第25話 悪の華/I Love You


「嫌だ! 嫌だ! あたしはこんなところで! 結局何も成せず、マルティーヌも救えず、こんなところで終わるなんて嫌だ!」


 リュカは叫ぶが、オフラインになったファントムは起動しない。

 真っ逆さまに墜落し、海に突っ込んだ。

 その時の衝撃で、一瞬だけ息が止まった。


「こんな終わりは認めない! こんな終わり方!」


 偽りの正義に砕かれるなんて、そんなの許せるわけない。

 リュカにはまだやりたいことがある。やるべきこともある。

 マルティーヌの命を救う。澄んだ世界を作る。

 クリスタのことも支配してあげたい。

 そして、リーゼともっと愛し合いたい。

 リーゼの顔が脳裏に浮かぶ。

 死ねない。リーゼとの空白の7年を埋めるんだ。


「起きろファントム! 起きろ! 起きてよ!」


 しかし反応がない。

 ただ沈んでいく。深い海の底へ。暗い場所へ。

 ARインターフェイスは沈黙し、亀裂から浸水。コクピットが水浸しになっていく。


「ふざけんなぁ……ふざけんなぁ……あたしの覇道は、あたしの夢は、まだ始まってもいないのに……」


 猛烈な感情が込み上げる。怒りと悲しみと情けなさと愛と、色々な感情がごちゃごちゃに掻き混ぜられたような、嵐よりも壮絶な感情。

 それはもはや、言葉で表現することが不可能な感情。リュカは人生で一度だってこんな状態に陥ったことはない。それほどグチャグチャで、理解を超えた感情だった。


「この! ポンコツがぁ!」


 激烈な感情とともに、両手をコントロールパネルに叩きつけた瞬間、


「計測不能のシックスセンスを確認。超高純度の感情エネルギーを認識。感覚回路始動。ファントム再起動。モードメサイアを展開。全兵装使用可能。エネルギー供給過多。パワーセルからのエネルギー供給を停止。エネルギー供給過多。起動時間無制限。エネルギーを放出してください。機体が損傷します」


 ファントムが再起動した。

 リュカはスロットバーを回してエクスカリバーとイカロスを選択。


「エネルギー供給過多。エネルギーを放出してください」

「どうすればいいんだよぉ!」

「エネルギー兵装のリミッターをカットしてください」

「リミッター?」


 そんなの知らない。知らないけれど、シックスセンスを使いながらコントロールパネルを操作する。心を読むセンスではなくて、普通のセンス。


「リミッターの解除確認。エネルギーを放出します」


 ファントムの背中に顕現していたイカロスが、6対12枚の光の翼へと姿を変える。


「さぁ、征くよファントム」


 リュカはファントムを浮上させる。

 身体がシートに押し付けられて、潰れそうな加速度。

 ファントムは一瞬にして海面を突き抜けて空へと躍り出た。


「覚悟しろ正義の味方! お前たちが正義ならあたしは悪でいい!」


 可憐に咲く悪の華。

 純白の百合のようなリーゼとは反対の、漆黒の花。

 と、リュカはすぐに不思議な感覚に気付いた。

 周囲の全てがスローに視える。まるで意識が拡大したみたいに。

 それだけではなく、過去も未来も全てを知っているような、そんな全能感がリュカの中にあった。

 そしてあるイメージが浮かぶ。

 それはいつか遠い未来で、ブロンドの少女と黒髪の少女が、みんなが笑顔で幸せに暮らせる澄んだ世界を創り上げるイメージ。

 その2人が何者なのかリュカは知らない。雪景色のような少女と、優しい闇のような少女。白と黒の少女たち。

 でも、ああ、良かった。あたしは間違ってない。

 あたしの征く道が、いつかこのイメージされた未来に繋がる。そんな気がした。


「これって……セブンセンス?」


 あるいはその入り口か。レベル3のシックスセンスを超えたオーバーセンスをも更に上回ったセンス。

 まぁ、何でもいい。


「さぁ、終幕だよ!」


 イメージを振り払い、ファントムを加速させる。

 エスポワールとエターナルが激しい戦闘を繰り広げている。

 でも、遅く見える。あの程度の攻撃なら、簡単に躱せるんじゃないかって、そう思った。

 それから、いつもの感覚で心を読むシックスセンスを使うと、いとも簡単に周囲全ての人間の心に侵入できた。しかも、1人1人の心をキチンと捌けている。

 クロードはクリスタを認めていて、リーゼを嫌っている。マルティーヌを心配しながらも、与えられた命令を実行している。即ち、エスポワールとファントムの一騎討ちを邪魔をしそうな敵の排除。

 そっか。マルティーヌもあたしと一騎討ちしたかったのか、とリュカは思った。

 リーゼはリュカを心配しながらも、同じ過ちを繰り返さないよう、ソレイユから目を離さないようにしている。

 機体が損傷していて、少し苦しい戦いを強いられているようだが、リーゼに負ける気は微塵もない。

 心強いなぁ、とリュカは思った。

 クリスタは戦闘中にも拘わらず、任務に失敗したからリュカにどんなお仕置きをされるのか、と心の片隅で考えている。でもそれがクリスタの力の源になっているのだと理解。

 お仕置き考えてあげなくちゃなぁ、とリュカは思った。

 マルティーヌはファントムの復活に驚いているけれど、少しホッとしている。

 自分であたしを倒したいんだね、と心の中でリュカが呟いた。

 ハロルドは悪を討つことしか考えていない。単純であるが故に、厄介でもある。心に付け入る隙がない。

 でも、関係ないか。今なら。

 ファントムがエクスカリバーでエターナルの右腕を斬り取る。


「んだよその翼! んだよその速さ!」


 ARインターフェイスにハロルドの顔が浮かぶ。その表情は驚愕に満ちていた。


「消えろ、戦友の亡霊と永遠に」


 エクスカリバーがエターナルのボディを縦に両断する。

 コクピットへの直撃は躱されたが、問題ない。もうエターナルは今度こそ終わりだ。

 追撃してハロルドを殺すか少し迷ったが、放っておくことにした。

 甘さからじゃない。エスポワールがファントムに攻撃を加えて来たからだ。

 エスポワールの斬撃を躱しながら、通信を送る。


「マルティーヌ。もう分かってるよね? あんたに未来がないこと。あんたのセンスが告げてるよね? 危機を回避できないって」


       ◇


「クロード。ごめんなさい」


 マルティーヌは最期に、愛する者へと通信を送った。


「マルティーヌ様!?」

「選択を誤りました。あなたと一緒に戦うべきでした」


 自分でリュクレーヌを殺したかった。自分の手で倒すことに拘りすぎて、ソレイユを遠ざけた。ずっと一緒にいれば、結果は少し違ったかもしれない。


「あたくしは一夜の女王。後世にはきっと、テロリストとして名が残るのでしょう」

「そんな! そんなことは! 僕があなたを――!!」

「もう、終わりました。ごめんなさい。愛しています。どうか、あたくしを許して――」


 そこで、無数の警告がポップアップして、すぐにARインターフェイスが消失し、エスポワールがオフラインになった。


       ◇


「愚か者め」


 ソレイユが墜落するエスポワールの方へと向かったのを見て、リーゼロッテが呟いた。


「私に背を向けるとは」


 ソレイユの背中をエネルギーライフルで狙撃する。

 ソレイユの右脚が弾けて、バランスを崩したところをもう一度狙撃。

 今度はソレイユの左肩が爆ぜる。

 リーゼロッテは更に連続でエネルギーライフルを撃って、ソレイユを鉄屑に変えた。

 それでも、コクピットは無事だ。まぁ、少し掠めたのでパイロットは怪我をしたかもしれないが。


「さすがリーゼロッテ様!」


 クリスタが嬉しそうに言った。

 クリスタの援護は素晴らしかった。昇格させてやりたいぐらいなのだが、


「お前は本当に役立たずだった。リュカに言っておく。相当にきつい罰を与えろとな」


 あえて厳しい言葉をかけておく。


「はい! ありがとうございます!」


 瞳をキラキラと輝かせて、クリスタが言った。

 頭を踏まれたいとか、鞭で叩かれたいとか、支配されたいとか、リーゼロッテにはイマイチよく分からない。

 でも、リーゼロッテだって意地悪に攻められるのが好きなのだ。

 まぁ、私も割と変態なのだが、とリーゼロッテは思った。

 もちろん、クリスタと少しだけ同類かもしれないと言うつもりはない。


「さて、戦後処理はいつも通り宰相らに任せて、我々は引き揚げるか」

「はい。パスティア本国の方も、ほぼ陥落という報告です」

「そうか」


 これで、リュカの夢に一歩近付いた。

 リーゼロッテは素直にそのことを嬉しく思った。


       ◇


 それから数日後。

 リュカは新立パスティア王国を完全制圧し、神聖ラール帝国の地方都市として再建する計画を実行させている。

 目が回るような忙しさだったが、やっと少し落ち着いたので、リュカは今ここにいる。

 ここは神聖ラール帝国の片隅の山中に建てられたロッジの中で、リュカはマルティーヌと向き合って座っていた。

 マルティーヌは死んだ魚のような目をしていて、何も喋らない。


「クロードは行方不明のまま、見つかってない」


 淡々と、リュカが報告した。

 マルティーヌは頷くこともなかった。

 早くクロードを見つけなくては、とリュカは思った。

 でも今のところ、マルティーヌに自殺の兆候はない。

 逃げ出そうという考えもない。リュカは心を読んでいるので、そのことを理解している。

 それでも、ロッジには数人の護衛を付けている。


「じきに見つけて連れて来る」


 そう言って、リュカは席を立った。

 マルティーヌの、妹の命は救われた。目的を達成できた。でも、あんまりにも辛い。


「あなたを」マルティーヌが小さな声で、囁くように言う。「永遠に怨みます」


 ここにいる限り、マルティーヌは安全だ。

 けれど、マルティーヌは全てを失った。リュカが奪った。ただ妹に、生きていて欲しくて。


「そう。ならあたしを殺せばいい」


 それだけ言って、リュカは踵を返した。


「あなたこそが、魔王です」


 リュカは聞こえない振りをしてロッジの外に出た。


「どうだった?」


 外で待っていたリーゼが言った。


「うん。あのね、あの子ね……」


 リュカはリーゼに抱き付いて、


「永遠にあたしを怨むって……」


 そのまま泣いた。

 分かっていた。そうなることは分かっていた。でも、辛い。


「そうか」


 リーゼはそれだけ言って、リュカの頭を撫でた。


「だけどね、だけど、あの子は、それで生きていけるの……」


 リュカは憎み、いつか報復をと、マルティーヌは考えている。だから、マルティーヌに自殺の兆候がないのだ。刺し違えてでも、いつかリュカを殺そうと思っているから。


「幸福ではないぞ」


 経験者のリーゼが言った。


「知ってる。知ってるよそんなこと。あたしだってリーゼの記憶を持ってるんだから。だけど、だけどね、生きてさえいれば、いつか変われるかもしれない。リーゼみたいに」

「ああ、今の私は幸福だ。リュカが、泣く場所に私の胸を選んでくれるから」


 リーゼがギュッとリュカを抱き締める。


「……だから、いつかまた、あの子が笑ってくれれば……」


 その笑顔がリュカに向くことはない。けれど、それでもいいのだ。

 それでも、生きていて欲しい。愛しているのだ。どうしようもないぐらい。


「あたしの騎士。あたしが泣き止んだら、覇道を征こう。あたしは、世界を変える」


 世界から悲しみが消えるように。みんなが幸福に暮らせるように。

 澄んだ世界を創る。たとえ武力で制圧し、魔王と呼ばれても。たとえ志し半ばで息絶えても。それでも、澄んだ世界の下地だけでも創るのだ。

 そうすれば、いつか遠い未来で、白と黒の少女たちが幸福な世界を完成させてくれるから。


「はい。あなたの征く道こそが常に正しい道。私はその道に転がる石ころを排除しましょう」

「だけど、もう少しだけ……」

「はい。それが永遠でも、私は待ちます」


       ◇


 10年前。パスティア王国王城。

 国王の誕生パーティーが盛大に行われていた。

 リュクレーヌはシックスセンスを使って、寂しくしている人を見つけては話し相手になっていた。

