第139話 安心

「飛びすぎっ! 量多すぎっ!」


 地下空間に声が反響する。


「なんだよ! なんで、この状況を落ち着いて見てんだよ! あさま! 母親が夫の尻を責めててそれを見つめてるってなんだよ!」


 即座に鎖鬼の鎖に捕らわれたリリは叫んだ。


「母親だけど、妻になる? から?」


「はぁ!?」


 あさまの説明に対する常識的反応。


「い、いえ、まだ返事はしていませんよ。娘ほどの歳の相手なんて、そんなことすぐには……」


 クッキーの姿でみひろがこっちを見る。


「そんなことより娘の夫であることが問題だけど、ね。もうなにを言っても仕方がないもの。だから、家に帰って落ち着いて話し合わないと」


 あさまは指で唇を撫でながらオレを見る。


 母娘でそんな物欲しげに。


「どういう意味? なんの会話?」


 魂が入れ替わってることを知らないとわけがわからないだろう。オレだって正直、混乱しそうになる。ひとりだけ裸で男でイっちゃったのに、それ自体がスルーされるって。


「鬼の能力で水の状態やったからマタのセンサーに反応せえへんかったっちゅうことやな」


「しかし、そう考えると周辺に同じようなことをして潜伏されると把握できないぞ」


 みひろの身体のクッキーと伊佐美は真面目に会話してるんだが、とりあえずひっくり返したオレの身体をテーブルみたいにしないで。


「……」


 しかし声を出す気になれなかった。


 オレのハートは粉々である。相手の予想もしない攻撃で不意をついて先制し、戦いの流れを掴む。結果としてリリとの戦いはシンプルに終了したが、オレの尊厳が失われた。


 こんなのヒーローじゃない。


「とはいえ、時間ももうあまり」


 言いながら、伊佐美はジャージのポケットからバイブするヒロポンを取り出した。呼び出しがあったらしい。


「マタ、そっちの様子は? 動き出してるか? こっちは羽黒リリを確保した。正生たちも合流している。……わかった。すぐに向かう」


「なんやて?」


「トシテが歩きはじめたようだ。作戦もなにもないが、とりあえず空気熊で動きは止める。正生、術者は探せるな、一緒に来い」


 伊佐美が言ってオレを持ち上げて立たせた。


「あ、あの、オレ、服とか」


 全裸で戦うのはちょっと嫌なんだけど。


「裸でいいだろ? 勃ってもいない」


 下半身を見て、肩を竦める。


「よくはないよ!」


 なんか見慣れた的なテンションで言われるのおかしいから。五十鈴母娘みたいに喜んでくれるならまだしも、ぞんざいに扱うのはひどい。


 もうちょっと労って!


「パンツぐらいないと」


 どこかで男物を調達する時間をください。


「じゃあ、羽黒、パンツ黒いだろ」


 伊佐美は生徒を指名した。


「なにそれ! なんであたしに!?」


 リリは黒であることを否定しなかった。


 正確に言うと、黒いブラ紐が鎖の炎で透けてるので、上下が揃っていればわかることではあるのだが、しかしなんだこの展開は。


「黒だったら遠目にはブーメランパンツってことでなんとかなるだろ。そしたら背後から襲撃しようとしてたことは不問にしてやる」


「は? ふざけないでよクマ公! それでも教師なの!? あたしにぶっかけただけじゃ飽きたらず、下着を脱がせてその男に履かせる気!?」


「履かせる? ちょ、女物だろ!?」


 そんな特殊な感じは困る。


「リリ、ごめん」


「あさま!」


「よし、脱がせてやれ」


 なぜかあさまがやってきて、リリのスカート野中に手を突っ込もうとしている。なぜそんなノリ気でオレに履かせようとするんだ。


「フォーヴ・マスクは?」


 だが、混乱した場は、クッキーの声、みひろがオレを見ての一言で静まる。着ぐるみでポテポテと歩いてくるとネコ科の手でオレのモノを肉球で持ち上げて見つめている。


「使い方がよくわかってなくて?」


 貰ったものの竜宮城の件では出番もなかった。


「白い獣には自発的になれないのね」


「お母さんなんでそれを?」


 みひろの言葉にあさまが言う。


「フェアリから直接、あの人がファンだから、最初は間接的な知り合いだったんだけど、邪な男だから別れろって妙に心配されて、ちょっとケンカしたり、それからは心・友! となんか慕われちゃって、よく浮気の情報とか教えてくれて」


