Loop

屋根裏

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 囚われの身である僕に、一切の自由は与えられない。


 例えば罪を犯して拘束された犯罪者。例えば人質として監禁された小さな子ども。

 僕が今置かれている状況はそれに限りなく近い。相違点を挙げるとするなら、それが必ずしも悪い状況であると断言できないことくらいだろうか。

 僕の檻は、僕を地獄に突き落としはしない。どこまで考え続けようと、どこにたどり着くでもない。ただずっと、平行線のままだ。


 罪を犯した者は、物理的に拘束されることはもちろん、その罪をいくら悔い改めて刑務所を出たとしても、記録として、あるいは記憶として刻まれた烙印が消えることは決してない。たった一度の過ちは仄暗いトンネルとなり、その先の自分を在るべき場所へと導く。そして、辿り着いた先にあるのは絶望か失望か。少なくとも明るい未来は待ち受けていてはくれないだろう。死へと導かれたものは、むしろ幸運なのではないだろうか。帰る場所がないことは、状況に応じて救いとなりうる。反対に、帰る場所に帰ることができないほうが、心に重く響くように思える。映画や小説の世界で、死んで償うことが良しとされないのも、こういう理由からではないだろうか。温かい人々に囲まれれば囲まれるほどに、内に秘めた後悔に似た黒い感情は次第に肥大していく。残りの人生を、常に過去が付き纏う鬱陶しく居心地の悪い場所で過ごすことになるくらいなら、一時の感情の昂りに身を任せようとは思わない。本当に来たるべき時にはそんな悠長なことも言っていられないのかもしれないが。


 一度果てしない恐怖を目の前にした人間の心には、深く抉られたような傷が残り続けるのだろう。子供の頃に負った傷であるなら尚更だ。自分ではない誰かが心の中に棲みつき、先の長い未来に大小様々の黒い影を落とす。長い目で見れば始まって間もない人生の、終わりまでの殆どを他人によって制限され、決められることへの怒りや不快感は計り知れない。陥れた人間が、全く無関係の他人の場合もあれば血の繋がった家族の場合もあり、一概には言い切れないだろうが、どの場合であれ、許すことはできないだろう。自分を陥れた人間も、陥れられた自分の運命も、目に映る全ても。幸せそうにしている人間を見た時、度重なる悲しみに打ちひしがれる時、後悔とはまた違う黒い感情が湧き出てくることは、もう自分にも制御できはしないだろう。自分の意思とは関係のない場所で働いた力によるものだとすれば、自分の運命を呪う以外に、呪う対象を定めることは難しいのではないだろうか。そういった状況自体、避けようがないのかもしれないが。


 大抵の人がそうであるように、僕はどちらの状況も経験していないし、するつもりもない。その上で想像で語っているのだから、非難を受けるかもしれないし、多くの恨みを買うことになるかもしれない。それでも僕は、僕に囚われていることを否定するつもりはない。非難や恨みに反論の余地がないのと同じように、この感情もまた、僕だけのものだ。異論は認めない。


 簡単に言えば、僕に囚われているというのは、僕自身が僕の行動や思考を制限しているということだ。


 普段は無意識にこなしてしまうような出来事に対して、こうしたらこういう結果がやってくるかもしれない、とふと思う。これによって、一度気になったことを確かめずにいられない質の僕は、どんなに悩んでも、最終的にはその時思いついた選択肢を選ぶことになる。

 例えば、信号待ち。いつもであれば青になったと同時に渡ってしまうところが、ふと、この青信号を見逃して次の青信号で渡れば、好きな女の子と鉢合わせるかもしれない。そう考え始めると、時間の無駄とわかっていてもその可能性を試してみたくなる。

 複雑で煩雑な思考回路をしているくせに考える内容は単純で幼稚なのかもしれない。

 

