第125話 浮気男

 記憶にない。


 そんな言葉は性質の悪い大人の言い訳だとオレは思うし、そんな言い訳を必要とされるような状況に陥るレベルの出来事を忘れるなら、ちゃんと医者に行って頭の中を調べて貰うべきだ。


 病気だから。


「は、ぁ、あぁ、あ、あ」


「……」


 だが、オレは記憶にない。


 巫女装束を身体に絡ませた汗だくの女がオレの下で吐息を漏らし、虚空を見つめている。頬には涙の乾いた跡があり、肌には歯形やキスマークが残っていた。


 オレの左手はおっぱいを握っている。


 呪いのせい、のはずだ。


 視線が泳ぐ,女の顔はしっかりと目に入っているのに、頭が理解を拒んでいる。あさまがそのまま歳を取ったような、要するに、妻の母であるはずの相手であることを認めたくない。


 五十鈴みひろ、四十七歳。


「夢……」


 どうなってるんだ。


「ゆめ、のわけ、ないでしょ、う」


 オレの言葉に、女の目の焦点が合った。


「どういう、つもりなの」


「……」


 答えられる訳がなかった。


 記憶にない。


 なにもかも覚えがないのだ。この広々とした和室も、一本の木から切り出したような大きな座卓も、その上に押し倒してそのまま繋がったかのような状況も、そして結合部の液体も。


「はなれなさい」


 あさまの母は静かに言った。


「あ、あの……」


「はなれて!」


 そして叫んだ。


「はいっ」


 反射的に立ち上がったが、腰が抜けていて、そのまま後ろに尻餅をついてしまう。信じられないほどに全身が重たい。だが、卓上から畳に滴り落ちる汁を見れば状況は明らかだった。


 何回したのかわからない。


「……」


 オレは周囲を見回して、脱ぎ捨てられた制服を見つける。這いずって、手を伸ばしてヒロポンを取り出し、時刻を確認すると午後九時を回っている。完全に夜だ。


 五十鈴家に来たのは昼過ぎだったはず。


「七、時間よ」


 あさまの母は辛そうに身体を起こして言う。


「あなたは、異常だわ」


「……」


 オレだってそう思う。


「あさまが入ってきたことにも気付かなかった」


「……え」


「あの子の目の前で、あなたはわたしを乱暴に犯した。自分の性欲を満たすためだけの、一方的な、信じられないことだわ」


「あの、オレ、なんて言えばいいのか」


「なにも言わずに出て行きなさい」


 あさまの母の言葉は当然のものだった。


「なにも、言わずに」


 そしてその目からは新しい涙が溢れてくる。


「なんでなの。あなたには若くて、美しい、結婚してくれる女がいくらでもいたのに。なんで、こんなことを。わたしたちになにか怨みでもあるの。わたしは、わたしは……」


 乱れた服を直すこともなく泣き崩れる。


「……」


 オレはズボンに足をつっこんで、そのまま部屋から逃げ出すしかなかった。釈明すべきかもしれない。なにか原因があったはずだ。


 だが、耐えられなかった。


 オレよりも三十年も長く生きている相手が、それも何百人かの一族を率いる立場の人が、暴力の前に屈する姿が目に焼き付いて離れない。


「く、クッキー」


 屋敷の外まで飛び出して天才に縋る。


 状況的に、あさまと一緒にいるはずである。


 本人への釈明は無理だが、客観的にオレが正常でなかったことはわかってくれるはずだ。そうなのだ。なにかの影響、オレ自身の気持ちとは関係ない。わかってくれる。


「……」


 通話はすぐに繋がったが、相手は喋らない。


「クッキー、オレだ。ど、どこにいる?」


「姉さんの部屋や」


 受話器の向こう側から冷たい声が鼓膜を刺す。


 明らかに怒っている。


「オレ、どうなってたんだ? き、記憶がないんだ。白い獣のときとは違う。まったく、全然、覚えてない。ウソじゃないんだ」


「呪われてたんちゃう?」


「!」


 そうだった。


 オレはあさまの父、レイジとメシを食って。


「せやけど、それが今の状況でなんの慰めになるかはわからんけどな。姉さんのおかあはんをレイプした事実は変わらんのやから。そして、これからだれをレイプするかもわからん」


「……」


 確かにその通りだ。


「そう姉さんに言われて、ウチらは逃げた」


 クッキーは言う。


「実際のところ、兄さんを物理的に止めるんはウチらには厳しい。呪いの実行を邪魔しようとして、戦いになったらどうにもならん」


「確かに」


 現実的な意見だ。


「そんでプライドの高い人らしいから、状況を他人に見られたら死ぬことを選ぶかもっちゅうて、下手に人も呼べん。部屋の周囲を呪術的に閉ざして、終わるんを待つしかなかった。それがまた長かったっちゅうことや」


「ご、ごめん」


 確かにとんでもなく長い。


「結果的に、姉さんのおかあはんを見捨てることになったんはホンマに残念やわ。家の人に知られても困るから言うて、マタすら応援に呼ばしてもらわれへんかった。無力感でメッチャ腹立つ」


「……」


 それで怒ってるのか、それだけじゃないだろうが。


「とりあえず少なくとも無差別に女性を襲うような呪いではないようや。女性の家の人に通されてる訳からな。特定の状況か特定の相手かを狙ったもんというのが姉さんの予測や。しかし、それがわかっても解呪できるかはまた別の問題になる」


「それで、オレはどうすれば」


 状況分析はよくわかった。


 問題はそれへの対処である。


「呪いはウチも流石に専門外や。ここまでの話を聞き出すのにも手こずってる。おかあはんを見捨てて荒れてる姉さんの気持ちが落ち着かんことにはなんとも言えんわ。せやからウチはしばらく姉さんの側にいることにする。ほなな」


「え、ちょ……」


 プチッ、と通話を打ち切られ、かけ直しても繋がらない。言うべきことは言った、ということなのだろう。あさまが荒れていると言ったが、クッキーも荒れていることは間違いない。


 またしても、だからな。


 呪いのせいだろう、という推測が立っても、オレという人間への不信感が増えない訳ではない。根っこがケダモノと露見している状況ではさらにである。オレすらオレを信じられない。


 呪いによってレイプしたのか。


 呪いによって内なる欲望を解放しただけか。


 この辺りの区別がつかない。


 しかし、まず、文句を言うべきは。


「あの野郎」


 レイジだ。


 兄の死に絡めて、あさまを守るためにセラムを認めた。そんな話を喫茶店で聞いた。そこまでは覚えている。納得できなかったが、あさまにも同じことを言ったと言われて、引き下がるしかなかった。ナポリタンを食って、そこからの記憶が曖昧になってる。


 たぶん、あそこで呪われた。


「くっそ」


 ともかく探すしかない。


 自分がなにをしでかすかわからない呪いを受けたまま、帰れる場所などなかった。甘根館の住人は妻も含めて女性ばかりである。これ以上、被害者を増やせない。


 喫茶店まで走ったが当然閉店。


「どこに」


 考えてもわかる訳はない。


 レイジとは初対面だったのだから。


「落ち着け」


 気持ちばかり焦った。


 不安が膨らんでいく。おかしいのだ。おかしい。オレはあんなに酷いことをしたのに、思い出して興奮している。目に焼き付いたあさまの母の姿を反芻しようとしている。


 記憶が戻らない苛立ちがあった。


 ヤっちまったことなら、覚えていた方が得じゃないかという人間性がオレの中にある。考えたくないのに、そればかり考えそうになっている。どうしようもない人間だった。


 だれの気配もない砂利道をトボトボと歩く。


「……」


 オレだけではどうにもならない。


 だが、だれに助けを求められるのか。


 ヒロポンの電話帳に記録された名前を見つめながら、事情を説明して助けてもらえるかと言うことについて考えると躊躇わざるを得なかった。答えはひとつしかないのである。


「どうも呪われて、妻の母親をレイプしちゃったんですよね。どうしたらいいと思います?」


「死ねばいいと思うよ」


 オレが相手の立場ならそう言うしかない。


 死んで詫びろ。


「……」


 だが、オレは電話をした。


 死ぬのなら、レイジをなんとかしてからだ。


「マサキ、アンタから電話なんて濡れるけど!」


 開口一番に酷いが、だからこその相手だ。


「イソラ。どこにいる? 会いたいんだ」


「やった! 今から! 今から!?」


「もちろん」


 浮気男には浮気男として対抗するしかない。

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