第117話 羽黒リリ

 オレの席がクラスの孤島と化していた。


 隣のあさまの席がセットではあるので、カップルシートかな、と脳神経が幸福回路に接続しそうになったが、机への落書きという古典的いやがらせを前にすると案外落ち込む。


「バカチンポ」


 デカデカと書かれていたメイン罵倒。


「勝利数<セックス数」


 痛いところを突いてくるで賞、進呈。


「ヘンタイ」


 変態ではない。


「ロリコン」


 クッキーがいるから仕方がない。


「おっぱい好き」


 ロリコンとは矛盾しないのだろうか。


「リア充爆発しろ」


 爆発する。


「死ね」


 死なない。


「ヒーローの面汚し」


 否定できない。


「あなたを救う神の言葉を聞きませんか? 方法は簡単、神の名前シャグヂサゴヂヂンヂンオオミシャオミシャミシャミシャと唱えながらメールを想い人に送るだけ、想い人に神が降臨します」


 マジックで書かれた落書きの中に混じった筆文字の怖いヤツ。神が降臨しちゃうのかよ。しかも想い人に降臨するのかよ。迷惑だよ。


「はじめまして」「好きです」「嫌いになりました」「むしろ好き」「大好き」「夢に出てきましたね」「わたしも愛してます」「デート楽しかったです」「焦っちゃダメですよ」「避妊具買いました」「今度、家に来ませんか?」


 赤かったり青かったりするけど、筆跡は明らかに一緒の一群。よくわからないが、オレに対してのメッセージじゃないと思いたい。幸せそうでなによりであるが、他人の机で連絡を取り合うのはやめてもらおう。


 相手、いるんだよな?


「気持ちよかったです」


 その感想は本人にその場で言え。


 消している時間もなかったので、あさまの机に座ってテストを受けた。初日、三教科分、だれも寄ってこない。当然ではある。


 近寄り難い存在になったのだろう。


 王子殺しだ。


 あの巫女田イソラと浮気現場公開から考えれば、オレについての評判は悪化することこそあれ、良くなる要素はなにもない。逮捕されて不起訴になったのも、世間的にはむしろ疑惑を深める結果になったはずだ。


 事実、巫女田カクリの権力を使っている。


 誤解ですらないので釈明することもできない。元々テロリストの息子で来ているので信頼性の低いところに加えて騒動を起こしているので印象は最悪だろう。オレの評判はともかく、オヤジの評判まで下げているのは不本意ではある。


 汚名返上できるだろうか。


 テストが終わった。


「……」


 オレ自身が宇宙人という秘密を抱えている限り、どう足掻いても難しいような気がしながら、冷たい視線を感じつつ席を立つ。


 ガンっ。


「……」


「全先、顔貸しなよ」


 女だった。


 落書きで汚れた机が蹴飛ばされ、脇腹に当たっていた。それをさらにグリグリと押し付けるようにしながら、半笑いで言ってくる。


 背後には取り巻きだろうか、三人。


「この後、用事あるんで」


 オレは机を押し戻して、さっさと教室を出る。


「そんな態度でいーのかなー?」


 女はヒロポンを取り出して言う。


「大事な嫁さんの秘密が暴露されちゃうかもよー?」


「夫に知られたくない重大な秘密がー」


「男に知られたら恥ずかしい秘密がー」


 女に同調するように三人が口々に言って、教室内の注目も集まってくる。流石に無視できない。完成したてのマタの秘密ってことはないだろうが、五人もいるとだれの秘密かわからない。おそらくブラフだが効果的ではある。


「わかったよ」


 面倒なことになった。


 それでなくても疲れている。


 相手が女だったから呪いが発動しないのが救いではあるが、四人の後につづきながら、眠気を抑えるので必死である。むしろ戦ってくれた方が緊張感が保てて楽なぐらいだ。


「……」


 連れてこられたのは体育館裏、という定番の場所である。テスト期間中なので部活などもないのだろう。静かなものだ。


「全先さー、最近チョーシ乗ってるよね?」


 女たちはオレを四方から囲む。


 気配から言って強い感じはまったくないのに、それでも余裕の表情である辺り、なにかあるのだろう。戦闘というより、早漏共のような能力の意味でだ。


「はい」


 オレは頷いた。


「は?」


「調子に乗ってます。そりゃ乗るでしょ。人生のモテ期ですよ。今乗らないでいつ乗るんだって感じですよ。これでいいですか?」


 そして正直に言ってみる。


「よくねーよっ!」


 もちろん相手はキレた。


「そ・こ・は! 乗ってません、だろ!」


 地団駄を踏んで怒る女ははじめてみた。


「りりちん、相手のペースだよ」


「こっちが優位なんだから落ち着いて」


「ふぁいとー」


「……」


 なんか三人の女子に励まされてる。


「あー、逮捕されて戦争の引き金かもとか言われてんのに、全先は新婚生活を満喫してるわけだ? クマ公の部屋から登校だもんなー?」


「はい」


 オレは頷いた。


「だ・か・らっ! 否定しろよ! 話がつづかねーだろ! コミュ障か!? 空気読んで話を合わせろ! なに余裕ぶってんだ!」


「りりちんさんは、なにがしたいの?」


 そう言われても困る。


 余裕のあるなし以前の問題である。


「りりちん言うな! 馴れ馴れしい!」


「名前知らないし」


「は?」


「自己紹介とかしてないよね?」


 馴れ馴れしいのはそっちだ。


「ちょっと待て、全先、何日かクラスに来てて、あたしの名前を把握してないって、ホモか?」


「なんでだ? ホモ要素ないだろ」


 オレがホモなら、世の中の男は皆ホモだ。


「あたしだぞ?」


 女はぐっと胸を突きだした。


「ふむ」


 言われてみれば、スタイルは悪くない。


「六十点、かな」


 胸もそこそこ、尻もそこそこ、顔もそこそこ。そこそこ悪くないの集合体。シャツにベストとミニスカートの制服風スタイルと、手の込んだ感じのするセットされた髪は加点だが、なんか輝いてる派手な化粧は好みじゃない。


 抜群なルビアを百点とした場合の基準である。


 クッキーは対象外として、あさまが九十点、伊佐美は背が高すぎるので八十点、すみは九十五点点、マタは熟女のリアル感が強すぎるので八十点、参考記録として彩乃は罪悪感加点で六十五点、千鶴は身体的に五十五点である。


 オレ、スゲェ調子に乗ってるな!


「なんで全先が採点してんだ! それも低い!」


 女はやっぱりキレた。


「つまり、男なら惚れると言いたいわけだ」


 確かにあさまがいなければ目立つとは思う。


「勝手に話を戻すなーぁっ!」


 女は再び地団駄。


「りりちん、ペース! ペース大事!」


「その流れはよくないよ!」


「ふぁいとー」


 なんかスポーツの応援みたくなってるな。


「で、だれだっけ?」


「羽黒リリ」


 むくれながら女は言った。


「ついでに長久手マキでーす」


「蟹江ハルカだよ」


「末森かな、覚えなくていい」


「全先正生です。これからよろしく」


 オレはそう言って立ち去ろうとする。


「待ちなよ」


 だが、制服の襟を捕まれた。


「……」


 やっぱダメか。


「あたし、知ってるんだ」


「なにを?」


 あんまり聞きたくない話題っぽいが、言いたいことは言わせないと納得してくれないだろうと思ってオレは尋ねる。


「あんたの妻、あさまが実は援交を」


「ないなー」


 思った以上にくだらない。


「え? いや、ほら、この写真を」


「別人だろ」


 見るまでもなかった。


 ヒロポンに出してきた画像は、長い黒髪の女が中年男を腕を組んで歩いているというものだったが、顔が写っていないし、女の方の体つきもあさまとは明らかに違うように見える。


「……」


 リリは視線を逸らした。


 やっぱり怪しい画像のようである。


「あのさ、こんな風に強引に呼び出して、なんか持ちかけてくるような相手の話を信じないよ。普通にさ。なにがしたいわけ?」


「こう、するんだよ!」


 リリが自分の親指から指輪を抜き取った。


「!」


 ジャラジャラとアクセサリーを着けてるとは思っていたが、なにかの武器か、と思った一瞬で、三人がオレの腕を押さえにくる。寸前まで攻撃の気配を感じさせないのは優秀だ。


「よ、っと」


 だが、義兄の剣術を見た後では遅い。


 四人に触れる必要すらなく、オレはするりと包囲から抜けた。近づいて指輪をはめたかったのかもしれないが、結婚指輪すらしてないのに、そんなものをはめる訳がない。


「「「「あ」」」」


 四人が声を揃えた。


「それ、仕掛ける難易度高いんじゃない?」


「この、バカチンポの癖に!」


 リリが言った。


 アレ書いたのお前か。


「残念、っつーことでさよなら」


「そこでなにをしてるの!」


 オレが体育館裏を立ち去ろうとしたときに、女教師がやってきた。それは試験監督として教室に来ていた人物で、要するに、オレの机の様子などから疑っていたのだろう。


「いじめなんて、許しませんから」


 勢いよくやってきて、リリに詰め寄る。


「証拠あるんですかー?」


 ふてぶてしく言い放ち。


「あります。あなたが握ってるそれっ」


「触んなよ!」


 もみ合った挙げ句。


「「あっ」」


 二人の手から指輪が飛んだ。


「え?」


 そしてそれはオレの人差し指にひっかかる。


「「「「バカチンポ!」」」」


 四人が歓喜の声をあげた。

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