第98話 竜宮の子供たち
宇宙船ならば脱出艇があるはずである。
深海に対応しているかはわからないが、そのときは能力を使えばいい。夢魔を狙ってくるという警備の魚群を避けてどこまで城から離れられるかが脱出の鍵になるだろう。
「よし」
トイレは済ませた。
クッキーから受け取った竜宮城の見取り図をチェックして、常一は大体の見当をつけ、移動を開始する。天才少女に言われて落ち着けば、確かに城内の警備は緩く見えた。
むしろ警戒自体がないようにさえ感じられる。
「……」
下の階層へ入る扉は、城内のなにげない部屋に隠されるように配置されていたが、見張りがいない。ロックを解除しながら常一は不安になる。監視カメラですぐ駆けつける体勢ですらない。
どうしてここまで無防備なのか。
扉を抜けると、景色ががらりと変わった。
エアロックと思しき小部屋があり、その先は床も天井もわからない狭く暗い通路で、入っていくと埋め込まれた照明で一定距離までが見えるというような省エネ仕様になっている。
竜宮城のお伽話な雰囲気とはまったく違う。
「浦島も逃げ出す陰気さだな」
常一は見取り図を頼りに、蜘蛛の巣のように細かく分岐する通路を進む。方向音痴ならどこを通ったのかわからなくなる無個性な景色だったが、天才少女が牢をマーキングしているので迷うほどでもなかった。
「……」
途中で巨大なイカとすれ違う。
通路を塞ぐような具合にすいすいと泳いでいたが、隅に避けた常一に反応することもなく通り過ぎる。警備でもないらしい。
いよいよ目的がわからない。
「た、たたた、助けが来た?」
マークされた最初の小部屋で背の高い青年を見つける。パンツ一丁のまま、縛られて部屋に放り込まれていた。やはり見張りもいない。扱いも雑だ。
「月暈ヘッドラインのカメラマン、柳田常一というものです。助けにきました」
自己紹介をしながら、室内に警戒しつつ入る。
やはりなんの反応もない。
結果的には楽だが、不安にはなる。
「君は?」
常一はそろそろと近づいて尋ねた。
拘束も普通の縄である。能力を使って脱出を試みればサカナが出てくる訳だから、これで十分と言うことなのだろうが、パンツ一丁の相手とは言え、まるで警戒している節がない。
命までは取らない、と忍者は言っていた。
「み、三上悍馬です」
青年は腰も低く頭を下げた。
「三上くんか。アイドル研究サークルの?」
「そそ、そうです。メーヴを追っかけて」
「メーヴ?」
そこそこ島に入ってくる娯楽情報を拾っている方の中年だと言う自負がある常一だったが、そのアイドルの名前に聞き覚えはまったくない。
「し、知りませんか? いや、それどころじゃなくて、他の三人は見ませんでしたか?」
「これから探すから、三上くんも一緒に行こう。警備のサカナは夢魔に反応するそうだから、能力は使わずに」
「は、はい」
青年が少し考えるように目線を外した。
「どうやってここに?」
なにかを隠していると常一は察する。
「え、あ、ゆ、ゆゆ、誘拐犯を探しに」
「機関でも見つけられないものを?」
おどおどしながらも、かなり凄いことを口走る青年に思わず常一は食い気味に尋ねてしまう。どうやってやったのか、詳しく聞きたい。
「え、ええ、まあ……」
だがそれは、青年の心を閉ざす結果になったようだった。それからの質問には曖昧な答えしか返さなくなった。久美子ならばその状態からでもなにかを聞き出しただろうが、そこまでのバイタリティはない。
そこから二つ目、三つ目の部屋は無人。
「悍馬!」
四つ目の部屋で二人目。
五つ目、六つ目で、四人が揃う。
「「「「ありがとうございました」」」」
全員が揃ったことで青年たちの表情は明るくなった。互いに顔を見合わせながら、互いを小突き合い、不自然なぐらいに笑顔を堪えている。
楽観的なのかなんなのか。
「いや、脱出はこれからで」
「もう僕らは脱出できるんだな。戻れば、咲子たんと、ふひっ、ふぶっ、感謝するんだな」
太った青年が鼻を鳴らして笑う。
「どういう……」
気味の悪さを感じながら、常一はふと青年たちの下半身を見てしまって、それ以上の追求をする気を失ってしまう。詳しいことはわからないが、ロクでもないことはわかる。
「なら、ここで分かれても大丈夫かな?」
常一は言った。
どんな手段かはわからないが、自分たちでここまで来たのなら、自分たちで帰ることもできるのだろう。いざ己が能力を使うことになったとしても、五人を乗せて高速で泳ぐのは難しい。
まず一緒にいたくない。
久美子を手分けして探してもらおうと思っていたのだが、アイドル性どころか色気の欠片もないとは言っても拘束された女性の身柄をこの青年たちには任せられない。
若さとは周りの見えない危険さなのだ。
「……」
四人は笑い出しそうなのを堪えるように唇を真一文字に結んで何度も首肯する。ともかく嬉しくて堪らないという具合だ。
