第95話 リアルファンタジー呪文

 男たちに動揺が広がった。


「……」


 土下座をしたまま、オレはその気配を感じる。驚きに硬直しながらも、しかし呼吸に落ち着きがなくなった。心臓の鼓動が期待に高鳴る一方で、思考は警戒を訴えているはず。


 なんでもするから。


 名付けるなら、リアルファンタジー呪文。


 好みの女がこれを口にしたとき、男のリアルな世界はあっさりとファンタジーに飲み込まれてしまう魔法の言葉である。まさか自分で言う日が来るとは思わなかったが。


「え?」


 ノッポが口を開いたようだった。


「い、いい、今、え? マジで?」


 土下座をしている間々崎咲子ではなく、おそらくは他の三人の男たちに聞き間違いではないことを確認している。リアクションとしてはバカだが、実に素直だ。


「ああ、そうなんだ」


 チビが声を上擦らせる。


 この男は今、カッコつけた。ノッポのリアクションの見苦しさに冷静になったのである。即座に心に浮かんだ期待を打ち消そうとすることで、理性的な男を演じようとしている。


「咲子たん、いけないんだな。十代の女の子がそんなこと言っちゃ。頭を上げるんだな」


 デブが肩に触れて言う。


 チビにつられてカッコつけつつ、もっともらしく諭すことで、自分が年上の男であるというアピールをしてきた。言葉とは裏腹に、美少女に頼られたい願望が丸出しである。


「はい」


 オレは殊勝な顔をして頭を上げる。


「やはり、だめですよね」


 そしてさらに呪文を詠唱。


「わかってます。皆さんが危険ですから。ワタシなんかの頼みを聞いてもらえないことは」


 ここで引く。


 立ち上がって、深々と頭をさげて、部屋を出ていこうとする。これは呪文のコンボだ。「なんでもしますから」と言いつつ「ワタシなんか」と付け加えることで、自己評価の低い女なのだと印象づける。


「ままま、待って。咲子さん」


 ノッポが言った。


「でも、皆さんが無理なら」


 かかった、とオレは内心でほくそ笑む。


「考えよう。なにか手があるはずだ」


 チビが言う。


「そうなんだな。偶像崇拝を使わなくても、誘拐犯を見つければいいんだな。咲子たん一人より、僕らが協力すれば可能性は高まるはず」


 デブはひらめいたように言う。


「ナイスアイデアだ靖司」


「そそそ、それなら俺らにもできることが」


 チビとノッポが強めに頷いている。


「……」


 とりあえず呪文の効果は出ていた。


 協力することが前提になっている。初対面の他人にも関わらず、だ。これは間々崎咲子という美少女の「なんでも」というファンタジー条件をある程度まで信じたことを意味する。


 リアルに「なんでも」はありえない。


 死んで、というような極端な条件を考えるまでもなく、そこには発言者の可能な限り、という見えない条件がついて回る。だからこそ、オレは咲子という女の自己評価を下げて見せた。


 なぜか。


 自己評価が低いということは、自分を安く見ているということである。そのことは逆説的に「なんでも」の可能な範囲を広げることに繋がる。簡単に言えば、セールを宣言したのだ。自己評価の高い女ならば売らないであろうものまで売るかもしれないという期待を植え付けた。


 そこに男の欲望が絡めば。


「なんでもって、どこまで?」


 黙って様子を見ていたガリが口を開く。


 疑念の目だった。神経質そうに親指の爪を噛んでいる。呪文が通じていない。何となく感じていたが、最初から女を信用してない口だ。


 オレにもそういう傾向があるのでわかる。


 世の中においしい話などないと思っている人間にファンタジーは通用しない。それは実際に美少女になったからこそ思うが正しい態度だろう。男のときより、自信に満ち溢れているのだから。


「なんでも、です」


 オレは繰り返した。


「なら、聞くけど、処女?」


 ガリは直球のど真ん中を投げてきた。


 他の三人の目が見開かれる。


「いいえ」


 オレは躊躇わずフルスイング。


「へえ? つまり、なんでもしますと言いつつ、処女はくれないってことだ。見てくれに騙されんなよ、三人とも、この女、かなりのアバズレ」


「でも、男性経験はありません」


 オレはガリの言葉を遮って言った。


「は? 処女じゃねえって」


 ガリが食い下がろうとするが、


「相手は女性でした」


 それをぶった斬る。ウソは言ってない。


 ロボットの性別なんてAI次第だと思うが。


「首相誘拐犯を知り合いと言ったのは、そういうことです。ごめんなさい。もし皆さんがワタシの処女をお望みならそれには応えられません。ですが、ワタシが彼女と生きて会うためならば、なんでもします。お願いします」


 再び頭を下げる。


 さりげなく「なんでも」の範囲を狭めながら、男の欲望にそった具体性を示せただろう。男にとって処女は価値ではあるが、こうした場面ではむしろ突っ込んだ要求の足かせでもある。エロがわかってるというのは大きい。


 遠慮しなくていいのだから。


「バカ! 治、バカ!」


 チビがガリを思いっきりぶん殴った。


「処女が欲しいなんて言うわけないだろ! 俺ら四人もいるんだぞ! じゃ、なくて、そんななんでも許される訳ないだろ!」


 案の定、本音を隠せていない。


「こここ、恋人ってこと?」


 ノッポが尋ねる。


「いいえ、恋人という程では」


 しおらしく答える。


「咲子たん、詳しく」


「えー、と、それは、一度きりのことで」


「待てよ。やる気なのか?」


 勢いづく男たちをガリが止める。


「三人がやるってんなら、俺もやるけど」


 オレの視線に気付いて、目を逸らす辺りは、女に興味がない訳でもないのだ。むしろオレが処女ではないとわかったことで「なんでも」をリアルにイメージできたようである。


「それは、首相誘拐犯を見つけるってことだぞ。頭使ってダメなら、能力使うしかない。勢いで決めるなよ。死ぬかもしれないんだ」


「「「…………」」」


 ノッポ、チビ、デブが互いを見る。


 危険を思い出してしまったようだ。なし崩しでいけるかとも思ったが、現実主義の頭からリスクが離れることはない。誘拐犯の目の前に瞬間移動すれば、当然、攻撃される。


「その通りです」


 もう一押し。


「ワタシなんかの個人的な願いのために、皆さんに命を懸けてもらおうなんて、やっぱり厚かましかったです。真剣に考えてくれてありがとうございました。自分でなんとかします」


 さらに引く。


「シャツとパンツ、必ず返しますから」


 深く頭を下げて、部屋を飛び出した。


 取り逃がした魚は大きい。


 手に入りそうだったものが、いきなり手に入らなくなったときの喪失感、そして女のオレが目の前にいる状態では語り得ない男の本音、それを引き出して流れを決定づける。そのために逃げる。


 わかっているのだ。


 厚かましい願いを聞いてくれる程度には、男たちの性根が親切であり、ヒーローに近いことは。困ってる美少女を助ける力があって、助けられる状況がある。助ければ「なんでも」してもらえる。


 そんなチャンスを自ら手放す男がいるか?


「いやしないさ」


 オレは人の気配のない方向へ全力で突っ走る。


 四人が現れてもいいように。


「ままま、待って」


 ノッポが五分ほどで目の前に現れた。


 オレは学園から、ペーパークラフト部を待ち伏せした荒れた神社まで移動していた。これだけ距離が動けば演技とは思われないだろう。


「俺ら、やるから」


 カッコつけてチビが言う。


「咲子たんを一人にはしないんだな」


 デブがふうふうと息を吐く。


「だけど、危ないのは確かなんだ。だから、報酬の前払いをしてくれ。なんでもするならできるだろ? それくらい」


 ガリが、こちらを見据える。


 なんとか、能力を使う気にはなったようだ。


「わかりました」


 言いながら,そう来たかとオレは思う。


 前払い。


 千鶴を見つけなきゃ全先正生の未来はない訳だが、しかし、本気でコイツらで男性経験なんか積むつもりはないのだ。いくら呪われて女で吐くとしても、別に男を好きになった訳でもない。


