第14話 表があれば裏もある
キルギスホーン地下迷宮第二層。
あの恐るべき道化師と遭遇した隠し部屋を、ルビィはまたも訪れることとなった。他のパーティメンバーも同行しており、無論、新参者のアネルも一緒である。
『門』の内部に設置された演台は変わらず室内に鎮座していたが、今は光源不明の淡い光に包まれている。その明かりが台上の石版を照らし、古代語による碑文を暗闇の中に浮かび上がらせていた。
奇妙なのはその石版に何かが突き立っていることだ。遠めに見てもそれが封書であるとわかるのだが、いかような手段を用いたのか、紙の封書が硬いはずの石版の表面に突き刺さっているのだ。
歴戦の猛者達と言えども、この光景は予想外であった。状況に応じては一戦交える準備を整えてきた一行は、完全に拍子抜けしていた。
道化師を退けることが出来たとはいえ、相手はダンジョンの番人である。迷宮の防御機能によって再生、もしくは別の守護者が現れることも想定されるため、グエンのパーティは、ほぼフル装備といった状態でこの場に臨んでいたのだ。もちろん長期探索ではなく、あくまで一戦勝負に臨むための体制である。
スローンの介入があったと知った一行の行動は素早かった。なにしろ、あの宴席からまだ半日も過ぎていないのだ。それだけでも彼女らがどれだけ彼を警戒しているか窺い知れよう。
そのおかげでルビィとアネルはしきりと腹を摩っている始末だ。どうやら昨夜、酷使し過ぎた腹筋がまだ本調子ではないらしい。
そんな一部の体調を除き、万全の状態でやってきたグエンのパーティを迎えたのは、静寂と闇、そしてその奇妙な封書だけであった。
「あ、おい!レーベ!何をする!」
グエンの制止も聞かず、レーベが演台から造作も無く封書をむしり取る。常時であれば慎重な上にも慎重を期す魔術師の、このあまりにも突飛な行動に一同は肝を冷やした。だが特に罠なども作動することはなく、室内は静けさを保っている。
全員が胸を撫で下ろす中、ただひとりレーベだけが不機嫌そのものといった表情を浮かべていた。彼女は不快感を露にして乱暴に封を切り、中の手紙に目を走らせた。
「大丈夫よ。こんなに気障で芝居がかった真似をする奴なんて、あの男以外に考えられないわ」
レーベの予測通り、封書の裏面にあの男――スローンの署名があった。文を読み進めるうち、魔術師の端整な顔にますます暗雲が立ち込め、眉間には深い渓谷が刻まれていった。相当に立腹しているらしい。
一通り手紙を読み終えたレーベは何故かアネルに手招きをし、自分の元へと呼び寄せた。不安げな表情を浮かべた人形使いが彼女へと走り寄り、指し示す文面を恐る恐る覗き込む。
哀れな傀儡師の予感は的中してしまったらしい。硬直し血の気の失せた少女の目には、涙まで浮かびかけていた。そんな術者の動揺は従僕にも影響を与えるようで、パーティの背後にのっそりと佇んでいた巨大なぬいぐるみがその場でガタガタと震え出してしまう始末である。手紙には、またぞろ世の女達が物議を醸すような一文が添えられていたに違いない。
スローンは道化師との遭遇戦の後、この場所が迷宮の機能によって変更や破壊が出来ない様に、周囲を保全する結界を施していた。どのような技術を用いているのかは明らかではないが、手紙には結界の解除手順や、その後に必要な操作等についてが詳細に書き記されている。演台を包んでいるぼんやりとした光は、その結界が発するものであった。
それだけの話であれば、いかに彼を毛嫌いしているレーベといえども腹を立てるようなことはないはずだ。ところが手紙の文面には至る所に『我が愛しの~』だの『神にも勝る美しき~』だの歯の浮くような一言が文章の破綻寸前までちりばめられており、終いにはレーベのごくプライベートに触れるような、世に出すのも憚られる秘密までもが記されていたのだからたまったものではない。怒り心頭の魔術師は、この重要な情報が記された呪わしき紙切れをぐしゃぐしゃに握り潰し、焼却し尽したいという衝動を必死に抑えているのだった。
「神殺しの禁呪でも使えば、あの男の口を封じることができるかしら・・・」
自身の命すら天秤に掛ける様な恐ろしいことをつぶやきながら、レーベは演台を操作しはじめた。手順に添い、石版に刻印されている古代文字を指でなぞる。するとそれに呼応して低い駆動音が辺りに響いた。どうやらこの石版が地下迷宮を制御する操作装置になっているらしい。
地響きと共に演台を包み込んでいた光が消え、ついに眠れるダンジョンは目覚めの時を迎えた。門のように変形していた石組みが再び新たな形へと組み替えられてゆく。程なくして一行の眼前に、真っ直ぐに伸びた通路が姿を現した。深い暗闇へと続く一本道は迷宮外周部まで到達しているようだ。
周囲の警戒を怠ることなく、パーティは通路を進んだ。突き当たりにたどり着くと、本来は頑強な石壁で覆われているはずの外周部の壁面に、表面が精緻な彫刻で覆われた真鍮の扉があった。彫刻は中原の歴史に名を残す偉大な彫刻家の遺作を模倣したものらしい。
「警告のつもりかしらね・・・」
レーベが扉の中央に横たわる美しい青年の像を撫でた。六枚の翼を持ち、王冠を戴く彫像が纏うものは薄絹一枚のみで、その姿は酷く禍々しく、卑猥であった。邪悪な王が睥睨する周囲には、煉獄で焼かれる罪人と彼らの獄卒らしき悪魔達が無数に彫り込まれており、ひと目で闇の眷属が支配する王国を活写したものとわかる。
地獄門――中原の美術史の中でも傑作と称される芸術がここに再現されていた。
扉は施錠もされておらず、鋼鉄の把手を引くと重々しく軋みながら、迷宮の更に深い闇を露にした。まるで地の底から流れてくるかのような冷たく澱んだ風が肌に染みこんで来る。観音開きの重厚な門は彫刻が示すがごとく、文字通り地獄への入り口に見えた。
濃密な闇を掻き分けるように一行は扉の奥へ進み、探索を開始する。ルビィによるマッピングの結果、通路は地下迷宮第二階層の外周を取り囲む回廊を形成していることがわかった。だが、それらの調査はあまりにも順調に進み過ぎた。迷宮はどんな場合においても油断のならない空間なのだ。その通路の行き着いた先に、恐るべき脅威が待ち受けていたのは、まさに必然であった。
回廊を道なりに進んで行ったパーティはその最奥部に下り階段を発見した。その階段の前に、あたかも迷宮の深い暗がりがひとつの形を成したかのような黒い塊が見える。遠目にはただぼんやりとした黒い影にしか見えなかったが、接近するにつれ、その全貌が明らかになった。
闇が凝固した空間に、ふたつの紅い光が灯る。それは燃えるような色をした虹彩であった。この暗闇は生きていた。そして接近してくる獲物に、強い敵意と、嗜虐の愉悦を隠し切れない眼差しを向けているのだ。殺戮の時が訪れた喜びに身を震わせ、それはついに悠然と動き出した。
炎の眼を持つ生きた暗がりがその頭をもたげ、無力でちっぽけな人間達を睥睨する。長い首の頂に聳える頭は、二階家ほどの高さを持つ迷宮の天井に届くかと思われた。
シャドウ・ドラゴン――それは古代竜の系譜に属する上位種の竜で、その名が示す通り、闇を身に纏うという特異性を持った極めて特殊な生物である。暗闇がわだかまったように見えたのは、実際にこの竜の半身が固定形状を持たぬ黒い影で構成されているからに他ならない。
これはかつて闇の軍勢に与した古代竜が有した能力であり、その力は遠い祖からその係累へと、確かに受け継がれていた。全身を覆う黒い影は高い防御力と魔法耐性を誇り、通常攻撃ではまるで歯が立たないのだ。そしてその影は防御だけではなく、敵を攻撃するためのブレスにもなる。
シャドウドラゴンを覆う闇が大気中にうごめき、砂塵を巻いてパーティを襲った。
だが、危険そのものを生業としている探索者達の反応は早かった。しかもこのパーティは並みの力量と推し量れるような相手ではない。既に神官シルヴィスによる加護の上位防壁は完成しており、ドルイドの秘儀を自在に操るカナンもまた、闇の竜に対する行動阻害の術式を発動させていた。
人間共を覆い尽くし、その命を喰らうはずの生きた影がシルヴィスの光の防壁と絡み合って消滅する。彼女はシャドウ・ドラゴンのブレスと相反する性質の防壁によってそれを無効化させることに成功したのだ。
人間を完全に侮っていた闇の竜は驚愕の表情を浮かべている。彼の記憶では、ここまで完全に自分の攻撃を交わし切った者など存在せず、人間など、ただただ恐れ、逃げ惑うばかりの存在であった。彼は純粋な古代竜ほどではないにせよ高い知性を持っており、その自尊心も高い。こんなことは許されない、あり得るはずがない、といった顔付きであったが、その動揺はやがて強い怒りへと変貌し、黒い闇に光る双眸が憎悪の炎で燃え上がった。
シャドウ・ドラゴンが我を忘れ獰猛に吼える。怒りに身を委ねたその視界は真っ赤に染まっていた。故に彼は気付かなかったのだ。足元に這い寄る無数の蔦に。
