第3話『俺の体が強くなる!』

「即答とは、よほど金に困っているんだねぇ」


 くっくっく、と口元を押さえて笑う紫葉。困ってはいるが、そんなに言うほど困っているわけじゃない。できれば、今ほしいというだけであって。


「では、手付金にコレを受け取りたまえ」


 そう言って、紫葉は封筒と、赤いスマホをテーブルの上に置いて、俺に差し出してきた。

 封筒の中身を確認すると、どうも札束らしく、多分五〇万くらいある。


「こ、こんなにか?」

「あぁ。お金、必要なんだろう? 給料は基本給プラス、歩合による上乗せ。基本給はさすがにそれよりすこし落ちるが、学生には充分すぎるほどだと思うが」


 まったくだ。まず一〇万ですら、一気に現ナマで見たことないってのに。

 こんだけありゃあ、少なくとも高校のウチはバイトしなくてもいいほどだ。


「それじゃあ、こっちのスマホは?」

「そいつはマジリア。キミの、今後を占うモノになるだろう。大事に持っておきなさい」

「仕事に使うってことか」


 頷く紫葉。


「仕事の内容は、仕事が発生次第連絡する。今話しても信じてはくれないだろうから、その時に話そう」

「――大変な仕事じゃねえんだろうな?」

「まともに働くよりずっと楽さ」


 そう言って、ほくそ笑む紫葉。なんだか嫌な予感がするが……。


「嫌なら断ってくれてもいいんだよ。強制はしない」

「へっ、誰が断るかよ。俺は危険な賭けほど大好きなんだ」


 封筒をカバンに、スマホをズボンのポケットにしまって、立ち上がる。


「んじゃ、俺ぁ帰るぜ。あんま女一人の家に長居ってのもな」

「そうか。それじゃあ、できるだけ早く仕事が始められるよう、祈っておこう」


 じゃあな、と手を振って、俺は紫葉家を後にした。

 なんだか変な事になったが、まさか不登校児の家に来て、五〇万手に入れる事になるとは……。



  ■



 そして、それから数日が経った日曜日。


 俺は、すでに金欠だった。


「……俺のバカ」


 駅前の円形広場を歩きながら、財布の中を見つめる俺。五〇万あったはずなのに、もう3万ちょい。高校生からすれば充分だが、もともとの金額を考えれば、ちょっと頭のおかしい使い方をしていた。


 バイクの修理費は払ったから、もう問題ないだろうと思い、じじいとばあちゃんに寿司を奢り、欲しかったモノや服なんかを買ったら、あっという間にこの始末。


 その最後の三万も、下手したら今日使いきってしまう可能性がある。


 いまは友達と遊ぶ為、電車に乗って隣町へ繰り出そうというところなのだが、最近の狂った金銭感覚では何を買い出すかわからない。


「早く紫葉、仕事回してくれねえかなぁ……」


 しかし、あの口ぶりからすると、どうも紫葉の意思で仕事が作れるモンでもないみたいだ。


 発生、という言葉からも、なんだか不穏な気配を感じるし。

 時間を置けば置くほど不安になってきたが、もう五〇まんも返せないしなぁ。


 そんなことを考えながら歩いていると、突然、後ろから「ひひっ、ひひっ」という、不気味な笑い声が聞こえてきた。


 誰かエロ本でも見ながら歩いてんのかよ? なんて思い、振り返ると、どうも様子がおかしい。


 笑っていたのは、二〇代後半くらいのサラリーマン。カバンを傍らに落として、空を見上げながら、だらしない口元からよだれをたらしながら、笑っているのだ。


 危ないヤクでもやってんじゃねえか、という感じだ。道行く人達も、ちらちらと彼を窺いながら、無視して歩き去っていく。


 まったく当然の反応だし、俺もそうしようと思った、その矢先。


「うっ、ぐうぅぅぅう……っ! あぁがぁぁぁぁぁっ――!!」


 いきなり、男は胸を押さえだし、その手の隙間から、何かピンク色した霧が、勢い良く吹き出した。


「な、なんだぁ!?」


 辺りに霧を撒き散らす男。俺は咄嗟に、吸ったらマズイと判断し、ポケットに入れていたハンカチで口と鼻を隠して、男から離れようとした。


 周りの通行人たちもそうだ。悲鳴を上げながら逃げ出し、とにかくその男から離れようとする。


 しかし、なぜか、公園の外に出られなかった。

 男から出た霧が公園を包んでいたからなのだが、それなら別に無視して突っ切ってもよかった。そのはずなのに、まるでコンクリの壁みたいに霧がそびえ立ち、出れないらしい。


 らしい、というのは、俺が直接確かめたわけではないから。目の前に立つ人達が、霧の壁を叩きながら「なんでだ!? 霧が道を阻んで出られないぞ!」と、パニックになりながら壁を必死で叩いていたから。


