第183話 ロマンチスト
「お待たせしたね?」
「いえ、相変わらず戯けが上手で」
マリナは目の前に現れた老人の映像に言う。
「なに、伊達に肉体を捨てとらんよ。ワシもかつては天才と呼ばれた。それ故に弱点もよくわかっておる。なかなか油断ならない賢さを持つ相手に出会えないという経験不足は」
巫女田英明は満足げに髭を撫でる。
「九歳は九歳ですから」
マリナは頷く。
正生との会話は非常に際どいところまで突っ込んでいた。短時間で少年の本音を引き出したというところは非常に優れた仕事である。
「それで、カクリはなんと?」
「……なにも」
特科に呼び出したのは英明の方だった。クッキーが秘密兵器の演習で戦闘訓練場を使うから見に来ないか、というようなメッセージがカクリに送られ、その連絡を受けて正生の監視のついでという形でマリナが行くことになった。
「なにも?」
「会いたくない、と」
マリナはきっぱりと告げた。
「おう……」
英明の映像が乱れる。
「いつものことでは?」
「この傷つく心こそが恋心なのだ」
「なるほど」
永久に片想いをするプログラム。
それが巫女田英明だとカクリに説明されたことがある。人工知能の学習を地球人類に役立て続けるためにどう縛るか、結局はヒトが諸悪の根源であるというような古典SFのオチを避けようと天才と呼ばれた男が導き出した答え。
(ロマンチスト)
「……恋心を抱きつつも、全先正生とカクリ様をくっつけようとなさるんですね。その辺りの気持ちがよくわかりませんが」
マリナは言う。
用意された部屋に表示される映像は正生と妻たちの戦闘訓練を映し出している。本気で戦う気のようだが、それさえ夫婦の営み、そう思うと胸の奥がチクチクと痛むのは事実だった。
「カクリに必要な男だからだ」
「そうでしょうか?」
「マリナ・トゥット、それは嫉妬か?」
「……!」
いきなり言われて、動揺する。
「どちらに対しての嫉妬だ?」
英明はさらに追求する。
「どちら……?」
「少し前の君ならば、カクリを取るかもしれない男に嫉妬していたはずだ。しかし、今は正生を取ってしまう女に嫉妬している」
「そんなことは」
「与えるだけの力があると思うかね?」
「……はい?」
話の転換は唐突だった。
「与えることは同時に奪うことでもある」
英明は戦う少年の映像を見る仕草で言う。
「カクリは娘たちにジェネシスを与え、ジェネシスを持たない人生を奪った。若返り強くなる力、その一見すると魅力的だが危険な力が娘たちの人生を大きく歪ませたのは間違いない」
「……彼の能力も、そうだと?」
マリナは緊張する。
カクリの娘たちの多くが不幸になっている。
もちろん本人たちの気持ちまではわからないが、客観的に事実を並べれば、生まれ持った能力を生かして充実した人生を送ったと聞いて羨むほどの域には達していない。
「全先正生の能力は未完成だ。改造された肉体が生み出すものを脳が完全に受け止め切れていない。結果として夢魔は常に揺らぎの中にある。内側と外側からの影響を強く受けて変化しつづけている。このことが意味するのは……」
「能力を奪う?」
心当たりはあった。
「イソラの淫魔、すみの洗脳、コピーとは行かないまでもその要素を受け取っている可能性は高い。伊佐美の身体能力強化もそれを加速させているだろう。性欲と食欲、正生はそう表現しているようだが、区別すべきかどうか」
英明は肩を竦める。
「
「貪る」
それは正生にしっくりくる言葉だった。
「女を貪り、食を貪り、そして睡眠を貪る」
「先生も三つ目があると?」
マリナは尋ねた。
三大欲求。
「あるだろう。間違いなく。そしてそれは遺伝でもあるはずだ。だからこそ、改造され、簡単には死ねない肉体にされていると考えるのが自然だ。
「すべてが意図されたことだと?」
英明の言葉は信じがたかった。
「少なくとも、カクリが日本に滞在するという報道の後、全先中達の逮捕に繋がる情報が警察にもたらされたことは確認が取れている。その情報には正生の改造内容も含まれていた」
「機械の心臓」
マリナは口にする。
「そうだ。血液中を流れ自己増殖するナノマシン。肉体の損傷を強化回復するこの技術の存在を示唆することで、カクリが正生をスカウトする理由は用意されていた。あとは……」
「月暈島へ送り込まれる」
流れはわかる。
「ですが、先生。だとすれば、カクリ様に正生をあてがうような行動はテロリストの意図を実行しようとしているだけなのでは?」
だが、マリナは少し頭痛も覚えていた。
ここまでわかっているのならば、正生を止めなければならないのが筋だ。淫魔と洗脳の影響がどこまで出ているかも見極めて、これ以上の肉体関係者を増やさないようにすべきである。
「テロリストが敵かどうかはわからん」
英明の映像は首を振った。
「敵です。少なくとも機関を上回る技術を地球上に持ち込んだ宇宙人はいる。地球の平和にとってそれは極めて危険なものなのは……」
「ワシの敵かどうかはわからん」
マリナの反論に片想いプログラムが応える。
「なにを」
「カクリを素直にしてくれるかもしれんからな」
「……すみません。あの」
本格的な頭痛がはじまっていた。
「ワシがすみに行った刷り込みはほぼ間違いなく機能していた。しかし、正生と交わった結果がどスケベなのは認めざるを得ない」
「先生。あの、ちょっと喋るのを止め……」
マリナは止めようとする。
「正生は能力によって力と快楽を与えている。それが交わった女たちに異常なほどの依存性をもたらし、その行動を変えているのは君自身もわかっているはずだ」
だが英明は止まらない。
「依存性? そこまでのことは……」
マリナは否定しようとする。
そこまでのことはない。
ふとした時に思い出すぐらいだ。
普通だろう。
「依存性という言葉が悪ければ言い方を変えよう。そうだな……
「……」
言葉が出てこなかった。
「全先中達も同様だとワシは考えている」
「同様?」
「全先正生とその父、全先中達の間に血縁関係はない。つまり、正生の能力の遺伝元は母親ということになる訳だが、これが意味することを考えればわかるだろう?」
「……エマンシペイションの結果?」
英明の言葉にマリナは戦慄する。
「よ、欲望を解放して息子を改造したと?」
信じたくない話だった。
「死刑判決を受けるまでの裁判で全先中達がほぼなにも語らなかったのは、語れなかったからだとワシは推察している。思想なきテロリスト。欲望の
「……」
マリナは戦う正生を見つめる。
「不幸な少年だ」
英明は言う。
「欲望に突き動かされているだけの父とも知らず、その死刑を回避しようと戦いに挑み、そして自らも知らずテロリストとなっていく。起点がどうあれ、連鎖的な不幸になっている。だからワシは正義こそテロリズムだと告げた」
「思想を与えようというのですね」
「ヒーローは力で物事を解決する。つまるところ結果主義だ。条約を批准した国に対して機関が保証しているとは言え、法も秩序も無視した暴力による解決が善であると言い切れる根拠はどこにもない。結果の善性で見逃されているだけだ」
英明は言い切る。
「……それで救われる人はいます」
マリナは言った。
矛盾を孕んだ存在なのは理解している。
「ならば、ヒーローも救われていいはずだろう」
老人の言葉は静かに響いた。
「救われるべきだ。ヒーローこそ」
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