第17話 闇に堕ちた日/Burning Hatred


 7年前。

 リーゼロッテ・ファルケンマイヤー14歳。


『リュクレーヌ様、私の戦艦がパスティアの近くの基地に降りるので、遊びに行ってもいいですか?』


 スマートデバイスで友人にメールを送って、リーゼロッテは満面の笑みを浮かべた。

 ここは神聖ラール帝国主力空中戦艦フレイヤの士官用の個室。リーゼロッテはとてもいい気分で椅子に座り、紅茶を飲んでいる。

 リーゼロッテは赤い髪をサイドテールの形にまとめ、一般的な深緑の制服を着用している。しかし今は勤務時間外。紅茶を飲んだらシャワーを浴びてパジャマに着替える予定。

 リーゼロッテは軍のマスカレードパイロット養成学校を最短で卒業し、先月、主力空中戦艦フレイヤに配属された。

 最短での卒業は主に実力だが、少しだけファルケンマイヤー家の権力も使った。

 早く自立し、強くなりたかったから。使えるものは使わなければ損だ。


「もう3年かぁ。リュクレーヌ様と直接会うの、ドキドキするなぁ」


 全ては世界にただ1人の友人、リュクレーヌ・エステル・パスティアの守護騎士となるため。

 家族にはきっと反対されるので、その夢は伝えていない。まぁ、反対されたらファルケンマイヤーの名を捨てる覚悟だ。

 リーゼロッテはスマートデバイスの写真フォルダを開く。

 そこにはリュクレーヌと交換したたくさんの写真が収められている。


「……可愛いなぁ。リュクレーヌ様って本当、可愛いなぁ。でも横の男はいらない。うらやましい。バーカ」


 その写真は、リュクレーヌの横に幼馴染の男の子も一緒に写っている。撮影したのは妹だとメールで言っていた。

 リュクレーヌは3年前、暗闇の中を歩いていたリーゼロッテを救ってくれた。大切な年下の友人。

 と、スマートデバイスにメールが入った。


『いいよ。楽しみ! みんなで隠れんぼしよ! マルティーヌってシックスセンス使って移動しながら隠れるから、本気で見つけられないの。でもリーゼなら見つけられるかも!』


 メールを見て、リーゼロッテの頰が緩む。


『任せてください! 私のセンスで見つけてみせます! 予定では5日後には遊びに行けると思います』


 ああ、幸せだぁ、とリーゼロッテは思った。

 友達が1人いるだけで、世界が輝いて見える。


       ◇


 その2日後だった。

 パスティア王国で大規模な革命が起こり、国際連合が革命支援のために大軍を派遣したというニュースをリーゼロッテが目にしたのは。

 主力空中戦艦フレイヤは属国であるパスティア王国を支援するため、第一戦闘配備が敷かれていた。

 リーゼロッテも、量産型マスカレードであるビーネに搭乗し、出撃命令を待っていた。


「リュクレーヌ様……どうかご無事で……」


 両手を組み、目を瞑って祈る。

 必ず助けに行きますから、と。


「全乗組員へ通達」


 艦長の声がスピーカーを通して聞こえた。

 やっと出撃できる、とリーゼロッテは拳を握った。

 しかし、


「我々はパスティア支援には向かわない。これより回頭し、メーレン基地に向かう」


 メーレン基地というのは、パスティア王国からは遠い。

 パスティア王国は神聖ラール帝国の西側にあるのだが、メーレンは神聖ラール帝国の北東の基地だ。


「ちょっと待ってください!」リーゼロッテが言う。「なぜですか!? 属国を見捨てるのですか!?」


 それは悲鳴のようだった。


「ファルケンマイヤー少尉、これは陛下のご意向である。もはやパスティア王国は陥落寸前。国際連合の動きがあまりにも早すぎた」

「バカな! 諜報部員たちは何をしていたのです!?」


 全く掴んでいなかったというのか。国際連合はあれほど大規模に動いたのに。


「全ての情報を得られるわけではない。今から参戦しても、被害を受けるだけだ。それに、パスティアなど最近は独自のマスカレードを配備したりと、我々に挑戦的だっただろう?」


 ああ、そういうことか――リーゼロッテは理解した。

 知っていて、切り捨てるつもりだったのだ。

 確かに、ここ1年ぐらい、神聖ラール帝国とパスティア王国は意見の相違が多く、ぶつかることもあった。その理由は、パスティア王国がすでに神聖ラール帝国の庇護を受けなくてもやっていけるだけの国力を身に付けたから。

