第182話 天才はこれだから

「これは訓練ですがー。正生くんの反省をさらに促すためー、わたしたちに負けたら罰を与えたいと思いまーす。いーい?」


 腰に当てた両手、銀色の籠手に包まれた拳をぐっと握って引きながら、すみは言った。鎧の内部で動いている機械の音が高まり、ヘッドギアの正面に半透明でグリーンのガラス状物質が現れる。おそらく頭部を保護するバリアのようなものだろう。


 そして髪の毛は重力に逆らい広がっていた。


「いいかどうかは……罰の種類にもよりますが」


 オレは正直に言う。


「わかってるよー」


 すみは頷いた。


「限界を超えて追い込んだときの理性も正気も信頼できないことぐらいは、わたしが一番思い知ってる。そうでしょ? ねー? 白い獣くん?」


「……」


 根に持ってた。


 いや、そりゃ初体験で犯されたんだから当然で、オレはもう一生この女性ひとに頭上がらないことは納得してるけど、それを持ち出して反論を封じてくるのは卑怯だとも思う。


 本人が把握してないけど強力な能力者だし。


 洗脳を発揮されたら勝ち目ないし。


 伊佐美みたいに自他共に認める屈強な存在ならともかく、普通の生身に獣を発揮した改造人間が負けてる。尋常じゃない吸引力のどスケベなのは言葉が悪くても事実でしかない。


「だーかーらー? おしりの処女を失う心の準備をしておいてねー? それもクッキーちゃん謹製の正生くんサイズですからー」


 すみは言った。


 はい、どスケベ。


「……えーと、あの……」


 オレは両手で顔を覆って言う。


「いやだとでもー?」


「……そうじゃなくて、おしりの処女はもう奪われてます。この間の、勇者に誘拐されたとき、間々崎咲子の姿でしたが、その、色々とありまして……」


 黙っているのは不誠実だと思った。


 裏切るよりは言ってしまう方がいいのは間違いない。けれど、なんでこんな恥ずかしい告白をしなければいけない羽目に陥るのか、あらゆる因果がオレの人生をエロに巻き込んでいるとしか思えなかった。


「兄さん? 勇者に?」


 黙って見ていたクッキーが意外そうに言った。


「ち、違。勇者じゃなくて、勇者に力を与えてた魔神の話は聞いたと思うんだけど、そいつに、その、ご……ごめんなさい」


 なぜ、謝るのか。


 自分でもよくわからなかったが、なんか童貞も処女も妻たちにあげられない自分のリアルビッチ加減に情けなさしか込み上げてこなかった。咲子の処女を奪ったマタは実に慧眼だったというべきなんだろうか。


「……男の姿では?」


 すみの声が響く。


「え?」


「男の姿ではまだだよねー?」


「……はい」


 オレを見つめるすみの目は据わっていた。


 はい、どスケベ。


「すみ、罰は別のんでもええんと……」


「クッキーちゃん、わたし言ったよね?」


「……聞いたよ? そら、兄さんが余所の女にフラフラせんように、ウチらであらゆる嗜好をカバーしよ言うんはええけど、兄さんの様子見たらわかるやん。趣味やないことは」


 天才は適切な反論をしていた。


 なによりオレに気を遣ってくれている。


「だから罰だよ」


 しかし、すみは本気だった。


 本気でオレに罰を与えたがっている。


「それに、夫婦なんだから、わたしの趣味に付き合ってくれてもいーでしょー? ねー? 正生くんもそー思うよねー?」


「はい」


 オレに拒否権はなかった。


「兄さん……」


「気にしなくていい。負ける気はないから」


 クッキーに言う。


 戦闘訓練に対して不甲斐ない場合の罰である。どスケベという発言内容に対しての罰ではない。反省はしているが、忖度して負けるというものでもない。罰が明確に罰ならば尚更だ。


 勝っていいのだ。


「そーそー、それでいーんだよ。わたしだって正生くんの奥さんになったからこーやって命を狙われる想定もして、戦う覚悟をしたんだからー、この秘密兵器が本当に強いってことを確かめないとねー……」


