(ナイーブさん、元気無かったな……)


 あれから彼女に携帯電話を買ってもらった事や、優と仲良く出来ている事などを話すと、とても喜んでくれたが、どことなく元気が無いように思えた。しかしながら、表面上はいつもの優しい彼女のままで、結局個人的な連絡先を聞いて帰宅したのだった。


 翌日、登校してからも気になっていたが、休み時間に担任に呼び止められ、思考がふつりと途切れる。


 「ちょっといいか? 実は今日なー、テストの結果が悪かった奴、居残りなんだよ。お前もこのプリント出してから帰れ」

 差し出してきた1枚の紙切れと同様、軽い口調の担任はそれだけ言ってさっさと踵を返す。

 渡されたそれに視線を落として嘆息が漏れる。苦手な数学のテストは、確かにあまり芳しくない結果だった。しかし、泥棒扱いで糾弾されてから今に至るまで、保健室登校を繰り返していた望実は、教室での居残りが嫌で堪らなかった。

 たとえどこにいてもいじめは多かれ少なかれ行われる。けれど教室に行くのは気が進まない。

 逡巡しながらも、受けなければ後から罵られるのは分かっていた為、放課後になると重い足取りで教室へと向かう。



 教室に入ると、担任と共に、同じ居残りをする結果となった者達がまばらにいた。ほとんどが男子で、女子は数人。成績優秀な愛那はいない。

 自分の席へ座ると、机に詰め込まれたプリントが目に入る。ぐしゃぐしゃに丸められた物から、罵詈雑言を書かれて読む事の出来なくなった物。

 じわりと滲む目を乱暴に擦り、全て鞄に押し込む。後で捨てるつもりだった。母に見せなければいけないようなプリントは、職員室に貰いに行けばいい。


 「よし、じゃあ間違いの多かったとこ教えていくからなー」

 望実の心中も知らず、のんびりと立ち上がった担任が黒板の前で説明を始める。


 「……で、渡してたプリントやって出来た奴は持ってこい。解けてたら帰っていいぞ」

 そう言うと再び教卓に着く。一斉に周りでカリカリと筆記用具を走らせる音が聞こえ始め、望実もゆっくりとながら問題に取り掛かる。


 また1人、また1人と、夕暮れの教室から脱する者が出始めた頃、担任を呼び出す放送が入る。

 「あー、職員室に行かなきゃならないから、出来た奴は先生の机に出して帰っていいぞ」

 バタバタと彼が出ていくと、大人しかった生徒達の気が一気に緩み、会話が飛び交う。


 「わっかんねー! なぁ、これ誰か分かる奴いねぇ?」

 「俺、今日居残りで部活遅れるって言ったら、センパイにめっちゃ笑われたわ」

 「お前それ、今頃バカで覚えられてるよ!」

 ゲラゲラと響く笑声。プリントそっちのけで、ふざける者。問題の答えを教え合う者。それらを視界の端に、黙々と取り組んでいた望実は何とか全てを終わらせ、教卓にプリントを提出する。

 席に戻り、そそくさと帰り支度を始めた時、走り回っていた男子が突如机にぶつかる。

 「いってーな! 邪魔なんだよ!」

 勝手にぶつかってきたというのに、男子は苛立ちをあらわにし、衝撃で床に落ちたペンケースを蹴り飛ばす。せっかく母が買ってくれたそれを慌てて追い掛けると、面白がった他の男子達が拾い上げ、パスだと称して投げ始める。

 「返してっ!」

 望実が懸命に手を伸ばすと、冷かすように嗤われ、なおも投げ合いが加速する。

 「そっち回れー!」

 「お前、右右!」

 「よっしゃ取れよ!」

 1人が振りかぶって投げたペンケースは受け損なわれ、開いていた窓外へと飛んでいく。

 「あーあ、落ちた」

 「ヘタクソだなー」

 「ごめん、ミスった」

 まるで、ちっぽけな玩具が無くなっただけかのような口振り。きっと涙目で睨み付けた望実は鞄を引っ掴んで教室を飛び出す。

 校舎の外、ペンケースが落ちたであろう場所を探し回る。植え込みや溝を掻き分けながら、ついにポロポロと涙が零れ出す。とても気に入っていたのに。

 ふいに呼び掛けられ、泣き顔のまま振り返ると、1人の男子が近付いてくる。その手には探していたペンケースがあった。

 

 「これ、自分の? さっき2階から落ちてきたけど」

 差し出してきた男子は望実が泣いている事に気付くと、見るからに狼狽える。

 「え、何で泣いて……え?」

 おろおろとする彼。次の瞬間、ペンケースが汚れているのがいけないと思ったのか、袖口で汚れを拭き始める。

 「ほら! もうそんな汚れてないって!」

 励ますように笑うその言動が何だかあまりに一生懸命で、望実の口元も僅かに緩む。

 彼はどうやら3年の先輩だ。痩せ型で、優しい性格が表れた柔和な顔立ちの男子だった。絆創膏が幾つか貼られているのが気になったが、頭を下げてペンケースを受け取る。


「いきなり落ちてきたからビビったわ。2年、だよな? 窓際の席?」

 まだ元気の無い望実を気遣っているのか、笑いながら話し掛けてくる。その問いに首を左右に振って弱々しく答える。

 「クラスの男子に……投げられて落とされたんです」

 すると、その答えに眉を顰めた彼は苦々しく呟く。

 「……嫌な奴、多いよな」

 どこか含意のある言い方な気がしたが、彼はそのまま軽く手を振って行ってしまう。

 優しい先輩だったな、と思いながら望実も帰路につく。

 綺麗にしてもらったペンケースに、涙はもう出なかった。

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