第99話 竜宮城最後の夜
その女は堂々と広間に現れた。
だから、城の住人だと水口彩乃は思った。
それは仲間の忍者たちも同様であり、なにより心を読める千鶴が乙姫の膝の上に頭を乗せ、撫でられるままであることが危険性のない証拠となるはずだった。
深海を潜航する竜宮城に近づくには潜水艦を持ってくるか、能力で来るしかない。だが、許可のない能力者は城の番魚に襲われるし、潜水艦など当然見つかって迎撃される。
城内のすべての人間を紹介された訳でもない。
「……」
だが、おかしい。
真っ黒なボディスーツの女である。
忍装束という時代錯誤な格好をしている側が言うべきことでもないが、それだけでも怪しい。見るからに若くはなかった。成熟した大人の女性、男の忍者たちの視線を集める豊満な肉体を見せつけるかのようだ。
モデルのようなウォーキングでまっすぐに玉座に向かっていく。その女の淑やかな微笑みと、あふれ出る色香で広間の雰囲気が変になる。
(止めなくていいの?)
彩乃は戸惑った。
乙姫の御前、甲賀古士はあくまで招待客である。この場の警備はさきほどのように千鶴の目の前に瞬間移動でもしてこない限り、城の側が行うべきことである。武装は解除していないが、差し出がましいことはできない。
「ほお」
気づくと。首相も目を細めていた。
「ん?」
乙姫がふと頭を上げて女を見つめる。
「その方、見慣れない顔じゃ」
「はじめましてデスから」
口を開いた女の奇妙なイントネーションに、その場の全員が夢から覚めたように緊張した。瞬間、広間の照明が落ちる。
深海の暗闇。
「首相をっ!」
彩乃は反射的に叫んだ。
この状況で狙われる人間は三人、乙姫か、千鶴か、首相かである。だが、乙姫の存在を機関はまだ把握していないはずだ。力を得た千鶴は心配するまでもない。消去法的に言えば一人。
だが、同時に城が揺れた。
なにかにぶつかったかのような衝撃。
彩乃を含め、首相に駆け寄ろうと飛び出した忍者はもちろん、その場にいた全員が、玉座から見て左側の壁に吹き飛ばされる。竜宮城という船そのものの変化は予想外だった。
「くっ」
そして照明が戻った。
「浦島ぁ」
「しんぱ、いない」
千鶴は乙姫を抱き抱えて守っていた。
首相が見あたらない。
「この船の制御は頂きまシタ。これより浮上いたしマス。では皆様、竜宮城最後の夜をお楽しみくださいマセ。失礼いたしマス」
一人だけ天井に逆さに立つ女が言った。
(制御を奪われた?)
まさかと思う。
だが、女の行動はタイミングを見計らったものだった。見あたらない首相も、今のドサクサに連れ出したのだとすれば、協力者もいることになる。
「あやの、あっち」
千鶴が開かれた広間の扉の先を翼で指す。
「読んだの!?」
「……」
こくり。
「わかった」
なぜ女の心が読めなかったのかは不明だが、協力者の方までは隠せなかった。わかっていればこその照明落としということだろう。
「追って! 右! 首相を取り戻すの!」
彩乃は叫びながら、女を睨む。
「あたしは、あいつを」
そして自らは刀を抜く。
全先正生から得た力で、彩乃の力は甲賀古士のトップクラスに躍り出ていた。それとレイプされたことを皆に告白したことでこの作戦に参加する若い忍者たちの指揮官のようになっている。
(これを成功させなきゃ、千鶴に自由はない)
忍者三十七名の目の前で人質を奪い返して、自らが囮となり、今も余裕を崩さない女は、相当腕に自信があるはずだった。
「待ちなさい!」
彩乃は叫んだ。
悠々と天井を立ち去ろうとする女の正面に回り込んで刀を構える。仲間たちが首相を連れ去った相手を追いかけて出て行くのを邪魔するのではないかと警戒しながら。
「はい、わかりまシタ」
だが、女は平然と待つ。
「……」
気迫などまったく感じないのに、異様な冷静さに彩乃は圧倒される。なにも考えていないのかもしれない。美しく歳を重ねているが、頭の中が空っぽということなら、心が読めなくても。
(ありえない。そんなバカなこと)
掴み所がない。
天井に立っていることから、異なった忍者の一族かもしれないとも思うが、それにしてはこちらに対する態度に気負いがなさすぎる。
「何者なの?」
聞くしかなかった。
「新婚、処女妻、家政婦デスか?」
少し考えながら指を折って、女は言った。
バカにされている。
「知らないって、のっ!」
彩乃は斬りかかった。
「ン」
色っぽい声を出して、女はそれを避ける。
(太刀筋を?)
まるで見切ったかのような動き。
「っ!」
彩乃は手裏剣で牽制、相手の動きを制限しながら、立て続けに刀を振る。身体のキレは気持ちが良いほどで、相手の喉頸、頭蓋、腕を落として、さらに心臓まで貫くイメージが見える。
「……」
だが、女は微笑む表情のまますべて避けた。
「お返ししマス」
さらに受け止めていた手裏剣をトランプでも扱うみたいに広げて一気に投げ返してまでくる。彩乃は刀で打ち落としたが、その一瞬で、相手は鼻先まで距離を詰めてくる。
(なんで?)
「ときと、めのじゅ、つ」
女の掌が彩乃の顔を掴むように伸びた瞬間、その動きが止まった。見ると、乙姫を玉座に座らせた千鶴が時間を止めてくれている。
(ありがとう)
「りゅうぐ、う。とまら、ない」
ふるふると首を振って千鶴が鳴く。
(すぐ動かしていいから)
彩乃は止まった女の掌をくぐって懐に入り込みながら思う。時止めの術は、停止している対象には影響を与えられない。本当に船が浮上しているなら止まった乗員は面倒なことになる。
「このっ」
術が解除され、彩乃は相手を突き飛ばした。
「? なにが起きまシタか?」
天井から床へ、なめらかに着地した女は首を傾げる。それはそうだろう。時間が止まっている間のことはわからない。
(石棺の術!)
彩乃はすかさず忍法を使った。
まともに相手をしている場合ではない。女の背後から現れる石の棺が対象を封じ込める。棺に入るサイズのものであれば逃さない。
「超重力バズーカを使いマス」
だが、女が背中に手を回して取り出した巨大なバズーカによって術はキャンセルされた。身の丈ほどもある大砲を肩に担いで、彩乃に向ける。
「ターゲット、ロック」
「!」
ギョッとした。
(一人相手の武器じゃないでしょ?)
殺し合いの覚悟ではあるが、どう見ても過剰な攻撃、千鶴が時を止めて避けても、周辺への被害は計り知れない。城の住人が巻き込まれでもすれば、乙姫の心証が悪化する。
「や」
「ファイア」
女は躊躇わなかった。
千鶴の術も間に合わない。連続使用が難しいのである。彩乃はその場から避けながらも、どこかは掠める予感に歯を食いしばる。
パァンッ!
紙吹雪が舞った。
「クラッカーと間違えまシタ」
白い煙を出して飛び出したリボンの向こうで微笑む女に彩乃は激高する。完全におちょくられていた。こちらが危機感を抱いても、相手にはなんとも思われていない。
「こぉのっ!」
だが、それが隙だった。
「失礼いたしマス」
踏み込もうとした次の瞬間には女に掴まれ、そのまま腕の関節をキめられ、床に倒されていた。的確な激痛で、術を使うどころではない。
「うっ! ああっ!」
「そちらの方々も動かないでくだサイ」
「……」
千鶴が動きを止めるのが見える。
「なんじゃ、腕ぐらい千切ってでも立て」
だが、乙姫は欠伸をして玉座からピョンと立ち上がった。明らかに退屈している。竜宮城の制御を奪われたところで、この深海の姫には危機でもないのだ。
「それでも浦島の家臣か?」
「っ!」
彩乃は苦悶する。
自分はもちろん、千鶴の命のかかった状況でもない。自ら腕を千切る恐怖に挑む覚悟まではなかった。涙が出てくる。
「ほれ、その方も千切ってやるのが情けぞ?」
「……」
言われて女は関節を解放する。
「作戦を変更しマス」
「意気地なしめが」
乙姫は悪態を吐いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます