第13話 パーティの掟
その夜『暁のカモメ亭』は酒宴の熱気と喧噪で満たされていた。
グエンのパーティはその日の午後遅く、無事に本拠地の宿へとたどり着いた。予定を大幅に遅れての帰還である。期日を過ぎても戻らぬパーティの安否が気遣われていたところでもあったが、彼女らが迷宮下層域より財宝と黄金の冠を持ち帰ったというニュースは、街を祝賀ムードへと一転させるには充分なものであった。
こういった場合、探索者達はたとえ普段から折り合いが悪い者同士であっても、互いに祝杯を交わし宴を行うのが慣例である。もちろん費用は成功し祝われる側が負担する決まりとなっていて、ここで探索者としての器の大きさが問われると言ってもよい。祝う側は妬みも嫉みも一緒くたに、その夜の酒で飲み干してしまうのであった。
今宵ばかりはグエンと犬猿の仲のアネルも酒席に名を連らね、祝いの一献を捧げなければならない。無論、グエンとしても普段のように喧嘩腰になるわけにはいかず、無言で杯を交わすのみであった。
ただ、決まりごとというものは破られるのも常のごとくであり、野次馬達は酔いが回ったふたりが暴れだすのを今か今かと待ちわびていた。いつもと勝手が違うのは、傲岸不遜が看板であるかのような傀儡師が今日に限って妙にしおらしく、まるで女戦士の機嫌を伺うかのような素振りを見せていることであった。
半端に訳知りの酔客は、原因として最も有力と思われる少年の姿を探した。それは言うまでもなくルビィのことで、最近の巷は『牝牛』と『ぬいぐるみ狂い』が一人の小僧を奪い合っているという噂で持ちきりなのである。
ルビィは厨房の手伝いをしつつ宴席に料理や酒を運んだり、からかい混じりに絡む酔客を適当にあしらったりと、そこら中を忙しく走り回っていた。見る者が見れば、その態度は妙によそよそしく、挙動不審だと気付いたに違いない。ルビィは明らかにグエンを避けているようであった。それを知ってか知らずか、女戦士はただ黙々と杯を重ねている。
しかし、我慢というものには必ず限度があるものだ。グエンが暴発したのは宴が峠を越した夜も遅くのことであった。酔った牝牛はついに、大酒に飲まれた牝虎と化したのである。
ひとしきり酒を汲み交わした後、縁の薄い者はお裾分けの包みを懐に酒席を去るのも、こうした宴の倣いであった。そして酒場が身内のみになった頃、グエンの目付きが恐ろしいほど据わり始めた。
アネルはそっと、赤ら顔をした女戦士の視界から逃れようとした。身の危険を感じ、さりげなく退席しようと試みたのだ。可愛らしくあしらわれた襟元のレース飾りが、強靭な戦士の手によって無残に握り潰されたのはその時である。
アネルは煮えたぎったマグマを腹に溜め込んだグエンに襟首を掴まれ、そのまま自席へと引きずり戻された。残念なことにもはや退路は完全に断たれてしまったようだ。
「・・・ルビィっ!」
平時のグエンもよく通る声をしているのだが、この時ばかりは様子が違った。まさに虎の咆哮で、折りしも目の前のテーブルで空いた皿を下げようとしてした少年はその場に凍り付いてしまった。密林で猛獣と鉢合わせたと同然の様子である。
グエンは俊敏極まりなく、ふたりの間のテーブルを飛び越えた。それは到底、酔っ払いの所業とは思えぬ、獲物に襲い掛かる獰猛な肉食獣の動きである。襟首を掴まれたままのアネルは為す術もなく、ぬいぐるみのごとく振り回され、グエンと共に宙を舞った。
虎に捕らえられた哀れな小鹿は、絹を裂いたような悲痛な声を上げた。それは男らしからぬ悲鳴であったが無理もあるまい。それほどに今夜のグエンは鬼気迫る勢いであったのだから。
ただ、パーティの面々はそれも何処吹く風といった体で、いつものようにこの顛末を肴に酒を飲んでいる。右往左往しているのは、相も変わらず店の亭主だけであった。
だが、その様子もそこまでで、次の瞬間、酒席は嬌声の渦に包まれた。グエンが衆人環視のど真ん中で、おもむろにルビィの衣服をむしり始めたのである。
「ち、ちょっと、グエンさん!何するんですか!やめてくださいっ!」
「うるさい!それはこっちの台詞だ!おとなしくせんか!」
力の差は象と蟻のごとくで抵抗も空しく、少年は下着一枚を残して全ての衣服を剥ぎ取られた。挙句の果てには最後の砦まで引きちぎられそうになり、ルビィは両手で必死の抵抗を試みたが、今宵のグエンは本当に無慈悲であった。
「この傷はなんだ!わたしのいない間に何があったのだ!?」
そうして肌を晒したルビィの全身には、ミミズがのたくったような痕跡が無数に刻まれていた。スローンの治療はあり得ない程の効果でルビィの身体を癒したが、傷痕を完全に消すまでには至らなかったのである。
