学校へ着くと、下駄箱を開けた望実は『まただ』と唇を噛んだ。

 上履きが無い。犯人の気分によっておこなっているのかは定かではないが、度々どこかへ投げ捨てられたりしていた。

 その犯人もまた、定かではないが、どうせクラスの連中なのだろう。主犯格は愛那だったが、いじめは最早クラス規模で行われていた。

 やらなければやられるという思いが連鎖し、それはまるでウイルスのようだった。

 周りは友達同士、楽しげに登校する者ばかりで、更に惨めな気持ちになりながらも、いつものように黙って上履きを探す。



 (……あった)

 暫くして見付けたそれは花壇にあり、中には土が詰め込まれていた。

 取り出してはらっても湿った土の汚れは落ちず、仕方無く泥塗れのそれを履く。

 (靴下……汚れちゃったな……)

 重苦しい胸中で教室へ向かい、席に着くと、周囲の男子や女子が一斉に顔を顰める。

 「何だお前来たの?」

 「キモ……寄んなよ」

 「つか死ねよ」

 口々に悪態を吐きながら離されるそれぞれの机。

 「お前が来ると、席近付けて話せねぇじゃん」

 「だよなー、マジ消えてほしい」

 

 胸が、潰れそうだった。涙を堪える。いつもの事だと言い聞かせる。死ねなんて、挨拶のように言われている事じゃないか。

 けれども、深く俯いた少女の心に吐き捨てられる言葉達は深く、鋭く、矢のように突き刺さっていった。

 いつもの事。慣れているから。そんな事は結局あるはずも無く、殺されていく心。

 自分が何をしても、しなくても、彼等の意に満たないのだ。

 教室に来ればこうして罵られ、保健室にいれば、サボりだとなじられる。

 一体どうしたらいいのだと叫び出したかった。


 (来なきゃ良かったな……)

 

 『明日は小テストをするから教室に来なさい』

 そう釘を刺すように担任に言われなければ、こんな所、来なかったのだ。

 受けなければ担任からも嫌みを言われるのが目に見えていた。それが嫌で、来たまでの事。

 耐えるんだ。その一心で、周りの声を無視するように取り出した教科書に目を通す。


 「何コイツ。テスト勉強ですー、ってか? いい子ぶってんじゃねーよ」

 「てかさ、見てこれ! きったないんですけど!」

 けらけらと笑いながら愛那がよくつるんでいる女子、榊奈津美が望実の教科書を指差す。

 乾いてはいたが、昨日の汚れは落ちず、染みになっていた。

 「うわマジじゃん! マジきったねー!」

 「なになにー? 何の話?」

 騒ぎを聞き付けたのか、ちょうど登校してきた愛那がすぐに近寄ってくる。

 「見て愛那! コイツの教科書汚いと思わない?」

 奈津美の言葉に、じっと観察するように望実を見ていた愛那は声を潜めて告げる。

 「それさぁ……トイレのヤツじゃない? 昨日村瀬さん、トイレの紙とか盗んでいったでしょ」

 「ハァ?! 嘘! 学校の物じゃん! 信じらんない!」

 途端に周囲が騒つきだし、望実は思わず顔を上げて声を張る。

 「と……盗ってなんかない!」

 その言動に一瞬間だけ目を見張った一同だったが、

 「嘘吐くなよ、お前んちって親父が死んでて貧乏なんだろ。だから盗んだんじゃねぇの」

 「そーそー! 愛那が嘘吐くワケ無いし!」

 「あー、そういえば私も見たかも! 何か汚物入れも漁ってたよね!」

 「ありえない! サイテーじゃん! キモ過ぎ!」

 非難の嵐。周りは皆、愛那の味方ないし共に備品を詰めたであろう共犯者達ばかりだった。

 誰一人として悲痛な少女の否定の声を聞き入れなかった。


 「どうしたー? 何の騒ぎだ」

 チャイムが鳴るのと同時にプリントを手にして入ってきた担任が声を掛ける。

 「センセー! 村瀬さんが昨日トイレの備品盗んでいったそうです!」

 「盗んだ……? そりゃ駄目だろー、村瀬」

 薄笑いを浮かべる担任の姿に、憤りが爆発して机を叩く。

 「私は何もしてません!」

 堪え切れず、ぼろぼろと溢れ出す涙。口惜しくて、口惜しくて、堪らなかった。

 全身を震わせて嗚咽を漏らす望実に、しかし掛けられるのは無情な言葉。


 「……あー、とりあえずこの話は後でな。テストするから、皆席着けー」

 心底面倒臭そうに話を終わらせ、プリントを配り出す担任。彼もこの『檻』の中で害悪の1つだった。


 静かに涙を零しながら、前の席から放り落とされたプリントを拾う少女の心は、最早生きるという意味を見失っていた。

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