 せっかくのパーティーなのだから、みんなに楽しんで欲しい。


「あ……」


 と、深い孤独の中にいる心を見つけた。

 その心は周囲のキラキラした雰囲気とは正反対の、暗くて悲しい想いで満ちていた。

 助けてあげなくちゃ、とリュクレーヌは思って、その心に近付いていく。

 そこは王城の中庭。

 ベンチに1人、腰掛けて空を見上げている少女がいた。

 美しく澄み渡った青空に、少女は自分の矮小さを映し出して沈んでいる。

 でも、

 リュクレーヌにはその少女の方が青空よりも遥かに美しく見えた。

 心臓が止まってしまったような、そんな錯覚。

 少女は薔薇のように鮮やかな赤い髪を、ワンサイドアップに括っている。そこには白い小さなリボンが飾られている。


「ねぇ、綺麗だね」

「何が?」


 リュクレーヌの言葉に、少女は目をまん丸くした。


「空」


 それと、あなた。


「……うん」

「あたしリュクレーヌ・パスティア。あなたは?」

「リュクレーヌ……第一王女の……?」

「そ」

「失礼しました。私はファルケンマイヤー家の長女、リーゼロッテ・ファルケンマイヤーです」

「あ、知ってる。偉い人だね」

「いえ、あなたの方が偉いです。うちの父は皇帝の後見人だと威張っていますが、私には何もありません。それに、ファルケンマイヤーは皇族ではありません。属国の姫とはいえ、王族であるあなたの方が格式は上」

「そお?」


 こんなに綺麗なのに。

 花のようで、甘い香りだって漂っているのに。


「はい」

「ふぅん。ま、それはいいや。あたしね、ちょっと寂しいんだぁ」

「寂しい?」

「だから、あたしと友達になって欲しいな」


 リーゼロッテには友達がいない。みんなに避けられている。それはシックスセンスのせい。心を読んでいるリュクレーヌには、リーゼロッテの全部が分かる。

 だからそう、本当に寂しいのはリーゼロッテの方。


「……友達?」

「うん。いい?」

「ええ、はい、もちろん……」

「じゃあ、親愛の印」


 そう言って、リュクレーヌはリーゼロッテの額にキスをした。


「ひゃっ」


 変な声を出して、リーゼロッテが身を竦めた。


「あたし、あなたのこと好きだよ」

「……初めて会ったのに?」

「うん」


 だってあなたはとっても綺麗だもの。

 青空も中庭の花も、全部が霞んでしまう。


「でも私は……シックスセンスを持っています……」


 リーゼロッテはシックスセンスが他人に嫌われる元凶だと信じていた。

 そして、自分が誰かに好かれると信じられないでいる。


「あたしもだよ」

「え?」

「あのね、シックスセンスは神様のくれた贈り物だから、みんなが幸せになれるように使えばいいんだよ?」

「贈り物……」


 リーゼロッテはそんな風に考えたことがない。シックスセンスは他人に嫌われる元凶。それ以上でもそれ以下でもない。


「そう。贈り物は大切な人にあげるでしょ? だから、あなたは神様に愛されてるんだよ」

「……それが本当なら、嬉しいです……。誰も、誰も私を好きだって言ってくれないから……」


 リーゼロッテが泣きそうな顔をした。

 強いシックスセンスを持っているリーゼロッテは、気味悪がられ、避けられて、化け物と陰口を言われ、心が死にかけていた。


「じゃあ、あたしがいっぱい言ってあげる。好きだよ。すごく好き。友達になってくれてありがとうリーゼロッテ」


 心から、

 友達になれて嬉しいとリュクレーヌは感じた。

 自分がとっても幸せな気持ちになれた。

 誰かを救いながら、自分も幸せになれるなんて、本当に素敵なこと。

 幼いリュクレーヌは、それが恋だと気付かなかったけれど。

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