第8話 それぞれの休日Ⅱ
グエンが鎧の肩口を剣で打ち鳴らし、敵を挑発する。
数匹の土トカゲが群らがってきても全く意にも介さず、一丈はあろうかという爬虫類を蹴り飛ばし、殴り飛ばし、剣で薙ぎ払うのであった。
「今だ!ルビィ!」
「は、はいっ!」
グエンの振るう剣の柄で頭部をしたたかに殴られたトカゲの頸部を、ルビィの短刀が鋭く切り裂く。片刃刀の切れ味を生かす為、切っ先近くを使う様に注意しているのは、最近よく剣の手ほどきを受けているクロマの教えに従ってのことだ。
刀身全体を使うと血糊が付着し、刃が滑って使い物にならなくなってしまう。出来うる限り疾く、刀の切っ先で柔らかそうな急所を薙ぐ。携帯する武装に限りのある迷宮探索ではそれが鉄則なのだ。
硬い骨や皮膚へまともに刀を撃ち下ろせば、衝撃で刀の背が伸びてしまうこともあり、また突き刺す時も刃が抜けなくなってしまわぬよう、なるべく浅く鋭く突かねばならない。一刀に命を預けるということは、その扱いに細心の注意を払う必要があるのだ。
そうしてルビィが確実に獲物を仕留めてゆく一方、グエンは豪快に剣を振るい、敵を打ち倒す。愛用の大剣は鍛冶屋へ修繕に出しており、代用として通常サイズの長剣を使用しているのだが、それでもこの階層の敵にとっては、あり得ない程の災厄であっただろう。
グエンの剣技はルビィやクロマのそれとは対照的で、斬るというよりは殴ると言うのが適切である。長く重い武器を振るうことによって射程を確保し、重い斬撃はその切れ味などを度外視して敵の骨を砕き、破壊するのだ。
一見して粗野とさえ映る攻撃と正反対なのが、もはや洗練されつくしたかとも思える体術による防御の技であった。その体捌きによる防御能力は驚異的であり、盾を持たぬグエンがたった一人でパーティを防護する壁役をこなすことを可能としていた。
即席とはいえ、百戦錬磨の戦士が柱となっているパーティだけに効率よく戦闘が行われ、土トカゲの群れは次第にその数を減らしていった。グエンはこうして、盾役が敵を引き付けパーティを護りつつ、討ち手が敵を確実に屠ってゆくという基本戦術をルビィへ教えようとしていたのであった。
手持ち無沙汰はアネルである。高い耐久力と攻撃力を兼ね備えたぬいぐるみが壁役と討ち手の両方をこなし、アネル自身はその制御に注力するというのが彼女のスタイルだ。それが単身での迷宮探索が可能である所以でもあったし、実力的には下層への侵入も可能だろうと噂されていた。その壁役でグエンに活躍されては、出番がないにも等しい。
「あ!危ない!あたしにまかせて!」
巨大なぬいぐるみの拳が背後からグエンを襲った。グエンの剣とぬいぐるみの拳が衝突し、まるで鋼と鋼がぶつかり合うかのような衝撃音が鳴り響く。ぬいぐるみ内部に一体、何が仕込んであるというのか。
「お前は何をしているのか・・・」
ぎりぎりと歯軋りをするグエン。恐るべきはぬいぐるみの力だ。百体にも及ぶ機械仕掛けの魔法兵士を押さえ込む女戦士が、布製の拳を支えるのに相当の膂力を割いていた。
「あら、ごめんなさい。手が滑ったわ」
「滑り続けてるのは、お前の頭だろうが・・・」
ついにぬいぐるみを押し返し、巨体を蹴り飛ばしたグエンがアネルとにらみ合う。
「ち、ちょっと、ふたりとも止めてよ。こんな時に――」
そう言ってルビィが二人を振り返ったのと、その不幸な少年の後頭部にちょっと大きめな土トカゲが齧りついたのは、ほぼ同時のことだった。
ルビィ達の即席パーティが地下迷宮にいるちょうどその頃、レーベは自室で探索行の準備に追われていた。物資補給の手配は既に済ませたのだが、自身が行使する魔法の事前準備が手付かずのままだったのだ。
この世界において、魔法は決して万能の奇跡といったものではない。源泉となる力の源とそれを活性化する触媒、加えてそれを制御し導く然るべき手法が必要であった。