今回の一件をなんとか隠し通そうとしていたルビィの目論見は、グエンによってあえなく看破された。癒着した傷を無意識に庇っている少年の様子を、この女戦士が見落とすわけがないのだ。
ついに観念したルビィは、グエン達の不在時の出来事を包み隠さず白状したのであった。
「あなた達、スローンに会ったの・・・?」
ルビィとアネルは仲良く床に正座し、今回の冒険談を皆に語って聞かせた。アネルは同罪ということでこの扱いであったし、ルビィに至ってはいまだに下着一枚のままである。語るにつれパーティの面々は言葉を失っていったが、謎の旅人の話には全員が唖然としていた。
「ふたりが無事だったことが救いだわ。本当にあなた達、命があったことを神に感謝すべきよ」
スローンについては、特にレーベが喰い付きを見せていた。日頃は常に冷静沈着で思慮深い魔術師が、あの不思議な魅力を持つ男に対してだけは感情的になっている。レーベ本人はそれをどうにか隠そうとしているようだが、誰の目から見ても過去に何か特別ないきさつがあるのだろうと推測できた。
高位悪魔と同等の力を持つ魔物をいとも簡単に押さえつけてみせた男。それが何者であるか、ルビィは自己の好奇心を抑えることが出来ず、思わずレーベに尋ねてしまった。
「スローン?ああ、レーベの昔のオトコだろ?」
デリカシーの欠片もない少年の地雷のごとき質問と、返事に窮したレーベが呼んだ重い沈黙を破ったのは下世話の王者、アビゲイルである。彼女は自分の才能を然るべき場所で完全に発揮してしまった。その顔面に木製のジョッキが命中したことも、自業自得としか言い様がない。
「・・・いたた、何するんだよ、レーベ!当たり所が悪かったら死ぬぞ、こんなの!」
「じゃあ『物』じゃない方がいいのかしら・・・」
魔術師がその本来の姿を露にし、樫のクォータースタッフを弓使いに向けた。その目はグエン以上に据わっている。
「えっ・・・だ、だって、そうじゃないの?あいつ、何時もレーベにベッタリだったじゃないか!オレはてっきり、そういう関係だと思ってたんだよ!悪気はないよ!」
大気に溶け込んでいる精霊の力が召喚に応じ、集まり始める。その際に生じる特有の音に本気で脅え、アビゲイルは必死に弁解した。炎の奔流が弓使いに放たれることを未然に防いだのは、パーティのリーダーその人であった。
「アビー、言っていい事と悪い事があるぞ。レーベにとっては、可愛らしいお稚児同士の恋物語を愛好する趣味を暴露されるのと同等の屈辱なのだ。本人は隠し通せていると思っているらしいが、わたしを謀ることは出来ぬ」
「・・・グエン、あなた本当に酔っ払っているでしょ」
冷静さを取り戻したレーベは何事もなかったように、正座している二人に向かって仕切り直した。もはやそれ以上の追及は何人とも許さぬといった様子である。
「あなた達も薄々わかっていると思うけど、彼――スローンは人間ではないわ。はるか太古の昔より『名も無き者』『まつろわぬ者』と呼ばれ、世界を彷徨い続けてきた存在。神でも悪魔でもない者。それがあの男の正体よ」
そうしてレーベは人々がよく知る太古の神話と、そこに隠された知られざる物語を語り始めた。
悠久の時の向こう。人類が中原に誕生する以前の世界は、神とその眷属によって支配されていた。
ある時、世界はふたつに別れ、勢力間の壮絶な争いが始まった。戦いは熾烈を極め、天は割れ、地は裂け、海は荒れ狂った。強大な力と力の衝突が生んだ大いなる炎は、まるで世界を焼き尽くしてしまうかのようであったが、やがて勝敗は決し、永き戦いは終焉を迎えた。
戦いに勝利した者達は天に住まい、その後の世界を治めた。
敗れた勢力は大地の底深くに封じられ、後に闇の眷属、悪魔と呼ばれる存在となった。
そして中原には最初の人間が創造された――
これが現在に至るまで、人々が語り継いできた世界創造神話の大筋である。その先の話は、知る者が極わずかに限られた『名も無き存在』の足跡についてであった。
世界の過半を災禍に陥れたこの大戦争において、どちらの勢力にも与しなかった者がいる。神にも近しい力を持ちながら争いにはなんら興味を持たず、ただひたすら自己の興味の追求に明け暮れた者。それがルビィにスローンと名乗った存在あった。
彼には世界の行く末など、どうでもよかった。何にも従わず、何も従わせず、呼ばれるべき名も持たずに中原へと降り立ち、自己の欲求の赴くままに長久なる時を歩んで来たのである。
「彼は自分の面白いと思ったことにしか興味が無いの。そうして彼は人類の歴史の至るところでそれに介入し、自己の欲求を満たしてきた。魔導王が中原平定に成功した理由は、彼が手を貸したからに他ならない」
