別に、これが日課になっているわけではない。はずだ。

「……だってそうじゃないか」

 苦虫を十ぴきつぶした顔で、まさひろは低く唸った。

 応じるものは、しかつめらしい顔でうむうむとあごを引く。

「ま、確かに」

「そりゃあね、俺はほぼ毎晩都のあんねいのために、夜もとっぷりとけたうしの刻にやしきを出て歩き回ってるさ。はたから見たら、もしかしなくても自由気ままな真夜中の散歩だろうよ」

 昌浩の目の前でちょこんとお座り体勢の物の怪は、前足を器用にる。

「いやいや、ここにいるやつらはみーんな、お前がいつしようけんめいやっているってことを知ってるぞ」

 ここで、そうだそうだといくもの合いの手が入った。昌浩の頭の上から。

 昌浩は、苦虫をさらに数十匹は追加した顔になった。

「…そうか、知ってるわけだ」

「知ってるだろうさ。とーぜん」

 物の怪は、な顔でつづける。

「なんたってお前は、半人前でいまいちたよりなくてまだまだ修行中だけど、一応多分きっと立派になるであろう、はしくれだけどおんみよう

 ここで、ぴくりと昌浩の額に青筋がかんだ。物の怪はそれを、あえて見て見ぬふりをする。

 しばらくちんもくしていた昌浩の顔を、たくさんのざつたちが代わる代わる覗き込む。中には昌浩の頭に乗っかった体勢で、長い首をのばしていちいち覗くものまでいたりする。

「そうそう、俺たちみんな、お前に期待してるんだぜ」

「そうそう」

 一匹のあやかしの言葉に、ほかの全員がいつせいに同意する。

 と、昌浩の口端がひくひくとふるえた。彼は大きく息を吸い込むと、だいおんじようを張り上げた。

「………だったらとっととどきやがれ───────っ!!」

 真夜中の平安京に、いつものことだがごうが轟く。

 すでにこうれいとなっている、一日一潰れ。昌浩の姿を見かけると、雑鬼たちは張り切って飛びかかってくる。

 られても構わずにようようと自分を潰している雑鬼たちを睨んでいた昌浩は、ふと視線を感じて首をめぐらせた。

「……げ」

 かえるのようにうめいて、そのままほおを引きらせる。

「ん?」

 しんに思った物の怪も、昌浩の視線を追った。そして、なにがしかの貴族の邸を取り囲むついべいの上に、人影を見つける。

 月はない。どんよりとした厚い雲に覆われて、星も見えない冬の夜空。風だけが冷たく、ようしやなく吹きすさんでいる。

 昌浩はいつものように暗視の術を使っているので、昼間のように目が利く。だから、実に面白そうにうすく笑って、自分を見ているその表情をはっきりと認めた。

 やがて、昌浩を潰している雑鬼たちも、その人影に気づいた。

「───ひっさしぶりだなぁ!」

 最初に声をあげたのは、昌浩の頭にじんっていたとかげもどきだった。

 それを合図に、何匹かがばたばたと築地塀の下にけていく。

 すずしい笑みを浮かべてそれを見ていた青年は、何もいないはずの物の怪のかたわらに視線をえて、口を開いた。

「仕方がないから、り出してやれ」

 と、長身の影が音もなくけんげんした。

 夜色の長布をかたに巻きつけ、とびいろの長いかみこしの辺りでひとつにくくった青年。長布の下には、異国のかつちゆうに似通った衣装をまとう。おうかつしよくきとおるひとみは感情をあまり映さない。右目の下にあざのような黒い模様があり、せいかんな顔立ちに、より強い印象を植えつける。

 十二神将のひとり、木将りくごうだ。

 六合は無言で手をのばすと、雑鬼たちの中にうでをつっこみ、昌浩のえりあしを無造作につかんでひょいと引きずり出した。

 昌浩はだん、物の怪の首根っこを摑んで目の前でぶら下げたりするのだが、なるほど、物の怪はこういう気分だったのか。

 そのままとんと降ろされて、昌浩は苦虫を数匹嚙み潰した顔で築地塀を見上げた。

 相も変わらず涼しい顔をして腰を下ろしている、二十歳くらいの青年。白か、それに似たたんしよくかりぎぬに身を包み、髪を下ろして首の後ろで束ねているが、耳の前にひとふさずつ残している。成人男性であれば必ずかぶっているはずのはない。

