第4話 風呂上りの夜空に


 

 盗賊一味が捕らえられたことで、ルビィが奪われたものがその手に戻りはじめた。師匠にもらった餞別は元より、悪徳商人に騙し取られた開店資金もあらかた返還され、そのおかげで、これまでの食うや食わずの生活も大幅に改善されたようだ。


 また、グエンのパーティに参加したことにより、それまでの木賃宿生活から、きちんとしたベッドと寝具のある宿屋暮らしへと昇格を果たすこともできたのである。

 

 グエンのパーティが拠点としている『暁のカモメ亭』は宿泊施設のある酒場となっており、宿泊用の部屋の半数をパーティで借り上げていた。その部屋のひとつがルビィにあてがわれたのだった。


 調理場も亭主の計らいで気兼ねなく借りることができたので、ルビィにとっては住みやすく、すこぶるよい環境である。もちろんまったく問題がないわけではなかった。困りごとの原因は言うまでもないが。


 つい先日のこと。グエンのパーティは迷宮の探索領域更新を目指して、第七層以降の攻略へ挑戦していた。もちろんルビィには危険すぎるということで、参加は見送りである。


 彼は引き続き、単独で3階層での狩りを続けていた。いくら財産が戻ってきたからといっても、日々の働きを怠ればすぐに行き詰まってしまう。先日までの過酷な生活が影響してか、ついついそのように考えてしまうルビィであった。


 そうして一週間の予定で迷宮へ入っていたパーティが無事に帰還を果たした。到達領域の更新に成功したグエンたちは盛大に祝杯を上げ、ルビィも店主を手伝って、調理場で大いに腕を振るうことができた。


 探索による収入も、第七層ともなると相当な金額となる。この階層では小型の翼竜や魔法を動力に動作する自動人形、低級の悪魔なども出現するようになり、凶悪度が増し増しとなっているのだが、その分、得られるものも大きく、翼竜の骨や革、自動人形の機械組織や動力源である魔法炉、悪魔が死後残す魔力の生体結晶など、そのどれもがたったひとつでルビィの一年分の収入に匹敵するほどであった。

 

 稼ぎが大きければそれだけ喜びは大きくなるものだ。宴会は朝まで続くようなので、ルビィは退散し寝床に入ろうと宴会の場をこっそり抜け出した。


 軽く汗を流してから眠ろうと思い、ルビィは宿の裏手にある井戸へ向った。夜陰の向こうから水音が聴こえる。どうやら先客がいるらしい。戸口の陰から井戸を覗いたルビィは思わず息を飲んだ。


 井戸の傍らにはグエンがいた。月光に裸身を晒し、井戸の水を浴びている。


 月の光に照らされて青白く輝くグエンの姿は、まるで神話の一幕でもあるかのように神々しく美しかった。冷たい井戸の水を弾く肌。たくましくもしなやかな肩の稜線。月光を写し、濡れ光る胸の双丘。そのどれもがルビィの視界に焼き付き、彼の思考を蒸発させる。


「誰かいるのか?」


 グエンの誰何に、ルビィは冷水を頭から浴びたかのように正気を取り戻し、慌てて自室へと逃げ込んだ。胸の鼓動が早鐘のように鳴り響き、心臓が破裂してしまうのではないかと思われた。身体が熱い。寝床へ飛び込んでブランケットを頭から被り、胸中の衝動が去り行くのをひたすら待つのみで、ルビィはひたすら数字を数えた。


 そうしてしばらく目を閉じていると、ようやく気持ちが落ち着いてきた。両頬はまだ火照っていたが、いくらか平静を取り戻しつつある。大きく吐いたため息が途切れる前に、ルビィの部屋の扉が勢いよく開いた。


「え・・・?」


 足音高らかに部屋に現れたのはグエンだった。水浴で塗れた洗い髪が乾く間もなく、彼女はごく当たり前のような仕草で、ルビィの寝床に入ってくる。


「ちょっ!グエンさん?なにしてるんですか!」

「うるさいな、おとなしくしていろ!」


 グエンはルビィを背後から抱きしめ、その感触と臭いに酔いしれた。


「一週間ぶりなんだ・・・そのままで・・・」


 あまりの出来事に眩暈に襲われているルビィを尻目に、グエンは寝息を立て始めた。一週間にも及ぶ探索行の直後である。やはり、相当に疲れていたのだろう。ルビィは逸る胸の鼓動抑えつつ、グエンを起こさぬよう、しばらくじっとしていた。そうして寝息が深く本格的なものなったことを確かめ、そっとグエンの抱擁から抜け出そうと試みる。


「う・・・ん、だめ・・・」


 ほとんど寝ぼけたままのグエンが脱出を計るルビィを再び捕らえ、その胸に抱きしめた。先ほどまでとは向きが逆で、ルビィの顔は完全に、グエンの豊かな両胸に埋没してしまった。


 その時、天井からカタリ、と音が響いた。見上げると天井板をずらして、クロマが顔を覗かせている。もごもごと暴れているルビィに向ってサムズアップを決めたかと思うと、そっと天井板を元に戻し、姿を消した。どうやらまた、監視体制に戻ったらしい。


 ――助けてはくれないんだ・・・


 グエンの胸に溺れかけていたルビィは、鼻血を噴いたと同時にそのまま意識を失ってしまった。


 以上が最近のルビィの生活の様子なのだが、そんなイベント盛りだくさんの日々が続く中、彼は『暁のカモメ亭』亭主に以前から算段していた、ある計画を持ちかけた。話に耳を傾けた亭主はすっかり乗り気になってしまい、計画は水面下で着々と進められることなる。それからしばらくの間、ルビィは資材集めと準備に忙殺されたのだった。そして、ついに決行の日が訪れる。


 パーティが再び迷宮最深部へ向けて出発したと同時に、宿舎の裏手には戸板が張り巡らされ、その内部では昼夜に渡り突貫工事が行われた。ルビィと亭主は『暁のカモメ亭』の従業員までも動員して、パーティの帰還までの完成を目指し、毎日を汗にまみれて過ごしたのだった。


 そしていよいよ、計画は最終段階を迎える。


 グエン達のパーティはきっかり一週間後に帰還を果たした。過酷な探索を終えたメンバーを迎えたのは、ルビィが設計した共同浴場であった。宿屋の裏手にあったスペースに、新たに大き目の東屋を建て、そこに石造りの浴槽を設けた。井戸からの取水の動力と湯沸しの熱源は、前回の探索時に入手した魔法炉を用いており、これにより24時間いつでも入浴可を実現したのだった。

 

 実のところ中原では、お湯での入浴自体が一般市民層にとってはあまり馴染みのないものであり、一部の王侯貴族が道楽として設備を用いているに過ぎない。しかしルビィの師匠の故郷では、このような浴室で湯浴みをするのが当たり前となっており、ルビィも習慣的に入浴をするようになっていた。


 湯浴みは身体の疲れを取るには最適である。以前住んでいた師匠の屋敷に設置されていた浴室を参考に、共同浴場を設営したのだ。これがキルギスホーンで最初に作られた『風呂』となった。

 

 ルビィは、探索の疲れを癒したもらいたいという純然たる思いで浴場の設置を計画したのだが、やはりここで計算外となる出来事が巻き起こった。グエンは入浴するごとに毎回、ルビィに背中を流すよう要求するようになったのである。その度、ルビィは大量に鼻から出血することを余儀なくされる羽目に陥ったのだった。


これがこの度、キルギスホーンで本格的に営業をはじめた初の公衆浴場誕生秘話である。犠牲となった少年の鼻血の量は、決して忘れてはならない・・・







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