められず、直進してくる。無理に止まろうとすれば、後続の兵に押されて陣が崩れると判断したのだろう。

 正しい判断だったが、クレインからすれば『詰み』だった。散開した兵で両側面から挟み撃ちにすれば、最大の脅威である敵の突撃力も関係なくなる。

 だが、まともに散開していたのは、クレインを含めてわずか数十名だけだった。

 多くの兵はクレインの指示に従わず、そのまま正面から敵軍に突撃していた。号令に反応できなかったわけではないだろう。クレインに対する侮蔑と嫌悪感のせいで、ほんの数瞬だけ、命令に従うことをためらった。

 そのわずかな隙を、レイシアが見逃すわけがなかった。レイシアの軍は凄まじい勢いで、散開しそこなった兵たちに激突した。先頭を駆けていたレイシアが瞬く間に十人ほどを跳ね飛ばし、後続の兵もその勢いに乗せられて激しく攻める。クレインが戻る間もなく、あっという間に隊は壊滅した。

 それを呆然と眺めたあと、クレインはレイシアからの終戦の合図で、ようやく我に返った。

「敗軍は城壁の外周を駆けてから帰城。勝軍は負傷兵を伴って先に帰城せよ」

 クレインの号令に従って、兵たちが動き出した。敗軍の兵たちは、クレインに白い目を向けていた。

「あいつ、真っ先に逃げ出しやがって」

「やっぱり、奴隷は奴隷だ」

「あんなやつの指揮下に入るなんて、ついてないぜ」

 聞えよがしな不平を聞きながら、クレインは勝軍に混ざって帰城した。本来なら敗軍とともに外周を駆けるべきだが、まだ領主の仕事が残っている。

 沈んだ気分で最後尾を歩いていると、励ますように背中を叩かれた。

「いい勝負だったのに、どうして暗い顔してるの?」

「……何言ってるのさ、レイシア。僕の完敗だ。兵の質を読み違えた」

「並の兵なら、クレインの指示通りに動けたよ。それができなかったのは、本人たちの問題でしょ。だいたい、どうして兵たちに言わせっぱなしにしてるの?」

「兵の質も踏まえて指揮できないようじゃ、指揮官としては失格だ。反論する資格もないよ」

「資格とかじゃなくて、統率の問題だよ」

「そういう意味なら、尚更なにも言えないよ」

 兵たちは皆、クレインを嫌っている。クレインが嫌い、という思いによってまとまっているのだ。下手に締め付けるようなことをすれば、もはや軍として機能しなくなる恐れがある。それは、クレインが望むところではなかった。

 レイシアも心当たりがあったのだろう。それ以上はなにも言わず、ただ隣に寄り添っていてくれた。

 帰城する頃には、すでに日も暮れかかっていた。

 兵舎に戻る兵たちと別れてから、クレインはレイシアとともに執務室に向かった。

 クレインが領主に任じられてから、レイシアにはクレインの護衛の任についてもらっていた。今のオービル軍の中に、レイシアを組み込むことには抵抗があった。腐った軍の中に女性を送りこむなど、獣の檻に羊を放り込むようなものだ。レイシアの腕なら半端者の兵など返り討ちにできるだろうが、クレインの気持ちが許さなかった。

 なにより、クレインたちには差し迫った事情もあった。

 執務室に上がる階段の前で、クレインは足を止めた。レイシアも足を止め、そっとクレインの手に指を絡めてくる。

 三年前、義父はここで死んでいた。

 死体は階段の下で見つかった。首の骨が折れ、全身から酒の匂いがしていた。中央から派遣された役人はろくに検分もせず、泥酔して足を滑らせたのだと結論付けた。

 暗殺されたのだと疑念を持つのに、時間はかからなかった。義父はめったに酒を飲まなかったし、飲む時も足元が覚束なくなるほど飲んだりはしなかった。その義父が、泥酔して階段から転げ落ちて死ぬなど、到底考えられない。義父が死んでひと月も経たない内に、ガレク共和国との戦が本格化し、疑念は確信に変わった。

 教国にとって、義父は扱いに困る存在だった。オービルの統治権を与えて降伏させたものの、五年の歳月をかけても、本当の意味で義父を服従させることはできなかった。国内で大きな内乱が起きるとしたら、ネーデルスタイン将軍をおいて他にないとさえ思っていたのかもしれない。大きな戦の前に、後顧の憂いを断つ。卑劣なやり口だが、だからこそ、クレインにはその戦略的価値が理解できた。

 無言で階段を眺めていると、レイシアが心配そうにのぞき込んできた。

「大丈夫?」

「……うん」

 ガレク共和国との戦は、激化の一途を辿っている。旧王国領内では、散発的に叛乱軍の活動もあるようだ。だが、いずれも武装や指揮官に恵まれず、即座に教国軍に鎮圧されている。

 叛徒の勢いを効果的に削ぐ方法があるとすれば、それはクレインを殺すことだろう。クレイン自身にはなんの力もないが、ネーデルスタインの名にはそれだけの力がある。

 自分が死ぬのは、別に構わなかった。だが、次に狙われるのは――

「……レイシア」

「なに?」

「もし、僕が危なくなったら、レイシアだけでもちゃんと逃げてね」

 レイシアは目を丸くしてから、口元を押さえて笑い出した。

「もうっ。クレインってば、頭がいいくせに本当におバカなんだから」

「……真面目に言ってるんだけど」

「だからおバカなのよ。お姉ちゃんが、クレインを見捨てられるわけないでしょ?」

 なんの衒いもなく言って、レイシアはえへんと小さな胸を張った。

 強い人だ。なんの迷いもなく、自分の信じた道を突き進んでいく姿は、本当に義父によく似ている。血の繋がらない自分にも、惜しみなく愛情を注いでくれていることにも、いつも感謝していた。

 そんな義姉だからこそ、絶対に守らなければならない。

(例え、他のなにを犠牲にしたとしても)

 昏い決意を胸に灯し、クレインは夕日で赤く染まった階段を昇り始めた。

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