第5話 探索者を待つもの


 


 



 キルギスホーンの街に初の公衆浴場が出来る半月ほど前のこと――


 その日も、ルビィは地下迷宮第三層で狩りに励んでいた。計画の実行にはそれなりの資金が必要になるため、ここ数日は迷宮に入り浸りといった状態である。浴場の建設は、グエンへの感謝を込めてという想いがきっかけではあったが、ルビィ自身が迷宮探索を続けているのには別の理由があった。


 グエンがのぞかせる自分への執着について、その理由になんら思い当たることがないルビィは、それが彼女の一時的な気まぐれによるものだと信じて疑わなかった。


 今でこそ半ば成り行きのように、中原最強と謳われる女戦士の庇護を受けている身ではあるが、それがいつまで続くのかは見当も付かない。なればこそ、自身で身を立てる術を身に着けるべきであったし、また、身に余りある厚遇に、ただ甘んじるだけではいけないとも思っていた。


 つまりは自分自身の食い扶持はしっかり自分で稼ぐのだと思い定め、日々精進していたのである。


 最近はルビィ自身も自分の長所、短所についてある程度の理解を深め、装備も自分のスタイルに合わせたものを揃えるように心がけていた。パーティメンバーからお下がりの提供もあり、装備が更に充実したことによって、より効率的に狩りができるようになった。


 現在の装備は、軽くて丈夫な革鎧に愛用のベストの重ねて着用し、右手にはすっかり手に馴染んできた異国拵えの短刀、左手には攻撃と防御の両方をこなせるマンゴーシュを装備している。膝当て付きのロングブーツには予備兵装を兼ねた万能ナイフを二本収めてある。耐久性や防御力よりも動きやすさや敏捷性を重要視した、小柄ですばしこいルビィにはうってつけの装備だ。


 糧食や飲料水、ファーストエイドキットを詰めた雑嚢、戦利品などを収納する大きめなポーチを背負った姿は、先日までの旅装とはうって変わってずっと探索者らしいものになっていた。


 もちろん装備が充実するとそれに比例して総重量も増加し、それが食料等、消耗品の携帯が制限されることにつながる。結果的に行動範囲や逗留期間も限定され、単独での探索領域がいいところ表層域までという定説の根拠にもなっていた。


 また、収支のバランス面で見ても中層域以降へ進まない限り迷宮内の宿営にはメリットがない。食料や燃料代といった経費で赤字になってしまうからだ。そうした経緯からルビィも他のビギナー探索者に倣うがごとく、日帰りで探索するのが常であった。


 朝早くから迷宮に潜り込み、日の落ちる前に地上へ帰る。市場が閉まる前に帰還すれば、その日のうちに戦利品を換金することが出来るので、荷物の管理が楽という利点もある。


 もちろん同業者諸兄も考えることはみな同じで、特に混み合う時間帯などは迷宮内で他の探索者とかち合ったり、戦利品取引きで市場がごった返したりすることもよくあった。


 その点でルビィは恵まれていると言うべきか『猛牛のお気に入り』だとか『アマゾネスの飼い猫』等々悪評含めて有名人になってしまったおかげで、逆に大きなトラブルに巻き込まれることもなく平穏無事に日々を過ごせていた。


 そうした探索の日々で新たに気付いたこともある。ルビィは自分自身を戦闘経験もロクにない、ただの素人と認識していたのだが、調理器具を装備して迷宮で日々の糊口を凌いだり、盗賊相手に立ち回りをしたりなどという真似が、果たしてただの素人に出来るだろうか?これはレーベの指摘でもあった。


 そこで思い当たったのは、自分がこれまで行ってきた料理人としての修業についてだ。弟子を取らないという師匠の元に三ヶ月通いつめ、ようやく弟子入りを果たすことが出来たのだが、最初に課せられたのは徹底的に身体を鍛え抜くことであった。


 料理人は身体が資本という師匠の命に従い、錘のついた重い棍棒で朝から晩まで素振りをしたり、丸太を引きずりながら河原を走り回ったり、山中にあった師匠の屋敷から麓の町まで、大樽を背負って酒を買出しに行ったり、とにかく扱きに扱き抜かれたのだ。


 無論、これが料理に何の関係があるのか?という疑問もないわけではなかったが、ついて来れなければ即破門とも言い渡されていたこともあり、ルビィは文字通り石に噛り付くかのごとくに、修行の日々を過ごしたのである。


 その修練の積み重ねの結果、ルビィは技術面では素人であっても、身体能力は並みの探索者では及びもつかないほどの領域に達していたのだ。そんな鍛錬を課した師匠に感謝すべきなのかどうか、自分がきちんと目標に向って進んでいるのかどうかも含めて、ルビィはいまだ判断しかねている。


 武装が似通ったスカウトのクロマに剣の手ほどきを受けた際も、飲み込みが早いと褒められたのだが、それも身体が出来上がっていたからであろう。


 訓練中、自分が蚊帳の外になったグエンは不満気だったが、なにしろ体格も扱う武器も方向性がまったく異なるものであったので、そこはどうにか納得してもらった。肩もみマッサージ一時間という、一方的で根拠不明な条件が付随はしたが。


