「……学校に、いたくなかった……」

 サボりじゃない。怠けているんじゃない。居場所が無い苦しみを咎められたくない。

 抑止していた様々な感情に駆られ、涙となって溢れ出す。

 どんなに堪えていても、まだ脆く幼い少女だった。

 静かに頬を伝い落ちていく雫をそっと彼女のタオルが撫ぜる。


 「……歩けるかな? お店においで」

 優しく歩みを促す彼女にならい、小さな店内に入ると、数脚だけ並んでいた椅子へ導かれて腰掛ける。

 「ここなら大丈夫。誰も貴方を怒らないし、責めない。何にも心配しなくていいからね」

 それは、少女にとってどんなに欲しかった言葉だっただろうか。

 昨日出会ったばかりの名前もまだ知らない他人。しかしながら、疲れ果て、傷だらけの心を抱えた少女には、彼女は確かな寄辺よるべとなった。恥も外聞もかなぐりすて、声を上げて泣き出す。

 学校で行われている事。自分だけ排斥されている事。ぶつけられる悪意に踊る言葉達。味方のいない檻の中。存在を許されない毎日。

 長い時間を掛け、つかえながら、全てを嗚咽と共に吐き出した。

 小さなその体を激情で震わせて。


 「今日だって! 私がしたんじゃないのに! 誰も信じてくれない! 助けてくれない! どこにいたって責められる! 私は、私は……生きてちゃいけないの……?」

 心の傷が、目に見えるものなら、どんなに良かっただろう。

 胸を裂くような少女の哀哭あいこくは、やがて優しい抱擁に吸い込まれる。


 「……こんな事してごめんね。辛かったね、苦しかったね、本当は私達大人が守ってあげなくちゃいけないのにね……」

 幼子おさなごをあやすように、そっと頭を撫でながら、肩口から聞こえてくる彼女の声が微かに震えていた。温かい。望実はそう思った。

 手袋をした彼女の指先が濡れた目尻を幾度も撫ぜ、激情に凪を与えていく。不思議な人だった。無償の優しさで痛みに寄り添ってくれる。それはまるで、


 「……お姉さんも、子供がいるの……?」

 母のそれだと感じたが、初めて彼女は少しだけ困ったように笑い、小さくかぶりを振る。

 「……私は独身なんだ」

 その言葉を聞き、意外だと言わんばかりにまじまじと見つめる望実に対し、今度は不思議顔が浮かぶ。

 「そんなに結婚しているように見える?」

 「優しくて綺麗だし……お母さんみたいな感じがしたから……でも、カッコイイのもあるから、お父さん、かな……?」

 素直に零れる言葉の数々に、彼女はおかしそうに噴き出す。

 「お父さんかぁ、それもいいね」

 楽しげに笑声を漏らす姿を見ていると、自ずと自分の口角も緩んでくる。初めて表情を和らげた望実に彼女が問い掛ける。

 「名前、訊いてもいいかな?」

 「あ……望実、です。村瀬望実」

 「望実ちゃん。よろしくね。そうだ、飲み物持ってくるから待ってて」

 腰元に巻いたエプロンを揺らし、厨房らしき奥へと入っていく彼女を見送り、店内を見回す。

 確かに狭小ではあったが、整然としていて清潔感に溢れていた。

 貼られていた手書きのメニューも丁寧な文字で、彼女の人となりが表れている。

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