 数年以内に独立するのでは、という噂もあった。


「……しかし、属国をみすみす国際連合に渡すというのは……」


 国際連合から神聖ラール帝国への謝礼があったことをリーゼロッテが知るのは、まだ先のこと。

 生意気な属国を売り払って、大きく儲けたと知るのは、まだ先のこと。

 それを主導したのが自分の父親だと知るのは、まだ先のこと。


「ファルケンマイヤー少尉。君は少し生意気だ。私は君の父君と知り合いだ。故に、ファルケンマイヤー家の威光は通じんと最初に言ったはずだが?」

「……そんなつもりは……」

「ではもう黙れ。我々はメーレン基地に向かう。戦闘配備は解除だ。パスティアのことはもう忘れろ」


 リーゼロッテは震えた。

 震えている間に、他の隊員がマスカレードを降りた。

 怒りで、身体の震えが止まらない。パスティア王国には、友達がいる。世界にたった1人の友達が。

 それを、切り捨てろと、見捨てろと、その上、忘れろだと?

 そんな命令が、


「そんな命令が聞けるかクソヤロウ! ハッチを開けろ!」


 外部スピーカーで叫び、リーゼロッテはスロットバーを回してアサルトライフルを選択し、構える。


「おい、気でも触れたのかお前!」


 マスカレード隊の隊長が叫んだ。


「うるさい! パスティアには友達がいるんだ! 私は彼女を助けに行くんだ!」


 リュクレーヌの守護騎士になりたいのだ。ここで助けられなくて、何が守護騎士だ。


「反逆罪だぞファルケンマイヤー! 落ち着け!」

「知ったことか! 早くハッチを開けろ! こいつを破壊するぞ!」


 リーゼロッテのビーネが、アサルトライフルを隊長機に向ける。

 さすがに、人間に銃口を向けることはできなかった。その方が効果的なのだが、今のリーゼロッテにはできなかった。


「あー、いいんじゃねぇの」拡声器を使って、整備士の男が言った。「どうせ生きて戻れやしねぇんだ。生意気な兵隊を放り出せたと思えばよぉ」


 整備士の男はブルーノという名前で、なぜか最初からリーゼロッテに優しかった。気のいい大人で、乗組員の中で1番仲良くしていた。


「ふざけるなブルーノ! ファルケンマイヤーのお嬢さんだぞ! 死なせられるか!」


 それが隊長の本音か。くだらない、とリーゼロッテは思った。


「でもよぉ、オレもうハッチ開けちまったんだよなぁ。いやぁ、仕事が速くてすまんねぇ」

「ありがとうブルーノさん! 生きて戻れたらお礼するから!」

「おー、いいってことよぉ。頑張りな。友達は大事だぜぇ」


 ブルーノが拡声器を振った。

 リーゼロッテはビーネを操作し、開いたハッチから飛び出した。


       ◇


 全方位ARインターフェイスを通して見るパスティア王国は酷い有様だった。

 橋は焼け落ち、家屋もビルも倒壊し、ところどころにマスカレードの残骸が転がり、あちこちで火の手が上がっている。


「こ、これが……これが、戦争?」


 恐ろしい。恐ろしくて堪らない。

 けれど、リーゼロッテは歯を食いしばる。友人を助けなくては。パスティア王国の第一王女を。未来の主を。


「パスティア王国軍、誰でもいいので返事をしてください」リーゼロッテは通信をパスティア王国軍の周波数に合わせて言った。「私は神聖ラール帝国の所属です。誰か返事を」


 遠い空でマズルフラッシュが見える。まだ戦闘が継続されているのだ。


「神聖ラール帝国?」


 ARインターフェイスに、くすんだブロンドの男が映った。年齢は30代の半ばで、とっても優しそうで穏やかな顔をしている。

 リーゼロッテはその男を知っている。

 大切な友人の父親。

 即ち。


「パスティア王!?」

「支援できる状況ではない、と言って僕らを見捨てたはずでは?」


 パスティア王は特に怒るでもなく、淡々と言った。


「申し訳ありません。私だけです。ラール帝国の支援はありません……」

「そうか。まぁ期待はしていないよ。君はなぜここに?」

「はい。私は友人を、リュクレーヌ様を救いたく思いここに参じました」


「ああ……」パスティア王が小さく頷いた。「そうか。君がリュクレーヌの秘密の恋人か」


「秘密の恋人、ですか?」

「そう。リュクレーヌは誰かとずっと連絡を取り合っていたのだけど、相手を僕らに教えてくれなかったんだ。まるで大切な秘密のように、ニコニコ笑うだけでね」

「……そうですか」


 恋人と言われて悪い気がしなかった。同性の友人なので、有り得ないことなのだが、リーゼロッテは確かにいい気分だった。


「リュクレーヌは王城にいると思う」

