第12話 スローン
「やっぱり何も見つからないわね・・・」
キルギスホーン地下迷宮第11階層。最深部と予測される第12階層への侵入経路を探していたグエンの一行は既に疲労の色濃く、今や地上へと帰還することを余儀なくされている。
斥候のクロマは元より、カナンの周囲探知の魔法、アビゲイルの狩人の眼を持ってしても下の階層に降りるための侵入口や隠し扉などの細工は、何一つ発見できなかった。
いや、あるにはあった。階層の一番奥の突き当たりに隠し扉をひとつ見つけることは確かに出来たのだ。しかしその奥にあった小部屋で遭遇したのは魔術師の姿を模した人造の死霊で、傀儡師の一種である『死霊使い』の操り人形に過ぎなかった。
出現した擬似ゴーストを倒すと、ご丁寧にもやたらと装飾された宝箱が出現し、中には大量の金貨や宝石、貴金属類とエメラルドを贅沢にあしらった黄金の王冠が詰めこまれていた。それは財宝としての価値は探索者として充分に満足のゆくものであったし、攻略成功の名声も約束されることは間違いない収穫である。
しかしグエンのパーティはそれがただの偽装だと看破していた。あたかも、そこが迷宮の最深部、探索の終着点であるかのように思わせるための偽装。十分な財産となり得るほどの価値がある財宝まで持ち出して隠したい真実。それを見破ることが出来たのは、彼女達の目当てが財宝などではないからである。
この迷宮の心臓――かつて「翠玉の導師」と呼ばれた魔術師フェルネウス。
グエン達の目的はその男、このダンジョンの正当な主を捜し出すことであった。
ここまで来て手詰まりになった一行にはもはや、宿営を継続することは困難であった。充分に用意していたはずの糧食も、その残りは心もとなく、消耗品も切れ掛かってしまっている。経験豊富な歴戦の勇者揃いとはいえ気力も体力も、共に消耗しつくしていた。
細かい調査が苦手なグエンはメンバーのサポートにまわり、充分に心配りをしていただけに、パーティメンバーの疲労度が限界に近いことを把握している。もちろん結論を出す機会もわきまえており、収穫した財宝類を手早く荷物にまとめると、パーティリーダーとして撤退を決断した。
「まぁ、ダンジョンが逃げてしまうわけではあるまい。しっかり休養をとって次に備えよう」
メンバー随一の体力を誇る女戦士は、むしろ意気揚々と巨大に膨れ上がったバックパックを背負った。顔つきは真剣そのものだがその頬にはやや赤みが差し、口角が浮き上がるのを抑えきれずにいる。
「あら、なんだか嬉しそうね?」
レーベが少しばかり意地の悪い微笑みを浮かべた。
「な・・・なにを馬鹿な!そんなことはないぞ!」
剛勇な戦士らしからぬうろたえぶりで、更に頬を赤らめたグエンは慌ててその場を取り繕おうとした。だが、その場を締めくくったのはアビゲイルである。
「なんでもいいさぁ!そうと決まれば、とっとと引き上げようぜ!俺は早く、キンキンに冷えたエールが飲みたい!浴びたい!いや、浴びる!」
そうしてグエンの一行は地上に向って出発した。グエンはすでにルビィのことで頭は一杯であったが、この時、彼女は少年が死地に向かい出発したことを知らなかった。
雨季が近づき、まだひんやりと湿った空気が漂っている早朝、ルビィはスローンと共に迷宮へと向った。アネルとは入り口で待ち合わせている。緊張で黙りこくっている少年に対して、スローンはまるでハイキングにでも出かけるかのような気楽さをみせていた。
「出発前に確認しておきたいのだがね」
会話の口火を切ったのはスローンであった。
「君は本当に行くつもりなのだね?あんな目にあったのに、恐れや後悔はないのかい?私の手助けはまるで役に立たないかもしれないよ?」
「・・・怖いのは確かですけど、なんでかな。行かなきゃ駄目な気がして」
ルビィはいくらかの戸惑いが混じった返答しか出来なかった。うまく自分の心境を説明できないもどかしさを感じているようだ。しかしそれでも、決断に揺らぎはなく、その自信の源泉がどこにあるのか、それは彼自身が不思議に思うことでもあった。
迷宮の『門』の前では、すでにアネルと巨大ぬいぐるみが待機していた。破損していたはずのぬいぐるみの右腕を見て、ルビィが驚きの声を上げる。
「アネル・・・ゴレムのその腕どうしたの?」
「前に別なダンジョンで見つけた部品を使ったのよ。修理が間に合わないから」
