第100話 マタ・ドール

「では、あなた様の意気地を試さセ」


 女が乙姫に視線を向けた、直後。


「……」


 その横っ面を千鶴が蹴り飛ばしていた。


(時を)


 鋭い爪のあるすらりとした脚が振り上げられるのを見ながら、彩乃はアイコンタクトを送って、吹き飛んだ女に追撃をかける。


 術の連発は千鶴に負担をかける。


「……」


 壁まで吹き飛んだ女だったが、取り乱した様子もなく、そのままきちんと壁に着地。ボディスーツで露わな乳房を掴むように手を当てる。


 ゾワ。


「!」


 彩乃は嫌な予感に踏みとどまる。


「マタ・ドール、起動しマス」


 女の胸元から手を繋ぐようにして現れたのはほとんどが透明なボディをした男の人形だった。身体の中から現れたかのように見えた驚きよりも、ゆがんだ光に浮かび上がる外見を見て彩乃は恐怖を覚える。


「全先、正生!?」


 表情こそないが、精巧にあの男の裸身を模している。まだ生々しい記憶が即座に蘇って、彩乃は身体の奥から膨れ上がる悪寒に震えた。


「……」


 千鶴も硬直している。


「正生様にトラウマがありマスか?」


 女の微笑みが悪魔に見える。


(それを、知ってるってことは)


「所詮は人形でしょ!」


 彩乃は叫んで飛び出した。


 竜宮まで追ってきた相手の正体が何者であろうと関係はなかった。千鶴が力を得たとは言え、仮にも女同士とは思えない非道な手を使うからには、殺されても文句は言うまい。


「戒壇石のじゅ、っ!?」


 女に向かって術を唱えようとした時、透明な人形が彩乃の目の前に移動してきていた。その動きは素早く、頬に手が触れるまで反応できない。


「愛してるよ」


 耳元に動かぬ唇を近づけて言った。


「ひっ?」


 関節部分と思しき銀色の球体だけが見える異様な姿だが、その見た目とは無関係に囁かれた言葉に彩乃は腰が抜けそうになる。


 声はそのままだった。


「な、なんなのこの悪趣味なっ!」


「夜の生活の練習相手になりマス。まだ実戦経験はありまセンが。これからテクニックを磨く上で必要になってくるのデス」


 律儀に説明しながらも、転びかけた彩乃に容赦なく女はかかと落とし、それを避けても、人形が背後から羽交い締めというには優しく抱きしめてくる。


「愛してるよ」


(セクハラ!)


 間違いなくそうだった。


 人形は忍び装束の胸元に手を差し込んでくる。彩乃は身動きが取れなかった。別の女に言った音声に違いないのだが、自分が言われているようで訳の分からない感情に支配される。


「あやの」


 千鶴がオロオロしていた。


 おそらく、自分の心を読んだからだ。


「ち、違うの千鶴!」


(違うってなにが? なに言ってんの!?)


「違いまセン。素直になってくだサイ」


 目の前に立つ女が彩乃の首を掴んで、ぐるりと後ろを向かせる。すると透明な男の顔が目の前まで近づいていた。


(キス? いや、人形相手だし)


 動揺しそうになる心を押さえ込む。


 もっと酷い目を耐えたのだ。なにを今更。


「交渉の余地はありマス」


 女が言う。


「抵抗を止めてくだサイ」


「愛してるよ」


 人形が囁きながら唇を重ねてくる。


「んんっ」


 身をよじろうとしたが、抱きしめる力が強くなっていた。それどころか、装束の中に入ってきたひんやりとした手が遠慮なく胸を揉んでいる。


(好き放題にっ!)


 人形相手とわかっていても、怒りは男本人に向く。許してやったのは間違いだった。養育費だけでは足りない。苦しめてやりたくなった。


(離婚を要求しよう)


 温度のない唇を感じながら、彩乃は思う。


(そしてあたしの監視下におく。美しい妻たちを想いながら満たされない姿を千鶴と楽しもう)


「面白い見せ物じゃ」


 だが、その思考は乙姫の声に遮られた。


「その方、名はなんと?」


「マタ。書類が提出されれば全先マタになりマス。乙姫様、招待もなく城に踏み込み、いきなりの無礼をお許しくだサイ」


「うむ! 許す!」


「おとひ、め」


 千鶴が首を振った。


「敵ではなかろう? 見る限り、浦島等のことを知っておるようじゃ。マタとやら。妾は退屈しておる。その人形遊び、もっと見せよ」


(このクソガキッ!)