カナンが使用した行動阻害の術は、魔術で制御された蔓状の植物によって相手を絡め取り、自由を奪う。例え半身が掴みどころの無い影といっても、残りの半身は実体を持つ生物なのだ。完全に捕らえらないという道理はない。
魔法植物はその見かけからはかけ離れた強靭さを持って、黒い竜の半身を縛り上げた。竜は全身をのたくらせて抵抗したが拘束を解くこと叶わず、屈辱に歯噛みする。
「よっしゃあ!オレの出番だぜ!秘密兵器の威力、篤と味わうがいい!」
颯爽と躍り出たアビゲイルが愛用の弓に矢を番えた。矢は普段使用しているものではなく、鏃が玉虫色の光沢を放っており、箆も鋼製である。これが弓使いの秘密兵器というわけらしい。
ところがその瞬間、恥辱に塗れた黒い竜が凄まじい咆哮を上げた。陰を纏った全身が限界を超えて膨れ上がり、闇のヴェールが瘴気となって猛烈に噴出し始めた。燃えるような瞳は滲み出した血で更に紅く染まっている。どうやら竜は自らの命を代償としてまで、生意気な人間共を喰らい尽くそうと決意したようだ。肥大し切った自尊心故の所業であろう。
「いかん!蔦が千切れるぞ!全員散れ!」
グエンがパーティに警戒の指示を出したが、射撃に入っていたアビゲイルは反応が遅れてしまった。体勢を崩した弓使いに向って、影の奔流が真正面から雪崩れ込んで来る。
「あんた達ばかりにいい格好させないんだから!」
そこに踊り出たのは、巨大なぬいぐるみとフリフリドレスの人形使いだ。このところいい所なしのアネルであったが、今日はなぜか強気であった。
「名も無き者だかなんだか知らないけど、あの変態がどれだけの力があるのか試してやるわ!」
ぬいぐるみがいびつに巨大化した腕を振りかざした。間に合わせで取り付けられたいかつい機械の腕のままであったが、それはぬいぐるみの外観と同じようにファンシーに彩られている。アネルが気絶している間に、かの男はあろうことか、勝手にぬいぐるみに改造を施していたのだ。
神代の機械技術によって造られた腕はぬいぐるみの内部機構と完全に一体化しており、もはや取り外すことは出来なかった。ファンシーなカラーリングはかわいくない、と不満を漏らしていたアネルのために施されたらしいが、結果的には不気味さを増しただけである。しかしながらスローンの手紙には『ゴレムとしての性能は世に類を見ない程、向上している』と書き記されていたのであった。
「ゆけ!うさきち28号改!!」
ぬいぐるみの腕は、彼の道化師に放った雷など児戯に等しいと思われるほどの雷撃を生んだ。雷鳴轟く中、降り注ぐ雷はシャドウ・ドラゴンに相当なダメージを与え、同時にその動きを封じる。まさに『拘束する豪雷』と呼ぶに相応しい威力であった。
「でかしたぞ!ぬいぐるみっこ!トドメはまかせろっ!!」
体勢を立て直したアビゲイルが再び弓を構え、裂帛の気合を持って矢を射る。手練の射手によって放たれた矢は暗闇に虹色の閃光を描き、闇の竜の眉間を貫いた。
物理攻撃に高い耐性を持つはずの竜の頭蓋が、まるで熟れ過ぎの西瓜のように粉々に飛び散る。頭部を失った長い首はむしろゆっくりと地に倒れ、やがて朽ち折れた倒木のように動かなくなった。
「見たか!弓の匡ガランパイル特製の玉虫鋼の矢だぞ!土竜の希少種が手に入らないと作れない貴重品なんだ!なんにしても、すごい威力だなぁ」
「その貴重な矢を第二層で使っちゃったわけね・・・」
シルヴィスがあきれ顔も隠さず、喜び勇む弓使いに冷水を浴びせた。
「い、いや、ちゃんと先のことは考えてるって。本当だよ?」
慌てふためく弓使いに追い討ちをかけたのは、恨めしげな表情のカナンだ。
「あのね、アビー。影竜の頭は本当に貴重な・・・」
「オ、オレ、矢を拾ってくる!大事なもんだし!あはは!話は後でな!」
新たに発見された迷宮の裏側。そこで最初に発生した遭遇戦はこうして幕を閉じた。多くの謎が残ってはいるが、ひとつ明かされた事実もある。
ルビィは聞き逃しはしなかった。あのぬいぐるみの名前を。それが模しているのがウサギであること、しかも28体目らしいという事実を知り、彼は軽い眩暈すら感じている。
「・・・うさきち。これからもよろしくね」
無表情に佇む巨大なぬいぐるみが、少年には軽く頷いたように見えた。
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