ファンシーなぬいぐるみの右腕は、いかつい鋼鉄の機械に換装されていた。それも元の腕よりふた周りほど大きい。むき出しの頑丈そうなフレームを無数のパイプが覆っており、これまた無数にある正体不明の不気味な突起も妙な生々しさを感じさせている。
「なんか、強そうだね・・・」
「でも、かわいくないの!ほんとはイヤなの!」
不満げに頬を膨らませた人形使いは無遠慮な少年に食ってかかった。なかば言いがかりではあったが、むくれるアネルをなんとか宥めて一行はダンジョンへと潜った。
曖昧な記憶を頼りに二階層壁面の仕掛けを操作してみると、前回と同じく門が現れた。パーティに緊張が走る。事前の打ち合わせでは、アネルのぬいぐるみを前衛の壁役にし、道化師の動きを止めたところでルビィが攻撃入るという作戦を立てた。
また、ぬいぐるみに先んじてスローンも魔法で道化師の足止めを仕掛け、今のところ効果不明な道化師の呪文による攻撃にも対抗策を講じる手筈になっている。
静まりかえった迷宮の深い闇の底から、不吉な足音が近づいて来た。ルビィは道化師が出現しない可能性も考えていたが、そうそう世の中は甘くはないらしい。
そしてついに危険極まりない迷宮の番人が姿を現した。変わらぬ道化姿で大鎌を担いでおり、鎌の刃が血で真っ赤に染まっている。その血が誰の物であったかを一番よく知る者が今再び、死を振り撒く道化師に挑もうとしていた。
スローンは自身の杖に込めた動作阻害の魔法を発動させた。動きを妨害されても尚、道化師は不恰好に歩を進めようとしたが、期を逃さずにぬいぐるみが攻撃を加える。巨大な機械の腕から電撃が生じて道化師の全身を絡め獲り、その動きを封じることに成功した。ルビィがその隙に賭け、短刀を振りかぶった――
その瞬間、全ての動作が消失した。
そこに響いているのは道化師の身の毛もよだつ奇声だけであった。
アンチ・マジック・ウェーブ――魔法無効化の波動。高次元生物とされる悪魔や天使といった類の持つ特殊能力が、周囲一帯に影響を及ぼしていた。そのような力を持つ存在――道化師の正体は高位の悪魔や天使と同等、もしくは、それそのものということに他ならない。
スローンの魔法は消失し、魔法術式で動作していたゴレムは動力源を失ってその動きを止めた。ルビィはそれでも果敢に道化師へと刀を振るったが、それと同時に道化師を中心とした全方位に向って、凶悪な威力の衝撃波が放たれる。
詠唱もなく放たれた無遅延の魔法攻撃をほとんどカウンター状態で受け、ルビィは迷宮の壁面まで吹き飛ばされた。アネルも同様に衝撃派をまともに喰らい、意識を失ってしまっている。一瞬の出来事であったが、パーティはほぼ壊滅状態といっていい程の深刻なダメージを受けたのである。
ただひとり、スローンと名乗った何者かを除いて。
「まったく、趣味の悪い衣装だねぇ。相変わらずセンスの欠片もない奴だ」
道化師の放った衝撃波をそよ風のごとく受け流し、涼しい顔をしたスローンが恐るべき敵に向って歩いてゆく。まるで何事もなかったかのように。恐ろしい?いや、恐ろしいのはむしろこの男の方だろう。人の及びもつかない力を振るった迷宮の番人が明らかにたじろぎ、後ずさった。
道化師の喉が、蛙の鳴き声のような不気味な音を立てはじめた。それは喉の器官を、人間の言葉を発しやすくするために変形させる音であった。獣の咆哮を思わせる道化師の唸りが、やがて明瞭な言語へと変貌する。
「・・・ナゼ、オマエ、ガ、ココニ・・・イル・・・」
「愚問だね。それは本当に愚問だ。私は自分の嗜好を満たすために存在している。面白そうな所なら、どこにでも」
道化師は間髪入れず、スローンに向って大鎌を振るったが、その刃は微笑みさえ浮かべている彼の眼前で静止した。全身を見えない蔦の蔓で縛り上げられたのだ。自分を締め上げる圧力に耐え切れず、囚われの魔物が苦悶のうめきを上げる。強靭な不可視の蔦によって、道化師の身体は無理やり奇妙な形に変形させられてしまった。
詠唱を行わずして魔法を発動させる――スローンは道化師と同じ能力を、それも圧倒的な実力差を見せ付けて発動させたのである。それは人間には到底不可能な行いであった。正体不明のこの男は、底の知れぬ自身の力と異様なまでの気配をもはや隠そうともせず、迷宮の暗闇に曝け出していた。
「さあ、君の出番だよ、ルビィ。そんな所に寝てるなんて、私を失望させないでくれたまえ!」
――何だこれは?何が起きた?何が起こっている?