常一が覚えるのは不快感である。
「なら、気をつけて」
そう言って、青年たちに背を向ける。
クッキーを見て、若い世代が優秀なのかと思ったが、結局は個人の問題である。優れた個人の力に頼るヒーローというシステムは、全体の底上げには向かないのかもしれない。
「「「「偶像崇拝」」」」
「!」
声に振り返ったときにはもういなかった。
「やれやれ」
それでも無事に戻るなら見捨てた罪悪感は覚えなくてもいいだろう。己の肩を揉みながらあるこうとすると、通路の前後からイカが迫ってくる。素通りしたときとは様子が違い、脚を通路に広げながら。
「まさか」
青年たちが能力を使ったから。
「くそっ」
常一は駆け出す。
自身で能力を使った訳ではないからか、イカは手探りというか脚探りでなにかを捕まえようとしていた。吸盤をかすめるように脚の間をすり抜け、道順を確認する余裕もなく逃げる。
だが、イカの群はどんどん出てきていた。
ひとつ曲がれば一杯増えるのではないかというような塩梅で、常一は結局、適当な部屋に入ってやり過ごすしかないと判断した。
追われる状況で久美子に事情を説明して冷静に逃げてもらえるイメージが出来なかったこともある。ともかく落ち着かなければダメだ。
近くの部屋のロックの解除をもどかしく待ちながら滑り込む。そこは牢として使われていた部屋とは違い、稼働中だった。
「プラント」
赤い照明に照らされる巨大な設備とグリーンの水槽、その中を泳ぐサカナのようなもの。なんとなくわかっていたが、地球の魚類とは違う人工生命体の類を作っているらしいとわかる。
「だれ?」
女の声だった。
「!」
思わず常一は懐のプリンス殺しを握る。外に逃げ場はない。この状況で見つかれば、乙姫に対して言った敵ではないという言葉はウソになるだろう。その先は想像したくもない。
撃つしかないか。
「地球人、なの?」
「そうだったら?」
「乙姫、お客さんを招いたんだ」
「?」
常一は握った銃から手を離して振り返る。
「はじめまして」
「どうも。柳田常一です」
立っていたのは緑色の女だった。
河童、と最初に思い浮かべたが、竜宮城であることを考えれば亀の女性なのだろう。甲羅を背負った姿、生の腕と脚のラインから察するに、その下には人間型の女性が入ってるのだろう。
甲羅の腹側はボディラインが露わである。
「ココ・ノノです」
亀の女性は名乗った。
顔立ちはのっぺりとしているが、視線は穏やかで、敵対心のようなものはまったく感じられない。警戒しなくていいのかどうか。
「えー、乙姫に、自由に見て回っても良いと」
ウソにならないように常一は言った。
「そうでしたか」
ココは深く頷いた。
「乙姫ならそう言うでしょうね。どうぞ、見ていってください。竜宮の子供たちを」
「竜宮の子供」
あのサカナのことなのだろうか。
常一がそう思っていると、ココは水槽のそばにある装置に近づき、操作パネルのようなものに向かう。グリーンだった水槽の色が、ゴールド、リンゴジュースのような色に変わっていく。
中のサカナたちが急に激しく泳ぎだした。
まるで逃げだそうとするように水面付近に集まり、激しく口をパクパクさせたり、パシャパシャと水上に跳ねたりしている。異変は人間の目から見ても明らかだった。
「あの」
常一が口を開き駆けたところで、水槽の底が開いた。ゴールドの水が渦を巻いて流れ落ちるその中心から裸の男が現れる。筋肉質な人間型だが、全身が青く、太い尻尾があり、口は裂けたように大きく、目つきは獰猛だった。
「リュウジン、と乙姫は名付けました」
「竜、人」
流れ落ちてくるサカナたちを掴んで食べだした水槽の中の男を見つめながら、常一は冷や汗をかいていた。若い頃に何度も感じたことがある、強者と対峙したときのそれだ。
「わかりますか?」
「え?」
「新しい地球人類です」
ココが、パネルを操作する。
すると水が流れきった水槽が開かれていく。
「……」
サカナを両手に掴んだリュウジンが、鼻をひくつかせ、常一の方を見る。大きく避けた口の橋からぬたりと涎が落ちた。
「来るべき時が、来たのです」
ココの言葉を聞く前に常一は逃げ出していた。
警備が緩いのではない。警備する必要がないだけなのだ。子供たち、である。敵が踏み込もうものなら、この宇宙船にどれだけいるかわからないあの生き物が地球に放たれることになる。
だが、扉は開かなかった。
「くそっ!」
常一は叫ぶ。
閉じこめられた。そう思ったとき、建物全体が大きく揺れる。ココが床に転び、リュウジンも不審そうに周囲を見回す。クッキーは言ったのだ、静かなのは今だけだと。
竜宮が揺れる。
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