第166話 神経の図太さ
マリナの仕事が終わったのは明け方近くだった。勇者ら四十七名の受け入れが決まったことで、大量の報告書や申請書が必要になったためだ。正生は軽く誘ってくれたが、事務手続きの煩雑さだけでも余計なことをしてくれている。
(なぜ、私がこんな目に)
激しい疲労を感じたが、口にはできない。
実際に受け入れる島役場はこれから勇者らの能力および身体検査を行わなければならず、まだ帰れる目処も立たない徹夜仕事をつづけている。理事会開催中の忙しさに追い打ちだ。
(お疲れさまです)
マリナは静かにセンターを後にした。
それでも平和な悩みなのだ。
正生からの報告を聞く限り、巻き込まれたのが彼でなければ、事態はもっとややこしいことになっていた。魔神ニーヤーによる陵辱、これだけでも、他のヒーロー予備軍の女性が対象だった場合、とても和解できない案件である。
(犯され慣れている)
異常なことだが、そう表現するしかなかった。
正生の強さはその能力以上に神経の図太さに由来していると思わされる。自分が同じ立場だったらどうだろうかと考えたとき、マリナには同じようにする自信はない。
(魔神を倒すことを優先する)
いかに交・歓して、本来の身体でなかったとしてもそれ脇にはおけない。やはりプライドがある。敵に報いを与えたいと思うだろう。それができることがヒーローになる一般的な動機とすら言えるのだ。
(プライドがないのだろうか?)
マリナはそう思ってしまう。
ヒーローになるのが、テロリストの父を救うため、戦ってなにかを変えようということが主眼にないからこその柔軟性とも言えるかもしれないが、言動を見る限り、人間が出来ている訳でもない。むしろ勢いで行動しているかのように見えることさえある。
(カクリ様はこれをわかって、セックスと?)
正生への興味はさらに深まりつつある。
(身近にいないとわからないのだろうか)
そして黒幕として姿を現した死霊使いペック。
詳しい資料が機関にも存在しないが、伊佐美を軽く封殺した龍を見れば、厄介な存在であることに疑いの余地もない。仮に勇者との戦闘を優位に進めたとしても、どう転んだかわからなかった。その意味でも、結果的には、正生の判断以上の安全策はなかったと言える。
既に島に入り込んでいる敵。
導師と呼ばれる人物がペックなのか。
(考えれば考えるほど、深刻だ)
勇者の離脱によって日本がトーンダウンしたとしても、それで終わりではない。波風を立てようとしている人物の目的が変わらない限り、手を変え品を変え、機関への揺さぶりをかけてくるだろう。その意味でも、正生の監視任務は終わらない。
(五十鈴家に泊まったのか)
夏に近づきつつある太陽を見上げながら、マリナは欠伸をする。テスト明けの休暇、発信器にも動きははい。あれだけのことがあったのだから、休むのは当然ではある。
「眼中有人」
あさまの視界を共有する。
布団で寝ている間々崎咲子の顔を見下ろしていた。髪を撫でる手、どうやら穏やかな様子である。ヒロポンで撮影していた。
(なにもない、か)
マリナは近くでキャンプを張ることにする。
そのための荷物も持ってきていた。勇者の件に一応の決着がついてしまったので、あまり不自然にあの一夫多妻に近づきすぎる訳にもいかなくなっていた。男が一人しかいないのだ。
(妙な誤解をされる訳にもいかないから)
テントを設営し、周囲に認識阻害の簡易結界となる杭を打ち込む。見えなくなる訳ではないが、よほど注意深く探しでもしない限りは、意識されなくなる。これからは正生の移動に合わせて野営がつづくことになるだろう。
簡単な食事を済ませると昼過ぎだ。
(あとどの位で男に戻るだろうか)
あさまの視界を見ると、シャワーを浴びていた。鏡の前で、念入りに自らの裸をチェックしている。その表情はしかし、緩みきっていた。いつもの凛とした落ち着きがなく、そわそわとしていて、視点は定まっていない。空想に浸っている人間の視界だ。
(初体験、だろうから)
マリナはしばらく見ないと決める。