 めんどうだからだ。昌浩も同じ理由で、夜警のときには烏帽子を取りはらっている。

「なるほど、これがうわさによく聞く一日一潰れか。覚えておこう」

「覚えなくてけっこーです!」

「まぁそう言うな」

 軽く受け流す青年の左右には、彼を守るようにひかえているふたつのかげがある。

 片や、やみに明るい金色の長い髪をい上げ、たくさんのかみかざりを差したはかなげな美少女。

 片や、まだ幼子と呼べるふうていの男の子。闇色の衣装は古代のそれによく似ている。しつこくの髪は短い。

 ふたりとも十二神将で、昌浩はそうほうを知っていた。少女のほうがてんいつで、少年のほうがげんだ。

 十二神将の外見は、実に多様だ。れんや六合のような青年系もいれば、てんこうのようなみようれいの女性系もいる。昌浩はまだ見たことがないが、老人や童女もいるのかもしれない。

 昌浩は、ふたりの神将を従えてゆうぜんとしている青年をじとっとねめつけた。

「いったい何しにきたんですか、じい様」

 二十歳前後の姿をしている青年に対し、昌浩は当然の顔で「じい様」と呼びかける。青年のほうも全く意にかいしたふうもなく、体重を感じさせない動作で築地塀からひらりと飛び降りた。

 この青年、しようしんしようめい昌浩の祖父、べのせいめいである。

 晴明は、じきによわい八十を数える当代一の大陰陽師だ。都にまう妖たちは、「あれはもうぎようくくりに入れて問題ないだろう」と噂している、ある意味得体の知れない老人。

 なのだが。

 軽やかな足取りで昌浩の前までやってきた晴明は、快活に言った。

「たまにはお前と夜警も悪くないなと思ったのさ。評判の潰れも見てみたかったし」

「だから、評判ていうのやめてくださいよ、俺めいわくしてるんですから」

 ぶすくれる昌浩の額を軽くだんし、晴明は笑った。

「だったらすきを見せないようにするんだな」

 晴明の言葉ももっともなので、反論できない昌浩ははじかれた額を押さえながら目を半眼にする。

 そんな孫に、晴明はふと思い当たった顔をした。

「そういえば、最近陰陽りようでの仕事はどうだ? 真面目にやっとるか?」

 昌浩は、言い表しがたい顔をした。

「……まぁ、それなりに。大体仕事も覚えたし、わからないことがあってもみんな親切だから特に問題は…」

 それを聞いていた物の怪の耳が、ぴくりと動く。ちらりと夕焼け色の瞳を昌浩に向けて、意味ありげにまたたかせた。

しただから雑用ばかりだろう」

「そーですね」

 おおいにうなずく昌浩を見下ろして、晴明は笑う。

 安倍晴明は、その比類ない力を使して、様々な術をあやつる。彼が指を鳴らすだけで、ここにつどっている雑鬼など造作もなくはらわれてしまうだろう。


「私も昔は雑用ばかりだったな。そこから何を学ぶかが大事だ」

「………じい様、まるで人生を指導する老師みたいなこと言いますね、いったいどうしたんですか」

「実際老師だ、敬え敬え」

 返答にきゆうする孫を面白そうに見下ろしていた晴明は、ふいに視線をあらぬ方へと走らせた。

 わずかにおくれて、ものや六合、天一、玄武の顔にきんちようの色が浮かんだ。

 さらに一呼吸置いて、ようやく昌浩ははっと顔を上げる。

 闇に包まれた大路の一角。きつける風は切るように冷たく、一同を容赦なくたたいて過ぎる。

「……おそいぞ」

 みをふくんだおだやかな言葉が、昌浩のさる。昌浩はぐっとくちびるんだ。

 気づくのが遅いと、晴明は言ったのだ。そして、晴明の言うとおりだった。

 とうに夜半を過ぎた。丑の刻を回って、異界とうつが交わる時刻。

 闇の中にのびているみち彼方かなたから、異様な気配をき散らすものが来る。

 晴明たちのまとう空気がとつぜん張りめたことをいぶかっていた雑鬼たちも、ようやくそのことに気がついた。

「…なにか、来る」

「なんだ?」

「さぁ」

 口々に声をあげながら、彼らはそろそろと移動して、いつの間にか昌浩や神将たちの背後に回り込んだ。

 それに気づいた昌浩が、さすがに言葉もなく雑鬼たちをながめると、彼らはにまっと笑った。たしかに、大陰陽師とその孫と、彼らに仕える神将たちの後ろにいれば、何があっても命の危険はないだろう。

「要領のいいやつらだなぁ」

 半分あきれ気味の昌浩に、物の怪が尻尾しつぽをひょんとって返した。

「こいつらは、昔っからこんなもんだ、気にするな」

「なんて奴らだ」

 そのとき、風向きが変わった。北から吹きつけてきていた風が、とつじよとして東向きに変わる。刺すほどに冷たかった風に、生ぬるいようが含まれてきた。

 昌浩の背筋に、言葉にできないものがいあがる。ひどく気持ちの悪い気配だ。生理的にいやな感じの。

 ざりざりと、何かが移動するような音が風に乗って流れてきた。

 じっと息を詰めて目をらしていた昌浩は、頭上からひびく低い声を聞いた。

「………へび

 傍らに立つ六合をちらりと見上げる。彼はその肩にまとっている長布に手をかけて、呼吸を計っていた。下がったままのひだりうでにはめられた銀の腕輪が、ほのかなこうさいを放ち始める。

「蛇?」

 昌浩がまゆをひそめてつぶやくと同時に、足元に真紅の光が立ちのぼり、瞬きひとつの間に見慣れた長身の影が出現した。六合よりも僅かに背の高い、ざんばらなのうしよくの髪を風に遊ばせる、たくましいたいの青年だ。腕にからんだ細いうすぎぬひるがえり、額をかざる細いきんかんが自身のとうにぶくきらめく。燃え上がるほのおの色を映した瞳は金。闇の向こうをくようにえている。

 十二神将のひとり、火将とう。あの、白い小さな物の怪の本性だ。そして、安倍晴明にあたえられた名は。

「紅蓮」

 呼びかけられて、紅蓮は昌浩を一度見下ろした。軽く目で応じて、彼は再び闇に視線を投じる。昌浩は目をしばたたかせた。

 あの金冠。一度ふねくだけ散ったものだ。ふういんあかしだといっていたそれを、彼はいつの間にほどこしてもらっていたのだろう。気づかなかった。

 風が強くなった。ずりずりと何か重いものを引きずるような音を乗せて。

 昌浩は、数歩前に出た。紅蓮と六合を従える形だ。

 晴明は何度か瞬きをすると、口元だけで笑って数歩下がった。彼に従う天一と玄武が、不思議そうに見上げてくる。

「ま、お手並み拝見といこう」

 ひそかな言葉は、すぐに風にまぎれてしまう。

「オンアビラウンキャンシャラクタン…!」

 低く唱えて、昌浩はけんいんを目の前で構える。

 ほぼ同時に、それまで闇にとけていた異形のぜんぼうあらわになった。

だいじや!」

 どうまわりが一じようえようかという大蛇だ。全長は闇にとけて判然としない。

 くわりと開いたあぎとには、太刀たちのようなきばそなわる。水銀の色をした目にひとみはなく、全体をおおうろこはその一枚一枚が昌浩の顔よりも大きい。

 大蛇は一定のきよをとって止まると、昌浩をかくしているのかしゅうしゅうとみような音を立てた。

 しばらく大蛇をぎようしてようりよくを計っていた紅蓮が、ふとかたの力を抜いた。

「……ずいぶんとうとつな登場だな」

 最初に感じ取った、底知れない妖気が感じられない。気のせいだったのか。

「異形の出現は、常に何の予兆もないものだ」

 応じたのは六合で、昌浩は大蛇に視線を据えたまま隙をうかがっている。

 大蛇が昌浩とにらみ合いをしているので、紅蓮はけいかいしながらも腕を組んで眉をひそめた。

「しばらく静かなものだったが」

ほうきようがこの国から消えて、そろそろ安全だと判断して出てきたのだろう」

 なるほどと、紅蓮は頷いた。

「今まで異邦のかげおびえてかくれていたたぐいの化け物どもが、今度は自らの力をしようとしているわけか。随分安易な考え方だな」

「実際問題、この程度のようかいではきゆうの影もめないだろう」

 六合はよくように欠ける口調でこたえる。きとおるおうかつしよくの目は、大蛇に据えられたままだ。

「ああ、それは言えている」

 同意を示す紅蓮に、六合は更につづけた。

「見てくれはそれなりだがな」

「確かに。だがそれなりでしかなさそうだ」

 昌浩の頭の上で、どこかきんちようかんの欠ける会話が飛び交っている。

 最初のうちはそれをもくさつしていた昌浩も、やがてこらえきれなくなったのか、紅蓮と六合を睨みつけた。

「少しはだまっててくれ!」

 ふたりは言われたとおりに口をつぐむ。

 そんな彼らのやり取りを見ていた晴明は、笑いを必死に嚙み殺していた。紅蓮はともかく、あの六合がまぁ、よくしゃべる。

 しゆんかん大蛇は大きくのび上がり、昌浩を頭から飲みこもうというのか、くわりと牙をいた。

 今まさに昌浩めがけておそいかかってきた大蛇。そのこうこうに、突如生じた真紅のえんじやが突き刺さった。緊張感に欠けたやり取りをしていても、警戒は常におこたっていないという主張だろうか。

