第9話 迷宮の底にて


 ダンジョンは大きく二通りに分けることが出来る。


 ひとつは『生きているダンジョン』だ。それは即ち、そのダンジョンが機能する上で必要な動力源が健在であり、防御機構や運搬装置が稼動している状態を指す。高度な魔法技術が施されたものであれば、構造物の自己修復機能を有していたり、侵入者に対するトラップ、警備用の兵士の運用などを自律的に維持することが出来る。


 対して『死んでいるダンジョン』も多々存在しており、それは、なんらかの理由で動力が喪失してしまった、もしくは放棄されたことによって構造物だけが残されたものとなる。本来の機能を失った『死んだダンジョン』は盗賊などの犯罪集団によって占拠されたり、危険な生物が住み着いてしまうこともあった。


 実例としては、北方に連なる大山脈地帯に建造されたクリスタルの塔が機能喪失した際、強力な魔力を有した古代竜が棲み付き、周辺の都市や村が甚大な被害を被ったという事例が挙げられる。


 一般的に竜族は人間を嫌悪しており、敵対する例が多いのだ。二年ほど前に大規模な討伐隊が編成され、邪悪な竜は滅ぼされたのだが、その折のグエン達の活躍は吟遊詩人が詠う詩歌の題材にまでなっている。


 その点ではキルギスホーンの地下迷宮は『生きているダンジョン』ということになるのだが、特筆すべき点は、主を失い後継者もなく、放棄同然になっているにも関わらず、その機能を維持し続けていることだ。


 その為には相当に高度な技術と耐久性の高い頑健な動力源を用い、また自律的に迷宮を機能させ続け得る膨大な魔力を貯蔵していなければならない。それを実現した『翠玉の導師』がいかに優れた魔術師であったかを、彼自身の被造物である地下迷宮そのものが物語っていた。この地下迷宮がいまだに攻略されていないという事実もそれを裏付けていると言えよう。


 だが、どれだけ難攻不落なダンジョンであったとしても、然るべき手段とその実力を持つ者が現れてしまえば、いつかはそこに隠された真実が明かされることになる。それが探索者と呼ばれる冒険者達の共通認識だ。


 この時、グエンの率いるパーティは、全ての探索者が焦がれると言っても過言ではない、その到達点に一番近しい存在であった。


 第7層を突破し、下層域に達したパーティを待ち受ける敵は更に脅威を増していたが、充分な時間を取り、入念に備えていた彼女らに取ってはなんら障害にはなり得なかった。


 スカウトのクロマはその持てる実力を遺憾なく発揮し、斥候として完璧に役目を果たした。場合によってはパーティに致命的なダメージを与えるトラップを感知し無力化したり、迷宮内に潜む伏兵に対して逆に奇襲を仕掛けたり、まさに動物的というに相応しい、その勘の冴えは他のメンバーの追随を許さぬ。


 こうしたクロマの驚異的な索敵能力によって、パーティの探索は最低限の労力で進めることが出来た。猫を愛してやまず、日頃から猫そのもののような生活をしている彼女であったが、その能力と身のこなしは愛玩動物のものではなく、俊敏でしなやかな肉食獣のそれであった。


 第9層へ攻略の歩を進めた時、パーティは竜の群れに遭遇した。これはスワンプドラゴンと呼ばれる中型の竜で、古代種の竜とは異なり、魔法を操る程の知性は持たないが、有毒な酸性のブレスを吐く。本来は南方の沼地に生息する種であるが、地下迷宮の主が『番犬』として放ったものが、この暗く湿った環境に適応し自然繁殖したものと思われる。


 奇妙にも思えることだが、このようなダンジョンという人工的な閉鎖空間においても生態系が構築されていた。採光の仕組みが施された場所には植物が自生していたり、それを餌とする草食動物や昆虫、更にそれを捕食する生物などといった食物連鎖も存在している。ダンジョンの設備を見ても、その環境自体が設計に取り込まれていることが窺えた。


