第19話 それぞれの決戦前夜/Sensual Night


 リュカはすでに戦神戦艦オーディンに戻っていた。

 時刻は夕食の少し前。リュカには新たに士官用の部屋が用意されていて、リュカはその部屋のベッドに腰掛けている。

 リュカの前の床には、クリスタが全裸で土下座していた。


「約束通り、あなたを1番の奴隷にしてあげる」


 リュカが冷めた声で言った。


「ありがとうございますリュクレーヌ様」


 クリスタが濡れた声で言った。

 ちなみに、なぜクリスタが全裸なのかというと、「奴隷たる者、服など不要だと思います!」と勝手に脱いだ。

 リュカは少し焦ったけど、止めなかった。戦神戦艦オーディンの乗組員の中で、最も優秀なクリスタを自分のモノにできるのなら、少々のことは大目に見る。


「今後はリーゼではなくあたしの命令を聞くこと。便宜上、あなたはあたしの親衛隊とする」

「はい喜んで。もし許されるなら、あなたのモノだという証をわたしの身体に刻んでください」


 この件はリーゼの許可を得ている。というか、リーゼはリュカがリュクレーヌとして行う全てを否定しない。


「じゃあ、立ってそこの壁に手を突いて」

「はい」


 クリスタは急いで立ち上がり、言われた通りにした。

 そしてリュカは何も言ってないのに、脚を開いてお尻を突き出した。

 エロい格好だなぁ、これ、とリュカは思った。大事な部分も全部丸見えだ。同時に、リーゼにいつかこの格好させてみよう、とも思った。

 リュカは右手の乗馬鞭で1度、空を打つ。この鞭はクリスタが持って来て、強引にリュカに渡したものだ。クリスタは支配されたいくせに自己主張が強すぎる。

 しかも、使って使ってオーラが半端ない。

 正確には、リュカがシックスセンスでクリスタの心に触れながら話しているので、使って欲しいことを理解したわけだが。

 ちなみにクリスタは今、


(ここで叩いてくれたなら、わたしはもう全てをリュクレーヌ様に捧げる)


 と、強く思っている。

 つまり、叩けばクリスタはリュカのモノだ。クリスタは髪の毛の一本に至るまでリュカに捧げる覚悟をしている。

 お姫様による支配。それはクリスタがずっと夢にまで見た願望。

 うぅ、叩かないとあたしのモノになれないなんて、割と難易度高いよ?

 更にクリスタは、


(しかも、証を刻むということは、痣が治ったらまた叩いてもらえるってことよね? わたしってば天才的)


 などと打算的なことを考えている。

 リュカは息を吐いて、意を決して、クリスタのお尻に鞭を振った。

 弾けるような音がして、クリスタのお尻に赤い筋が残る。

 しかしクリスタは1発で満足するほど生易しい変態ではない。

 リュカは唇を結び、気合いを入れてしばらく打ち続ける。

 そうすると、クリスタが立っていられなくなって床に座り込んだ。


「……」


 クリスタは無理やり立たせて欲しいようだが、リュカの方がもう無理だ。これ以上は無理。

 ドブネズミだった頃は喧嘩もよくしたし、リュカは弱さを隠す為に手の早い振りをしていた。けれど、こんな風に一方的に傷付けることには慣れていない。


「その傷を証としなさい」

「……はい。ありがとうございました」


 よし、終わった。リュカはホッと胸を撫で下ろした。

 しかし、結構酷い痣になっているが、大丈夫なのだろうか。


「ちょっと、一回リュカに戻るね?」

「え?」

「はい戻った。今あたしリュクレーヌじゃないから」

「あ、はい。じゃなくて、ええ、えっと、わたしは……」

「服を着て」

「あ、うん」


 クリスタはそそくさと服を着た。


「ねぇ、クリスタ、痛くないの?」

「痛いに決まってるじゃない。これ寝れないわよわたし」

「……だよねー」

「泣き叫ぶぐらい痛かったけど、泣き叫んだらリュカたぶん止めちゃうでしょ? だから我慢したの」

「いやぁ、至らない支配者でゴメンね」


 なんで支配する側が謝っているのだろう、そんなちょっとした矛盾を感じながらもリュカはそう言った。


「いいのよ。最初だし。これから慣れてもらえれば。将来的には気絶するぐらい叩いていいわよ。それと、わたしの方もゴメンね。わたしの趣味に付き合わせちゃって」


 クリスタは基本的にいい子だ。変態なだけで、すごくいい子なのだ。本当、変態でさえなければなぁ、と思う。

 けれど、だからこそクリスタを自分のモノにできたのだが。


「いいよ、あたしも支配者に慣れないといけないし」


 そういう道を選んだから。


「利害の一致ね。あ、そうそう、これ言っとかなきゃ。わたし別に痛いのが好きなわけじゃないの。理不尽に痛めつけられることで支配されてる感が増すでしょ? あと、お姫様と主従百合には乗馬鞭。これ譲れない。他の道具はダメ。イメージというか、1番合う道具だと思うの」

「そ、そうなんだ」


 主従百合って何? と思ったけど聞かないことにした。

 まぁ、確かにマルティーヌが乗馬鞭を持っていればそれなりに絵になるか。しかしリュカはマルティーヌほど美しくもないし、あまり似合わない気がする。

 リュカは握ったままだった乗馬鞭をベッドに置いた。できればもう使いたくないが、いつかこれでクリスタを叩くのが楽しくなるのだろうか?