 さて、ここからどう切り抜けるか。


「でも、時間がかかるものは」


 とりあえずオレは言う。


「わわ、わかっています」


 ノッポが頷き、他の三人も同調する。


「咲子さんが、誘拐犯を一刻も早く止めたいことは理解しています。ででで、ですが、こ、これは俺らが能力を最大限に発揮するのに必要なことなのです。報酬の前払いであると同時に、必要経費としての時間だと考えてください」


「ええ」


 そう言われては頷くしかない。


 四人の顔は真剣そのものだった。パンツ一丁でそう見えるのだから、間違いはないだろう。彼らもリスクを取るのだ。


「間々崎咲子ファンっクラブぅ!」


 チビが叫ぶ。


「「「「結成!」」」」


 四人が声を揃える。


「!?」


 男たちの気配が変わった。


 パンツ一丁からハチマキにハッピ、中に着るシャツには美少女としてのオレの顔がプリントされた妙な外套を展開する。そしていきなりジャンケンをはじめた。


「僕の勝ちなんだな」


 デブがガッツポーズする。


「で、では咲子さん、靖司から順番に握手して名前を呼んでください。りり、両手で包み込むようにお願いします」


「え? はい」


 ノッポに促されて、オレは目の前に並んだ男たちの名前を順番に呼びながら握手する。「ヤスシさん」とデブを呼び、「ジユウさん」とチビ、「オサムさん」とガリ、最後に「カンバさん」とノッポ。思い出すのに少々苦労しながら。


 儀式を要する能力なのか。


「こ、ここ、これで咲子さんは俺らのアイドルになりました。いかがですか?」


「いかがって」


 首を傾げたオレだったが、ふと視界に入った胸元に驚く。ラフなTシャツだったはずがなんか派手なコスプレめいたものに変えられている。ビキニにジャケット、おなかは出ていて、ミニスカート、肘まである手袋に脚は膝までのブーツ、よくわからないが、恥ずかしい。


 裸よりよっぽど。


「かわいい?」


 だが、ご機嫌を取るように言った。


 なんとなく能力の意味がわかってきた。


「「「「かわいい!」」」」


 四人が声を揃える。


「これはセクシーアイドルだな」


 ガリが言う。


「咲子たん見た目は清楚系でも自己申告で非処女、仕方ないんだな。聞いてなければもっと似合う衣装もあったんだな」


 デブが残念そうに言う。


「治のせいだ」


 チビがガリを睨む。


「いいだろうが、なんでもするんだから」


「さささ、咲子さん。お、俺らの偶像崇拝はアイドルとファンの絆の深まりによって能力が六段階に強化されます。しょ、初期段階の絆で瞬間移動。いい、一段階目で外套展開、徐々に戦闘向きになっていきます」