 縄張り意識の強いスワンプドラゴンは侵入者に対して非常に攻撃的になる。少なくとも10数頭が敵愾心を露にして、パーティを威嚇してきた。戦闘に加わろうとしていないものを加えれば、その数は30頭を超えそうだ。今はおとなしい素振りの個体も、ひとたび戦闘が始まればこちらに襲い掛かってくるだろう。


 毒による攻撃は厄介であった。パーティを防護する魔法、聖霊による加護による防御は完璧に敵の攻撃を防ぎ切るものではない。無論、シルヴィスの神官としての能力はトップクラスで物理、魔法攻撃を相当に軽減することは出来るのだが、毒のブレスは大気に混じり人体に影響を及ぼしてしまう。


 接触を軽減出来ても、肌に触れれば肌を灼き、呼気に混じれば肺を焦がし、その毒性が高ければ、例え微量であっても持続性のある深刻なダメージを受けることとなるのだ。そうなればシルヴィスとカナンは解毒治療に終われ、パーティは大きく防御力を低下させることになるだろう。


「ここはオレにまかせてもらうぜ!」


 颯爽と躍り出たのは弓の名手、アビゲイルであった。


「弓の仕上がりを全力で試しておきたいからなぁ」


 ここまで後方支援に徹し、あまり出番のなかった彼女である。匠の手によって再調整された弓が万全の状態であるか、ここで試しておきたいといった所だろう。パーティメンバーはアビゲイルの周囲を護るように展開し、ドラゴンの攻撃に備えるようにも見えたが、それだけではないようだ。これから起こりうる状況を予測し、全員が隙も無く身構えている。


 アビゲイルは矢筒から三本の矢を抜き払い、愛用の弓につがえた。弓弦が獲物を威嚇するかのような音を奏でながら引き絞られてゆく。


「我が名は狩りの女神の寵愛を受けし者、ユーダリルの森の射ち手、アビゲイル。その名を持って我、汝に命ずる!雷精の弓よ!」


 雷を受けた霊樹で造られた弓に秘められた力が解放された。放たれた三本の矢は稲妻を帯びてドラゴンの群れに命中する。その瞬間、周囲一帯を激しく轟く雷鳴が支配し、明滅する閃光が死の舞を踊った。


 ドラゴン達が上げた断末魔の悲鳴をも飲み干した音と光の濁流は、やがてその全てが唐突に消滅し、辺りには焼け残った屍骸が燃え燻る音と、その焦げた臭いだけが残った。これがアビゲイルの持つ、神性を帯びた弓による範囲攻撃の威力である。


「あーあ。全部、黒焦げじゃないの」


 レーベが消し炭と化したドラゴンの死骸を踏みつけながら、アビゲイルに非難の目を向けた。


「沼竜の毒袋は貴重品・・・いい薬の原料になるのに」


 薬調合のエキスパートであるカナンも、焼け残ったものがないか、周囲を名残惜しそうに見回している。


「わ、悪かったよ・・・こんなに派手にぶっ飛ばすつもりはなかったんだよ。ホントだよ?」


 そう言い訳しつつも、アビゲイルは満更でもなさげな表情をしている。弓匠ガランパイルの調整が、彼女の想像以上のものであったからであろう。




 その頃、ルビィとアネルは合いも変わらず第三層の探索を続けていた。地図の不整合についてはまったく調査が進んでおらず、人形使いは不満げだったが、ルビィはこつこつと、クロマに習った刀の使い方を修練している。成果はなかなかのもので、既に第3層で遭遇する敵に遅れを取るようなことはなくなっていた。


 転機が訪れたのは、調査がまるで進まないながらも探索の収穫は上々で、得られる報酬の算用をしながら帰路についた時だった。第3階層の大通りに出たところに突然、アネルの頭上から粘液質の液体が滴り落ちてきたのである。


「なにこれ?」


 天井を見上げたアネルの顔に半透明のゼリーの塊が振ってきた。油断し切っていた彼女はまともに直撃を受け、頭からずっぽりと不定形な粘体に包み込まれた。


「アネル!?」


 気が緩んでいたのはルビィも同じで、慌ててアネルを助けようとしたのだが、気味の悪い感触のゼリーはぐにゃぐにゃと形を変えながらしっかりとアネルを捕らえており、剥がす事ができない。