「それにしても、あんたって2度美味しいわよね」

「2度美味しい?」


 言いながら、リュカはベッドに座る。

 クリスタもリュカの隣に座ろうとして、だけど少し戸惑ってからゆっくり座った。

 たぶんお尻が痛いのだろう。


「だって、支配者であると同時に友達だもの。しかもお姫様でラール帝国のナンバー2。わたし幸せ過ぎて死にそう」


 リュカはナンバー2ではない。皇帝代行人であるリーゼはリュカの騎士。実質リュカがトップだ。けれどもちろん、そのことは言わない。

 いきなりリュカがナンバー1になったら、誰も従わないし国が混乱する。今はまだリーゼの上に立つべきではない。


「えっと、死なないでね? あたし……じゃなくてリュクレーヌの命令以外では」

「もちろん。わたしの命はリュクレーヌ様のものだもの」


 クリスタは恍惚とした表情で言った。本当に嬉しいんだなぁ、って心を読まなくても理解できた。

 まぁ、クリスタが喜んでくれるなら、それはそれでいい。やっぱり誰かが喜んでくれるとリュカも嬉しいのだ。頑張った甲斐があるというもの。

 だから、人の心を操る時は極力その人が喜ぶようにしてあげて、リュカに好意を持つようにしている。それでも、自分の為にやっているから罪悪感は強い。

 でもそうしないといけないのだ。パッと出てきたナンバー2を認めさせ、みんながリュカの命令を喜んで聞くようにしなければ。

 例えば、その命を投げ出さねばならないような命令であっても。

 とりあえず、クリスタはもうどんな命令でも従うに違いない。


       ◇


 クロード・アリエル・デュランは、マルティーヌの寝室に呼び出された。

 クロードは立場上、マルティーヌの隣の部屋で寝起きしている。何かあったらすぐに駆け付けられるように。しかしながら、こんな時間に寝室に呼び出されたのは初めてのこと。

 いつもなら、そろそろ眠る時間。

 たぶん、マルティーヌは不安なのだろう、とクロードは思った。

 クロードだって、本音を言えば不安だ。今夜は眠れないかもしれないと思っていたので、この呼び出しはちょうど良かった。


「失礼しますマルティーヌ様、クロードです」


 ドアをノックし、そう言った。


「入ってください」


 マルティーヌの返事を確認してから、クロードはドアを開ける。

 クロードは騎士の正装だったが、マルティーヌはすでにパジャマ姿だった。

 その姿が可愛くて、クロードは少し微笑んだ。


「早速ですがクロード」

「はい」


 言いながら、クロードはドアを閉める。


「抱いてください」

「はい……え?」


 クロードは聞き間違ったのかと思って、目を丸くした。


「たぶん、今夜を逃したら、あたくしたちはもう……」

「そんな、そんなことは!」


 クロードはマルティーヌの前まで移動した。


「クロード。お願いです。あなたを愛しています。どうか、あたくしを抱いてください。これは命令ではなくて、お願いです……」


 マルティーヌは両手でパジャマの裾を掴み、ギュッと握った。

 その台詞を言うのに、どれほどの勇気が必要だったのか。

 クロードはマルティーヌを抱き寄せる。


「僕は、ずっと、小さい頃から、あなたを愛しています。マルティーヌ様だけでなく、マリーだったあなたも。あなたの全てが愛しく思います」


「クロード、あたくしは」マルティーヌが泣き出した。「あたくしは何も失いたくない。あなたも、パスティア王国も、何も……」


 マルティーヌはすでに1度、全てを失っている。2度も、2度も同じ経験をさせてたまるか。

 そう強く誓うと同時に、リュクレーヌに対する怒りが湧き上がる。

 あいつは一体何がしたいのか。昔はあんな子じゃなかったはずなのに。ドブネズミの生活で、心まで荒んでしまったのか。


「あなたは何も失いません。僕が必ず、あなたの敵を打ち砕きます」


 そう言って、クロードはマルティーヌをお姫様抱っこする。


 マルティーヌは照れたように頰を染めて、「力持ちですね」と言った。

 クロードは「男ですから。それに、あなたの騎士ですから」と応えた。


「あなたは本当に、逞しくなりました」

「あなたも本当に、美しくなりました」


 クロードはゆっくりとした歩調でベッドまで歩き、優しくマルティーヌをベッドに下ろした。


「クロード、もしあたくしが捕まったら……」

「必ず助けます」

「はい。あたくしは、今夜を想い、どんな状況でも、どれほど過酷な場所でも、あなたを想い、心折れることなく、あなたを待ちます」

「マルティーヌ様。捕まることを前提に話さないでください」

「ごめんなさい。捕まるより、殺される可能性の方が……」


 クロードはマルティーヌに口付けをして、その言葉を遮った。

 死なせない。どんなことをしてでも。


       ◇


「リュカがクリスタといやらしいことしたぁぁぁ!」


 リーゼが半泣きになりながら叫んだ。

 ここは戦神戦艦オーディンの、リーゼの部屋。2人はベッドに腰掛けている。


「してない! してないってば! クリスタが勝手に全裸になっただけだってば!」


 クリスタとのことを報告したら、リーゼが嫉妬した。


「私も脱ぐ」


 そう言って、リーゼがパジャマのボタンに手を掛ける。


「待って待って。どうしてそうなるの!?」


 リュカがリーゼの手を押さえる。


「……だって」


 リーゼは半泣きの瞳で、リュカを見る。


「ああもう! 可愛いなリーゼは!」


 リュカは勢い余ってリーゼを押し倒した。

 リーゼは抵抗しない。潤んだ瞳のままリュカを見ている。


「心配しなくても、あたしの恋人はリーゼだけだよ。クリスタはほら、リュカの友達でリュクレーヌの奴隷なだけ」

「……それもどうなんだ」


 リーゼが苦笑いを浮かべた。

 確かに、リュカとクリスタの関係はちょっと変だ。まぁでも、それで上手くいっているのだから問題はない。


「だってクリスタは支配されるのが大好きなんだもん」

「うん、まぁ、変態だというのは知っていたが……。私もあいつの頭を踏んだしな」


 その経緯を、リュカはすでに知っている。聞いたからではない。リーゼの記憶も所有しているからだ。

 記憶の中で、リーゼは本当におっかなびっくりクリスタの頭を踏んでいた。


「クリスタはそういうのすごく喜ぶから、リーゼも時々踏んであげてね」

「嫌だ。もうリュカの親衛隊なんだから、リュカが踏んでやればいい」

「じゃあリュクレーヌとして命令しよっかなぁ」

「それはズルい!」

「冗談だよ」


 リュカが笑って、リーゼも笑った。

 しばらく2人は笑い合って、

 リュカがベッドに転がった。


「明日にはさ、戦争が始まるのに、あたしたちって呑気だよね」

「そうか? 私は年中戦争しているから、もう慣れた」

「そっか、そうだね。リーゼはずっと、7年間戦い続けたんだね」

「後悔している部分も多々あるがな」

「うん。知ってる」


 リーゼのことで、知らないことは何もない。

 リーゼがちょっとMよりの体質で、意地悪されるのが好きだというのも知っている。

 とっても嫉妬深くて甘えん坊だというのも知っている。

 どちらもリュカしか知らない。それがとっても嬉しい。


「それはそうと、リュカのセンスが急激に成長したろ?」

「うん。自分でもビックリしてる」

「私もなんだ。リュカと融合したことで、私のセンスも以前よりずっと鋭くなった」

「なんでだろう? 2人分の人生を背負ったからかな?」

「かもしれないし、深い部分で刺激し合ったからかもしれない」

「でも、いいことだよね?」

「ああ。誰にも負ける気がしない」

「また調子に乗って死にかけないでね」

「……それは言わないでくれ」


《ヴォルクの柩》と戦った時のことだ。


「ねぇリーゼ」

「ん?」

「キスして」


 リュカは目を瞑った。


「と、唐突だな……」

「ちゃんと舌入れてね」


 リュカは舌を入れられるのが好きだった。脳が痺れるような感じがして、とっても気持ちいいから。


「……あ、ああ」

「今夜はずっとリーゼと一緒にいたいの、あたし」


 不安なのだ。明日が怖い。明日なんて来なければいい。自分で選んだ道だけれど、それでも怖いものは怖い。

 マルティーヌはきっと酷く怒っている。クロードもきっと怒っている。

 2人の怒りと殺意を受け止めるのは、本当に、心から恐ろしい。

 でも、他に救う方法はない。


「今、お前、私以外の誰かを想っただろう?」

「あ、バレた? マリーとクロードのことだよ」

「それ禁止。私といる時は私だけを見ること。私だけを愛して、私だけを想ってくれなきゃ嫌だ」

「うん。もうリーゼのことしか想わないよ。大好き」

「わ、私も、大好き……」


 リーゼの柔らかい唇が、リュカの唇に触れた。

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