「……」


 女が彩乃と千鶴を交互に見る。


「畏まりまシタ」


 そして言う。


(畏まるな!)


「では、もっとお近くでご覧くだサイ」


「うむ!」


(近く?)


 人形に組み敷かれながら、彩乃はハッとしたし、千鶴もなんとか乙姫を止めようとしたが、我が儘な城の主は構わず近づいてくる。


「愛してるよ」


「鬱陶しいっ!」


 彩乃は囁く人形を押し返そうとしたが、あるいは本人よりも熟達した動きで身体の弱いところを攻められ力が入らない。


 パン!


 女が手をたたいたのはその時だ。


 透明な関節が開いて、周囲に煙が立ち込める。ガスだ。冗談のような武器でも、仕掛けはきちんとしている。マタドール、闘牛士のように受けて交わすということか。


「……」


 忍者としての能力でガスには耐えられる。


 それは千鶴も同じだ。


 だが、耐えるための一瞬の反応の遅れが、この女の前では致命的であることもわかっていた。煙が晴れたとき、乙姫の姿はなく、広間には彩乃と千鶴が取り残された。


「愛してるよ」


「死ね!」


 彩乃は譫言を繰り返す人形を力任せに放り投げる。逃げられると厄介だ。竜宮城の内部構造を把握したとは言えない上に、心が読めない相手となれば逃げた先もわからない。


「ご、めんね」


「千鶴のせいじゃなくて」


 翼を畳んでうなだれる大切な友達の肩を掴みながら、彩乃は考えを巡らせる。首相と乙姫を両方とも奪われ、竜宮城は浮上中である。なにも好材料がない。


(あたしが急ぎすぎた?)


 頭にちらつく失敗の二文字。


 浦島太郎の子孫が山里に隠れ、竜宮城で手に入れた異星の技術をもとに忍者として歴史の影に暗躍して数百年。かつてないほどに、その能力を受け継いだ千鶴の力が完成した今、一族が没落した際に国に差し出してしまった秘術を取り戻し、そして子孫に託された太郎の宿願を果たす絶好のチャンスであるはずだった。


(でも、今ダメなら、もう)


「あやの」


 首を伸ばし、コツン、と嘴を額に当ててくる。


「千鶴」


「だいじょ、うぶ。まだ、やれる」


「うん」


 つぶらな瞳を見つめる。


(もう行動は起こしたんだ)


 後戻りはできない。


 竜宮城が浮上すると言うのなら、日本からやってくる秘術の巻物を直接奪いに行くしかない。問題は乙姫を取り戻せるかどうかだ。


「相手が、あの男と、妻たち」


 彩乃は千鶴から手を離し、考えを巡らせる。


(戦闘ではこちらが不利)


 それはマタとかいう女ですでにわかった。


 写真を撮られたのは痛かった。


 ヒーローを目指す人間ならば、自分が力を与えた相手がテロを起こせば止めに来るのは必定なのである。瞬間移動してきた男たちもあれを使ったと言うから、まだまだ竜宮城に乗り込んでくるかもしれない。


 相手などしていられなかった。


 一族の中でも戦闘に長けた三十七名以外は、島でのバックアップに回ってくれている。海上に出れば情報も得られる。協力すれば大きな術も使える。正面から戦うのが忍者ではない。


「外にでましょう」


 彩乃は言った。


「扱いのわからない宇宙船内じゃ不利。千鶴はしばらく術を控えて力を安定させて。乙姫を奪い返すのに時止めはどうしても要る、から?」


「……」


 頷くでもなく千鶴の視線が宙を泳ぐ。


 広間を囲む壁が開いて、ガラス張りのように外が見えるようになっていた。珊瑚や海草が織りなす美しい庭園が地面から漏れ出るシャンパンゴールドの光に浮かび上がっている。


(綺麗)


 あまりの美しさに思わず眺めてしまう。


「いけな、い」


 千鶴が彩乃を抱えて走り出した。


「え? ちょっと」


 広間を飛び出すとほぼ同時に、庭園が爆発した。その衝撃で海と城内を隔てる透明な壁が壊れ、海水が流入してくる。


「りゅう、じん、くる」


「リュウジン?」


(まさか、もうそんな段階まで)