混乱しきったルビィは現状を把握出来ずにいた。泥と埃と自分の吐いた血に塗れた少年は、しかしそれでも自分の力で立ち上がる。ここで立たねば全てが終ってしまうことはわかっていた。自分だけではない。アネルもだ。このままでは二人とも、二度と日の光を見ることは出来まい。
そうして立ち上がったルビィの周囲から音が消えた。視界も全て闇に閉ざされ、感知できるのは頭に直接響く、スローンの声だけであった。
『君はなんでこんな目にあっても戦っているんだい?』
『君は料理人になるつもりだったんだろう?店を出す資金も、今ならどうとでもなるだろうに、なぜ危険な迷宮探索なんて続けているんだい?』
『あの女戦士は君にとってどんな存在なんだい?嫌なら逃げ出してしまえばいいのに、なんで側にいるんだい?』
『君は――
迷宮に惹かれているんだろう?
ルビィにはもはや方位の感覚も残されておらず、押し包む暗闇に抵抗する術がなかった。闇が自分の心の最深部までも達し、全てを暴き飲み込もうとするかのように感じられる。だが――
外部知覚が遮断されたルビィは、その意識を自分の内部に向けた。瞑想は彼が修めた鍛錬の一環である。意識を集中し、ばらばらになりかけていた少年の精神は再びその形を取り戻した。
――僕は・・・!
それは答えであったのか。なんと答えたのか。少年の記憶には残っていない。しかし、ルビィの意識は確かに耳に届いた男の声で現実へと帰還した。
「さあ、ルビィ。刀を構えたまえ。私の手伝いはここまでだ。奴を倒すのは君の役目さ」
スローンの声は常時のごとく耳で聴こえた。それと同時にルビィの意識が鮮明になる。そこにはもう、恐れも迷いもなかった。それはスローンという人の形をした『何か』の誘導ではなく、ルビィ自身が師匠の元で鍛錬の末に身に着けた、『在るべき精神の在り方』が開花したからに他ならない。
ルビィは自らの手にある刀に没入した。少年にはもはや自我もなく、その心は無念夢想の境地にある。そうして振るわれた短刀は、刀では斬れるはずのないこの世ならざる者を一刀の元に斬り捨てた。
道化師は現世にはないはずの本体を切り裂かれたことが信じられなかったようだ。己が両手が端からぼろぼろと崩れてゆく様を呆然と見つめている。やがて強力な迷宮の番人だった者は、断末魔の叫びを上げて灰燼へと帰った。
そうして迷宮には、いつもと変わらぬ闇と静寂と黴臭く澱んだ空気だけが残されたのである。
ルビィとアネルは宿のベッドで眠っていた。スローンがなんらかの手段でふたりをここへ運んだのであろう。どうやら彼は再び何処かへと旅立ったらしく、ふたりの枕元にはそれぞれ、暇乞いを告げる封書が添えられていた。
キルギスホーンの東の果て、夜陰に包まれた荒野にひとり、旅路を歩む男がいた。スローンという仮初めの名を持つ者の笑い声が響く。
「いやはや、まったく人間には恐れ入る。我が友、クリステラよ。魔道の王よ。君はまさに約定を果たした。私をも謀るとは本当に、人間というものは面白い・・・」
その哄笑は誰にも気付かれることなく、月夜の闇に消えていった。
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