無から有を産み出すことはそれこそ奇跡であり、魔法は特定の物理法則に従って行使される極めて現実的な行為である。力を行使するにはその対価として同等のエネルギーと技術が求められるのだ。
例を挙げれば、例えば『火炎の弾丸で敵を攻撃する』としよう。そのためには同等量の火勢と、それを弾丸として飛ばすエネルギーが必要となる。それらのエネルギーを制御するのが、魔法の術式である魔方陣と呪文だ。魔方陣にはそのエネルギーがどのように挙動するのかが示され、呪文の詠唱はその実行命令となる。
この場合、魔法陣には炎となる力の源と、それが導かれる道筋、弾丸となって目標を攻撃するといった一連の動作が記され、実行時の呪文は即ち『炎よ。我が敵を穿つ弾丸となりて彼を滅ぼせ』となる。
魔法術式は使用者の力量によって異なり、また歴史の積み重ねの中で様々な流派に分岐したという経緯から、細かな部分でそれぞれ違いはあるが、概ね同様の原理で使用されている。
共通して言えることは、大きな力を行使しようとすればより複雑で高度な魔法術式が必要となり、実行までの時間と労力が増大するということである。実際にこれを迷宮で実行することは実用面から鑑みても現実的ではない。
その結果として、迷宮で行使する魔法については事前に術式を実行し、それをなんらかの『器』に封じ込めておくといった方法が取られていた。具体例としては、レーベが先の悪魔との遭遇戦で行使した雷撃の魔法が挙げられる。レーベは強力な雷の力を予め自分の杖に封じ込めておき、術式を解放してそれを使用したのである。
このように魔法を封じておくに適したもの――魔法特性に特化したスタッフやワンド、アクセサリ類や書物等に複数の魔法を準備し、これを使用するのが一般的な手法だ。悪魔や古代の竜族と異なり、体内に魔法器官を持たない人間にとってはこれが最善の策でもあった。
レーベは指輪やアミュレット、愛用の杖に魔法を封じているが、全てを準備し終えるには半月程度の時間が必要となるだろう。特に魔法の源となるエネルギーは自然界の力を司る精霊に依存することになり、長い時間の対話と帰依が必要なのだ。火炎弾を産み出すためにマッチを擦り続けるわけにはいかない。
必要な術式を整えながら、レーベは過去に思いを馳せた。魔法という存在に触れる時、彼女は自身の存在とその在り方について、どうしても感傷的になってしまう。
魔法――それはレーベを産んだ母そのものであったからである。そして彼女は自身に課せられた運命を切り開かねばならないことを知っていた。この仮初めの平和に満ちた世界の命運を賭けて。
百年続いた戦乱が終焉を向え、天下泰平の世はその戦乱期以上に永きに渡り続いていた。しかし何故、一世紀も終わることが無かった戦争が終わったのか。また、その後に新たな争いが起きなかったのか。その理由は今や、子供が子守唄代わりに聞く昔話でも語られている。
――ダンジョンは芸術だ。
今から百数十年ほど前、そう言い遺した魔法使いがいた。彼はいくつもの俗称で呼ばれていたが、世間で広く知られていた呼び名は『緋色の導師』という。
この稀代の魔法使いは魔法を用いた建築の大家であり、多くの城や伝説的な建造物の建築に携わった。中原の東端に人知れず佇むという『大天宮図書聖堂』も彼によって建造されたと伝えられている。人物としても公正明大で慈愛に溢れ、多くの人々に慕われていたそうな。
その彼が突如として戦乱の世に軍を挙げ、瞬く間に中原を平らげた。
『緋色の導師』が率いる兵団は、3mの巨体を誇る鋼鉄のゴレム数百体を筆頭に、数千の魔道機械兵、魔法を操る数限りない幻獣を擁し、迎え撃った人間の軍勢は、一溜まりもなく敗走した。
この魔法兵団の進軍はわずか3年で中原を平定し、人々が『緋色の導師』を魔導王とさえ呼び始めた頃、彼はこう宣言する。
――全ての戦争行為を禁ずる。破った者はこの魔導王の軍勢によって必ずや滅ぼされるであろう。