 この半透明の物質の正体はれっきとした生物である。魔術で巨大化した単細胞生物で、獲物を自分の細胞内に取り込んで捕食するのだ。残念ながら巨大化によって自重を支えるのが関の山となっており、移動速度も緩慢で、本来であれば探索者の脅威とはなり得ない存在である。魔法によって生み出された生物の失敗作と言ってもいいだろう。


 だが、こうして獲物を待ち伏せして襲い掛かる場合も珍しくなく、探索初心者が運悪く遭遇し、命を落とすことがないわけではなかった。そうして死んでしまった被害者は探索者の間に残念な汚名を残すことになるのが通例だ。


 アネルは半透明のコロイド物質の中でもがきにもがいていたが、こうなるとこのゼリーの化け物の粘着力は脅威であった。脱出することも叶わず、呼吸もままならなくなる。


 変形する粘液の底で、人形使いは百面相状態になっており、その顔色が次第に紫色がかってきた。非常に危険な状態だ。万が一、このまま命を落とせば『ぬいぐるみを連れた変人』という仇名に更に一句が付け加えられることになるだろう。


「そうだ!レーベさんにもらったあれを・・・」


 ルビィはパウチから宝石を取り出し、簡単な呪文を唱えながら、それを粘体に投げつけた。命中と同時に宝石に封じ込められた魔力が解放され、ゼリーは猛火に包まれる。


 粘体の体組織は、そのほとんどが水分であった。それが炎に包まれればひとたまりもあるまい。燃え盛る炎によって水分が瞬時に蒸発し、粘体はのた打ち回りながら干からびてゆく。怪物の抱擁から逃れたアネルは激しく咳き込み、口中や鼻腔に入り込んだ粘液を吐き出した。


「・・・上か」


 ルビィはふと何かを思いついたようにつぶやいた。


「・・・な、によ?」


 息も絶え絶えのアネルがルビィを睨みつける。


「いや、僕らはこの階層ばかりに気を取られていたけど、ここからは何もみつからないんじゃないかな。こんなに調べても何もなかったし」


「それで、どうするっていうのよ・・・」


 ルビィは天井を指差して話を続けた。


「だからさ、この真上か真下になにかあるんじゃないかと思うんだ」


「・・・役立たずのあんたも、たまにはいいアイデア出すのね」


 ようやく呼吸を整えることのできたアネルが立ち上がる。


「それはわかったけど、今はもっと大事なことがあるでしょうが・・・」


 粘塊の消化液によって人形使いのドレスはぼろぼろになっていた。もはや露出していない部分の方が少ないくらいで、その上、あちこちが焼け焦げている。ルビィは慌てて目を逸らしたが、間に合うものでもなく耳たぶまで真っ赤になっていた。


「あんたのトコの風呂借りるわよ・・・体中、べとべとして気持ち悪いったらありゃしないわ!」


 よほど頭に来ているのか、アネルはあちらこちらが隠しきれていない格好を気にもせず、のっしのっしと歩きはじめた。


「本来なら、あんたがこうなっていたのよ。あたしが身代わりになってあげただけなんだから!あんた、背中流しなさいよ。あたしの!」



 

 グエンの一行は第10層、第11層と快調に探索を進めていた。しかしながらメンバーの誰もが疑問を隠せずにいる。それは敵に手応えが無さ過ぎたからだ。前回の探索で遭遇した悪魔のような敵が現れることもなく、最下層域に到達しても、遭遇するものといえば、これまでとさして変わらない相手ばかりであった。


 ましてやこの迷宮の構造上、下層に進めば進むほど迷宮の面積は狭くなり、言うまでも無く探索範囲も狭まる。こんなに簡単に侵入を許すものだろうか、という疑問が生じるのも当たり前の話であった。


 しかし、その疑問の回答はほどなくして明かされる。第11層を探索しつくしたパーティの結論によって。


 疲れが浮かび始めた暗い表情のレーベが、どうにか感情を押し殺してその答えを告げた。


「ないわ・・・この第11層には下へ降りる道が存在しない」


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