第2話『不登校な白衣の娘』

 高校二年生のある日。

 俺は金に困っていた。



 趣味の一つであるバイクがエンジントラブルを起こして修理工場へと直行し、好きな時代劇のブルーレイが出る上に、その初回特典欲しさに金もねえのに予約しちまって、財布の中は既にガキの小遣いよりも物寂しくなっていた。


 じいちゃんに「金貸して?」と在りし日の孫スタイルで甘えたら、思いっきりはっ倒されて喧嘩になり、飯時も口を利いていないというドエライ状況になったが、それでも俺はそんなことより金が大事だ。じじいのことなんて知るか。


「なんか割のいいバイトねえかなぁ……」


 そう呟いて、バイト情報誌を広げていた。

 ちなみにホームルーム中だが、もう先生は俺が話を聞いていないのをわかっているので、何も言ってこない。


 これが腐ったみかんの本気である。


 正直、バイト情報誌でバイトを見つけた事ってないんだけど、探す時は一応見ちゃうんだよなぁ。


「女の子と仲良くなれて、寝っ転がってるだけで金が入ってくるようなバイト……」

「いや、それヒモって言うのよ」


 隣の席に座る黒髪ロングの女が、俺に訝しげな目を向けてきた。高校入学の時から同じクラスの赤珠鞠せきしゅまりである。

 カチッと着こなしたセーラー服がお似合いの、真面目な女の子。不真面目な俺と違って真面目なので、どうにも相性が悪い。俺の事を目の敵にしており、俺が不真面目だから少しでも影響を受けてくれたらいいなあ、という担任のあれな願望で、俺はこいつの隣にさせられたのだ。


「ヒモかぁ……ヒモになりてえなぁ……」

「扶養されてる側の時点でそんなこと言い出してる辺り、将来有望ね」

「えっ、マジ? 進路調査票に書いちゃおうかな……」


 顎をさすり、天井を眺める。可愛い女の子が俺の為に必死で働いてくる姿を想像し、なんだか興奮した。


「あなたバカでしょ。再提出確定よ」

「卒業まで逃げ切るさ。逃げるのは得意だし」


 いやほんと。俺は幼い頃から、長期休みの宿題をまともに提出したことがないのが自慢である。夏休みの宿題なんて提出しなきゃ教師は諦めるんだよ。


「花守くぅーん。うるさいぞぉー」


 と、中年男性教師が猫撫で声言ってきて、俺はカチンと来た。だって俺、昔っから中年のおっさんが大嫌いなんだもん。


「はぁーい、すいまっせーん。なんか隣のムッツリスケベがしつこく絡んできてぇー。警察に通報しようか迷ってましたぁー」

「してるかそんなこと! 警察にチクられる前に私がチクるわよ!? 教師の話も聞かずにバイト探してたって!」

「バッカおめぇ、これは社会勉強だよ。働く事で社会の一員なんだという実感を得るんだよ」

「女の子と仲良くなれて、寝っ転がってるだけのバイトって社会から遠ざかってるじゃない。全力で逃げてるだけよ」

「社会という悪夢に立ち向かうか逃げるか、考えるのが学生時代の仕事だろうが」

「勉強しなさいよ」


 これだから正論は嫌いだよ。俺は勉強も嫌いだ。


「先生ー。ちょうどいいから花守くんにいかせたらどうですか、さっきのやつ」


 と、赤珠が手を上げて、教師も「あぁ、そうだなぁ、そうさせるかぁ」と頷いている。


「おいなんだ? 面倒な事だったら俺は全力で放り投げるからな」

「あそこの席」

「あん?」


 俺は、教室の真ん中を見る。……空席がありますね。それもド真ん中に。

 あの席、実は一番前の席よりも教師から目をつけられる率高いから、俺は絶対に遠慮したい席なんだよなぁ。


「あそこの席、実は不登校の女子の席なの。一応ちょこちょこ来てはいるらしいんだけど、保健室登校でちょっとテストとかやっただけで帰っちゃうらしいのよ」


 と、なんだかささくれを深追いしたら結構な深さまで傷ができたように痛そうな顔をする赤珠。なんだ、同情してんのか?