 千鶴の言葉に驚く彩乃だったが、流れ込んだ海水の中から飛び出してくる青い男たちの姿を見て、絶望せざるを得なかった。


「間に合わなかった?」


「まだ」


 言葉とは裏腹に、千鶴の目は暗く濁る。


 だが、落ち込んでいる場合ではなかった。


 流れにのって青い肉体が高速で接近してくる。目的はわかっていた。食事である。現在の地球人類を含めて、食物連鎖の頂点に立つべく創られた新たな人類。陸だけでなく海も、宇宙も生息域とする圧倒的な身体能力を有している。


 それが、迷うことなく一直線に。


「千鶴! あたしがやるから」


 エサと認識された。


「うごか、ないで」


 千鶴は素早く壁を走って逃れようとするが、水面から飛び出してきたリュウジンたちはその大きく開く口で、千鶴の羽を散らすところまで肉薄してくる。


「っ」


 彩乃は無力を噛みしめる。


 自分を抱えていても、千鶴の方がスピードがある。それでも尚、この新人類には及ばない。それがわかっているからこのまま逃げるのだ。


「……」


 こくり。


「反応しなくていいから」


「……」


 こくりこくり。


 リュウジンたちは飛び魚のように水の流れる竜宮の廊下を追いすがってくる。能力を使ってくることでこちらを攻撃してくるはずの番魚の群だが、それも明らかに逃げ惑っていた。


 本能的に危険がわかるのだろう。


 うっかり近づこうものなら、すれ違いざまに腹を食い破られ、臓腑がぶちまけられてしまう。抱えられながら、血に染まる水中を彩乃は見つめる。何体いるのだろうか。


(なんとか、あいつらの注意を逸らせれば)


「あっち、からも」


 だが、急に千鶴がターンする。


(囲まれた?)


 おそらく分かれて流れ出た水流が合流していた。回廊の曲がり角にある高い天井、城の塔の一本へ上って逃れるが、水はどんどん上がってくる。


 水面からは鱗の肌を持ったリュウジンが顔を出して、こちらをギラギラと見つめている。獰猛な目だ。それは自分を犯したときの男の目を思い出させた。欲望の固まりのような。


「……」


 こくりこくり。


「千鶴も? 合意なのに?」


「……」


 こくり。


「いや、そんなこと喋ってる場合じゃ」


(まずい。このままだと)


 水面が上昇してくる。


 逃げ場はなかった。


 竜宮城の外に飛び出すにはまだ水圧が高すぎる。それ以前に、その圧力に耐える建物の壁をそう簡単に壊せるとも思えない。斬ることはできるだろうが、それは流入する水を増やすだけだ。


「おとり、になる」


 千鶴が鳴く。


「!」


「そのす、きに」


「その役目はあたしが」


 家臣のために死ぬ主君などあってはいけない。


「ともだ、ちだか、ら」


「……」


 彩乃はその言葉だけで泣きそうだったが、逆に千鶴の身体にしっかりとしがみつく。嬉しいからこそ、その行動だけはさせる訳にはいかない。


(死ぬなら一緒、だから)


「……」


 二人が見つめ合ったそのとき、水中からリュウジンの頭を踏んで飛び出してきたものがあった。透明なボディの全先正生、さきほど投げ飛ばした人形だった。


「愛してるよ」


 同じセリフを繰り返しながら、親指を立てる。


(なにそれ)


 彩乃は呆れる。


「きゅん」


 千鶴が鳴いた。


「は? ちょっと、あれ人形だから、人形じゃなくてもアレだから。許さないからね。千鶴。アレだけは選んじゃ、わかる? あのバカ妻たちの仲間入りなんだからね?」


「あやの、も?」


「あたしはもっと関係ないから」


「愛してるよ」


 二人の反応など気にすることなく、人形はカッコつけたまま迫ってくるリュウジンの群に飛び込んでいく。その透明な胴体の腹の辺りで、怪しく赤い光が点滅した。


「!」


 千鶴が彩乃を翼で覆う。


「まさかでしょ!?」


 自爆。


 衝撃が二人を襲った。


(人命保護とかが目的の人形だろうけど)


 とんでもない威力だった。


 羽毛に包まれても入ってくる水流、塔がへし折れ、二人は海中に投げ出される。だが、そこはもう深海ではなかった。水面から人工的な光が水中に向けられている。


 おそらくもう連絡が通っているのだ。


(千鶴、大丈夫?)