「……」


 レイジ、友達に裏切られてるぞ。


「正生くん。白い獣になれば少なくとも裸の心配は要らなくなるわね。それでいい?」


「え? いや、でもなるには」


 イソラの能力か、千鶴の媚薬がないと。


「この中で処女はだれ?」


 みひろは振り返って言う。


「お母さん、なにを急に?」


「あさまと」


「あ、あたしは違う」


「羽黒の娘」


「ウチの身体も処女のはずやけど?」


 クッキーが言う。


「ありがとう。でも大丈夫、二人分もあれば十分でしょうから。ほらあさま、連れてきて」


「あ、あのみひろさん? オレ、白い獣になると自分を制御できないから、あんまり」


 なにがはじまるにしても嫌な予感しかしない。


「心配しなくても大丈夫。フォーヴ・マスクがあれば恐れているようなことにはならないから。あさまモタモタしないの」


 だがみひろは聞き入れない。


「や、やめろよ。なにすんだよ!」


「あの、お母さん? リリだけじゃダメ?」


 あさまは言う。


 正々堂々とクラスメイトを売ってきた。


「待てコラ! あさま!」


「そんなに怯えなくても、別に処女を奪ったりしないから安心しなさい。すぐ終わるわ」


 そう言ったみひろの着ぐるみの尻尾がするりと伸びて、あさまとリリの腕を素早く刺した。目にもとまらぬ早業、変な見かけによらず、あの格好強いのか。


「「ったっ!?」」


 二人が声を揃えて痛がった。


「毒とかは出してないから、処女の生き血、少し頂いたわ。これで性欲の鬼を喚んで、正木くんに飲んでもらいましょう。これまでも凄かったようだし、さらに多少増しても、妻をまだ増やすつもりなら対処できるでしょう」


「性欲の鬼?」


 なんだその露骨すぎる感じ。


「あ、あの、いや、オレ、やっぱ裸で戦いますよ。伊佐美がトシテを止めてる間に、オレが術者を探せばいいんでしょ? 白い獣になる必要なんてないですから。相手は子供だし?」


「そうだな」


 伊佐美がオレの腕を掴んでひねりあげ、床に押し倒して身動きをとれなくする。そして頭を掴んで仰け反るようにした。


「ちょ、伊佐美、言葉と動きが合ってない!」


「そうだな」


 オレの抗議に伊佐美の目は据わっている。


 本気かよ。


「球磨先生、手際がいい」


 そう言いながら、みひろは青く光っている床に血を撒き、それを指でのばして文字のようなものを刻み込みはじめる。青い光が消えて、赤い光が灯りだした。


「おいで、性欲の鬼」


 みひろは唱える。


「子孫を繁栄させよと湧きいずる力よ」


 床においた両手にひとつずつ、赤くゆらめく光の固まりが吸いつくようによってくる。クッキーの小さな手でミヒロはそれを持ち上げ、両手の上に浮かべて見せた。


「それが鬼なん?」


「戦闘に用いられる鬼は能力を人格ごと封じたものです。対して、わたしが使う封呪の鬼は、人間の感情や欲求の部分を鬼として切り取ります。呪いとしては弱体化を目的としていますが、逆にこうして与えることで力ともなります」


 クッキーの質問に答えながら、二つの赤い光をこねるようにしてひとつにまとめる。禍々しい光が室内に広がった。見ているだけで下半身が疼くようなヤバさは明らかだった。


「正生くん、口を開けて?」


「……」


 オレは首を振った。


 待って欲しい。だれの性欲をオレに食わせる気なんだ。自分の性欲すら制御できてないのに、他人の性欲なんか受け取れない。


「心配しないで、これは色狂いで帝を悩ませたとある姫から取り出された鬼だから。男の性欲みたいに発作的なものではないわ。安心よ」


「どこに安心の要素が!?」


 オレは抗議する。


 色狂いって!


「よし」


「お、がっ」


 だが、口を開けた瞬間に伊佐美が手を突っ込んで閉じられなくした。だからなんでそんなに積極的に協力するんだよ。どういうことだよ。


 オレの性欲だけでは不満ですか?


「女の性欲は相手の影響なく安定して高いから、きっと白い獣になりやすくなるはずよ。大丈夫、正生くんに子宮はないから色狂いにまではならないわ。欲望の上澄みを移植するだけ」


「!」


 もうなに言ってんのこの人!

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