「不登校でも元気なんだろぉ。ならどうだっていいよ。俺の中学ン時なんかよぉ、不登校の女子生徒が街でゴスロリ着て歩いててよぉ。中学すっぽかして街で何に入学してんだ、って思わず言いそうになったわ」

「そんなこと知らないわよ」


 いや、まあ俺も知らんけど。その女子とは一度も喋った事もなければ興味もなかったし。ゴスロリ着てんだから元気なんだろ。あれって元気じゃなきゃ着れないと思うよ(偏見だけど)。


「それで、このホームルームの議題は、その子に誰が大事なプリントを届けるか、って事だったのよ」

「ふぅん――って、は? 俺が行くの?」


 頷く赤珠とティーチャー。


「おいおいふざけんじゃねえよ。今の俺は財布事情から、時給の発生しないことはしねーぞ」

「社会の一員だと自覚する前に、自分が学生だと自覚しましょうね」


 そう言って、教師が俺の席までやってきて、机にクリップでまとめられたプリントを置いた。ご丁寧に住所まで貼り付けられている。


 いや、まあ届けるくらいはいいんだけど、俺がいきなり行っても、その女子を怖がらせるだけなんじゃねえの?


 俺ってば頭結構明るめの茶髪で染めちゃってるし、ピアスもしてるし、俗に言うヤンキーだよ?


  ■


 そんな俺のちょっとした気遣いからくる提案はあっさり却下された。


 どんだけ不登校児への扱いが適当か、というのを見せつけられたような感じがしたのを気の毒に思い、俺はその不登校の家に行くことにした。


 ――まあ、教師といえど、人間だ。不登校児なんてそんなに会った事もないだろうし、思いやりを持てというほうが難しいだろう。そもそも教師なんてドラマで見るようなやつはいないし、教師ドラマに影響されて教師になったやつなんて、気合の空回りが鬱陶しいだけだ。


 それならまだ保健室とかで同僚とよろしくヤッてる方が人間味がある。


 俺は住所をスマホに入力して、マップアプリで検索し、道案内させて、その不登校児『紫葉尊しばみこと』の家へと向かう。


 その、紫葉尊の家を見つけた俺は、思わず「クソが」と呟いた。


 近所で「金持ち御殿」と呼ばれている最新のタワーマンションである。オートロック完備だし、なぜかコンシェルジュがいるし、コンビニまであるようだ。


 マンションの敷地内から出なくても生活ができるとは……。


 部屋番号をパネルに入力すると、長いコールの末「……はい」と気だるげな声。


 完全にこれ寝起きの声だよ。声からして、こいつが紫葉尊で間違いないだろう。寝てたよこいつ。いや、まあ学校行かない日は俺でも昼過ぎまで寝てるし、いいんだけど、俺が学校行ってる間寝てると思うと腹立つな。


 俺より幸せなやつは腹立つぞ。こんな金持ち御殿ってことは、両親金持ってるんだろうし。


 いいよなぁ、俺なんて汚いじいさんと優しいばあちゃんとボロい平屋に三人暮らしだよ。


「すいませぇーん。同じクラスの花守湊はなもりみなとってもんですけど、学校を延々とズル休みする不登校児の為にプリント持ってきました」

「……あぁー、了解したぁ……開けうー……」


 そう聞こえたと同時に、ゴトンッと変な音がして、自動ドアが開いた。

 ……あの言動で入れてくれる気になるって、相当寝ぼけてるんじゃねえのか?