 微笑みながら、すみは舌なめずり。


「……」


 その視線の力に背筋が震えた。


「愛されとるの」


 起きてたのか色ボケ姫。


「責められる気持ち良さを知る者ほど、相手にも同じ気持ち良さを与えたいと思うものじゃ。心して受けるがよい」


 尻がぞわっとすることを言うな。


「……泣いて嫌がるところも見たいしー」


 ぞわぞわぞわぞわ。


「あの、すみさん? オレたちまだそんなにアブノーマルな関係じゃないっすよね? 実際……二回目ぐらいですよね?」


 恐怖を振り払うようにオレは確認した。


「回数なんて関係ないよー……毎日したって一週間待ちなんだからさー……ねーえ? わたし、本当に正生くんのこと大好きだから……わたしだけのものにならなくても、わたしのものにはしたいから……戦うよー……」


 喋りながら、すみはオレを見つめていた。


 涎が零れそうなのを我慢してるみたいな顔で。


「……」


 戦わなくても、普通にオレは貴女のものですがと言いたいぐらい、こちらも胸が締め付けられていた。完璧な両想いだ。しかし、それを口にしても満足させられない。両想いだからこそわかる。オレが本気で戦って、それをねじ伏せてすみは満足する。あるいは、オレにねじ伏せられるのを望んでる。必要なのは本気の過程だ。


 結果はどちらでもいいのだ。


「初体験で歪んだんかなー……」


 小声でクッキーがぼやいている。


 たぶんそうだろう。


 一目惚れが事実だとしても、オレがやってしまったことはすみの人間性に強い影響を与えたに違いない。そしてあのときにオレとすみは同じに洗脳された。歪みは固定されたのだ。


「……メチャクチャにしてやるよ。すみ」


 だから、オレはそれに応える。


「いーね。そーゆー正生くんも好きだよ」


 唇の端から涎が垂れた。


 キュイ・ダオ・レーン・Sの駆動音が変わる。


 バラバラだった唸りが一つの和音に。


「メチャクチャにするのはわたしだけどーっ!」


 キー……ン。


「そこっ」


 オレは背後に拳を突き出した。


「え!? 見えたの!?」


 そこには驚いた顔のすみの残像が残っていた。見上げると壁に沿って急上昇する銀色の光。かなりの高速移動が可能なようだ。


「見えたわけやないやろ」


 ランドセルを二本の腕にしたクッキーが言う。


 そして目のバイザーを下ろした。


「ま……そうだな」


 オレは呼吸を整えて言う。


「すみをあえて戦わせるぐらいだ。クッキーなら相当の自信作を持ってきたと思った。そしてこれは訓練だ。力の差を確信していても、初撃で壁に叩き付けて終わりにもしないだろうと予想できる。つまり、オレの背後ぐらい取れる性能はあるはずだ、ってな」


「そやな。データ上は兄さんを上回っとる」


 クッキーの口元がにっこりと笑う。


「せやけど、これまでのデータがアテにならんこともウチはわかっとるからね。ちゃんと秘密兵器まで出させてや?」


「……?」


「PKマグナム!」


 クッキーの言葉の意味を考えかけた一瞬の間に下降に転じたすみの攻撃が飛んでくる。開いて突き出した両手から降り注ぐ光弾。オレは地面を蹴って走り出す。


「秘密兵器はまだ出してない……?」


 そう聞こえた。


 立体映像の街並みはすでに実体化していて、すみの照準を外すように左右に切り返しながら進んでいくと外れた光弾で建物が次々に崩壊していく。一発一発がやたら強い気がする。


「プリンスキラーマグナムの威力はどうや?」


 クッキーの声が音響を通じて響く。


「兄さんがセラム相手に一発やっと打ち出した威力を再現しとる。まともに食ろたらすーぐ終わってまうよ? 頑張ってやー?」


「おいおい……」


 オレが必死に絞り出した武器をもう実用化?


 天才はこれだから困る。  

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