第11話 亡霊たちの宴/Mind-Fucker


『あたくしたちは反政府軍でもテロリストでもありません。あたくしたちはパスティア王国正規軍です』


 ハロルドは食堂のテレビでその放送を見ていた。

 ハロルドだけでなく、そこには多くの国際連合軍の人間が集まっていた。

 パスティア共和国内、国際連合軍駐留基地。そこでは誰もが緊張した面持ちでその放送を凝視している。


「これ……洗濯係じゃ……」

 アメリアが少し震える声で言った。

 分かっている。ハロルドだって見た瞬間に理解した。マルティーヌ・モニカ・パスティアを名乗る、この美しくて鋭い棘のような少女は、アリアンロッドで洗濯係をやっていたマリー・ベルナールだ。


『パスティア王国民のみなさん、あたくしの父は独裁者でしたか? 圧政を敷いていましたか? あたくしたちパスティア王族は、殺されなければいけないほど、酷い政治をしていましたか?』


 マリーは訴えかけるように喋った。

 もし、マリーが本物のマルティーヌだとするなら、その姉であるリュカ・ベルナールは――。


「亡国の……お姫様だってのか……」


 フライパンで殴りかかるような少女が?

 マスカレードを盗み出すような少女が?

 クソ野郎の顔面に蹴りをいれるような少女が?


『パスティアが共和国になって7年。みなさんの生活は良くなりましたか? あたくしは知っています。パスティア王国民が虐げられている現実を知っています。なぜなら、あたくしもまた、ドブネズミと呼ばれていたからです』


 ハロルドはギュッと拳を握った。


「パスティア王国の亡霊め……。内戦でも起こそうってのかよ……」


 マリーは理解しているのか?

 どれだけの犠牲が出るか、理解した上でやっているのか?


『ドブネズミなんて言葉は、王国だった頃にはありませんでした。あたくしは今日、政権を簒奪したパスティア共和国政府に鉄槌を下します! そしてパスティア王国を取り戻し!』マリーの口調が強くなる。『あの頃の! 平和で穏やかだったパスティア王国を再建することを約束します!』


「嘘……この子……」アメリアが両手で口を押さえた。「宣戦布告した……」


 戦争が始まる。血みどろの内戦が。


『パスティア王国民のみなさん! 立ち上がってください! あたくしとともに、あの頃のパスティアを取り戻しましょう! 資本主義の豚どもを、パスティアを喰い物にしている外国人どもを追い出して!』

「焚き付けやがった……」


 マリーは一般人を巻き込むつもりだ。

 パスティア共和国政府に対する不満はいつ爆発してもおかしくなかった。マリーはそれを知っていて、自ら起爆剤となったのだ。

 各地で暴動が起きるぞっ!