覗き見る能力。
物心ついた時にはもう使えていた。
あまりにも自然にそうだったので、他人もそうなのだと思っていたぐらいなのだが、家族や友人、近所の人、三十人ぐらいの視界を常に共有して生活していたことで、各人が秘密にしていることまで見ていて、ズバズバと言い当てて、気味悪がられて機関を呼ばれたのだ。
そしてカクリの付き人になる。
「マリナ、あなたの能力をどう使うべきか、わたくしと視界を共有して考えなさい。見せてあげますよ。この世界がどうなっているか」
世界中を飛び回りながら、カクリの行動を、本人の目で見てきた。だから、ヒーローになろうと思ったのも自然なことだった。人々を守り、人々の為に働き、人々に感謝される。
そこになによりの充実があるのが見えていた。
(けれど、今の私に与えられた任務は)
人々を守るわけでも、人々の為に働くわけでも、人々に感謝される訳でもない。ヒーローへの推薦は獲得したが、充実感はない。機関にとっての正生の重要性はわかる。興味も出てきた。だが、それに自分が貢献できているかは、実感できないのも事実だ。
(私が手を出すタイミングがなかった)
救ったのは呪い殺すために自ら死にそうだったあさまぐらいのものである。あとは正生が解決していた。勝手に、かつ想像以上の形で。
「時々思うのだけど、マリナの能力にとって、マリナ自身の視界とはなんなのかしらね?」
カクリがそんなことを言ったことがある。
「どういう意味でしょうか?」
「あなたは、自分の目で見るより他人の目で見たものの方が多いのでしょう?」
「そうかもしれません」
「戦っているときなどは、むしろ自分を見ている相手の目で、相手の位置と距離を確かめている」
「そうですが」
「自分の目で届かないところばかり見ているマリナにとって、自分の目はもどかしい存在になっているのではない?」
「もどかしい。よくわかりません」
「そう? 忘れて、ふと思っただけだから」
覗き見る能力。
(カクリ様に言われてからだ)
視界を共有することで、相手を知った気になっているのではないかという違和感を覚えるようになったのは、見えている。確実に見えているのだが、ちゃんと同じものを見ているか確認したくなるときがある。
(この、部屋か)
マリナは五十鈴家に潜入していた。
潜入術を使い、屋敷の屋根裏に入り込み、発信器の位置から、正生の寝ている部屋を割り出す。能力的にはまったく必要のない行動。そして自分の目で覗き見る。
「やっと男に戻った!」
そこには全裸の正生がいた。
「ようオレ? 元気してたか?」
脱ぎ捨てた女の服が散らばっていて、うれしそうに自らの陰茎を握る姿がある。股間に向けて語りかけていた。正直に言って、まったく意味のわからない独り言である。
「さって」
正生は部屋の隅に置かれている鞄を開ける。
「問題ないな。じゃ、ちょっと」
上からでは中身まで見えないが、なにかを確認しているらしい。そしてなにか指先に摘むような仕草をして、股間に押しつけた。
ぐん、と陰茎が勃ちあがる。
(え?)
「こんなもんで、こんなもんか」
正生は自分自身を見つめながら頷いてる。
「♪」
そして鼻歌混じりに、畳まれていた着物を着込むと、部屋を出ていった。おそらくはあさまのところへ向かったのだろう。
(なにを)
マリナは部屋に侵入した。
正生が見ていた鞄の中身が気になる。
古びたリュックサックの蓋を開けて、中を見る。あれだけの数の妻を満足させるには、あの若さでも薬に頼るのだろうか。神経が図太いようで、その辺りは繊細なのだろうか。
「空?」
だが、中身はなにもなかった。
塗り薬のようなものでも入っているのかと思ったのだが、それらしきものどころか、なにも入っていない。マリナは口を全開にして底の隅々までのぞき込み、さらに手を入れて隠しポケットでもないか探ってみる。
ビクン。
全身に甘い痺れが走ったのはその時だ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます