第18話 世界よあたしに平伏せ!/The World Is Not Enough
ハロルド・ブラウンは大きな溜息を吐いた。
ここは再編成中の空中戦艦アリアンロッドの食堂。
全ての報告書を提出し終わり、戦死した仲間の家族への連絡を終え、それからずっとアメリアと2人で訓練を重ねた。
もう2度と、負けないように。もう2度と、仲間を死なせないために。
「今日も訓練するんでしょ?」
ハロルドの隣に座っているアメリアが、コーヒーを飲みながら言った。
「ああ。16時まではな」
16時には、新たなアリアンロッドマスカレード隊の隊員たちが着任する。
「でも、ハリー副隊長なんだね。なんか、いきなりポッと出てきた奴が隊長とか嫌な感じ」
「まぁそう言うな。俺は隊を壊滅させたんだぜ?」
報告書の山と格闘するのは、酷い苦痛だった。
しかし、それより何より、仲間の家族への連絡が1番キツかった。
ほとんどの家族が最初はハロルドの言葉を信じなくて、報告を繰り返すと泣き出した。
その度に、ハロルドは自分の無力さを嘆き、悲しみと怒りで心が潰れそうになった。
「2人だけに、なっちゃったね……」
「ああ。賑やかだったのにな……」
アリアンロッドの食堂も、今は閑散としている。お昼時を少し過ぎているというのもあるが、多くの乗組員が休暇を取っているのが理由だ。
『さて、ここからは神聖ラール帝国の皇帝代行人、リーゼロッテ・ファルケンマイヤーの会見の様子を、ライブでお送りします』
付けっ放しにされている食堂のテレビで、女キャスターが言った。
「魔王の会見?」
「ハリー知らなかったの?」
「ああ。ずっと忙しかったろ?」
「夜のニュースぐらい見ようね」やれやれ、とアメリアが肩を竦めた。「てっきりこの会見が終わってから訓練するのかと思ってた」
「ああ、そうするか」
世界征服を目論む魔王が何を言うのか。気にならないはずがない。
画面が切り替わり、リーゼロッテが映る。
リーゼロッテは豪華な玉座に腰掛け、足を組んで頬杖を突いていた。
画面の右上に、神聖ラール帝国皇城内とテロップが出ている。
「うちのカメラも入れたんだな」
「世界中のカメラを入れてるみたいだよ」
アメリアはスマートデバイスを操作しながら言った。別口でこの会見について調べているのだろう。
「しっかし不遜な態度だな」
リーゼロッテは全てを見下すような目と表情をしていた。
「世界の覇王気取りだからね。いつか絶対倒そうね、うちらで」
「ああ」
『全世界の諸君。リーゼロッテ・ファルケンマイヤーだ』リーゼロッテは不遜な態度のままで言う。『まぁ、今更自己紹介など不要だろうがな』
当然だ。リーゼロッテを知らない奴なんていない。
そのほとんどはリーゼロッテを忌み嫌っているが、中には熱狂的なファンも存在する。
『さて、私はこの会見で伝えたいことが3つある』
リーゼロッテが頬杖を崩した。
『1つ目。私は3年ほど前に世界征服宣言をしたが、これを撤回する』
「なに!?」
「えぇ!?」
ハロルドとアメリアはほぼ同時に声を上げた。
「撤回だと? つまり、戦争は終わり……なのか?」
「えっと、和解したいってこと、だよね?」
テレビ画面にはリーゼロッテしか映っていないが、周囲が騒ついているのが分かった。
テレビ局の連中も、ハロルドたちと同じように驚いているのだろう。
『そして2つ目』リーゼロッテは周囲の喧騒などまるで気にならないかのように続ける。『紹介したい人物がいる』
「え? もしかして結婚するから戦争止めるとか、そういうの?」
「魔王が結婚?」
アメリアの言葉に、ハロルドが首を傾げた。
そんなの、リーゼロッテのイメージに合わない。
『彼女は私の首席補佐官にして、後見人。私に何かあれば、彼女が私の全てを引き継ぐ』
「彼女? 女じゃねぇかアメリア」
「結婚じゃないみたいだけど、首席補佐官って、事実上ラール帝国のナンバー2なんじゃ……」
「宰相ってのがいるだろ?」
「え? そんなのリーゼロッテの傀儡じゃん。実質、首席補佐官の方が偉いんじゃない? 後見人だし、まるで後継者みたいな言い方じゃない?」
「後継者、か……」
一体、どんな人物を紹介しようというのか。
「魔王の補佐官なら、魔女って感じ?」
「魔王の魔女、か。ははっ、面白いぞアメリア」
『彼女は私を超えるシックスセンス、つまりオーバーセンスの保持者にして、我が神聖ラール帝国の最新鋭機を駆るマスカレード乗り。私の最大のライバルと呼ばれた《紫電のセリア》を撃墜し、更に世界最強と謳われた《ヴォルクの柩》すら退けた』
「なんだと……」
「待って、待ってよ、どうしてセリア隊長の名前が出てくるの? セリア隊長を殺したのは……」
『彼女の名はリュクレーヌ・エステル・パスティア。元パスティア王国の第一王女だ』
リーゼロッテの言葉が終わると同時に、画面の右側から少女が歩いて来て、リーゼロッテの横に立った。
その少女は黒の軍帽を被っていて、その軍帽にはリーゼロッテの軍帽と同じ百合の紋章が装飾されている。
少女の制服は漆黒で、羽織ったマントもまた漆黒。まるで夜の闇のような姿。真っ白なリーゼロッテとは対照的。
「リュカ……ベルナール……」
ハロルドはその闇のような少女の顔を知っている。
しかし、しかし。
「嘘……あんな、あんな昏い目……してなかった……よね?」
アメリアの言葉通り、リュクレーヌと紹介されたリュカは、酷く昏い目をしていた。
まるで、全てを拒絶し、絶望し、心を壊したみたいに。
◇
「名乗った……」
新立パスティア王国大統領府、大統領執務室の椅子に座っているマリーが、テレビを見ながら呟いた。
マリーとしては王城を再建したいのだが、今はそんな余裕がないので、この大統領府をそのまま使っている。
「リュクレーヌ……」
マリーの隣に立っているクロードがその名を零した。
『3つ目はあたしから』
リュクレーヌと紹介された彼女は、少し笑った。
酷く、酷く醜悪な笑い方で、マリーは寒気がした。
『この世界は間違っている』
リュクレーヌは確信に満ちた声で言った。
『あたしは最近までドブネズミと呼ばれていた。パスティアの姫だったあたしが、そこまで身を落とした。そして現実を知った。この世界は、間違ってる』
「何を……あなたは一体何をしているのですか!?」
マリーが両手で机を叩いた。
あの時見逃したのは、世界の敵になって欲しいからじゃない。
リーゼロッテと2人で、どこか静かな場所で幸せに暮らして欲しかったからだ。
「マルティーヌ様」
「大丈夫です」
クロードが手を伸ばしたが、マリーはそれを制し、一度深呼吸した。
『この世界は不足ばかり。あたしはずっと、世界を正したいと思っていた。だから――』
リュクレーヌは一度言葉を切って、マントを翻して右手を掲げた。
『あたしが世界を変える! 故に! 今日、あたしとリーゼロッテの連名で新たに世界征服を宣言する!!』
「……なんてことを……」
マリーは泣きそうになった。姉の幸せを、ただ願っていたのに。
これではもう、引き返せない。
リュクレーヌ・エステル・パスティアは全世界を敵に回した。
『支配者どもよ覚悟しろ! 資本主義の豚どもは布団の中で震えろ! あたしの世界にお前たちはいらない! 全員が本当に平等で、幸福に暮らせる新たな世界を構築することを約束する!』
「バカな……そんな夢物語……」
クロードが微かに震える声で言った。
『さぁ、幸福が欲しいなら――』ニヤリとリュクレーヌが笑う。『――あたしに平伏せ!』
その瞬間、リュクレーヌがその言葉を発した瞬間、
マリーは平伏しそうになった。危なかった。かなり危なかった。心を鷲掴みにされたような、そんな感覚があった。
「くっ……」
クロードが机に手を突いた。
「クロード、平伏すことは許しません。あなたはあたくしの騎士です」
「分かっています。分かっていますが、何ですかこれは……」
「シックスセンスです……それも、かなりのオーバーセンス……。これじゃあ、これじゃあまるで化け物じゃないですか……」
画面の向こう側から、こちらの心に触れて来た。
リュクレーヌのシックスセンスが強力なのは知っていたが、これほどとは。
前回の戦闘で、このセンスを使われていたら、もしかしたら負けていたかもしれない。
あるいは、あの時は使えなかった?
「開花したと言うのですか……。あなたは……あなたのセンスは、今やっと開花したのですか?」
マリーは知らない。リュクレーヌがリーゼロッテと溶け合うことで、急激に成長したことを。
◇
イズとオリハはテレビの前で土下座していた。
ここは新立パスティア王国、大統領府内の2人に充てがわれた部屋。
「……ねぇオリハ。こいつ、ちょっとヤバすぎないかな?」
「……そうね。でもこれ、たぶん私たちにしか効いてないわ」
オリハの見解では、リュクレーヌのセンスは同じくシックスセンス持ちに強く作用する。それも、レベルが高ければ高いほど浸透する。
「……もしかして、リーゼロッテも操られてる?」
「……かもしれないわね。かなり強力なセンスよ、これ」
完全なるオーバーセンス。これが本領だと言うのなら、あの日、《ヴォルクの柩》が負けたあの日は、軽くあしらわれたことになる。
『今平伏した人は、近い将来あたしのモノになる』
リュクレーヌは少し楽しそうに言った。
「でも、強い意志があれば跳ね除けることもできそうだよね」
「そうね。でも私たちって基本ほら、気ままに生きているから」
2人には理想も思想もない。故に、強い意志などない。特に、ヴォルクに乗っていない時は。
いや、正確には、ヴォルクに乗っている時は他の誰の意志も受け付けない。
戦えればそれでいいのだから。
「てゆーか、いつまでこの姿勢続けるのオリハ?」
「ちょっと新たな快感に目覚めそうだからもう少し待ってよ」
「凌辱する側からされる側に回るって? 悪くないかもね」
「そうでしょ?」
2人はクスクスと笑った。
◇
『さて、それじゃあ、本題に入ろう』
リュクレーヌが落ち着いた様子で言った。
「今からが……本題?」
マリーは顔を歪めた。もう十分だ。これ以上は何も聞きたくない。
『世界はあたしのモノだ。立ち塞がるなら覚悟をしろ。叩き潰して取り込む。無条件降伏するなら、お互いにとってその方がいい』
「リュクレーヌは、なぜこんなことを……」
クロードは訳が分からないという風に言った。
『そして、最初にあたしのモノにするのは、新立パスティア王国』
「「!?」」
マリーとクロードが同時に顔を上げた。
『若き女王よ、24時間の猶予を与える。降伏しろ。さもなくば滅べ。滅んだあとで、あたしが神聖ラール帝国の地方都市として再建させる』
リュクレーヌは淡々と言った。まるでそうするのが当たり前のことであるように。
「……あたくしが、甘かった!!」
マリーは拳を握り締め、何度も机を殴り付けた。
「マルティーヌ様!」
マリーの腕を、クロードが掴む。
『賢明な判断を望む。ああ、それと、邪魔する者には容赦しない。一片の慈悲も与えない。あたしの前に立つなら決死の覚悟で立て。あたしからは以上』
「あの時殺しておけば……あの時、殺しておけば……」
怒りで血液が沸騰してしまいそう。
「マルティーヌ様……」
「よくも自分の祖国を……よくも自分の妹を……滅ぼすなど……」
許せない。絶対に許せない。たとえ刺し違えてでも、あの女だけは、
リュクレーヌだけは殺す。
「マルティーヌ様、どうか、どうか落ち着いてください」
「……クロード、あたくしたちは、国際連合だけでなく、神聖ラール帝国まで退けなくてはいけなくなった……。あたくしのせいです。あたくしが、あの女を逃したから……」
悔やみ切れない。
甘さを最後の一雫まで、全て捨て去らなければいけなかった。そういう道だったのに。
「マルティーヌ様、我々はまだ負けると決まったわけではありません」
「……ええ。そうですね。クロード、今すぐ非常事態宣言を。パスティア王国軍には即応体制を。それから、《ヴォルクの柩》にいつでも出られるよう準備させてください」
「分かりました。勝ちましょうマルティーヌ様。ここは僕たちの国です。たとえ第一王女であっても、こんな暴虐を許すわけにはいきません」
「ええ。あいつだけは、あの女だけは、絶対に……」
国際連合よりも、神聖ラール帝国よりも、
何よりもあの女が憎い。
◇
リュクレーヌとリーゼロッテによる世界征服宣言。それは後に、第4次世界大戦とも世界統一戦争とも呼ばれる大きな戦乱の始まりであった。
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