第四章 優しい猫

 「村瀬さん、ちょっと待って」

 あんな事があった昨日の今日。さすがに教室には向かわず、朝から保健室登校をしていた望実は、2時間目が始まった頃合で退室しようとした瞬間に飯島に呼び止められて後顧する。


 「もしかして図書室行く?」

 「はい」

 今はどのクラスも使用していないはずだがと思いながら続きを待つと、思い掛けない事を伝えられる。

 「今日ね、もう1人ここに来てる子がいるんだけど、朝、村瀬さんより少し前に来てから図書室に行ったままなの。1組の中園さん。話せそうだったら話してみて」

 「……分かりました」

 暗に仲良くする事を押し付けられているようだった。すっきりしない気持ちながらも、望実は図書室へと歩き出す。

 中園、というと、入学以来ほとんど学校へは来ていないらしい女子の事だろうか。2組である自分には隣のクラスの事など分からない。そもそも、それを訊く相手がいなかった。隣のクラスにも愛那の党派がいたから。


 (ずっと休んでる子がいるっていうのは聞いた事あったけど、話せって、何話せばいいの……?)

 まず、クラスの連中のような相手だったらどうしたらいいのだ。思い悩みながら着いた図書室の前、そっと扉をスライドさせる。

 中を覗くと、司書の姿すら無く、静閑としていた。もう出ていった後なのかもしれないと思いながら静かに進み入ると、書棚に隠れた最奥の席で、こちらに背を向けた姿を見付ける。

 俯いていて本を読んでいるのだと思ったが、ほんの少し距離を詰めてみると、それが本ではなく、携帯電話の画面な事を知る。


 「……ねぇ」

 「わぁぁっ!!」

 声を掛けた望実自身が肝を潰す程に声を上げた相手が目を見開いて振り返る。

 「ご、ごめん……」

 お互い早鐘のようになっているであろう胸を押さえながら望実がそう謝ると、小さな声で『ううん』と首を振られる。肩先で揺れる栗色の髪はふんわりと波打っており、可愛らしい印象を受けた。

 「あの……私、2組の村瀬望実。1組の中園さん、だよね?」

 問い掛けに、返される首肯。

 「飯島先生にここにいるって聞いて、何て言うか……話してみたら、って……」

 言い淀みながらも、丸々飯島に言われた事を告げてしまうと、気弱そうな相手の顔に微かに笑みが浮かぶ。

 「先生達とかって、そういうのさせるよね。仲良くしてあげてって。でも……結局嫌がられちゃうんだよね」

 小さな声音だったが、それは望実にも身に覚えがある事だった。

 授業中、グループを作るよう言われても、自分は必ず除け者にされる為、教師からは誰かが組んでやるようにと指示を出されるのだ。

 その先に待つのは、嫌悪を剥き出しにして嫌々組んだ者達からの陰からの非難。そして結局、教師の目が及ばぬところで孤立させられるのだ。

 これまでに幾度経験しただろう、胸の抉られるあの思いを。目の前の相手の言葉は、それを知っている事実を語っていた。

 

 「……私は嫌々話し掛けたんじゃないよ。中園さんが言うみたいに、先生達のそういうやり方が嫌なだけ。いつも誰かに私自身の事押し付けてるから。あと、ただ……どんな人か分からなかったから、怖かったらどうしようとは思った」

 素直に語られた望実の話の末尾は相手の心を捉え、失笑を誘う。

 「な、何で笑うの?」

 「ごめんね、村瀬さんって素直なんだなって思って。確かに私も逆だったら、怖い人だったらどうしようって思う」

 先程までのどこか翳の残る顔とは違い、柔らかい表情を浮かべる姿に、望実も釣られて口角を上げる。

 「中園さん、怖くないね。良かった」


 隣で話してみると、中園優という名前と共に、その栗色の髪の所為でいじめられ、外出が怖くなり、家にこもってしまっているという事を知る。

 髪色も緩やかなうねりも生来のものなのに、染めている巻いていると非難の的らしく、その内『汚い色』と罵られるようになってから、一度、うなじまで自分で切り落としてしまったらしい。

 籠っている内に、現状まで再び伸びたのだけれど。と、たどたどしく話してくれた。

 大人しく、臆病で、まるで触ろうと近付いたら、パッと逃げてしまう道端の猫のようだった。まして、その手中に握られた先程見ていた携帯電話に結ばれたストラップも猫。それを見た望実は、ふと質疑を紡ぎ出す。


 「携帯、見付かると怒られない?」

 「あ……うん、そうだよね」

 咎めた訳ではなかったのだが、優は慌ててポケットに忍ばせる。折しもガラリと扉の開く音と共に司書が戻ってきたので、結果的には良かったのだろうが。

 「わ、私、行くね……!」

 そう言い残すと望実が応える間も無く、焦るように入れ替わりで飛び出していく。

 「ん? なになに? 今の子誰?」

 見慣れぬ生徒だったと不思議がる司書の三原に『1組の子』とだけ答えた望実は、当初の目的としていた書棚を回り出す。

 ナイーブさん、彼女の特異体質について調べようと思ったのだ。しかしながら、どういった分野で探せば良いかも分からず、とりあえず体の事なので保健にまつわる棚を見る。

 

 「お? 村瀬さん、珍しい本見てるじゃん」

 1冊抜いて捲っては戻し、捲っては戻しをしていると、三原が傍にやって来る。彼女は他の教師と比べて気さくで、割と理解のある人物だった。

 「何調べてんの? 病気?」

 「病気、っていうか……」

 「あー、はいはい、あれか、症状はあるけど、それが何の病気か分からない……みたいな?」

 言葉尻に出た迷いを察した三原の言葉は、あたらずといえども遠からず。そう思った望実は曖昧に頷く。

 「ふーん……ん? それなら飯島先生に訊いた方が良くない? あ、言いにくいのか。じゃなきゃ自分で調べに来ないわな」

 軽やかに笑い、こちらが答えずとも何だか勝手に納得していく三原は棚を漁ると、数冊を手渡す。

 「これは症状別に分かれてるから探しやすいと思うよ。こっちは掲載数が多い」

 「あ、ありがとうございます」

 「いえいえー。あ、読み切れないだろうし、借りてったら?」

 またも返答する前に早々と貸し出しの手続きに移る三原を追った。

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