第101話 B級ホラー
揺れていた時間は長くはなかった。
リュウジンはもちろん、ココにも状況がわからないようで、常一を含めた三者が互いを見ながら硬直する。危機的状況に身動きが取れないのはどんな生き物でも変わらないらしい。
直後、部屋の扉が勝手に開く。
「……」
常一は即座に室内から飛び出した。
狭い通路を埋め尽くすようにイカが連なっていたが、もうなにを言っている場合でもないので能力を使い武装を展開、三つ叉の銛で追いすがってくる脚を切り裂き進む。
ぶちゃ。ぺちゃ。
「うっ!?」
振り返ると、追いかけてきたリュウジンがイカを食い散らかしていた。かなり汚い食事風景だった。墨を頭から被りながら、白いイカの肉を引きちぎっては、あぐあぐと咀嚼している。
とても新しい地球人類とは認めたくない。
だが、別に好んで人間を食べたいという訳でもないらしいことはありがたかった。
他の部屋の扉もすべて開いていた。
通路の床と天井に埋め込まれた照明が流れるように色を変えていく。ひとつの色を見ていくとそれは逃げていくようでもあり、曲がり角で合流して一本にまとまっていくようだった。
「避難誘導、か?」
常一は色を追いかけて通路を曲がる。
クッキーがこの状況を起こしたのだとすれば、最低限、逃げられるような手立てを打ってくれているだろうと信じての行動だった。竜宮城が宇宙船ならば、当然、緊急時の脱出は想定されているはずなのである。
「柳田っ!」
通路を何度か曲がったところで久美子が後ろから合流してくる。すべての部屋が開いたのなら、捕まっていた人間も自分で逃げ出せる道理だ。
「宮本さん、無事でしたか」
「私はね! でもなにが起こってるのこれ?」
「話は後です、ともかく逃げ、っ!?」
若いだけあって走る速度で追いついてくる同僚を見ていると、その背後からリュウジンが現れていた。墨を浴びた様子がないので別個体だ。
「なにあれ!?」
「逃げましょう! 速く!」
常一は銛を投擲した。
若い頃から得意としている戦い方で、狭い通路も関係なくまっすぐにリュウジンの頭めがけて飛んでいったが、青い肌に輝くような鱗が浮かび上がって弾かれる。
無意識に防御するらしい。
「能力を使う生き物!?」
久美子が首を振った。
「竜宮城自体が対能力者を想定してますからね! 予想通りですよ! ある意味!」
ヤケクソに叫びながら、常一は全力で走る。
「それがよさそうっ!」
久美子も腕の振りを大きくする。
通路を誘導する照明はひとつの部屋に向かっていた。だが、その脱出艇なりがあるであろう方向にさらに別のリュウジンがイカを貪っている。
二人は別の逃げ場を探すしかなかった。
誘導に従えなければ、どこからどう走るというものでもない。蜘蛛の巣のような地図を頭の中に思い浮かべられる常一でさえ、戻る道などわかるわけもなかった。
ぐるぐると広い船内を走り回る。
「どっち行くの!?」
久美子が叫んだ。
「外! 上でも下でも、外ですよ!」
常一も叫び返す。
リュウジンはそこかしこから現れていた。
警備のためのサカナを食っているのがほとんどだったが、一部は常一たちの姿を見つけて追いかけてくるものもある。立ち止まって考える余裕っはない。登りや下りの坂もあったことから、フロアも移動していたはずだ。
そして、遂に追い込まれる。
「まずいわ」
「ですね」
曲がり角を曲がりきって見えた袋小路に二人は気力を失う。だれに文句を言えるものでもない。危険地帯に踏み込んだマスコミの命は自己責任だ。
足音が近づいてくる。
「この死に方ってドキュメンタリーになる?」
「ならないでしょうねえ」
壁をさぐる久美子に常一は答えた。
「精々、B級ホラーの元ネタとかですか?」
「は、海洋系ゾンビって新しいわ」
乾いた笑いをこぼしながら久美子が言う。
「いや、サメとネタ被りでつまらんでしょう」
「サメのゾンビはもうありそうだし」
「「ははは」」
くだらない冗談を言っている間に、リュウジンが曲がり角から姿を現した。口から涎と墨を垂らしている。獰猛な目の奥で、新たな獲物と定めるように瞳孔が開いた。
「ふ、太ってておいしいのはこっち!」
久美子が常一の背後に回って押す。
「ちょ、それはありえないでしょう!」
「こっちだって嫌なのよ! 柳田が食われているのを見ることになるんだから! でも、若くて未来ある私が現場の状況を伝えなきゃ!」
「なにをマスコミの使命感みたいなこと言ってんですか! 相棒を囮にして生き残った記者なんて僕が海洋系ゾンビになって食いますよ!」
醜い争い。
押し出されそうになる常一が久美子に体重をかけて、押し返そうとしたとき、背後の壁が音もなく開いて、二人は小部屋に転がり込んだ。
「な?」
「エレベーターっ!?」
常一は入り口の脇にある、空間投影されたボタンのようなものに地球の常識を重ね、一縷の望みを託した。立体的に配置されていて、上も下もわからないボタンだったが、どら焼きのような形の円盤の頂点にある一つを押す。
ゆっくりと壁だった扉が閉じはじめた。
リュウジンが突っ込んでくる。
「映画じゃないんだからさっさと閉じて!」
久美子がヒステリックに叫んだ。
「現実、危ないからゆっくり閉じるんですよ!」
常一は銛を出して投擲。