 日の傾きかけた夕刻、ルビィはいつものように探索を終え、街へと帰還した。今日の目ぼしい戦利品は、ゴブリンが所持していた宝石の粒がいくつかと銀貨が10枚、大蜘蛛の爪が5本、土トカゲの皮が4匹分とまずまずの収穫であった。それをグエンのパーティが馴染みにしている雑貨商に持ち込み、換金を依頼する。


 宝石の鑑定を待つ間、ルビィは『キルギスホーン地下迷宮案内図』を見ながら、明日の探索ルートを考えていた。これは商工会が発行している冊子タイプの地図で、つい先日、『迷宮に自生する食用植物図鑑』と共に購入したものである。


 おや、と思ったのは自分の書き留めていた第三層の見取り図と、商工会発行の案内図に相違点を見出したからであった。


 ルビィは案内図を購入するまで、自分自身の手で迷宮の見取り図を作成していた。こうしたマッピングのスキルは「食材の入手場所について記録が重要」という、今では怪しいとさえ思える師匠の言によって、身に着けたものだ。ゆえにルビィは地図の作成には自信があったし、出来得るかぎり正確に記録しているとの自負もあった。


 ところが、その正確であるはずのルビィお手製の地図と、商工会発行の案内図には相違が認められる。これはどういうわけだろうか。冊子型の地図を様々な角度で見直してみても、やはり違和感は払拭できなかったが、そんなルビィの疑問は宝石鑑定を終えた雑貨屋の店主によって遮られた。


「お待たせしました。黒曜石と玉髄がほとんどでしたが翠玉もふたつ混ざっていましたよ。買い取りは切りのいいところで1500シリングでいかがですか?」


 フライパンで戦っていた頃とは桁違いの収入である。グエン御用達の店でもあり、店主も好意的なのだろう。その他の品々も相場よりやや色を付けた価格で買い取ってくれた。


「有望株のお客様には早めに、よいお付き合いをさせていただきませんとね。期待していますよ。お若い勇者殿」


 さすがに海千山千の商人といったところだろうか。よい商売とはこういうものなのだろうな、と感心しきりのルビィであった。




 ルビィが地上に帰還したのと同時刻、グエンのパーティは第七層で戦闘状態に入っていた。この階層は六つの大部屋とそれを連結する通路で構成されており、それぞれの部屋で待ち伏せている『守護者』を倒さなければ先に進むことができない。


 迷宮全体が下向きの四角錐となっているため、階層の総面積は表層部よりもかなり狭いのだが、待ち構える敵が強力な分、攻略は困難を極めるという。


 パーティは前衛に戦士のグエンとスカウトのクロマ、後衛に魔術師のレーベとアーチャーのアビゲイルがおり、補助系の呪術を得意とするドルイドのカナンと、パーティの保護や回復を受け持つ神官のシルヴィスを中央に配して、その前後を固めるという陣形を取っている。すでに5つの大部屋を突破し、グエンの一行は未到達地点である最後の大部屋へと侵入した。


 中へ入ると同時に、探索者が『ブリキ頭』と呼称する魔法仕掛けの人造兵士が、数に物をいわせて正面から押し寄せて来る。先頭でタンカーを務めるグエンはびくともせずに、身の丈ほどもある大剣を時には盾として用い、また薙ぎ払い、次々と周囲に残骸の山を築いていった。


 短剣の手練者であるクロマは、嵐のようなグエンの攻撃からこぼれ出たブリキ頭に、確実にとどめを刺し、後方からは援護としてアビゲイルの長弓による狙撃とレーベの範囲攻撃魔法が間断なく打ち放たれる。


 回復の出番のないシルヴィスは、パーティ全体に物理攻撃を軽減する保護魔法を張り巡らせ、カナンは油断なく周囲警戒の魔法を展開していた。


 並のパーティでは攻略困難な第7層でも、グエンのパーティによる侵攻は防ぎきれないようだ。それはまた、グエンのみならず、そのパーティを構成するメンバーひとりひとりが卓越した技能を保持していることを物語っている。


 戦いは終始、グエン一行の優勢であったが、大部屋にひしめいていたブリキ頭の大方が鉄屑へと姿を変えた時、突如として周囲の気配が一変した。床面が不気味な光を放ち、室内の温度が急激に低下してゆき、大気が一層深い闇に塗り潰された。


「来るぞ」


 短く言い放ったグエンの吐息が白く煙る。第七層最後の大部屋は、この時、すでに氷の牢獄と化していた。


 脈動しながら光を増す床面に、巨大な魔方陣が浮かび上がった。そこに刻まれた精緻な文様と古代文字は、全てを汚し冒涜していた。その呪いに呼応するかのように、光の中央に巨大な黒い影がせり上がってくる。


 それは遥か太古より存在する原初の悪。神代の大戦に敗北し、地の底に封ぜられた闇の眷属。世界の全てを唾棄し、氷の煉獄より呪詛を謳い続けるもの。人々が悪魔と呼ぶ存在が、ついにその姿を現した。


