第16話 アナタの為の我が命/The Scarlet Shadow Knight


「どうした? しばらく休んで構わないと言ったはずだが?」


 リーゼの部屋を訪れたリュカに対して、リーゼは小さく首を傾げた。


「仕事で来たんじゃないよ」

「……メイド服を着ていたから……」


 言いながら、リーゼがリュカを室内に通す。


「これが1番いい服なんだよね」


 リュカが肩を竦める。

 ちなみに、リーゼは白のパジャマを着用している。戦神戦艦オーディンのメンテナンスが終わるまで、乗組員は全員オフだ。つまり、リーゼも今はプライベートな時間ということ。


「服が欲しいなら言ってくれれば――」リーゼが言う。「そうだ、せっかくだし買い物にでも行くか?」


「行かないよ。それより、話がしたい。座っても?」

「ああ。座ってくれ」


 リーゼは落ち着かない様子で言った。

 リュカは椅子に腰掛け、リーゼもテーブルを挟んで対面の椅子に座った。


「何してたの?」

「……いや、別に」


 リーゼが目を逸らした。


「ふぅん」


 リュカは室内を見回した。ベッドが少し乱れている。リーゼは寝ていたのかもしれない、と思った。


「話というのは、マリーのことか?」

「違うよ。あたしたちの話がしたい」

「私たちの話?」

「そう。これからのこと」

「ああ、それなら、リュカの好きなようにしてくれていい。オーディンに残って私のメイドを続けてもいいし、どこかで静かに暮らしてもいい」

「そうじゃなくてね」


 リュカは小さく深呼吸した。


「……ではどういう話だ?」


 リーゼが目を細める。


「あたしね、これを言うまでに、すっごい悩んだんだぁ」リュカは曖昧に笑う。「本当に、とっても勇気のいることなの。だからお願い。あたしを嫌いにならないでね」


「嫌いになる? 私が?」

「うん。どんな結末になっても、友達でいて欲しい」

「もちろんだ。私たちはずっと友達だ。どっちかが死んでも、ずっと」


 リーゼが言うと、酷く重い。実際に7年間、リーゼはリュカが死んだと思っていたのだから。


「良かった。じゃあ、言うね」


「ああ」とリーゼが頷く。


「リーゼ、寝てるあたしにキスしたよね?」


 リュカがそう言った瞬間に、リーゼの表情が凍り付いた。


「違うっ……あれは……あれは、あれは違うんだ……」


 リーゼは狼狽えて、言葉が続かない。


「待ってリーゼ。落ち着いて。責めてるんじゃない。確認してるだけだから。あれはキスだったよね?」


 リュカが真っ直ぐにリーゼを見て、リーゼは酷く怯えた様子でしばらく黙っていた。

 けれど、やがて意を決したように言う。


「……ごめんなさい……」

「違う。違うよリーゼ。あたしは謝って欲しいんじゃない。あのキスの意味を知りたいの。だけど、その前にあたしの気持ちを告白するね」

「気持ち……?」


       ◇


 ああ、恐ろしい。リュカにバレていた。キスしたこと、気付かれていた。

 気持ちって何?

 気持ち悪いってこと?

 どうしよう? どうしよう?

 私は、怖くてたまらない。

 思考がまとまらない。冗談だった、って、そう言えば許される?

 他には例えば、妹みたいな感じで、つい、可愛くて、とか。


       ◇


「あたしね、リーゼのことが好き。10年前からずっと好きだったの」


 一生分の勇気を今この瞬間に絞り出したような、そんな感覚。

 リュカが男だったら、ここまで怖くはなかったのだろうけど。

 だって、同性に愛の告白なんて、最悪友人関係も終わる。


「……待って」リーゼが言う。「止めてくれ、勘違いしてしまう……」


「勘違いって何? あたし、勘違いするような言い方してない。でも、もう1回言うよ。あたしはリーゼが好き。友達としてじゃなくて、キスをしたいという意味で、恋人になりたいという意味で、あるいはキスの先まで進みたいって意味で好き。これでも勘違いするなら、リーゼはバカだよ」


 リュカは割と強い口調で言った。どこにも嘘はない。間違いもない。それが真実で、それがリュカの想いで、伝えなければ先に進めないこと。

 リーゼは頰を真っ赤に染め、口を半開きにした状態で固まっている。


「ねぇリーゼ。同じ気持ちなら、同じ気持ちでキスしてくれたのなら、あたしはすごく嬉しい。でも、もし違うなら、どうかあたしを避けないで。2度と口にしないし、触れることもしない。お願いだから友達でいて」


