第5話 天翔ける獣/Nightmare


 国際連合の盟主、ロードシール共和国。

 その空軍基地に、空中戦艦アリアンロッドは着陸した。

 ハロルド・ブラウンはアメリアとシミュレータでの訓練を行おうと思っていたのだが、基地内にあるマスカレード研究開発棟に呼び出された。


「やぁ、ハロルド君。待たせてしまったかな?」


 ロビーのソファに座っていたハロルドに、白髪の男が声を掛けた。

 男の白髪は女のように長く、手入れをしていないのか所々跳ねている。

 男はメガネをかけていて、痩せ型。白衣を着ていて、見ただけで研究者と分かる出で立ちだった。年齢は確か35歳だったか。見た感じ、もう少し若く見える。


「いや。来たとこだよ、ディラン博士」


 ハロルドは小さく肩を竦めてから立ち上がる。

 ディランはファントムの産みの親で、ファントムを受領する時にハロルドも会っている。


「そうかい。じゃあ早速だけど付いてきておくれ」


 ディランが踵を返したので、ハロルドは隣に並んで歩いた。


「相変わらず、カッコいい髪型だね」


 ハロルドの赤毛はワックスで毛束を作っている。オシャレに見えるから気に入っている。でも、見せたい相手はもういない。

 それでも、彼女が知っている自分を変えたくなかった。


「ディラン博士は切った方がいいんじゃないか?」


 そんなどうでもいい世間話をしながら、エレベータに乗って地下へと降りる。

 エレベータが停止して外に出ると、白衣を着た連中が赤色のマスカレードをいじっていた。


「新型?」

「いや。残念ながら新しいのを作る予算は降りてないんだよね」


 ディランはやれやれと首を振った。


「それで? 俺にこいつを見せた理由は?」


 ハロルドは早速本題に入った。なるべく早く戻って訓練したいのだ。いつか、魔王を倒すために。彼女の、セリア・クロスの意思を継ぐために。


「ああ。こいつはファントムの姉妹機なんだよ」

「ファントムの!?」

「そ。元から量子ブレイン搭載型は2機作ってたんだよね。ただ、こいつはなかなか調整ができなくて、未だにこの部屋から出したことはないんだよ」

「未完成の機体、ってことか」


 赤いマスカレードを見上げる。確かにシルエットがファントムに似ている。


「それがねぇ」ニヤニヤとディランが笑う。「完成の目処が立ったんだよねぇ」


「へぇ。良かったな。誰が乗るんだ?」

「……ハロルド君さぁ、なんで自分が呼ばれたと思ってるんだよぉ」

「……まさか、俺?」


 ハロルドが自分を指差すと、ディランが力強く頷いた。


「セリアちゃんがさ、もう1機は絶対に君に渡せってうるさく言ってたからさぁ。もちろん他にも候補はいたけど、《紫電のセリア》の意見を無視はできないでしょう?」

「セリア隊長が……?」

「そうだよ。むしろ君じゃなきゃダメだって。ファントムにしてもこいつにしても、使い方を誤ったら悪魔の機体になってしまう。でも、セリアちゃん言ってたよ。君は間違わないって。君は真っ直ぐな男だってね」

「……セリア隊長……」


 ハロルドは拳を握る。

 それほどまでに、それほどまでにあの人は、俺を買ってくれていたのか。


「まぁ、こいつにはそれだけの能力があるんだよ。僕はエスポワールにだって負けないと思ってる」

「伝説の機体……エスポワール」


 マスカレード乗りでその名を知らない者はいない。7年前、国際連合はパスティア王国の王政打倒と独立支援のために大軍を派遣した。しかしエスポワール1機のために部隊の半数を失った。

 エスポワールは感覚回路とモードメサイアの恐ろしさを世界に知らしめた。


「とはいえ、エスポワールはもう存在してないし、僕としてはこいつで《ヴォルクのひつぎ》あたりを撃墜してくれるとすっごぉぉく嬉しいね。それだけの実績があれば新型を作る予算も降りるだろうし」

「世界最強の傭兵団、か」


 こちらもまた、マスカレード乗りで知らない者はいない。エスポワールなき今、生きる伝説となっている連中だ。


「そう。20年以上も前の、2人乗りの機体をチューンして使ってるたった1機の傭兵団。たった2人の傭兵団。でも、それを周囲が認めざるを得ないような実力と実績があるね」

「俺は別にヴォルクとやり合いたいとは思わないけどな」


 敵として現れたなら、もちろん撃墜する。でも、目的はあくまで魔王リーゼロッテだ。


「だと思った」ディランが溜息を吐く。「さて。本題に戻ろう。こいつの引き渡しは早くて明日か明後日になる。ちなみに、こいつの名前はエターナル。永遠不滅のエターナル」


「ありがとうディラン博士。俺をエターナルのパイロットに選んでくれて」

「いいよいいよ。上層部だって納得してるんだから問題ない。ただねぇ、僕は1つだけ、君にお願いしたいんだよ」


 ディランが急に真剣な表情を見せた。


「お願い?」

「そう。僕のファントムで僕たちのセリアちゃんを殺したクソッタレの調理師を見つけたら、エターナルで殺してくれないかな? そいつがもしファントムで出て来たらファントムごと」


 セリアはみんなに好かれていた。美人で優しくて、真っ直ぐだったから。

 だから、みんながあの調理師を憎んでいる。痩せっぽちのドブネズミ。だけど、セリアは差別を許さなかったし、ドブネズミだった調理師にも笑顔で話しかけていた。

 ハロルドだって調理師とは仲良くしていた。ドブネズミなんて言葉自体、存在してはいけないものだ。こんなことになった今でも、そう思っている。


「ファントムはさ、味方の識別コードを無視してライトニングを墜とした。欠陥品だよ。あるいは、調理師の敵意がプログラムをオーバーライドしたのかもしれないけれど」


 感覚回路はパイロットの感情と繋がり、量子ブレインによるアタックアシストはパイロットの脳波に介入する。ならば、そういうことも有り得るのかもしれないとハロルドは思った。


「敵として出てきたら倒す。けど、俺は復讐はやらない。誰に頼まれても。復讐はセリア隊長を否定する行為だ」


 俺は真っ直ぐ、あなたの意思を継ぎ、世界を守ります。

 この世界にはまだ理不尽なこともあるけれど、だからと言って、誰かが武力で無理やり変えていいわけがない。


       ◇


 戦神戦艦オーディンはポトン攻略部隊と合流し、ポトンの重要軍事基地の攻略作戦を開始する60秒前だった。

 リーゼロッテは戦神戦艦オーディンのブリッジに上がっていた。

 傍らにはメイド姿のリュカと親衛隊のクリスタもいる。

 クリスタはともかく、リュカをブリッジに上げることには少し抵抗もあった。しかしリュカに「ブリッジ見たい」と上目遣いでお願いされたので、リーゼロッテは断れなかった。

 そのお願いをされた時、リュカが可愛すぎて脳が焼けるかとリーゼロッテは思った。


「ふぅん。これがオーディンのブリッジなんだ」


 そう言ったのは、リュカではない。リュカの声に少し似ているがもっと幼い。


「なに?」

「え?」

「いつの間に!?」


 リーゼロッテ、リュカ、クリスタがそれぞれ振り返って声の主を確認した。

 安っぽい服を来た少女。鮮やかなブロンドのツインテールで、とっても綺麗な顔立ちをしている。

 少女の名はマリー・ベルナール。リュカの妹だが、リーゼロッテはマリーのことを直接知らない。10年前に会ったのはリュカだけだ。


「マリー!? ダメじゃない、勝手にブリッジに来たらさ!」


 リュカがマリーに寄って行く。


「うん。でもマリーはここで死にたくないから。艦を右に水平移動させないとみんな死ぬよ?」

「えっと?」


 リュカが間抜けな声を出したが、リーゼロッテは胸騒ぎがして叫ぶ。


「左舷スラスタ全開! 艦を移動させろ!」


 リーゼロッテの声を聞いたオペレータが艦をスライドさせる。

 そうすると、さっきまで戦神戦艦オーディンが滞空していた場所を、斜め下から直線的なエネルギーが走り抜ける。

 そのエネルギーが戦神戦艦オーディンを掠め、艦が揺れた。


「エネルギー兵器か! 損傷は!?」

「軽微です!」


 リーゼロッテの発言にオペレータが答える。


「斜め前方にバリアフィールド」とマリーが淡々と言った。


「言われた通りにしろ!」


 オーディンがバリアフィールドを展開すると同時に、直線的なエネルギーがバリアフィールドに衝突する。


「バリアフィールド出力60%まで低下!」


 オペレータが言った。

 一気に40%も削られたとなると、かなりの高出力。

 いや、だがそんなことよりも、

 明らかにオーバーセンスだっ!

 マリー・ベルナールのシックスセンスはリーゼロッテを超えている。

 シックスセンスは現在、レベル1からレベル3までしか確認されていない。

 そして、リーゼロッテを最高位のレベル3と位置付けてのカテゴリ分けなのだ。よって、リーゼロッテを超える者はオーバーセンスと呼ばれるが、実際にそのセンスを目の当たりにしたのは初めてのことだった。

 いや、あるいはセブンセンス!?

 研究者たちの間で囁かれる、根も葉もない噂。シックスセンスを超えたセンス。究極の客観性を得られるとか、意識が拡大するとか、色々と言われている。


「攻撃解析終了!」オペレータが言う。「98%の確率でフェイルノートによる超長距離射撃です!」


「絶対必中の弓、フェイルノート……《ヴォルクの柩》かっ!」


 20年以上前の機体に感覚回路とモードメサイアを搭載した機体ヴォルク。たった2人だけの、たった1機だけの傭兵団。


「出るぞクリスタ」

「はい!」


 リーゼロッテとクリスタが踵を返す。


「艦長、その少女たちから意見具申があれば採用しろ。センスは私と同等だ」


 マリーがオーバーセンスだということは、とりあえず伏せておいた。現場を混乱させるわけにはいかない。


「リーゼ! ……ロッテ様! どうかご無事で! クリスタも!」


 リュカが必死な様子で言った。


「ああ。私は死なん。私は魔王リーゼロッテ。野良犬ごとき、ヴァイスリーリエで屠ってみせよう」


 リーゼロッテは純白のマントを翻す。


       ◇


「イズ。なんで外したのかしら?」


 長い黒髪の女、オリハがヴォルクのサブシートで言った。

 オリハは20歳で、気怠そうな表情と声音だった。けれど、その美貌は見る者全てを魅了するほどのもの。百合姫リーゼロッテでさえ、オリハの美しさの前では霞んでしまう。


「僕が外した? まさか。向こうが避けたんだよオリハ」


 同じく黒髪の少年、イズがメインシートで肩を竦めた。

 イズはオリハより年下で19歳。女みたいな顔立ちで、髪の毛も男にしては長い方だ。


「下手くそなら変わってあげましょうか?」

「嫌だね。せっかくオーディンがいるのに」


 イズとオリハはどちらがメインでどちらがサブでも完璧に機能する。

 ARインターフェイスを通して、ポトン共和国軍と神聖ラール帝国軍が戦闘を始めたのを確認。

 ヴォルクは現在、森林地帯の地面に立って、空を見上げている状態だ。

 イズは木々の隙間、小さな視界だけで戦神戦艦オーディンを狙い撃った。


「ポトンは陥落するわね」

「うん。僕らは貰ったお金の分だけやって、撤退する?」

「それ本気?」

「ははっ。まさか。圧倒的な不利を引っ繰り返すから面白いっ!」

「そうよね。イズのそういうところ大好きよ」

「結婚する?」

「もうしてるようなものでしょ?」

「それもそうか」


 2人はいつも一緒にいる。ヴォルクの中でも、外でも。


「さぁイズ、いつものやりましょう」

「いいともオリハ。弾薬は?」

「腐るほど」

「エネルギーは?」

「溢れるほど」

「いいね。征こう」

「ええ。征きましょう。いつものように」


 イズはヴォルクをゆっくりと上昇させる。そしてヴォルクの両手を広げ、オープンチャンネルを開いた。

 みんなに、戦場にいる全ての者にヴォルクの声が聞こえるように。


「僕らは《ヴォルクの柩》。たった1機の傭兵団」

「私たちは《ヴォルクの柩》。たった2人の傭兵団」

「されど僕らは天翔ける獣」

「私たちは鉄の肉を引き裂いて」

「オイルの返り血を浴びながら」

「あらゆる敵を喰い尽くす獣」

「さぁ、僕らに出会った不幸を嘆け」

「さぁ、私たちに出会った絶望を抱いて死ね」


 ヴォルクの側を幾多の弾丸が通り過ぎる。

 けれど一発も当たらない。特別なシールドがあるわけじゃない。ただ、シックスセンスのままに、ヴォルクの位置を微調整しながら上昇しているに過ぎない。


「死にものぐるいで僕らを撃て」

「そうすれば、僅かな希望もないと知る」


「「我らは《ヴォルクの柩》! 天翔ける獣! お前たちの悪夢だ!!」」


 イズがオープンチャンネルを閉じる。

 同時にオリハがコントロールパネルを操作。ARインターフェイス上で幾つものロックオンシーカーが浮かぶ。多目標同時攻撃。


「マイクロミサイル! 素敵な軌道で飛んでいけ!」


 オリハが濡れた声で言うと同時にヴォルクの肩に装備されたランチャーからマイクロミサイルが発射される。


「ランチャーパージ! イズ! ヴォルク専用アサルトライフルには成形炸薬弾! 60発! 私に綺麗な花火を見せて!」


 成形炸薬弾というのは、簡単に言うと当たれば化学反応で爆発する弾丸のこと。


「濡れてるだろオリハ!」

「自分だってビンビンのくせにっ!」


 敵の戦力はポトン側の約2倍。絶対的に不利な状況。むしろ神聖ラール帝国を相手によく今まで耐えたものだ。

 それも、全てはこの2人、


「楽しいなオリハ! 心底楽しいな! 戦闘は本当に心が躍る!」

「楽しいわイズ! イっちゃいそうなぐらい楽しいわ!」


 究極の戦闘狂である《ヴォルクの柩》がいたからだ。

 理想もなければ思想もなく、ただただ戦場を駆け巡る獣。

 幾多の激戦を潜り抜け、数多の強者を屠ってきた。

 それ故に、そうであるが故に、

 世界は《ヴォルクの柩》。

 ヴォルクと、それ以外の者たちの柩。

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