 神官シルヴィスが素早く祝福の祈りを高位詠唱し、対魔法防御、物理防御力向上、回復力増加を通常の保護魔法に上乗せする。カナンはドルイドの呪術を用いパーティメンバーの身体能力増強と、各武装への強化付与を施した。


 悪魔が全身を猛り狂わせ咆哮する。それは呪詛に等しく、パーティを保護する積層型の防壁を三層までも吹き飛ばした。しかし、わずか一撃で防壁の三分の一が失われたにも関わらず、シルヴィスは冷静さを失わない。加護のシールドを修復し、その維持に努める。そこへレーベが樫材のクォータースタッフから高位攻撃魔法を解放し、シルヴィスの援護にまわった。


 持続性のある雷が悪魔の周囲に降り注ぎ、その動きを封じる。レーベの放った魔法によるものだ。雷撃に焼け焦げた悪魔の表皮が次々と再生を始めるが、アビゲイルの狙撃とクロマの投擲ナイフの追撃によって、それは阻害された。


 これらの一連の動きを見ても、その連携は洗練の域に達していると言えよう。グエンのパーティは強力な悪魔に対しても、過去に数多くの戦闘実績があり、すでに多大な成果を上げているのだ。メンバー全員が落ち着き払って、それぞれが自身の役割を完璧に果たしている。


 とはいえ。悪魔はいまだ健在であり、有効な攻撃を与えてはいないのが現状であった。悪魔の持つ、その強靭な耐久力と強力な魔法攻撃は大いなる脅威である。その脅威がついに本格的に牙を剥いた。強大な闇の眷属は雷撃に晒されながらも、人類が発音不能な未知の言語で呪文を詠唱した。


 それは呪われた氷塊の嵐だった。汚濁にまみれた超低温の吹雪がパーティを襲う。神聖な加護の障壁はその全てが砕け散った。だが、それで十分だった。そこまでの戦闘で時は満ちたのである。


 一箇所に固まり、防御陣形を敷いていたパーティメンバーが四方に散る。そこにグエンがいた。直視できないほどの輝きを帯びた大剣を構えて。


 攻撃力増加、神聖攻撃追加、魔法障壁無効化等々、複数のエンチャントを極限まで重ね合わせた大剣は、これも限界まで能力向上を付与されたグエンの、閃光のような打ち込みによって悪魔の眉間に突き刺さった。断末魔の叫びすら上げる間もなく、生きた闇はそのあるべき場所へと霧散した。


 悪魔の消滅と同時に、大部屋内部の空間が現実世界へと回帰する。後に残っていたのは魔方陣を発動したと思しき巨大な緑柱石のみであった。


「今のは影ね。本体はこの下かしら」

 レーベが床下を透かし見るかのように視線を落とす。


「いるな。この迷宮は当たりだ」

 そうつぶやくグエンの表情は、勝利者のそれとは程遠いものであった。



 翌日、ルビィは再び地下迷宮第三層を訪れていた。地図の相違点がどうしても気になり、現地で事実を確かめるつもりであった。手製の見取り図でその場所を確認し、まずは歩数で距離を測ってみる。やはり何度計測しても、自身で作成した見取り図の方が正しいようだ。


 商工会発行の案内図では、目の前にある壁の裏側がすぐに回廊となっている。だが周辺を正確に測り図面化すると、壁と回廊の間に10m四方程度の空間がなければならないことになるのだ。そこに何かあるのか、と周囲を調べてみたのだが特に目ぼしい発見もなく、本日の探索は徒労に終わりそうである。


「あなたもそこに目をつけたの?なかなか見所あるじゃない」


 突然、背後から声をかけられてルビィは飛び上がった。振り向くとそこにひとりの少女が立っていた。いや正確にはひとりと『何か』である。少女の隣に立っている物体は――そのサイズを除けば、ではあるが、何か小動物を模した人形のように見えた。


「あなた、あの牛女のお気に入りだったわね。名前は・・・なんだっけ?」


 背丈は小柄なルビィより更に小さい。その分なのか、横にそびえる人形はルビィの倍以上のサイズだった。家の中になんて入ったら、身動きすら取れないだろう。


「ルビィです。失礼ですが、あなたは?」


「あたしはアネル。傀儡師よ。よろしくね」


 アネルと名乗った少女は外見上、どうみても探索者には見えなかった。フリルとレースだらけのパーティドレスで着飾っており、迷宮に必要な機能はひとつも無さそうに見える。手にしているのは日傘であり、ルビィがかつて装備していたフライパンの方がはるかに役に立つだろう。


「言っておくけど、そこに目を付けたのはあたしが先なのよ。抜け駆けなんてしたら・・・」


 ルビィを頭の先から爪先まで、なめる様に見渡したアネルは、満面の笑顔で告げた。ある一点を凝視して。


「ちょん切るわよ」


 去ったばかりの危機がまた到来し、ルビィは再び、あの時と同じ寒気に襲われた。














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