 紅蓮が無造作に放った炎蛇はそのまま大蛇の体内にしんにゆうし、内側から焼いていく。

 大蛇は大きくその身をじらせた。肉の焼けるにおいが周囲に広がり、大きな鱗のすきからけむりき出しはじめた。

 昌浩は大きく息を吸いこんだ。

「ナウマクサンマンダボダナン、ギャランケイシンバリヤハラハタジュチマラヤソワカ!」

 ほとばしれいりよくが大蛇をこうそくする。ぎりぎりとしばり上げられた大蛇は銀のまなこで昌浩を睨んだ。

 その間にも、紅蓮の放った炎蛇が妖怪の体内で暴れまわっているのだ。

 やがて、鱗の間から炎が噴き出す。のたうつ大蛇はしかし昌浩の術で完全に動きをふうじられている。

のぞめるつわものたたかう者、みなじんやぶれて前に在り!」

 えいしようとともに昌浩は、右手の刀印を振り下ろす。放たれた不可視のやいばは大蛇に叩きつけられ、長大な妖怪は一度大きく身をくねらせると、いつしゆんはじけ散った。

 それを安全けんで見物していたざつたちが、大喜びでかんせいを上げた。

「やった!」

「朝飯前だな!」

「次はしきがみの力を借りずにたおせよな!」

「そーだそーだ、じりじり前進!」

がんれよ、孫!」

「孫言うな!」

 どさくさにまぎれて言いたい放題の雑鬼たちにり返した昌浩は、視界のすみにきらめくものがかすめたのを認めた。

 はっと頭上を振りあおぐ。大蛇の全身を覆っていた鱗の破片が、四方に飛び散っていく。

 まるで雨のように降り注いでくる銀色の破片。昌浩はとつに手をかざしたが、けきれるものではない。と、六合の長布がやみにひらめいた。

 きらきらした鱗の破片を通力ではらいのけ、長布は六合の肩に再びもどっていく。そのまま彼は姿を消した。いつものようにおんぎようしたのだ。

 昌浩の頭に残った欠片かけらをぱたぱた払ってやりながら、紅蓮が怪訝けげんそうに口を開いた。

「…随分と、あつない」

 昌浩もまたしやくぜんとしない顔でうなずいた。

「うん、なんだか…」

 今までに退治したどの妖怪ともちがう、奇妙な感じがする。

 それまで孫たちの様子を静観していた晴明は、すいと足を進めて昌浩と紅蓮の間に入った。それから手をのばし、昌浩の頭をぐしゃぐしゃとき回す。

「わっ!? なんですか、じい様!」

 晴明は何かをたくらむような顔で笑った。

「…いや、形のよい頭だな、と」

 しばらくぐしゃぐしゃと昌浩の頭を搔き回して、晴明はようやく気が済んだのか孫を解放すると、その背をとんとたたいた。

 紅蓮がふいに目をみはる。金の瞳が晴明の横顔を凝視した。しかし晴明は昌浩を見下ろしたままだ。

「ほれ、夜警をつづけるんだろう? こんなところで時間をつぶしてしまっていいのか?」

 いいように搔き回された頭を押さえて、昌浩は顔をしかめる。

「いや、別に時間を潰したくて潰しているわけでは」

「問答無用だ」

「…はぁ」

 無敵の笑顔をかべた晴明は、昌浩の額を左手でだんする。軽くのけぞった昌浩は、紅蓮から変じたものをつれて、に落ちない顔で闇にとけていった。

「そら、お前たちもさっさとどこに戻れ」

 左手で払うぐさをする晴明に、雑鬼たちはおうよと応じてぱっと散っていく。

「じゃあな晴明、まったなぁ!」

 元気よく言い残して最後の雑鬼が消えるのを見届けると、晴明はそれまで口元に乗せていた笑みをかき消した。

 かたわらにひかえる天一と玄武が、表情を引きめて晴明の手元を凝視する。

 彼らの主は、それまでずっとにぎりこんでいた右手を開いた。昌浩の背を叩いた右手だ。

 手のひらには、白い欠片が乗っていた。それはまがまがしい力をその内に宿し、時折かすかに身じろぐように動く。これは、鱗ではない。銀色の眼が砕けた破片だ。

 手をひるがえすと、欠片は音もなく地表に落ちた。そのままのがれようというのか、のろのろと動き始める。

 風を切りうなりが、晴明のまくを叩いた。

 きらめきが、欠片をしゆんつらぬいた。えいな切っ先が土にめり込むにぶい音が、風にまぎれて消える。

 白銀のやりを、けんげんした六合が握っていた。表情をあまり見せない彼のひとみに、けんのんな光が生じている。