 エレベーターに乗って、すこし気持ち悪い浮遊感を味わい、最上階(金持ち御殿の上層部とかスーパー金持ちだな)までいき、ドアの一つのインターフォンを押した。


 ……出てこねえんだけど。


 腕時計を見て、二分経過したのを確認してから、俺は激しくノックした。


「おぉーい! 出てこいコラァッ! テメッ、俺のバイト探しの時間を無駄に浪費させる気かッ!? 俺の財布の中、三百円しかねえんだぞ! ガキと財布の中身で勝負しても負けちゃうぞ!」


 騒音で迷惑になるかと思ったが、意外と文句を言いに来る人間はいなかった。

 しかし、それでも出てこない。


 諦め半分でドアノブをひねってみると、すんなり開いた。


 あれま。不用心だな。


「お邪魔しますぅ~」と家の中に足を踏み入れる。


 その先には――白い女が倒れていた。


「えぇぇぇぇッ!? この数分の間に一体何がぁ!?」


 駆け寄り、抱きかかえて顔を見る。


 黒髪をポニテにして、白衣を着た、黒い下着姿の女。ほう、顔はなかなか可愛いな。造形が整っている。結構おっぱいもでけえじゃねえか。


 っていうか、なんだこの格好。


「おいっ、しっかりしろ。そんな格好で寝たら風邪引いちゃうぞ」

「うっ、うぅん……だ、誰だきさま……」


 ぐわんぐわんと頭を揺らしながら、はっきりとしない視線で俺を見つめる。


「さっき言ったろ。花守湊だよ。同級生の。プリント届けに来たつったろ」

「そ、そこら辺に置いといて……」


 と、廊下を指差す。

 そこら辺って、ほんとにそこら辺なの? 床に置いた瞬間俺の苦労がゴミと化すやつだよ。


「つか、え? お前なに、なんでそんなんなってるの? 風邪?」


 紫葉の額に手を乗せるが、むしろ冷たい。


「あぁー、あったかぁーい……」

「冷え性かな?」


 とりあえず俺は、紫葉を背負って、適当なドアを開ける。どうやらここが紫葉の部屋で間違いないらしい。

 ベットに紫葉を放り投げて、布団をかけてやる。

 寒い時は何を置いても布団をかぶるのが一番だ。


「よぉ、温まったか。とりあえず、プリントは机に置いとくぞ。なんだか邪魔して悪かったな」

「う、ううん……すまない……ボクは寝起きが非常に悪くて、さっき起きたばかりなんだけど、まだ頭が覚醒しきってなくてね……」

「あ、っそ……。そんなんじゃ学校にゃ来れねえよな……」


 俺もこんな体質なら学校に行くのは諦める。

 寝起きはいいのに行きたくないくらいだからな、今の俺。勉強なんてクソ食らえである。


「プリントも渡したし、元気――ってことはなさそうだが、元気ってことにしてティーチャーに報告しとく。俺は帰るぜ」


 バイト探さなきゃーなぁ。


 ボリボリ頭を掻きながら、紫葉の部屋から出ようとすると、背後から声がする。


「ま、待ってくれ……え、えと……は、花飾くん……」

「人の名前間違えるやつは最低だぞ。俺の名は花守だ、志村ちゃん」

「客人にお茶も出さないほど、不躾ではないよ……。いま、お茶をだそう……」


 こいつ無視かよ。

 赤珠だったらもっと食いついてくれるのになぁ……。


「おい、無理しなくていいぞ。茶ぁ飲むほど長居するつもりはねえ」


 しかし、俺の静止は聞かず(もしかしたら頭が覚醒していなくて頭に入っていないのかもしれないが)、ふらふらとした足取りで部屋を出て、キッチンへと向かう紫葉。


 なんだあいつ。まともに会話できてる気がしねえんだけど。


 仕方ないので、俺もその後についていくと、すでに準備ができていて、ダイニングにはティーセットが並んでいた。なんだアレ? 確か、ラング・ド・シャとかいうクッキーだっけ?


 ウチじゃお茶請けはせんべいって相場が決まっているから、新鮮だ。


 下着に白衣という、今からお茶するというよりはイメクラ的行為を行いそうなカッコの女と向かい合って座る。


「つかお前、なんだそのカッコ。まさかそれで寝てんのかよ?」

「下着で寝ているんだが、さすがにこれだけだとマズイと思って、白衣を引っ張り出してきた」


 白衣って普通家にあるもんじゃないと思うんだけど。

 っていうか、そういう考えがあるなら前閉めろせめて。脳内の一番記憶が消えにくいところに記憶しちゃうぞ。


「理系の人なの?」

「いや、全能系だ」

「……はぁ」


 ってことは、文系の白衣的なモノもあるんだろうか。

 ……文系の白衣的なモノってなんだよ。俺には着流しくらいしか思いつかねえぞ。だから文系はウェーイ系って言われんじゃねえのか?


 そんな事を考えちゃいるが、俺は理系でも文系でもない系なので、関係ねえな。


 ティーカップを口に運び、中の紅茶を飲んだ。


「――マッズい!!」


 ブフッと吹き出し、机の上にぼたぼたと紅茶らしきモノが滴る。なんだあの、この世のありとあらゆる負の感情を魔女の鍋に放り込んで、そこにおっさんの靴下とかそういうありふれた汚いものをぶち込んで、三日間放置したみたいな味。


 液体なのに固形物を口にしたような感覚さえあったぞ……。


「あーあーまったく。だから覚悟して飲んでねって言ったじゃないか」

「聞いてねえぞ!? なんだこれは!」


 言いながら、白衣を脱いで、その白衣でテーブルを拭いていく紫葉。えぇー……タオルとか持って来いよぉー……。


 その光景に驚いて固まっていたら、立ち上がった紫葉は、そのまま廊下へと出ていき、また戻ってくる。


 下着姿で。


 おいおい。服一枚脱がせちゃったよ。このまま行けば下着も脱げるんじゃない?


 ……長居する理由ができちゃった。


「それで、なにこのお茶。飲み込むのを喉が拒否したんだけど」

「あぁ、それは健康にいいお茶でね。なんでも三日間飲まず食わずでも大丈夫らしい」

「なにそれ、法律に抵触してない?」


 絶対これ脱法ハーブとかから抽出したエキスだろ。もしくはもっとやばいやつだろ。


「まあ、冗談だが。それでも健康にいいのは本当だ」


 なんでそんなもん常備してるやつが不健康そうなんだよ。まるまる説得力が欠けちゃってるじゃねえか。


 そりゃ良薬口に苦しとはいうけど、これがもし本当にめちゃくちゃ健康にいいお茶だったとしても、飲んだ時に感じる味のストレスで病気になりそうなんだけど。


「ままっ、グイッと一杯。それは喉越しを味わうモノだから」

「ビールかよ」


 とはいえ、あそこまでマズイとなんだか逆に好奇心が湧いてくる。一滴くらい喉に入れてもいいか、みたいな。


 ティーカップにまた口をつけ、ぐいっと一口。


 うっ、やっぱマズイ……。さっきよりはマシになったが、やっぱりこれを毎日飲まされたらグレる。


 もう半グレなんだけどさ。


「……ふむ」


 なぜか、飲んだ俺をまじまじと見つめる紫葉。なんだぁ? もしかしてこれ、なんかの薬じゃねえだろうな。

 まだモルモットにしか試してないようなやつとかじゃねえだろうな。


「ところで……花守くん」

「あん?」


 ティーカップを机に置いて、口直しにクッキーを齧っていたら、いきなり真剣な表情になった紫葉が、俺の目をまっすぐ見つめてきた。

 そういう時はまっすぐ見つめ返す。女と喧嘩相手からは目をそむけるな、がジジイからの教えである。


「さっき、バイト探したって言ってたよねえ?」


 言ったっけ? と思い返してみると、確かに言った。家の扉をノックしている時に言った。


「ものすごく割のいい、女の子と仲良くなれるバイトがある、って言ったら――どうする?」


「やる」


 俺は自分の事をバカだバカだ、でもそんな俺が好き!

 なんて思っていたのだが、この即答により「俺ってバカ……もう、しょうがないんだから……」みたいな気持ちに陥る事になるとは、当然、まだ知らないのだった。

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