かくして戦乱の世は終わりを告げたのだった。正確にはこの魔導王の宣言後、諸方各国が連合し魔法兵団討伐の兵を挙げたのだが、結果は惨憺たるもので、連合軍は再起不能なほど叩きのめされた。これにより『緋色の導師』に抵抗できる勢力は事実上、消滅した。
だが、この絶対的な支配権を確立した魔導王は中原に君臨することなく、自ら建造したダンジョンに隠遁し、歴史の表舞台から姿を消してしまう。中原諸方の国々は隠遁した魔導王への恐れから、戦争をタブーとせざるを得ず、そうして中原に太平の世が訪れたのであった。
『緋色の導師』はこうして伝説となったのだが、その真実を知る者は少ない。レーベはその数少ない人物のひとりであった。それもごく近しい、その意思を継ぐ者なのだ。
優しき彼が自ら起こした戦いによって多くの命を奪い、残悔の日々を過ごしたことを忘れることはない。彼の目的がどんなに正しいものであっても、他ならぬ彼自身が自己を許すことはなかったのだ。
だから私は彼の遺志を継がねばならない。なぜなら、そのために私は生まれたのだから――
グエンと仲間達に出会えたことは本当に喜ばしいことだ。この重い足取りがどれだけ軽くなったことか。この生命が、精神がどれだけ救われたことか。それだけにレーベは彼女達を自分の運命に巻き込んでしまったことが心苦しかった。
だけど――
そんなことを言ったらまたグエンに叱られるだろう。逡巡する自分の弱さを笑い飛ばすだろう。なんと眩しいことか。まさに彼女は太陽のようだ。レーベは作業の手を止め、一息入れようと思ったのだが、お気に入りのハーブティーを切らしていたことに気付いた。
「あら、困ったわ。またカナンにお願いしないと・・・」
当のカナンが程なくしてレーベの元を訪れ、共に遅い午後のお茶会を楽しむことになることをこの時のレーベは知らない。
「本当に済まない。わたしが付いていながら・・・」
「あたしのせいじゃないわよ!この牛乳が出しゃばるから・・・」
ルビィは頭に負った怪我の手当てを受けていた。それほど深い傷ではなかったことは幸いであったし、またカナン手製の軟膏の薬効成分のせいか痛みの方も随分、和らいでいる。
「しかし、ルビィ。これを見ろ。お前が怪我をしたのは本当に本当に本当に悲しむべき事だが、その甲斐はあったかもしれないぞ」
グエンがルビィに手渡したのは土トカゲの牙だった。普通の土トカゲの牙と異なり、玉虫色の光沢を放っている。
あの時、土トカゲに噛まれたルビィを見たグエンは、なんとも表現しがたい奇声を発して憎き爬虫類に飛び掛り、あっという間にぼろ雑巾にしてしまった。牙はその際に折れたものであろう。その死体が側に倒れているが、やはり並みの土トカゲより大きな個体で、皮膚を覆う鱗は金色がかっていた。
「ごく稀にいるのだ。土トカゲの希少種だな。牙は特に鍛冶屋が高く買い取ってくれる。金貨10枚にはなるだろう」
「き、金貨10枚・・・ですか!ほんとに!?」
金貨10枚を換算すると銀貨1000枚に相当する。頭を噛まれたおかげでかなり立派な浴室が建造できることになり、ルビィは内心、小躍りするほど嬉しかった。実際に踊ることが出来ないのは、彼がグエンの膝の上に座らされていたからだ。
「グエンさん、そろそろ降ろしてもらっていいですか?」
「駄目に決まっている。手当てはまだ終わっていない」
駄目なのはこの状況だ、と思いつつも、その抗議すら無駄そうなので諦めるルビィであった。アネルは既に土トカゲの解体に取り掛かっていた。目の色が若干、変わっている。
「治療が終わったらこの土トカゲの牙を鍛冶屋へ売りに行こう。馴染みの鍛冶屋がある。アビゲイルに頼んで剣を修理に出していて・・・」
こうして即席パーティの初戦は、ルビィの軽症と予想外の高額収入で幕を降ろした。この時、後にアビゲイルが全裸で馬小屋に吊るされることになるとは、誰ひとり知る由もなかったのである。
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