「────気づいたか」

「おそらくは、騰蛇も」

 六合の言葉に、晴明は苦笑する。

「昌浩は気づいとらんだろうな。力ががれておる、無理もない」

 昌浩自身にその自覚はないが、彼の霊力は過日の命がけの戦いゆえに、一時的に弱まっていた。時を置けば元に戻るが、それまでは周りの者が気を配らなければならないだろう。

 晴明は、槍の切っ先で両断された欠片をえた。

 降り注いできた鱗の破片。これは、その中に混じって、昌浩に取りこうとしていた。

 力を込めて作られた、何者かの放った式だ。

 いいや、と晴明は首を振った。

 あのだいじや自体が、強力な術者の放ったかく。強いようを放ちながらもどこかくうきよで、おのれの意思を持たない、式に封じられたぎよう

 以前たいした異邦の影に比べれば、どうということもない小物だ。だが、その大蛇の内に隠れていたこの式は、もしかしたら神将たちでも見逃してしまったかもしれない。

 気づかなければ、これはおそらく、昌浩の体内に入りこんだだろう。そういう類のものだ。

めつ

 晴明が手をかざして低くつぶやくと、白い欠片はまたたしようめつする。込められていた禍々しい霊力も四散した。

 それを見届けて銀槍を収めた六合に、晴明は告げた。

ちよくせんに、おんかげが見えた。まだまだ、気の休まるときは来ないようだ」

 一度言葉を区切って、晴明は西方の空をにらんだ。

 彼は、夢を見た。いずこかの墓が暴かれて、ねむっていたたましいが無理やりに呼び起こされた。

 だが、それがどこなのか判明する前に、彼は目を覚ましてしまった。

 それはあるいは予知夢だったのかもしれない。もしくは、すでに起こったことなのかもしれない。

 判ずるために式占を行った晴明は、その結果に不穏な影を見た。ゆえに、こんの術を使ってこんぱくを飛ばし、昌浩の後を追ったのだ。

 放っておけば、昌浩の身にあやしい影が手をのばす。それを未然に防ぐために。

 晴明は苦笑する。こんなことをやっているから、せいりゆうに睨まれるのだ。彼は、晴明が肉体から魂魄を切りはなす離魂術を使うことを快く思っていない。この術がすさまじい霊力を消費するからだ。無理をすれば命を縮める。それほどに。

「六合よ、すまんが今しばらくは」

 晴明の言を聞き終えるより早く、六合はしゆこうして長布を翻す。

 彼は、あるじ晴明の命令に従って、昌浩の護衛の任についた。そして、その命令はいまだ解かれておらず、今また新たな命がくだった。

 六合の気配が消えると、晴明は一息ついた。昌浩には紅蓮と六合がついている。そして、ゆいいつこうけいと定めたあれの力は、戻れば相当なものだ。案ずることはないだろう。

びやつざく

 しようかんに従い、ふたつの気配が晴明の傍らに出現した。しかしその姿は闇にとけたままだ。

 晴明は西の空を指し示した。

「不穏な動きがいずこかで生じている。き止めよ」

《承知》

 りようしようの言葉とともに、たつまきが晴明を取り巻くようにき起こった。それはふたつの気配を飲みこみ、くうしようする。

 風にあおられて翻ったたもとが落ちつくまで、晴明は空を見上げていた。天一と玄武も、主と同様に竜巻の行方ゆくえを見つめている。

 やがて玄武は、天一のころもの袂を引いた。気づいて視線を下ろした天一の瞳は、わずかにかげってさびしげにれていた。

 だまって見上げてくる玄武に、天一は微笑ほほえんだ。そうしてひとつ頷いて見せる。

「……さて、ではやしきに戻るか」

 神将たちを振り返って、晴明は笑った。

「昌浩たちが帰ってくる前にな。でないと、しようらんと天后のかみなりが落ちそうだ」

 安倍ていに残された晴明の老体は、ふたりの神将に守られている。ふたりともがんで口うるさいところがあるのだ。

「すぐに戻ると言い置いて出てきた手前、昌浩たちよりおそくなっては何を言われるか」

 軽くかたをすくめてため息をつき、晴明は若々しい顔をくもらせる。

 そんな主の言葉に、ふたりの神将はおかしそうに微笑んだ。






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