 これが、僕自身の、行動に関する制限。次に、思考の制限。


 僕には、『本当』がわからない。

 本当に喜ぶこと、本当に怒ること、本当に笑うこと。目の前に写っている景色さえも、本当に存在するものなのか疑いながら生きている。

 過去に、感情を押し殺して生きなければいけないような経験をしたわけでもない僕が、どうしてこのような状態にあるのかは、ぼくにもわからない。わからないけれど、自分の感情の全ては嘘なのではないかと疑ってしまう。周囲の顔色を伺った、偽りの仮面。

 目の前に映る景色には、僕の目の前にはこういう景色が映し出されているけれど、他の人の目の前には、また違う景色が写っているのではないか、そもそも、目の前にいるはずのこの人は、存在すらしていないのではないかという疑いが伴っている。

 僕の中の思考にも、僕の外の景色にも、全人類共通の模範解答などというものははないのだから、仕方のないことなのかもしれない。わからないことに対しては、疑いの目を持って接する他にない。

 それでも、好きな女の子の存在は疑いたくないというのだから、わがままな生き物だと思う。


 こんな僕だから、度々登場する好きな女の子、というのが歴史上の人物だとか、神話に登場する女神様だとか思われてしまうかもしれないが、そんなことはなく、ただのクラスメイトの女の子だ。それも、クラスの中でも人気のある子だから、恋愛感情に関しては一般的過ぎるくらいに一般的のようだ。

 初めて彼女と会話を交わした際、両親や他のクラスメイトがひねくれていると揶揄する僕のこの性格を、彼女は面白いと言って笑ってくれた。好きになった理由は、ただそれだけだった。彼女が面白いと言ってくれた回りくどい思考回路は、一体どこへいってしまったのだろうかと言いたくなるような安直さで、僕は彼女に惹かれていったのだ。

 その後も彼女と会話を交わすたび、笑顔を目にするたびに彼女に魅せられていくのが、自分にもよくわかった。

 この想いは、偽りだろうか。本当だろうか。制限された行動の先に、答えがあるのだろうか。 



 この物語は、ここから二つの終末へ分岐します。



 ending A


 今まで経験したことがない感情なだけに、疑おうにも疑い方がわからなかった。だから僕は、この感情に素直に従うことにした。僕は、彼女のことが好きだ。疑いようもなく。自分の中で課した無駄とも思える制限を乗り越えてでも、彼女と会える可能性のためなら、時間など惜しくはなかった。

 だから今日も、青信号を一つ逃してみる。流れていく自動車の川、排気ガスと人の匂い。とめどなく響く喧騒に紛れて、彼女は姿を現した。一本向こう側の路地から、こちらに向けて方向転換して。途端、彼女の右手に握られた少し大きな手が目に入る。繋がれた手は、指を絡ませてゆらゆらと楽しげに揺られている。目線を上に上げると、見慣れない顔の男の人。端正な顔立ちの、すらっとした男性。

 ほら、と思った。やはり現実は、むやみに信じるものではない。少なくとも僕は、この現実を受け入れない。受け入れたくない。信じたいけど、信じたくない。

 彼女に向けた感情の真偽は、ぐるぐると僕を取り囲む。

 

 囚われの身である僕に、一切の自由は与えられない。



 ending B


 わからなかった。本当に好きなのか、自分がどうしたいのか。わからないから、距離を置いた。この想いと。

 距離を置くと、見えてきたものがあった。彼女の綻び、景色の矛盾。彼女の笑顔は時折歪むし、見える風景には時間のズレみたいなものが垣間見える。信じたかった彼女の言葉も笑顔も、目に映る景色も全てが僕の創った幻想で。今まで歩いてきた道も全部が崩れ落ちていく。疑いが確証に変わった瞬間、自分が間違っていなかったことに対する安心と、理由のわからない悲しみとが押し寄せた。


 目の前に映るものが、偽物だったとして、僕も偽物のなのか。僕が本物だから、僕以外が偽物と定義できるようになるのか。

 また、本当を見失う。近づいたはずの本当は、また見えないところまで遠ざかってしまった。


 囚われの身である僕に、一切の自由は与えられない。

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