がばっと大きく開いた口の中に突き刺さったのは流石に偶然だった。リュウジンは構わず閉じていく扉に突っ込んできたが、柄を掴んで押し返すことができたのは僥倖である。
扉が閉じ、エレベーターが動き出す。
「し、死ぬかと思った」
床にへたり込み、久美子が言う。
「殺されるかと思いました。宮本さんに」
常一は嫌味で答えた。
「ごめんね? その冷静じゃなくて」
「冷静じゃなくなったら同僚を売るんですね」
巨大クリオネを前にして久美子を捨てようと思ったことを棚に上げて言いながら、途中のどこかで扉が開かないかに警戒する。
今、偶然にも助かった状況から言って、おそらく自動的に乗客を検知してカゴを呼ぶシステムだろうからだ。呼ぶボタンが必要ないということは、知能のなさそうなリュウジンでも使えるということである。
「あれよ、オチで言うとなにより人間が怖いってやつ。ホラー映画の記事を書くことがあったら、現実と比べたら全然怖くないって書くわ」
「ボツですね、それは」
エレベーターは止まらなかった。
投影された円盤の上をするすると随分と立体的な経路で動き回り、頂点へと向かう。海にさえ出れば、能力を存分に使える。
「……」
だが、出た場所は海上だった。
「浮上しきった?」
円盤の中心に突き出すようにエレベーターは止まっている。暗くて状況がわかりにくいが、緩やかな丘となって海面に着きだした、海底でいろんなものを付着させた宇宙船の外壁であろうもの。
「竜宮城は?」
「……」
久美子の言う通りだった。
海面側に建っていた城が浮かび上がっていないということは、走り回っているときか、気づかない間に竜宮城がひっくり返っているということである。それはつまり。
「あ」
ぴしゃ。ぴしゃ。
濡れた音を立てながら、海上に上がってきた人影、人間ならば話しかけてくるであろう状況に無言であることから、リュウジンだとわかる。
「柳田!」
「え、ええっ!」
二人はエレベーターに戻った。
スイッチを押し、扉を閉じようとするが、今度は間に合わず、リュウジンがその青い上半身を滑り込ませ、扉に挟まりながら噛みつく。
「ちょ、やめっ」
ビリビリと久美子の服が破けた。
色気のないパンツスーツスタイルが常の同僚だったが、中身はシックな黒であった。見れば意外と胸もある方だとわかる。
「派手な下着ですね。恋人とかいたんですか?」
常一は現実逃避しながら言う。
「なに言ってんの!?」
「いや、もうダメですから」
もっと早く気づいていれば、生意気さを可愛く思えたかもしれない。娘や妻の顔を見ることもなく、こんな狭い場所での最期。悔いの残る結果だが、もうどうにもなるまい。
「バカ言ってないでなんとかして!」
服は食えないのか、リュウジンがくちゃくちゃと租借した久美子のスーツを吐き出す。
「なんとかと言っても」
抵抗してなんとかなる状況ではない。
ゴウン。
再び船が揺れたのはそのときだ。
「きゃっ」
「うお」
それはエレベーターが横向きになるほど大きく、リュウジンが落ち、二人は開いた扉にぶら下がる形になる。円盤がほとんど垂直になりそうなほどに傾いていた。
「あれ、かしら?」
「あれ、ですか?」
ぶら下がる二人の下で、外壁が大きく凹んで穴のようになっている。なにかがぶつかった衝撃で持ち上がったということのようだった。
そして船はざぶんと元に戻る。
波を浴びながら、常一たちはエレベーターにしがみついた。また沈むんじゃないかという勢いだったが、揺れは徐々に小さくなってくる。
「落ち着いた、みたいですね」
「げほっ、そうね」
久美子が海水を吐き出す。
ぺた。
「地球人類?」
二人が背後からの足音に振り返ると、そこには美少女が立っていた。あまりにも美少女で、これまでの状況と繋がらず、常一はもう自分が死んだのかと思ったほどだ。
「捕まってた人? 月暈なんとかとか」
「月暈ヘッドラインの、あなたは?」
久美子が胸と股間を隠しながらも尋ねる。
「間々崎咲子。ごめん、表面に人がいるとは思わなくて。外側をぶち破るつもりだったんだけど、思ったより柔軟な素材みたいでさ」
男のような口調で美少女は穴を指さした。
「凹んだだけだった。ここから中に入れる?」
「それは、たぶん」
久美子が答えながら目を丸くする。
「う」
常一は叫びかけた。
背後に迫るリュウジン。
「生臭ぇッ!」
だが、指摘するより早く、その青い新人類の顔面に振り返りざまの拳が叩きつけられる。空気が弾け、美少女の髪がふわりと靡いた。
リュウジンが海にボチャンと落ちる。
「ああ、生臭ぇ。うっ、ぶ」
そして、美少女はいきなり吐いた。
「「……」」
久美子も常一も言葉を失う。
吐瀉物は水のような状態だった。既にもう吐ききって、吐くものも残っていないというような具合。強さへの衝撃よりも、ゲロの衝撃の方が大きいかもしれない。
「すみません。なんかここイカ臭くない?」
「イカ、たくさんいましたから」
久美子が答えた。
「マジか、ヤバいな。もう忘れたいのに」
「さきこ、って、さきこたん?」
常一は、太った青年の言葉を思い出した。
「あ?」
「なんでもないです」
だが、睨まれて首を振った。
「くっそ、早漏共が」
だが、およそなにがあったかは察される。
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