「閉じ込められた……?」


 振り返り、霧を起こした張本人であるサラリーマンを見ると、霧が段々と勢いを落とし、使い終わりそうなスプレーのようにプシュプシュと音を立てて、出なくなった。


「……ど、どうなってんだぁ?」


 俺は、そろりそろりその男に近寄ってみる。

 生きているのなら、助けてやってもバチは当たるまい、という親切心だった。


「ふぐっ、おぁああ、うぐくぅぅぅぅっ!?」


 すると、今度は男の胸からヘドロのような液体が吹き出し、それが男の全身を包んだかと思えば、形を変え、まるで人狼のような姿となり、立ち上がった。


「……は?」


 三メートル近い体長を持つ、真っ黒な人狼というあまりにも現実離れした光景に、俺の口から出たのはその一言だけだった。


 周囲も、段々とざわつきから恐怖の悲鳴に変わり、阿鼻叫喚。なんとか霧の壁を突破しようとする人や、ケータイで必死に警察へ電話している人、恐怖で腰を抜かしている人など、様々。


 そんな中、俺はというと、人狼の目の前という、次死ぬなら俺しか無い、というポジションにいた。

 ホラー映画だと真っ先に上半身ぶったぎられて死ぬヤツだ俺ぇ!


 爪を振りかぶる人狼。やばい、死ぬ、避けないと死ぬ!

 恐怖で足が固まり、もうダメだと思ったその瞬間。ポケットに入れていたスマホが鳴りだした。


「うおっ!?」


 こんな時に鳴るなんてという驚きから、一気に足に力が戻って、横っ飛びで爪を躱した。


 石畳の地面が、抉れている。アレ食らってたら、上半身切り刻まれるだけじゃ済まなかったな……。


「こんな時に誰だクソったれ! ありがとう!」


 ポケットから取り出したのは、俺が元々持っていたスマホではなかった。

 それは、紫葉から貰ったスマホ、マジリアだった。


 紫葉尊からの電話を液晶が告げており、通話ボタンを押して、耳に当てる。


「わりーんだけど! 今忙し――」

『お仕事の時間だよ、湊クン』


 仕事? こんな時に?

 やってる場合じゃねえんだよそんなん! 見りゃわかんだろうが!


 ……って、電話の向こうにいるやつに言ってもしかたねえか。


「あのなぁ! 信じてもらえねーかもしれねえが、今ちょっと化け物と取り込んでるんだよ!」


 ブンブン爪を振り回し、俺を切り刻もうとしてくる人狼。その爪をしっかりと見つめ、一つ一つ丁寧に躱していく。


 かなり原始的な、当てれば勝てると確信している戦い方。まさに獣だ。


『信じるさ。化け物の名前はバグジー。人間に取り憑く。その姿は概ね、真っ黒な獣と人を混ぜた様なもの』

「お前――なんでそんなことを……」

『それがキミの仕事の、一つだからだよ、湊クン』


 俺の、仕事――?

 今の状況から、どうその言葉が出てきたのか一瞬考えてしまい、俺の足が止まった。


「ぐうぁぁっ!!」

「やべ――っ!」


 肩に爪が突き刺さり、その勢いでふっ飛ばされ、街路樹に背中を強打してしまう。


「いってぇ……!」


 肩から血が流れ、なんだか口の中からも鉄の匂いがしてくる。試しに、「ぷっ」と地面に唾を吐いてみると、真っ赤。


『おいっ、湊クン、大丈夫か。まさか死んでないだろうね』

「他に言うことねえのかよ……。あと一分もしない内に死ぬよ、多分……」


 こっちに向かって歩いてくる人狼を見ながら、俺はなんだか焦ってしまい


「実は俺……ずっとお前の事が好きだったんだ……」

『おい諦めるな。なんでそんな嘘吐いた』


 だって死ぬから、なんか遺言というか最後っぽいことしなきゃと思って。

 こういう遺言の無い人生って、なんだか寂しいのでは? という疑問があったんだもん!


『安心しろ、いいか、そのマジリアには変身能力がある。メニューのドライブボタンを押して――』


 瞬間、人狼の一撃が俺の顔面を狙ってきたので、屈んで避ける。

 その時に間違えて、電話を切ってしまった。


「あぁぁぁぁ俺のバカぁぁぁぁぁッ!?」


 ドライブ!?

 なんだそのボタン! スマホにそんなボタンあるなんて聞いたことねえぞ!


 覚束ない足で逃げながら、メニューを開く。

 すると、すぐに見つけた。オレンジ色の、Dと描かれたアイコン。


「こっ、これだな!」


 親指でタップすると、腰にベルトがいきなり現れた。なんだか、スマホを填める隙間みたいな物がある、変わったベルト。


「――そういうことか」


 変身、そしてこういうベルト。

 実は見たことがない俺だが、それでもわかる。


 思い切り立ち上がって、俺はスマホを目の前に突き出し、叫ぶ。


「変身ッ!!」


 突き出したスマホを、腰のベルトに装填したその瞬間、俺の体が、強くなった。

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