Side01 ハロルド・ブラウン/The way of justice


 ハロルドが目を覚ますと、白い清潔な天井が見えた。

 そこには染み1つなく、掃除が行き届いているのが一目で分かる。


「ここは……」


 呟き、身体を起こそうとするが酷くだるい。

 ハロルドは起き上がることを諦めた。


「軍人病院だよ、ハリー。おはよう」


 パイプ椅子に腰掛けているアメリアが微笑みを浮かべながら言った。

 アメリアは相変わらず、明るいグリーンの髪をポニーテールに括っている。


「ああ、おはようアメリア。……助かったのか、俺は」

「うん。リュクレーヌが救助隊を出すことを許可してくれたから」

「……ほう」


 今までの神聖ラール帝国では有り得なかったことだ。

 リーゼロッテは非武装の救助隊すら許さなかった。


「しかも向こうから、非武装の救助隊なら手を出さないって通信してきたの」

「……あいつ、リーゼロッテよりはマシな性格してんだな」


 リュクレーヌ・エステル・パスティア。あるいはリュカ・ベルナール。ハロルドは彼女の顔を思い浮かべた。


「どうかな? 世界征服を宣言して、実行するような奴だよ?」

「だな……。ところで、アメリアは休暇中か?」


 アメリアが軍服ではなく私服だったので、そう聞いた。


「そ。ちなみにハリーも」

「俺も? ってまぁそうだよな」


 ハロルドは溜息混じりに言った。


「うん。アリアンロッドはまた再編成中」アメリアが肩を竦めた。「ちなみに、あの大惨敗から7日が過ぎたかな」


「7日、か」


 神様なら世界を創れる。ハロルドはふと、そんなことを考えた。


「そ、7日。ラールの方はパスティア併合に忙しいみたい。ポトン併合も同時進行だしね。各地の戦闘はどこも本腰を入れてないって感じ。だからまぁ、比較的平和な時期」

「……そりゃちょうどいい」

「どうして?」


 アメリアが少しだけ首を傾げた。


「調べたいことがあってな」


 でも、あなたは世界の仕組みを知らなさすぎるのです――決死の覚悟で自分の国を取り戻した若き女王、マルティーヌはそう言った。

 今のハロルドは、マルティーヌをテロリストと決めつけることはできない。


「調べたいこと?」

「ああ、まぁ、調べるっつーか、パスティア革命を生で体験した人に話を聞きたいってだけだがな」


 ハロルド君。もし生き残ったなら、世界を知ってください。そしてもし、国際連合の正体を知ったなら、戦うべき相手と場所をよく考えてください――そう言って、マルティーヌはハロルドを生かした。


「なんでまた?」

「生き残っちまったから」

「は?」

「……いや、ただの興味さ。あの姉妹をああいう風な道に追いやったキッカケだからな。知りたいと思っただけさ」


 マルティーヌと話してみて、ハロルドは彼女の言葉が事実だと感じた。シックスセンスで感じたのだ。まぁ、今思い返せば、ということだが。


「ふぅん。まぁ、いいんじゃないかな」アメリアが言う。「それで? 誰に話を聞くつもりなの?」


「パスティア王を撃墜した英雄、フィン・マックイーン」


       ◇


 軽いリハビリを終え、軍人病院を退院した翌日。


「マジでここかよ……」


 田舎の寂れた酒場の前で、ハロルドはバイクを降りた。

 連邦捜査官である母親にマックイーンの所在を調べてくれと頼んだのだが、母は1時間もしないうちにここの住所をメールしてきた。

 ハロルドが周囲を見回す。

 ここはロードシール共和国でも超が付くほどの田舎。周囲には民家が少々と畑、農場、コンビニのようだが夜11時に閉まる店。

 遠くまで見通せて、空が高い。夜はきっと星が綺麗なのだろう、なんてことを考えながらハロルドは酒場の中に入った。

 真っ昼間だが開店はしているらしく、数人の老人がチビチビと酒を飲んでいた。

 店内がほこり臭くて、ハロルドは顔をしかめた。


「いらっしゃい。迷子じゃないよね?」


 店主らしき男が、カウンターの向こう側から言った。

 その男は細身で30代半ば。安っぽい服を着て、少し疲れたような表情をしていた。


「そうかもな。あんた、マックイーンだろ?」


 テレビで見たマックイーンより少し老けているが、間違えるはずがない。当時のハロルドは英雄マックイーンに憧れ、ポスターを部屋の壁に貼っていたのだから。


「まさかボクが目当て?」

「まぁな」


 ハロルドはカウンターの前に座って、ノンアルコールを注文した。


「ないよ、そんなもの。ここは純粋な酒場だよ、お兄さん」


 マックイーンはウイスキーの瓶をカウンターに置いた。


「バイクなんだ」

「なるほど。飲酒運転には厳しいからね、ここの保安官も」


 マックイーンはそう言って少し笑った。

 それから、水と氷の入ったグラスをハロルドの前に置いた。


「それで? ボクに何の用? サインなら断るよ。過去は忘れたいんだよね」

「忘れたい? なんでだ?」

「虚像なんだよ、ボクの栄光は」


 マックイーンは自嘲気味に笑った。


「じゃあその話と、パスティア革命の話をしてくれないか?」

「……お兄さん、なんだって今更ボクの話なんて聞きたいんだい?」


「踏ん切り、ってやつさ」ハロルドが笑う。「正義のために戦い続けるために、前に進み続けるために、俺は知るべきことを知っておきたい。頼むぜ、先輩」


「なるほど、お兄さんもマスカレード乗りってことかな?」


 マックイーンが言って、ハロルドは静かに頷いた。


「別に話すのは構わないけれど、あまり気持ちのいい話じゃないと思うよ?」

「問題ねぇよ。別に気持ち良くなりたくて来たわけじゃねぇ」


「そっか」マックイーンが肩を竦める。「結論から言うと、7年前、ボクはパスティア王を撃墜していない」


「……どういうことだ?」

「簡単なことさ。ボクは冴えないマスカレード乗りで、当時やっと隊長という立場になって、功を焦っていた」


 マックイーンはグラスをもう一つ出して、ウイスキーを注いだ。


「だから、ボクの部下――入ったばっかりの新人の手柄を横取りした」

「おい待てよ。あんたのやったことはクソだが、それより、あのエスポワールを新人が撃墜した? 冗談か何かか?」


 エスポワールの恐ろしさは身に沁みている。新人が相手にできるような機体じゃない。パイロットがマルティーヌでなくパスティア王だったとしても。


「まぁ、信じる信じないは任せるよ」


 マックイーンはウイスキーを一気に呷った。


「まぁいい」ハロルドが肩を竦める。「それで? そいつは怒らなかったのか?」


「何も。その子は自分の名前を残したくなかったみたいだから、ちょうど良かったんだよ」

「戦果を残したくなかったってか?」


 ハロルドには信じられない。

 ハロルドはヒーローになりたくてマスカレードに乗っている部分もある。けれど、だいたいみんなそうだ。


「そう。その子、パスティア革命に正義がないってことに気付いたのさ」

「なるほど、正義がない、か。そいつはなぜ気付いたんだ?」


 ハロルドがそう聞くと、マックイーンは小さく首を振った。


「悪い、そこはある件を口外しないって誓約書にサインしたから話せないんだ」

「ある件? ……何か裏があった、ってことだよな?」


 ハロルドは目を細め、マックイーンは頷いた。


「分かった。その新人――今は違うだろうが、とりあえずそいつの名前だけでも教えてくれないか?」

「いいけど、話は聞けないよ?」

「一応、当たってみるさ」


 沈黙を守るという誓約書にサインしているなら、よほどのことがない限り話してはくれないだろうけど。


「そうじゃなくて、戦死したんだ。お兄さんもきっと知ってるよ」

「有名な奴か……誰だ?」

「セリア・クロス。今なら《紫電のセリア》って言った方が分かり易いかな?」


       ◇


 ハロルドはバイクに乗って田舎道を走っていた。

 マックイーンからあれ以上の話は聞けそうになかったので、礼を言って店を出た。


「しっかし、セリア隊長か……」


 7年前の話は一度も聞いたことがない。だからセリアは参加していなかったとばかり思っていた。

 しかしこれで、真実に辿り着く可能性が生まれた。

 セリアなら、もう死んでいるから話してくれる。

 死人に誓約書の効力など及ばない。セリアはもう誰にも罰せられることはないのだから。問題があるとしたら、セリア自身が話したくない場合だけだ。


「……やべ、俺めっちゃ意味不明なこと考えてるな」


 当然のように死人に話を聞こうとしている自分が少しおかしかった。


「まったくですね」

「うおっ!?」


 突然耳元で囁かれたので、ハロルドは運転を誤ってすっ転びそうになった。

 しかしなんとか立て直し、バイクを道の端に寄せて停車する。


「大丈夫ですかハロルド?」

「セリア隊長!? いきなり現れないでくれよ!?」


 ハロルドはバイクを降りて、タンデムシートに座っている半透明のセリアに言った。


「いえ、わたくしも別に脅かすつもりはなかったのです。ただ、ハロルドがわたくしのことを考えていたので、実体化できてしまったようで」


 うんうん、とセリアが何度か頷いた。

 半透明ではあるけれど、セリアにはちゃんと色があった。いつものポニーテールは目が覚めるような綺麗な青だし、軍服は染み1つない白。


「どういう仕組みで実体化するんだ!? 俺のセンスだよな!?」

「詳しいことは分かりませんねぇ」


 セリアは人差し指を顎に当てて、小首を傾げる。


「つか、隊長って今どんな状況なんだ? 幽霊なのか? 俺は幽霊を呼び寄せるセンスに目覚めちまったってことか?」

「いえいえ、わたくしは想いの欠片です。残留思念的な?」

「それって幽霊をオシャレに言っただけじゃねぇの?」

「……」


 セリアはプイッとそっぽを向いてしまう。


「ちょ、隊長、拗ねないで! 隊長は想いの欠片! 幽霊じゃねぇ!」

「そうでしょう? わたくしもそう思います」


 セリアがニコッと笑う。

 ああ、マジで、死んでも美人だなぁ、なんてことをハロルドは思った。


「……照れるじゃありませんか」

「いや、マジだって……って、俺、声出してたっけか?」

「いえいえ。ハロルドの心は分かりますよ? どうも繋がっているようでして」


 ニコニコとセリアが言う。

 ハロルドの顔が引きつった。


「今、わたくしの裸を想像して、こういうのもバレるじゃねぇか、と思いましたね?」

「……お、俺も一応、男の子なもんで……」


 ハロルドは俯いて頬を掻いた。


「健全でよろしい」セリアが言う。「しかし、わたくし以外の女性とお付き合いすることも考えた方がいいですよ? わたくし、想いの欠片ですし、やっぱり生きた人間の方がいいでしょう」


「もう少し、あなたを想っていたいッス」


 ハロルドは真面目な表情で言った。


「……そうですか。わたくしとしては嬉しい限りですが、いつかは、わたくしへの想いを忘れて、前に進んでくださいね」

「分かってるさ。俺は前にしか進まねぇ。隊長の部下だぜ?」


「そうでしたね」セリアが少しだけ寂しそうに笑った。「ところで、わたくしに聞きたいことがあるのでしょう?」


「ああ。国際連合の腐敗について。7年前のことだ」


 ハロルドが言うと、セリアは小さく深呼吸してから頷いた。


「分かりました。話しましょう。リーゼロッテ伝説は知っていますね?」

「ああ。理由は知らねぇが、パスティア革命に紛れて、革命軍とロードシール軍をたった一人で撃墜しまくったって伝説だろ?」


 エスポワールの脅威とともに、今もなお新人に語られている話だ。

 ハロルドもパイロット養成学校で先輩から聞かされた。

 伝説ってほど古い話じゃねぇよなぁ、と当時のハロルドは思った。

 しかしその内容は『伝説』に相応しいものだった。


「革命軍なんていませんでした」

「そっか。革命軍はいなかったのか」


 普通に頷いたあとで、ハロルドはその発言の重大さに気付く。


「って、待ってくれ隊長。だったら、王城を制圧したのは!? そもそも、革命を起こしたのは誰だって話だろ!?」

「全てロードシールの秘密作戦部隊の仕業でした」


 しばしの沈黙。

 ハロルドは数秒かけて、セリアの言葉をきちんと認識した。


「……ははっ、嘘だろ?」


 ハロルドは右手で自分の顔を押さえた。笑うしかない。

 だって、セリアの言葉が事実なら、自作自演ということになる。


「むぅ。わたくしが嘘を吐いたことがありますか?」


 セリアが頬を膨らませた。


「いや、ねぇけど、そんな話……」


 セリアでなければ笑い飛ばしている。陰謀論者もビックリして泡を吹くような内容だ。


「わたくしが救援に向かいましたので、間違いありません」

「いや、おかしいだろ? 秘密作戦部隊が救援要請なんて……」


「ハロルド」セリアが急に真面目な表情になる。「あの地獄を体験したら、誰だって救援を呼びます」


「地獄?」


「リーゼロッテ・ファルケンマイヤー。彼女はたった一機で、まるで頭がどうかしているみたいに、外部スピーカーで叫び、喚きながら、次々に撃墜していきました」セリアの右手が少し震えた。「誰も彼女を止められませんでした。ただ屠られるだけです。あれほど悲惨で一方的な虐殺は見たことがありません」


「そんなに……?」


 ハロルドはリーゼロッテと一騎打ちのようなことはしていない。もちろん、過去に何度かセリアを支援しつつみんなで戦ったことはあるけれど。


「正直、怖かったです」セリアが力なく笑う。「許さない、と彼女は言っていました。たった1人の友達をお前たちが殺した、と。そう言っていました」


「友達、か……」


 たぶんリュカ・ベルナールのことだ、とハロルドは思った。

 リュカは生きていたが、ドブネズミに身を落としていた。だから、リーゼロッテと連絡を取る手段がなかったのだとハロルドは推察した。


「国際連合に所属する人間は全て殺してやる、とも言っていました」

「なんだそれ……完全にどうかしてるぜ……」

「はい。ですが、たぶん彼女を壊したのはわたくしたちでしょう」

「……ははっ、全部俺らの自業自得ってか?」


 あの姉妹を壊したのも、魔王を産み落としたのも、全てはロードシール共和国と国際連合。


「ええそうですハロルド。わたくしたちが創り上げたのです」


 セリアがハロルドの頬に手を添えた。

 その手の感触が、あるような、そんな錯覚。


「だったら、俺は……俺はなんであいつらと戦ったんだよ……」


 正義を信じていた。祖国を信じていた。国際連合を信じていたのに。


「ハロルド……」

「なぁ隊長、パスティア王国は、酷い国じゃなかったのか? 王族が国民を虐げて、だからロードシールは、国際連合は革命を支援したんじゃなかったのかよ!?」

「確かなことは言えませんが、パスティアが酷い国だったというのは情報操作だと思います」

「じゃあ、じゃあ一体何のために国を1つ変えちまったんだよ!?」


 ハロルドが泣き出しそうな表情で言って、セリアが頬に添えた手を引っ込める。


「わたくしも、政治には疎いのです。けれど、いわゆる利権だと思います。レアメタルや、その他の宝石などの。あるいは、あの地域全てを親ロードシール国家にしたかったのか」

「もしそうなら、本気で腐ってやがる……」


 平和だった国を、身勝手な理由で潰したことになる。それも、高らかに正義を謳いながら。

 リュカが正義という言葉に怒るはずだ。マルティーヌが武力を使ってでも取り戻そうとするはずだ。


「隊長、正義って何だ……? 俺は、何を信じて戦えばいいんだよ……」


 ハロルドが言うと、セリアが溜息を吐いた。

 そして、


「しっかりしなさいハロルド!」


 酷く怒ったような表情でそう言った。


「正義は――」セリアがハロルドの胸に手を当てる。「いつだってここにあります! どれほど腐敗した組織に所属していようと、どれほど周囲が悪徳にまみれていようと、それでも、たった一人でも、心の中の正義を信じて戦えばいいのです!」


「……それはそう、かもしれねぇけど……」

「政治の腐敗を暴くのはあなたの仕事ではありませんハロルド。もちろんいつか正さねばならない。けれども、それはあなたの仕事ではないのです。それとも――」


 セリアが言葉を切って、ハロルドを見詰める。


「――この国の捜査官たちに、正義の心がないとでも?」


 セリアの一言で、ハロルドはハッとした。

 ああ、そうだった。

 正義を信じているのは、自分だけではないのだ。


「ハロルド、わたくしたちの仕事は何ですか?」

「マスカレードに乗って、祖国の、世界の敵を討つこと……」


 それが大切な人たちを守ることにも繋がる。


「そうです。では今、世界の敵は誰です?」

「リーゼロッテ・ファルケンマイヤー」


 そしてリュカ・ベルナール。

 けれど、リュカはリーゼロッテがいなければ何もできない。だから優先的に討つべきはリーゼロッテだとハロルドは思う。


「そしてリーゼロッテの非道は、わたくしたちの手で終わらせなければいけないのです。あの日、魔王を創り上げたのなら、滅ぼすのもわたくしたちでなければいけない」

「だから、隊長はずっとリーゼロッテを倒そうと……?」

「はい。まぁ、個人的にも倒したかったのですが」

「個人的に?」

「ええ。わたくしは結果的に、リーゼロッテを排撃できました。数多くの犠牲を出して、ですが」

「ああ……」


 因縁の始まり。

 セリアは悔しかっただろう。悲しかっただろう。仲間が次々と墜ちていく様子は、胸が締め付けられる。


「まぁそれはそれとして、わたくし、コクピットで漏らしましたからね!」

「え?」


 何言ってんのこの人、今、かなりシリアスな話してんのに、とハロルドは思った。


「あんな怖い思いさせられたのは生まれて初めてです!」

「……あ、本当に個人的なことだな……」


 ハロルドは苦笑いを浮かべた。


「……死んでいても、やっぱり恥ずかしいですね……言うんじゃなかったです……」


 セリアは急に頬を染めて俯いた。


「だ、大丈夫、誰にも言わないぜ?」

「はい。そうしてください」


 セリアが笑う。それからまた真面目な表情を作った。


「ねぇハロルド」

「はい」

「託していいですか?」

「はい。もちろんッス」


 ハロルドは背筋を伸ばし、頷いた。


「もう迷いはありませんか?」

「俺たちが創った魔王は、俺たちの手で滅ぼす」

「ありがとう、ハロルド」

「どういたしまして隊長」


 ロードシール共和国が、国際連合が腐っているのは理解した。けれど、それでもハロルドは魔王を倒す。彼女らを許していいとは思わない。

 腐敗については、あとで連邦捜査官の母に相談してみよう、とハロルドは考えた。

 そして自分にやれることをやる。政府の腐敗を暴くのはハロルドの仕事じゃない。

 決めたぜマルティーヌ。

 俺は隊長に託された想いを遂げる。

 そういえば、マルティーヌがどうなったのかハロルドは知らない。

 生きているのなら、また話をする機会があればいいのだが、なんてことを思った。


「それはそうとハロルド、なるべく早くディラン博士のところに行きましょうか!」

「……エターナルか……」


 スクラップにしてしまったので、ディランはきっと怒っている。

 気は進まないが、機体がなければ何もできない。


       ◇


「これはこれは。僕のエターナルをスクラップにした上、何の成果も得られなかったハロルド君じゃないか」


 ディランはニコニコと笑いながらそう言った。

 ここは空軍基地内にあるマスカレード研究開発棟のロビー。

 ハロルドはソファに座っていて、来たばかりのディランもソファにゆっくり腰掛けた。

 ディランは相変わらず、女みたいに長い白髪で、寝癖がついている。


「面目ねぇ……」


 ハロルドは俯き加減で言った。

 よく晴れた昼下がり。フィン・マックイーンの店から戻った翌日である。


「いやぁ、僕の計画では、ハロルド君がエターナルで数々の戦果を挙げて、僕は新型を作る予算をゲットするはずだったんだけど……泡と化したねぇ」


 ディランは両手を広げ、わざとらしく首を振った。


「いや、本当にすまない……」

「大丈夫ですよハロルド。ディラン博士は意地悪なだけで、そんなに怒っていませんよ」


 半透明のセリアが、項垂れているハロルドの肩に手を乗せる。

 もちろん、その感触はない。

 ちなみに、セリアは今朝からずっと出っぱなしである。

 昨日、ハロルドは寮に戻って自分のセンスを色々試したのだが、割と簡単にみんなを呼び出すことができた。強く想えばいい。それだけだった。

 そしてみんなが消えるのは、ハロルドの意識が別の方に強く向いた時。それと、眠っている時は消えていたとセリアから聞いた。だからたぶん、気絶しても消えるだろう。


「それでハロルド君。用事は?」

「いや、その、エターナルなんだけど……」

「直らないよ」


 ディランは満面の笑みで言った。


「……そこをなんとか……」

「できないよ」


 隊長、この人本当に怒ってねぇの?


「やっぱり少し怒っているかもしれませんね」


 セリアはあはっ、と笑った。

 当然だが、セリアの姿はディランには見えていない。


「真面目な話だけど」ディランが言う。「あそこまで大破したら、新しく作った方が早い」


「……そうか」

「じゃあ、新しいの作ってもらいましょう」


 ハロルドは落ち込んだが、セリアは軽いノリで言った。


「その上、新しいのを作る予算は下りてない」ディランが溜息を吐く。「量子ブレインにしても、感覚回路にしても、金がかかるんだよ。成果がなければ、次は作れない。技術はあるけどお金がない。世知辛いねぇ」


「まったくですね」


 セリアがうんうんと頷いた。

 まるで自分がディランと会話しているような感じである。


「まぁけど、感覚回路については有用性が証明されているから、特に問題はないんだよね。量産するのがまだ難しいってだけで」

「金が出ないのは量子ブレインの方、か。別になくてもいいぜ?」


 量子ブレインは分析なんかもしてくれるから便利は便利なのだが、メインとなるアタックアシストは割とエラーが多い。


「おいおい」ディランが呆れたような表情を浮かべる。「あれこそ未来なんだけどねぇ。分からないかなぁ? 将来的には完全自律型のロボット――オートドールが絶対主流になるよ」


「いや、そんな遠い未来より今が大事なんだ、俺は」


 戦う力が必要なのだ。

 魔王と魔女を滅ぼすために。


「……そんな特別感のない機体でヒーローになれると思うのかいハロルド君」

「特別感って……感覚回路で十分だと思うぜ?」


 エネルギー兵装が使用できるというアドバンテージは大きい。敵機が通常の機体の場合に限るが。

 相手も感覚回路搭載機ならアドバンテージはない。パイロットの腕次第ということになる。

 量子ブレインはその腕の差を埋めてくれるので、確かにいい物なのだが、現状では未知の敵に対してその性能を十全に発揮できない。


「いやいや、感覚回路搭載機はもう割と増えたでしょうに。やっぱり特別でないとヒーローは務まらないと僕は思うんだよ」

「はい。わたくしもそう思います!」

「いや、2人とも、そんな力強く言われても……」


 ハロルドが苦笑いを浮かべた。


「2人?」とディランが首を傾げた。

「あ、いや、ちょっと言い間違えた」


 隊長、ちょくちょく会話に入らないでくれ。混乱する。


「しゅーん……」


 セリアは項垂れてしまった。


「まぁ、とにかくディラン博士。また俺に機体を作ってくれないか? 量子ブレインは別にいらねぇからさ」

「量子ブレイン有りの機体なら、考えてあげるよ?」

「いや、だから予算降りねぇんだろ?」


 そこが問題なのにこの人は何を言っているのだ、とハロルドは思った。


「いやぁ、実はねぇ」ニヤニヤとディランが笑う。「ちょっと方法があるんだよ」


「方法あるなら先言えよ!?」


 ハロルドが強い突っ込みを入れる。


「えー? 先に言ったらつまらないじゃないか」

「……お、おう……」


 ハロルドは再び苦笑いを浮かべる。


「こういう人なんですよ、ディラン博士って」とセリア。


「さてその方法なんだけどね」ディランは急に真面目な表情になった。「エターナルは死んでしまったけれど、量子ブレインは生きている。幸いなことにね」


「……そいつを感覚回路搭載機に移植する、ってことか?」


 そんな簡単に移植できるのかどうか、ハロルドには分からないけれど。


「半分正解。移植する機体は特別仕様機だけど感覚回路は搭載されていない」

「いや、感覚回路は必要なんだが……」


 量子ブレインよりそっちの方が大事だ。


「そりゃそうさハロルド君。感覚回路がないとそもそも量子ブレインが起動しないんだからねぇ」

「ああ、そうか、そうだったな」

「つまりこういうことさ。セリアちゃんのために用意した感覚回路一式が余ってるんだよ。だから、それとエターナルの量子ブレインを合わせて移植する。だいぶ機体をいじるから、少し時間はかかるけど、予算はそれほどかからない。僕たち技術者が頑張ればいいだけだから」

「なるほど。確かにそれなら、移植の金だけで済むな」


 量子ブレインも感覚回路も新たに作る必要がないので、かなりの額が浮く。


「そういうこと。これが方法。ありがたく思いなよハロルド君。僕は君のためにここまでやるんだから。今度こそ戦果を挙げてくれよ」

「ああ。ありがとうディラン博士。本当に感謝してる。それに、戦果も挙げる」

「よし、約束だよ。ところで、移植する特別仕様機は気にならないのかい?」

「ん? ああ、そうだな。見ていいなら見るぜ?」


 自分が乗ることになる機体なのだから、早々に見ておいて損はない。


「その必要はないよ」ニヤッ、とディランが笑う。「その機体は、ライトニングさ」


「おぉ! わたくしの機体!」


 セリアが嬉しそうな声を上げた。

 あの日、ファントムに撃墜されたライトニングをハロルドたちが引き上げた。

 セリアの遺体も残っていれば良かったのだが、エネルギーソードで貫かれ、完全に消滅していた。


「そうか……ライトニングか……」


 感慨深い。

 ハロルドはいつもライトニングの背面を見て飛んでいた。いつだって、あの薄紫の機体を追っていたのだ。


「みんなで修理したんだよ。セリアちゃんの機体だからさ」


 セリアはみんなに愛されていた。


「では名称はエターナルライトニングですね!」


 いや、隊長、長いしそのまんますぎるぜ。


「しゅーん……」


 セリアが再び項垂れる。


「2つ合体させるわけだから」ディランが言う。「永久不変の紫電になるけど……」


「エターナルライトニングって名前は却下な?」

「もちろんさ。そんなセンスの欠片もない、ありきたりな名前を僕が付けるとでも?」

「しゅーんしゅーん……」


 セリアの項垂れが酷くなった。もはや前屈の領域である。


「名前もう決めてんだな、ディラン博士は」

「ネメシス。傲慢な奴に天罰を下した女神様で、義憤って意味もある」

「そりゃいい。最高だよ、ディラン博士」

「そう。魔王退治にはうってつけさ」


       ◇


 半年後。


「アリアンロッド隊が再編されて、今日が初めての実戦になるわけだが」


 マスカレード隊の隊員たちが格納庫に整列し、ハロルドは隊員たちの前に立っている。

 敗戦に次ぐ敗戦でロードシール軍は人材不足に陥り、激戦を生き残ったという実績でハロルドが正式な隊長に任命された。


「みんな死なないでね」


 ハロルドの隣には副隊長となったアメリアが立っている。


「俺が言おうとしたことをアメリアが先に言っちまったわけだが……」


 ハロルドが苦笑いすると、隊員たちが笑う。

 アリアンロッド隊は仲が良い。ハロルドがそもそも、分け隔てないし、気軽だし、接しやすいというのが大きい。


「さて、少しだけ真面目な話をするぜ?」


 ハロルドが言うと、隊員たちの表情が引き締まる。


「この半年、神聖ラール帝国はやりたい放題だった。奴らはエウロペ地方のほとんどを陥落させちまった」


 エウロペ地方で残っているのは、レスカ帝国と国境が隣になる東エウロペの数カ国と、ギース共和国のみ。


「もはや国際連合はまともに機能してねぇ。まぁ、盟主国である俺らが、支援を断り続けたから、ってのもあるがな」


 ロードシールはまともに戦争できる状態ではなかった。

 今だって、十分な戦力が揃っているわけではない。

 それでも。


「けど今回はやっと、上が支援することを承認した。みんなも知ってる通り、長いこと同盟国だったギース共和国からの要請だからだ」


 神聖ラール帝国は昨日、ギース共和国に宣戦布告した。例によって、24時間の猶予を与えていたのだが、その猶予時間はもう過ぎている。


「もし今回負けちまったら、次はたぶん、俺らの故郷が戦火に晒されちまう。勝たなきゃいけねぇんだ。戦力は揃ってねぇけど、この半年間、俺らは死ぬほど訓練してきた。そうだろ?」

「「はい!」」


 ハロルドの言葉に、隊員たちが応える。


「よし。お前ら、アリアンロッド隊、唯一の隊規は!?」

「「正義を執行し、悪を討て!!」」

「お前たちの武器は!?」

「「弱きを守るためにっ!!」

「全員搭乗!!」


 隊員たちが駆け足で自分の機体へと向かう。


「カッコイイよハリー。隊長が板に付いてる」

「そうか?」

「うん。今度こそ、魔王退治だね!」


「ああ」ハロルドは四ヶ月前に納品された新たな自機に視線を移す。「初陣だぜ、ネメシス」


 ハロルドはネメシスに搭乗し、すぐにオンライン状態へ。

 そのまましばらく待機していると、ARインターフェイスに空中戦艦アリアンロッドの戦術オペレーターの顔が映った。


「みなさん、間もなく戦闘空域に入ります」


 戦術オペレーターは28歳の女性で、物静かなタイプだ。ハロルドとは仲がいい。というか、ハロルドはだいたい誰とでも仲がいい。


「最優先目標はヴァイスリーリエです。魔王さえ倒せば、ラールはきっと話し合いに応じます」


 そう。リーゼロッテがいるから、神聖ラール帝国は止まらないのだ。

 7年前の怨念に取り憑かれたリーゼロッテは、国際連合を滅ぼすまで戦争を止めない。ハロルドはそう確信している。

 ただ1つ気になるのは、リュカは生きていた。そしてリーゼロッテと再会した。それなのに、憎悪は消えなかったのだろうか?

 あるいは、リュカの憎悪も混じってより強烈になったのか。


「第二目標は敵の旗艦であるオーディンとなります。ただし、状況には臨機応変に対応してください」


 考えても仕方ないか、とハロルドは思った。直接リーゼロッテかリュカに話を聞かなければその辺りのことは分からない。

 ハロルドは気持ちを切り替えて、アリアンロッドマスカレード隊のチャンネルを開く。


「聞いたな、みんな」


 ARインターフェイスに映った隊員たちに向けて、ハロルドが言った。

 隊員たちが頷く。


「オペレーター、他に何かあるか?」

「あります。専門家たちはギースが陥落した場合、次はロードシール本国が焼け野原になる、という見方です」

「そんなの専門家じゃなくても分かるし」


 アメリアが肩を竦め、隊員たちがウンウンと頷いた。


「私はアメリアさんがあまり好きではありませんが」

「ひっど!?」


 戦術オペレーターの突然の告白に、アメリアが驚愕した。


「それでも、生きて帰ってください。そして、未来を手にしてください。私たちの、そして、私たちの家族、恋人、友人、みんなの未来を。よろしくお願いします」


 戦術オペレーターが祈るように目を伏せた。


「ああ。そのつもりだぜ。なぁみんな!」


 ハロルドの言葉に、隊員たちがそれぞれ気合いの入った返事をする。


「では、ハッチオープン、マスカレード固定解除。20秒で出撃してください。出撃後はアリアンロッドの周囲に展開。アリアンロッドが主砲発射後、目標の撃破に動いてください」

「了解だ。征くぜ! 俺に続け! 正義と、そして――」


 ネメシスがハッチを飛び出す。

 ARインターフェイスに映し出された空と海があんまり綺麗で、

 平和になったら休暇を取って、両親とリゾートにでも行こうって、そう思った。

 けれど、

 そのためには手にしなければいけない。


「――未来のために!!」


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ヴァイスリーリエ ~戦火に捧ぐ愛の花、それでもあたしは世界が欲しい~/葉月双 カドカワBOOKS公式 @kadokawabooks

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