「王城!? なぜそんな目立つところに!?」


 それとも、王城の地下にシェルターでもあるのだろうか。そんな話は聞いたこともないが。


「僕の妻が玉座に座っているから。娘たちも一緒だね。うちの女どもは頑固なんだよ。僕が戻るまで、玉座を守るって」

「しかし……それでは……」


 王城なんて恰好の標的だ。


「そう。きっと死んでしまう。だから君にお願いしたい。妻は動かないだろうから、娘たちだけでも亡命させてくれないか? でないと、きっと殺されてしまう」

「はい。そのつもりで来ました。私にお任せください!」

「ああ、ありがとう娘の秘密の恋人。心から感謝する。さぁ、急いでくれ。僕は第2波を迎撃しなくちゃいけない」

「はい! どうかご武運を!」

「ああ。君はいい子だね。君もどうか無事で」


 通信が切断された。

 リーゼロッテは進路を王城へと変更し、最大加速で飛んだ。


       ◇


 パスティア王の表情が引き締まる。


「我が騎士よ、我が《威風の騎士》よ。時間を稼いでくれ。フライクーゲルをもう一度使う!」

「承りました我が王」


 パスティア王とその騎士との会話。


「もし生き残ったら、酔い潰れるまで酒を飲もう。我が騎士、いや、僕の親友」

「ははっ、我が王、いや、オレが友よ。それは素晴らしいことだ。だが、またお前が先に潰れるんだろうな」

「生き残ろう友よ。子供達の成長だって、僕は見たい」

「もちろんだ友よ。オレの息子、クロードはいい男になるぞ」

「ははっ。いい男になってもらわなければ困るよ。マルティーヌがクロードを好いているんだから」


 そうやって2人は笑い合って、

 片方は空に散って、

 残った片方は反政府軍を組織し、友の仇討ちを誓った。


       ◇


「国際連合の別働隊!?」


 王城までもう一歩というところで、リーゼロッテは国際連合軍と出くわした。

 国際連合軍の編成は、空中戦艦が2隻と、その周囲に展開しているマスカレード40機。

 そして、空中戦艦の主砲が王城に向いていることに気付く。


「まさか……」


 そう呟いた瞬間、空中戦艦2隻による一斉射撃が行われた。


「やめろぉぉぉぉぉ!!」


 叫んだところで、何の意味もない。

 主砲が王城を粉砕する場面がスローモーションで見えた。

 爆発、轟音、炎、煙。

 残ったのは瓦礫の山。そこに誰かがいたのなら、間違いなく骨も残っていない。そういうレベルの破壊。

 リーゼロッテの思考が停止する。それがどの程度の時間だったのか、リーゼロッテには分からない。気付いた時には涙が溢れていた。

 間に合わなかった。助けられなかった。

 と、


「革命軍が王城を陥落させた。これにより、全ての王族の死亡が確認された。革命は成った! 暴君を打ち倒したのだ! 市民の! 正義の勝利である!」


 国際連合軍がオープンチャンネルと外部スピーカーを使って言った。


「何、言ってるんだ……?」


 お前たちが撃ったんじゃないか。お前たちがやったんじゃないか。革命軍なんてどこにもいないじゃないか。


「……自作自演……?」


 リーゼロッテは近い将来、国際連合の正体を知ることになる。

 時々戦争をしなければ成り立たない組織なのだと、知ることになる。

 軍需産業のため、古い兵器の廃棄、支持率、資源、理由はいくらでもあった。

 そして、王政や皇帝政を悪と断じる国際連合は、神聖ラール帝国やレスカ帝国には手を出さない。負ける可能性のある戦争はやらない。


「……よくも……よくも……私の、私の友達を……」


 拳を強く、強く握り締め、爪が掌に刺さって血が流れる。

 リーゼロッテはその掌で涙を拭う。

 そうすると、まるで血の涙を流したようで。

 そこにいるのは友人の騎士になりたいと願った可憐な少女ではなくて、

 灼熱の憎悪に身を焦がし、


「皆殺しにしてやる! 国際連合の所属というだけで殺してやる! 赤子でさえ生かしておかない! 絶滅させてやる! 滅ぼしてやる!」


 修羅に堕ちた一輪の百合。

 その日、その瞬間、リーゼロッテのシックスセンスが開花した。

 元より優れたセンスを持っていたリーゼロッテだが、紅蓮の炎に似た怒りをキッカケに、現時点で最強のセンス持ちとなる。

 それは後に、世界最高位の基準、レベル3として認定される。

 この日、リーゼロッテはたった1人で戦い、マスカレードを31機、戦艦を1隻撃墜し、生きて戻った。

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