レーベの陰りを帯びた表情に、ルビィは息を飲んだ。彼女の語った物語は自分が、それどころか世界の大半の人間が知らない歴史の真相であるのだ。スローンと過ごした数日間が、どれ程の出来事であったかを改めて振り返り、少年は戦慄に震えた。
「緋色の導師、魔導王クリステラ。その友人であり参謀でもあったのが、当時スローンと名乗っていたあの男。ふたりはクリステラの高弟7人を従えて、中原の戦乱を終結させたのよ」
紙のように白くなった少年の顔色を見て、レーベは一息ついた。どうやらルビィはあの男の毒気に、完全には当てられてはいないようだと判断したらしい。だが、念には念を入れて置くべきだ。この無鉄砲な新米探索者にはしっかりと釘を刺しておかねばなるまい。
「彼はどんな場合にあっても、敵でも味方でもない。これほど厄介なことはないわ。よく覚えておくのよ。彼のほんの気まぐれで、滅ぼされた国は数え切れないほどあるんだから。決して気を許さないようにね」
レーベの話が終ると同時に、アネルはその場にひっくり返った。足の痺れが限界を迎えていたのである。完全に悪酔いしているクロマがその両足を突きまわして遊びはじめ、アネルは全身のフリルを振り乱して悶え苦しんだ。
「不本意だけどアネル、あなたも今後はうちのパーティに所属してもらうわ。あの男と接触して縁が生まれているんだから。私の目の届く範囲にいないと命の保証ができない」
「ひっ、やめ、ろ・・・何であたしが・・・ぐっ・・・あんた達の、やめろ、ってば・・・パーティなん、かに・・・やめてぇ!」
泣きべそをかき始めたアネルの顔を覗き込み、レーベは冷酷な表情で続ける。
「無理強いはしないけど、あの男がどんな付きまとい方をするかよく聞いてから返事を決めた方がいいわよ」
そうしてレーベはアネルに耳打ちをした。どうやらスローンについて色々と教授しているらしい。苦悶の人形使いの顔は、明らかに足の痺れとは別の恐怖によって、みるみるうちに青冷めていった。
アネルは足の痺れを恐るべき忍耐力で耐え、その場に立ち上がった。
「傀儡師のアネルです。この度、故あってみなさんのパーティに参加させていただくことになりました。どうぞ、よろしくお願いいたします」
深々と頭を下げるアネルの目にから、光が失われていることをルビィは見逃さなかった。まるで死んだ魚の目だ。一体、どれほど恐ろしい話を聞かされたのだろうか。そんなことは想像するのも嫌だと、半裸の少年は心の底から思った。
「さて今回の一件には、やはりパーティの掟に従ってペナルティが必要だと思う」
リーダーの威厳を込めてグエンが宣言した。威厳はあるが完全に泥酔している。ルビィが勝手に良心的な二人だと思い込んでいたカナンとシルヴィアは、輪を掛けて酒癖が悪いことも発覚した。酔っ払い共の中でまともなのは、むしろアビゲイルの方であった。
まだまだほろ酔い加減の弓使いはこれから下されるであろう刑罰を慮り、正座している被告人達をとても気の毒そうにを眺めている。その心遣いが尚更に二人の恐怖心を煽るのだった。なにしろアネルまでルビィ同様に衣服を剥ぎ取られてしまっていて、初心な少年は目のやり場に困ることこの上なかった。
「まぁ、うちのパーティは悪さをした時はコレと相場が決まっているのさ」
いくらかばつが悪そうにアビゲイルが言う。背後にはロープを持ったクロマが立っており、にやけ笑いを満面に浮かべたパーティの面々は立派な羽飾りの付いたペンを握りしめ、その出番を今か今かと待ち構えていた。
「ま、まさか・・・」
「まぁ、罰といっても痛い目に合わされる訳じゃないさ。ただ、腹の皮は死ぬ程よじれるけどな」
アビゲイルが自分の腹部を摩っている。先日の出来事を思い出したらしい。
いい加減に出来上がった酔っ払いが本通りに面した『暁のカモメ亭』の前を通りすがった。酒場もそろそろ店仕舞いといった刻限であったが、まだ店の明かりは煌々と燈され、中からは笑い声が響いてくる。騒ぎに釣られでもしたか、彼は連れに声をかけた。
「カモメ亭の旦那、今晩はずいぶん遅くまで開けてるな。ちょいと寄っていくか」
「ああ、よせよせ。今日は貸切だってよ。タイフーンのパーティのな」
笑い声は尋常でないほど、途切れなく聞こえてきた。若い男と女の声だ。わけもなく恐ろしさを感じて、酔っ払いは身震いをした。
「へぇ、羽振りのいいこった。でも、なんだかずいぶん、おっかない笑い声だね」
「今夜はもう帰ろうぜ。ありゃ、まともじゃあ、ねぇな。巻き込まれでもしたらかなわんよ」
くわばら、くわばらとつぶやきながら酔っ払い達は帰路に着いた。夜風に乗った笑い声は明け方近くまでも続き、近所の猫達さえをも、いたく脅えさせたという。
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