「何が正規軍だ……テロリストと何が違うってんだよ……」


 武力で無理やり要求を通す。一般人の犠牲も知ったことじゃない。そんなやり方が認められるはずがない。

 パスティア共和国は確かに腐っている。しかし、だからと言って、マリーのやっていることが許されていいはずがない。

 ハロルドは資本主義が好きではない。けれど、民主主義は間違っていないと信じている。少なくとも、独裁体制よりはずっといい。

 パスティア共和国だって本当は国民の力で平和的に変えていくべきなのだ。


「国際連合駐留軍にコードレッドの可能性」基地内放送で女が言った。「各員は戦闘配備。繰り返します。コードレッドの可能性あり。各員は戦闘配備」


 コードレッド――戦争支援目的の武力介入。つまり、パスティア共和国とパスティア王国の内戦を共和国側で支援するということ。

 パスティア共和国から要請があれば、即座にコードレッドが発令されるだろう。


       ◇


「なんだこの放送はっ!」


 リーゼロッテは戦神戦艦オーディンのブリッジで頭を掻き毟った。

 メインディスプレイには着飾ったマリー・ベルナールの演説が映っている。

 こんなことをしたら、もう2度とマリーはマリーに戻れない。もう終わりだ。リュカは間に合わなかった。内戦が始まる。それも、大規模で本格的な内戦が。

 マリーを得てからの反政府軍の行動が早すぎる。最初から全部準備していたかのようだ。

 リーゼロッテはスマートデバイスでリュカに連絡した。


「リーゼ……マリーが……」


 リュカはすぐコールに応じたが、声が震えている。


「リュカ、迎えに行くからすぐ帰還しろ。巻き込まれるぞ」

「もう遅いよリーゼ。マリーはあたしみたいにのんびりしてない」

「どういう意味だ?」

「これ、録画だよ。マリーはもう動いている。首都の空を見て」


 リュカの言葉で、リーゼロッテはオペレータに指示を出す。

 ディスプレイにパスティア共和国首都の空が望遠で表示される。

 そこには、無数のマスカレード。パスティア共和国軍と王国軍はすでに戦闘を開始している。


「リュカ! そこは安全なのか!?」

「分かんないよ、そんなの……」

「すぐ迎えに行くから! クリスタに代われ!」


 もう2度と、2度と失うなんてゴメンだ。2回も間に合わないなんて冗談にもならない。次はない。次にまたリュカを失ったら、リーゼロッテは立ち直れない。


「待ってね」


 少しだけ間があって、「はい」とクリスタが電話口に出る。


「クリスタ! お前の任務は!?」

「メイドを護ることです」

「よし、ならば傷1つ負わせるな! もしリュカに怪我の1つでもあったら、お前には気が狂うほどの拷問を課してやる! 分かったか!?」

「は、はい!」


 クリスタの声は怯えている風に聞こえるが、その奥に歓びが混じっていることをリーゼロッテは知っている。

 別にリーゼロッテだって、本気でクリスタを拷問しようなんて思っていない。ただ、クリスタはきつい言葉をかけてやった方が喜ぶし、能力以上の働きをする。

 クリスタは優秀な親衛隊員だ。最初の頃は、リーゼロッテもよく褒めたり優しい言葉をかけていた。でも、クリスタはいつも不満そうで、いつしかわざと些細なミスをするようになった。

 リーゼロッテがそれを咎め、叱れば、クリスタはとっても満足そうに瞳を潤ませた。

 それ以来、リーゼロッテは頑張って優秀なクリスタのアラを探しては厳しい言葉をかけるように心掛けた。


「よし。私が行くまでしっかりリュカを守れ。以上だ」

「はい。ありがとうございます!」


 電話を切る。

 やれやれ、とリーゼロッテは思った。

 厳しい言葉を与えて礼を言われるのは妙な気分だ。しかしそれで能力以上の仕事をしてくれるなら安いものだ。


「艦長、リュカのスマートデバイスを追跡し、真上までオーディンを移動させろ」

「は? しかし、それでは戦闘に巻き込……」

「2度同じことを言わせるのか?」

「いえ! 直ちにオーディンを移動させます!」


 艦長は本当に怯えている。普通はこういう反応だ。リーゼロッテは魔王リーゼロッテなのだから。クリスタが変わっているのだ。


「それから、マスカレード隊に出撃準備をさせておけ。ファントムとクリスタのビーネⅡを持って降りる」


 連絡艇で迎えに行くよりも、マスカレードで行った方が安全だ。


       ◇


 リュカとクリスタは安ホテルの一室に待機していた。

 テレビではマリーが演説を続けている。


「ねぇリュカ、これ、あんたの妹よね? どういうことなの?」


 クリスタがテレビを指差した。


「パスティア王国の亡霊。あたしはマリーを止めたくてパスティアに来たの。でも見つけられなくて、こうなっちゃった……」


 リュカは力なく笑った。

 どうして笑ったのか自分でもよく分からない。


「そうじゃなくて、本物なの? その、本物の、マルティーヌ・モニカ・パスティアなの?」

「うん。そうだよ」

「じゃあ……リュカは……」

「パスティア王国第一王女、だよ。昔の話だけどさ」

「ど、どうしようわたし、本物のお姫様に無礼な態度を……」


 クリスタが慌てた様子で言った。

 そんなこと気にしなくていいのに、と思ったけど言わない。クリスタの心に触れたリュカは、クリスタの望みを知っている。

 それに昨夜、クリスタはその心を話してくれた。

 クリスタは支配されたい側の人間だ。優しい言葉よりも厳しい言葉の方を欲している。


「とりあえず、リーゼが来るまであたしを守ってくれたなら、無礼はチャラにしてあげる」


 でもあんまり酷いことを言うのはリュカのガラではない。

 これでも頑張って上から目線で言ったつもりである。


「はい。全身全霊お守りします」


 クリスタは満足はしていないが、不満でもなさそうだった。


『首都にいるパスティア王国民のみなさんは空を見上げてください』テレビの中のマリーが言う。『そこには希望があります』


「希望?」


 リュカは窓の側に移動して、外を見た。

 暴動が起こっている。7年間溜め続けた不満が一気に爆発した、という風な大きな暴動。そこに希望なんてない。

 次に空を見ると、マスカレードたちの戦闘が見えた。いつ流れ弾がこのホテルに当たるかも分からない。正直、そうなったらもう不運としか言いようがない。


『空を見ることのできない人たちはそのまま映像を見てください。ここからはライブの映像に切り替えます』


 リュカはテレビの前に戻った。

 それと同時に、画面の中にマスカレードが1機だけ映された。

 白銀の美しい機体。中型の滑らかなシルエット。パスティア王家の紋章が肩に描かれている。

 その機体を、リュカは知っている。


「嘘でしょマリー……。そんなものまで……そんなものまで持ち出すの? ……それはお父様の機体じゃない!」


「この機体、なんか見たことある気がするわ」とクリスタが言った。


 それはそうだろう。誰だって、どこかで映像や写真を見たことがあるはずだ。


『あたくしは父以上のシックスセンスを持っています。それ故に、あたくしはパスティア王国の守護機神の力を最大限引き出すことができます』


 その機体こそ。

 マリーが搭乗していると考えられるその機体こそが。


『あたくしと、このがある限り! 我々に敗北はありません! パスティア共和国軍のみなさん! そちらは逆賊です! あなたたちにまだパスティア王国民の矜持があるのなら、あたくしに合流なさい!』


 7年前に伝説を築いた究極にして最強の機体。

 王族がシックスセンス持ちだったからこそ研究が進んだ感覚回路とモードメサイア。

 7年前に生まれた次世代機。

 圧倒的にして絶対的な攻撃力を有した機体。

 伝説の機体エスポワール。


「マルティーヌ様……素敵」


 クリスタが濡れた声で言って、リュカは酷く腹が立った。

 素敵なものか。何が素敵なものか。

 マリーは自ら進んで亡霊となって、自ら進んで戦争を始めた。

 何も素敵なことなどない。もう終わった。マリーはもう終わってしまったのだ。もう幸せな未来なんて存在しない。国のために闘って、闘い続けて、最後にはクソのように殺されるのだ。

 パンッ、と乾いた音が室内に響いた時に、リュカはやっと自分がクリスタに平手打ちしたことを理解した。

 クリスタは悪くない。ただ支配的なお姫様が好きなだけ。今のマリーはクリスタの好みにピタリとハマる。そんなこと、分かっているのに。


「ご、ごめん……」


 これはあたしの弱さだ。

 弱くてどうしようもないから、あたしはずっと気の強い振りをして、すぐに手を出して、そうやって弱さを悟られないように必死だった。この7年、ずっとそうして生きてきた。


「いえ……わたしこそ、リュカがいるのに……」


 クリスタは叩かれた頰を押さえながら、平手打ちの意味を勘違いした。

 違う、違うよクリスタ。あたしが弱いから、手が出てしまっただけなの!

 でもそれを言ってもあまり意味はないし、拗れるだけだ。

 だから、クリスタに合わせる。


「そうよクリスタ。あなたはリーゼの親衛隊で、今はあたしの護衛なんだから、よそ見しないで」

「はい。以後気をつけます」


 クリスタはとっても満足そうな瞳で言った。

 その時、その瞬間、リュカはとっても恐ろしいことを考えてしまった。

 その考えはとっても破滅的。身を削るような覚悟と、血反吐の中を這いずる決意が必要だ。

 しかしそれはマリーを救う足掛かりになるかもしれない。

 あたしの、

 あたしのシックスセンスは、

 間違った使い方をすれば、

 他人の心を操ることができるのでは?

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