 少し離れた場所に流される友達を見る。


「……」


 こくりこくり。


(よかった、けど)


 他の仲間は無事だろうか。


 音もなく浮上する竜宮城を見下ろしながら、彩乃は千鶴の手を引いて泳ぐ。とりあえず海上の人間に見つかる訳にもいかない。城内に戻ってリュウジンと戦うのも現実的ではない。


 主君の安全、仲間が戻る場所を守るのだ。


(あっちは乙姫と首相をリュウジンから守るので手一杯でしょ。なら、秘術を取り戻すのが先? とりあえず爺様に連絡をして)


「……」


 彩乃は陸から離れた海上に顔を出す。


 波の間にかなりの数の人影が見える。この状況下で出てくるからには、ヒーローかそれに準ずる力を持つ連中に違いなかった。


 それでも忍者はそう簡単に見つからない。


「空港に行こ、千鶴」


 彩乃は海面にゆっくりと立ち上がって、千鶴を引っ張り上げた。ゆらゆらとする足場だが、それも別に問題にはならない。


「……」


 こくり。


 二人は星空の下、海の上を歩く。


「疲れた」


「……」


 こくりこくり。


「こんなことする意味あるのかな?」


 彩乃は言った。


「……」


 ふるふる。


 わからないという風に千鶴は首を振る。


 祖先から託された役目、部外者には知らせてはならず、達成しなければ世界が滅ぶという。しかし、だから、やっている訳ではない。


「千鶴は、浦島太郎って信じてた?」


「……」


 ふるふる。


「だよね。別に信じてるから、こんなことしてる訳じゃないよね。竜宮城が実在して逆に驚くよね、乙姫は子供だったし」


 それでも、甲賀古士にとっては支えだった。


 ヒーローになれるほどの力はない。


 正確に言えば、機関が出来る前、江戸時代には本来の一族が没落している。能力が能力として認められても、それは変わらない。一般社会に置いておくには危険だが、能力者たちの中では地味、存在感がない。忍者だからそれは役に立ったが。


 世界を救う運命を託されていた。


 半ば捕らえられるようにして月暈島に送られた最初の甲賀古士たちにとって、それが忍者という集団を維持する理由であったし、ヒーローになれなくとも自分たちが存在する意義だった。


 その世代は死に、遺されたのは現実味のない、空洞化した目的だけだった。最初の世代にはおそらく切実さがあっただろう。だが、それは世代を越えない。伝わらないのだ。


 かぐや姫も、乙姫も、お伽噺の存在だ。


 集団を維持するために、ランキングから脱落した能力者たちを吸収して、甲賀古士の頭数は増えたが、それは居場所のためだけだった。


 だれもが気づいていた。


 地球を救う役目は自分たち以外がやるだろう。だが、それを認めればあとは堕落しかない。完全に能力を失うことになる。そうすれば島から出され、元忍者というなんの人生の支えにもならない経験だけを持って、一般社会を生きなければならなくなる。そこに希望はひとつもない。


 アイデンティティの維持。


 だから、一族の血を継ぐ、浦島としての千鶴には来るべき日が重石のように架されていた。姫様と持ち上げられながら、彼女が能力を磨き続けていることが、忍者たちを忍者たらしめていた。


 目標はまだ生きていると。


「結果を出さないと」


 目的を達すれば、新しい夢も描ける。


 ヒーローになれる忍者へ。


「……」


 こくりこくり。


 二人は手を繋いで歩いていた。


 小さい頃、まだ先代の浦島が生きていた頃、そうしてよく弟と三人で遊びに出かけたことを思い出す。本当にヒーローになれると思っていた。


 今は、違う。


 二人だけ大人になった。


「あの男、ヒーローになると思う?」


 ふと口にする。


「わから、ない」


 千鶴がそう言うのは珍しかった。


「わからないなら、わからないか」


「……」


 こくり。


「……人形の方がいい男だった?」


 彩乃はポツリと漏らす。


「……」


 こくりこくり。

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