 リーゼがこのあと何を言うのか。それはリュカの未来に関わる。どちらにしても結果は同じだけれど、過程が違う未来。

 即ち、

 リーゼとともに歩むか、あるいはリーゼに成り代わるか。


「私は……」恐る恐るリーゼが口を開く。「私は夢を、見ているのか?」


「違う」とリュカはキッパリ否定した。


 これは現実だ。どうしようもないぐらい、現実なのだ。好きで堪らないのだ。リーゼロッテ・ファルケンマイヤーという女の子が好きなのだ。

 10年前、初めて見たその瞬間からずっと。


「私は……私はずっと……あなたが好きでした……。だから、夢じゃないなら、嬉しくて……言葉にならない……」


 リーゼが泣き出した。


「じゃあ、言葉はいらないよ」


 リュカは席を立って、リーゼの手を取ってリーゼを立たせる。

 それから、ベッドの方に誘導して、リーゼをベッドに押し倒した。

 リーゼは何の抵抗も示さなかったけれど、ずっと泣いていた。

 リュカだって泣きたい。両想いだった。有り得ないような確率で、両想いだったのだ。

 リュカは少し強引に、リーゼの唇に自分の唇を重ねたけれど、歯が当たってしまい、2人してちょっとビックリした。


「……ダメだなぁ、あたし」


 リュカがベッドに転がる。

 リーゼも体勢を直すように転がった。


「実はこういうの初めてで……ゴメンね、雰囲気ぶっ壊しちゃった」


「いや、大丈夫……」リーゼが両手を自分の胸に当てた。「ドキドキしてる……」


「ねぇリーゼ。もし良かったら、リーゼの心を見せて欲しい。そして、あたしの心も見て欲しい」

「え?」


 リーゼは少し驚いたような声を出した。


「あたしが何を想っているのか、これまでどうやって生きてきたのか、これからどうしたいのか、そういうの全部、言葉にするよりずっと早いから。あたしたちの間には隠し事がなくなって、きっと他の誰よりも強く結び付くと思う」


 リュカはリーゼの全てを知って、リーゼはリュカの全部を理解する。


「……ちょっと怖いな」とリーゼが言った。


「まぁ、あたしも少し怖いけど、知って欲しいの。どうしても知って欲しいの。特にこれからのこと。それを知った上で、決定権はリーゼに委ねるから」

「決定権?」

「そう。あたしはかなり酷いことを考えてる。マリーに対しても、世界に対しても、リーゼに対しても」

「……よく分からない」

「うん。簡単に言うと、2つの道があるの。そのどちらかを、選んで欲しい」

「……なぜ自分で選ばないんだ?」

「リーゼが中心だから」

「私が?」

「そう。だから、説明するより心に触れ合った方が早い。お互いのこと、深く理解できるから。上辺だけじゃなくて、奥の奥まで。どうしても嫌なら、頑張って説明するけど……」


 リュカがそう言うと、リーゼは黙って何かを考え始めた。

 リュカはリーゼの考えがまとまるのを待った。


「2つだけ確認させてくれ」リーゼが言う。「私の心を、すでに見たか?」


「答えは『いいえ』。見てない。信じて欲しい」

「分かった。ではもう1つ。私たちは、その、キスの先まで進むことができるのか?」

「あたしはそのつもりだけど……」


 最後はリーゼ次第ということになる。2人ですることなのだから、2人の合意が必要だ。


「うん。なら、問題はない。私はリュカが好きだ。リュカも私が好き。なら、心を見せ合ってもいいと思う」

「良かった。じゃあ早速」


 リュカは自分の額をリーゼの額にコツンとぶつけた。

 そしてシックスセンスを解放する。自分の心を防御せず、リーゼが触れられるように。


       ◇


 リュカの記憶が、想いが、思考が、何もかもがリーゼロッテの中に流れ込んで来た。

 それは最初、怖かった。自分が消えてしまいそうで。

 でも、だんだんと自分の境界線が薄れていき、自分なんてどうだって良くなった。

 リーゼロッテはリュカであり、リュカはリーゼロッテで。

 けれど、それすらやがて融合し、どっちでもなくなる。

 それは甘美な体験。他人と完全に1つになった。


       ◇


「7年前、リーゼは来てくれたんだね」


 リーゼの記憶を所有したリュカが言った。


「間に合わなかったがな」


 リュカの記憶を所有したリーゼが笑った。


「それと、リーゼってエッチだね。まさかさっきまであたしを妄想してたなんて」

「……ずるい……リュカは1人でしたことないなんて……」


 リーゼは頰を染め、唇を尖らせた。


「でも、そんなにあたしを好きになってくれてありがとう」

「リュカも、私を好きになってくれてありがとう。私はリュカの願いを叶えたい」

「あたしも、リーゼの願いを叶えてあげる」


 2人の征く道が決まった。

 お互いの全てを知った時、道は1つになった。他の道はない。

 リュカが先に立ち上がり、ベッドを降りた。


「あたしの制服、用意しておいてね」

「ああ」



 返事をしながら、リーゼもベッドを降りる。


「目を閉じてリーゼ」

「分かった」


 リーゼは言われるままに目を瞑った。


「目を開いたら、あたしはリュクレーヌに戻る。けれど、それは幼い頃の純粋なリュクレーヌじゃない」

「ああ。分かっている。目を開いた時、私はただあなたを愛した少女になる」


 リュカはリーゼの前に立ち、

 そして、


「リーゼロッテ・ファルケンマイヤー。目を開けて」


 微笑み、柔らかな口調で言った。

 リーゼが目を開き、そして膝を突く。

 これは儀式。パスティア王家の伝統であり、きっとマリーも行なった儀式。


「あなたに問います」リュカが言う。「あなたはあたしのために死ねますか?」


「私の命はあなたの物。あなたの為の我が命。されど、もし許されるなら一緒に死にたいと思います」

「あなたはあたしの盾になれますか?」

「たとえ世界の全てがあなたの敵であっても、人類全てがあなたを攻撃したとしても、その銃弾は、その剣は、あなたに届くことはないでしょう」

「あたしが道を誤ったら、正してくれますか?」

「いいえ。あなたの歩む道こそが、あなたの踏み出したその先こそが常に正しき道。であるならば、私はあなたの踏むその道を平らにしましょう」

「あたしの敵を、打ち砕いてくれますか?」

「それこそが私の本望。それこそが私の生きる道。いかなる手段を用いてでも、あなたの前に立つ愚か者を滅ぼしてみせましょう」

「いいでしょう。元パスティア王国第一王女、リュクレーヌ・エステル・パスティアの名において、あなたをあたしの守護騎士にします」


 これがリーゼの願い。ずっと夢見ていたこと。リュカの守護騎士になること。リーゼはただ、それだけを願っていた。


「これはまるで夢のよう。であるならば、泡と消える前に承ります」

「そう。これは泡沫の夢。リーゼロッテ・ファルケンマイヤー、あなたは名も無き騎士。名乗ることを許されない影の騎士。なぜならあなたは魔王リーゼロッテを続けなくてはいけないから。2人の時でも、許可なくあたしを主人のように扱うことは許さない」

「あなたの影であるならば本望」

「だけど、それでも、あたしは騎士号を与える。名乗れない騎士号を」

「残酷ではありません。私はその名を胸に秘め、それだけで幸福」

「なら、《緋影の騎士》をその心に刻んで」

「消えない大切な傷のように刻み付けます」


 これで、儀式は終わりだ。

 リュカは小さく息を吐き、


「最初の命令だよリーゼ。。その地位も、その権力も、そのお金も、何もかも、着ている物も、髪の毛の一本までも全て」


 リュカの歩む道。心を共有して理解した解答。2人の望みを叶えることのできる道。

 それは、支配者としての道。

 リーゼロッテ・ファルケンマイヤーに成り代わる道。

 友人として、ともに歩む道は潰えた。


「喜んで差し出します」

「次に、便宜上の立場を用意して。宣戦布告はあたしがする」

「すぐに手配しましょう」

「さぁリーゼ、あたしたちの世界征服を始めよう」

「はい、リュクレーヌ様。最終目標は、みんなが幸せに暮らせる澄んだ世界ですね」

「そう。まずは生意気な妹の国から潰す。2度と立ち上がれないように、徹底的に」


 そしてマリーとクロードを確保して、隔離する。神聖ラール帝国のどこか、静かな場所に。これが、残された最後の手段。


「マルティーヌの意思を無視し、その望みを断ち切って永遠に憎まれるとしても、ですか?」

「それは口答え? それとも質問?」

「質問です。私があなたに口答えすることなどあり得ません」

「なら、答えはその通り。あたしは間違っているかもしれないけど、マルティーヌを生かす」

「分かりました。では早速」


 リーゼが立ち上がる。


「待って。その前に1回リュカに戻るね?」

「え?」

「はい戻った」

「はやっ!」


 リーゼが突っ込みを入れる。

 リュカは小さく笑う。大丈夫、リーゼはちゃんと分かっている。オンとオフを、守護騎士と魔王を切り替えることができている。


「じゃあさっきの続きというか、キスの先までしよ?」


 リュカが視線をベッドに移す。


「……待て。その前にシャワーをだな……」リーゼは耳まで真っ赤にして言った。「というか、普段の私たちの関係は、どんな風なんだ?」


「恋人じゃダメなの? まぁ、立場的に秘密の恋人かな? 他人には言わない方がいいでしょ? いい?」

「いいに決まってる! 嬉しすぎて胸が張り裂けるぞ!」

「あたしもだよリーゼ。大好き」


 言いながら、リュカは軽くキスをした。

 今度は割と上手にできた。

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