第3話

「うーん…ハンカチ、なぁ」


「なんで俺が付き合わないといけねーんだよ」


「俺よりモテるだろ。」


ショップの中には俺と兎谷、そして店員しかいない。


兎谷は普段、庶民的感覚や価値観に敏感だ。だからそれを大事にするのに”こういう時”は思い切り自分の立場とかそういうものを使う。

”こういう時”というのは、例えば今日みたいに人混みが嫌いだからと店舗を貸し切って買い物するという行動もそれに当てはまる。俺も人混みは得意じゃ無いけど、兎谷は異常に混雑を嫌がる。買い物も、遊園地や水族館も、レストランも大抵貸切だ。彼曰く「女の子は割と喜ぶ」らしい。その辺が俺は気が利かないんだなぁと思うけど。


「普通ただの買い物で貸し切るか?人混みが嫌いって言ったってさ」


「オーナー権限だ。それに人混みが嫌いなのは勿論だけど、雑音って人との会話を聞き取るのに邪魔だろ。」


「神経質なやつ」


「違う、無駄な労力を使いたくないんだよ。」


聞き返したり、言い返したり、と兎谷は付け足した。

彼は昔から自分の心地よい環境を作る事に金も労力も時間も惜しまない人間だ。

思えば兎谷は昔から何かと繊細な所があった。人の言葉の裏の裏まで考えてしまうし、自分の行動の1から10までを気にしてしまうというか。だからか周りの環境に馴染む…というより溶け込む事が上手いし、周りの思う自分を作る事が上手い。兎谷は頼りになるけど、俺は時々、こういう彼の何気ない言葉の端っこがささくれみたいに気になってしまったりもする。


「え、ここって化粧品出してたっけ」


「あぁ、少し前にうちの傘下でコスメ展開したんだよ。まだ日本じゃ正規店はここくらいだけどな。」


ズラリと色んな色の口紅やアイシャドウなんかが並んでいるけど、正直色の見分けがつかない。全部赤じゃん、全部ピンクじゃん。こんな繊細な色の違いがわかるなんて、女の人ってやっぱり男とは違う気がする。


「似たり寄ったりに見える」


「全然違うだろ。こっちは青みがかったピンクだし、こっちは粘膜に近いピンクだし…」


「ピンクじゃん」


「全然ちげーよ。」


兎谷は化粧品やスキンケア商品、服飾やアクセサリーを世界規模で生産、販売している【Conejo Companies INC.】の次男坊でこういう情報や知識に長けている。本人は経営に関してはあまり興味が無いため、【Conejo Companies INC】傘下で一番有名と言えるブランドであるここ、【Virgin】の店舗で普通に責任者として働いている。

そして【Conejo Companies INC】の傘下にある様々なブランドショップは、俺の親父が代表取締役をやっている【京塚ビルディング】が運営しているいくつかの複合商業施設に入っていたりもする。

世界的な販売メーカーである兎谷家と、ディベロッパーであり不動産会社である京塚家はビジネスでも関わりがあるのだ。


「いいか?コスメっていうのは微々たる色の違いが大事なんだよ。その少しの違いで女の子はいくつも違う魅力が出てくるわけ!」


「お前、昔から女の人の変化に敏感だもんな。俺が髪切っても染めても気付かないのに。」


俺には全くわからない感覚を兎谷は持っているらしい。どうやらハンカチ選びに同行してもらうパートナーに兎谷を選んだのは間違いないようだ。


「あぁ、くそー!せっかくの日曜を雅と一緒だなんて!」


「親友に対しての言葉とは思えないな!」


「とりあえずハンカチだな、ハンカチ!どんなのがいいんだよ。」


「うーん…」


実は俺は他人のものを選ぶことが大の苦手だ。

これまで付き合った彼女へのプレゼントもサプライズで用意する事が苦痛で「何が欲しい?」と聞いていた。女の子は「雅君のくれるものは何でも嬉しいよ」とか「プレゼントなんて、別にいいよ!」とか可愛く言ってくれるから俺はその通りにしてきたけれど、大体空気が悪くなるばかりだった。


「雅さ、今までの彼女いただろ?彼女のプレゼント、何あげた?」


「あんまりこういうの得意じゃ無いから、先に聞いた。」


「聞いたんか。で?」


「『雅君がくれるものなら何でもいいよ♡』って言ってた子には何でもいいのか〜って思ってて、気になってた”コデックスセラフィヌアヌス”をプレゼントしたよ。年明けにフラれたけど」


「お前…何でそんな難解な本やったんだよ…他にあっただろ」


「本が好きって言ってたし、あれ、面白そうじゃん。」


「お前にはな。」


「あとクリスマスが誕生日だった女の子にはヨーロッパから仕入れた本場のモミの木をあげた。その場でフラれた」


「モミの木…」


「それから『別にいらないよ』って言った女の子には言われた通り何もあげなかった。音信不通になったけど」


様々な思い出を兎谷は「お前が悪い」と一蹴してきた。

俺は相手のことを思うことは好きだけど、昔から周りと感覚がズレているらしいからどうしても噛み合わない。


「何が欲しいかってヒントが無いなら、相手をイメージしながら商品を見るんだよ。何欲しいもののヒントがないならさ。」


「そういう事が難しい」


「仕方ねぇなぁ。今回はお礼のハンカチだろ。名刺を見るに、相手は大学講師。だったら無難に普段使いし易いシンプル且つ上品で知的なものを選ぶといい」


「普段使いかぁ…」


「あんまり色も派手じゃ無い方がいいな。」


「兎谷ならどんなのにする?」


「そうだなー」としばらくハンカチを見つめた後、彼が選んだのは淡いピンク系のチェックのハンカチと、緑色の無地のものを手に取った。


「この2枚だな。オパールグリーンのやつは無地のパイル地。で、生地が違うベビーピンク系のトーンオントーンチェック柄のシルク素材。」


「緑とピンクか。」


「オパールグリーンとベビーピンク!」


「なるほどなー。」


生地が違う2枚って言うのはいいな。

確かに、1枚は寂し過ぎると思っていたところだ。兎谷が示してくれた見本を頼りに、色とりどりのハンカチと再び向き合う。

うーん、さすがに赤いハートが散りばめられているものは華やか過ぎる。

俺もそうだけど、華やか過ぎると目を惹くには十分だけど時折それが煩わしくも感じる事もある。このハンカチだってそうかもしれない。彼女が教鞭を取ってる時にカバンからこのハンカチが出てきたら多くの生徒が目を惹くだろう。そうして彼女の授業が”おざなり”になってしまえば本末転倒だ。

じゃあ、こっちの花柄はどうだ?いや、待て。花柄って好みが分かれそうだな。俺も大抵の女性は好んでくれるけど中には「京塚くん?ん〜…イケメンだけど好みじゃない」とかって女性もいたしな。


悩む俺の目に留まったのは【Oriental Virgin】という、このブランドでは初見のコレクション。クラシックなデザインを基調としていた【Virgin】に、刺繍が施されたシリーズだ。

さっき兎谷が選んだようなチェックの生地に芍薬の大きな花が刺繍されていたり、なんとなく洋風と中華が混ざったような独特の雰囲気がある。


「新しいシリーズ?」


「そう。デザイナーがイギリス生まれの中国人なんだよ。万人に好かれ易いクラシックなものが多いけど、今年からそのどちらも融合したようなオリエンタルなものを販売していこうってなってな。好みは出るだろうけど…まぁ、新しい客層を狙ってんだよ。」


「でも凄いなこの刺繍。」


「手刺繍だよ。他にも龍やら鶴やら金魚やら…」


「金魚!?」


俺が反応すると、兎谷が店員を呼ぶ。「金魚出してくれる?」と言いつけると、「かしこまりました」と品の良さそうな女性店員がにっこり笑って、小脇に抱えていた赤いベルベットのトレイの上に数枚のハンカチを取り出す。

丁寧に刺繍が施されたハンカチが1枚、2枚と並ぶのを見ていると既視感を覚える。


「おお!これ!」


手に取った1枚は、綺麗なブルーのハンカチで、広げると丁度左上の位置に5cmくらいの赤い金魚と黒い金魚が繊細に刺繍されているものだった。尾びれが開いて、まるで花びらのようにも見える。


「この金魚いいな!このリアルな感じがいい!」


「リアルな感じが…?そ、そうか?まあ確かにリアルだけど…」


「うん、1枚はこれにしよう!」


「えっ、それにするのかよ!俺のアドバイス無視じゃねーか!」


「無視してないって!あと一枚はパイル地の無地にするし」


「このハンカチ喜んで受け入れる若い女性ってなかなか…」と、自分の店の商品なのに兎谷は頭を抱えている。でも、何となく、借りたハンカチに同じ金魚が刺繍してあったから、とかそういう理由じゃなくて、彼女はこのハンカチを好きな気がした。それはもうただの俺の勘に過ぎないんだけど。

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