 ノッポが説明する。


「ファンクラブ結成がそれ?」


 なんか面倒くさい条件があるんだな。


「そそ、そういうことで」


「悍馬、もういいからカード出せ」


 ガリが言いながら、ノッポのハッピのポケットに手を突っ込んで、白いカードを取り出した。そこには太い文字で「キス」と書かれている。


 嫌な予感しかしない。


「二段階目でこれか、四段階目レベルだろ。なんだかんだ言って、全員がこの露出狂を低く見てるな。わかるぜ」


 ガリはオレを見て明らかに嘲笑した。


「……」


 なんかムカつく。


「ちがうんだな。治が極端に全員の平均を下げてるんだな。僕はハグぐらいだと思ってたんだな。自由はどう」


「俺は告白かと」


「そう思ってて出た結果かよ、これ」


「か、カードは俺ら四人がアイドルに無意識に求める次の絆を示してまして、そ、その咲子さん。さ、最低でも二段階目まで絆を進めないと、武装を展開できないのです」


 好き勝手喋る三人を横目に言った。


「……」


 エグいシステムだな。


 男たちが能力を発揮するかどうかは、男たちが求める絆をオレがやるかどうかによるらしい。無意識に求める絆と言っているが、要するにアイドルとして祭り上げる女のレベルによって条件が緩んだり厳しくなったりするのだろう。


 男なので、その辺りはなんとなくわかる。


 本当に手の届かない高嶺の花ならそれこそソフトタッチでも至上の喜びだが、それこそビッチならヤることはヤれということである。ファンが喜ぶレベルが平等ではないのだ。


「わかりました」


 オレはそう言うしかなかった。


「キスをすれば行ってくれるんですね」


 男とキスなんかこれっぽっちもしたくないが、今の状況を俯瞰で見れば、オレは女の姿をして男たちを騙している。知らずに中身男の女とキスして喜ぶことになることへの罪悪感を思えば、我慢できなくもないだろう。


 むしろトラウマを与えるのはオレだ。


「いや、三段階まで行こう」


 ガリが言って、カードを見せる。


 表示が「キス」から「ディープキス」に。


「ディープ……」


 作り笑顔がひきつった。


 絆って言葉が脅迫に聞こえる。


「お、治」


 ノッポが諫めようとした。


「悍馬、ウルフを出し抜く相手に俺らの武装じゃ心許ない。強運は貰っとかないと死ぬ」


「う、咲子さん?」


 ガリの言葉に、助け船を求める。


「強運ってなんですか?」


 行きがかり上、尋ねるしかない。


「それは、どんな攻撃を受けても、一度限りなら一命は取り留めるという能力で、お守りみたいなもんです。あるのとないのとじゃ大違い」


 チビが説明しながら、舌なめずりをした。


「確かに大違いですね」


 頷いた。


 生きて帰ってきて貰わないと、困るのは事実。


 なんでもすると言いつつ、本当の報酬になるだろう本番を回避して逃げる気満々のオレの鬼畜さに比べれば、コイツらは欲望に正直なだけだ。この程度のこと、悪い人間とも言えない。


 やってやろうじゃないか。


「決まりなんだな。僕からなんだな」


 デブが待ちかねたと言う風にオレの前に立つ。


 そして目を瞑った。


「……」


 その態度はおかしいだろ。


 男がされる側なのか?


 確かにノッポ以外はオレより背が低い。ヒールの高いブーツを履いたことでさらに目線はこっちが上になっている。しかし奪われるでもなく男にディープキスするハードルは高い。


「やります」


 デブの顔をじっくり見るのも辛くて、オレはニキビ痕の目立つ顎を持ち上げ、意を決して唇を重ねる。と、同時に腰に手を回されて驚愕、三分ほどが永遠に思えるほどの地獄だった。


「次は俺なんで、これで口濯いで」


 チビが用意周到にミネラルウォーターを出す。


「ありがとう」


 一人も二人も四人も同じだよ。


「あああ、ありがとうございました!」


「よろしくおねがいします」


 ノッポまで終わった時には疲労困憊だった。


 チビはさりげなく胸にタッチしやがったし、ガリは尻を揉みやがったし、ノッポはなんか最後に首筋にキスしてきた。本心ではアイドルなんて思ってないのはバレバレである。


「んじゃ、これよろしく露出アイドルっ」


 ガリがオレにハンディカラオケを手渡した。


「え?」


 なんか気安いな。


「ああ、アイドルが歌い続けることで、俺らの能力の出力が上がります。さ、咲子。おお、応援してください」


 ノッポが真剣な顔で言った。


「う、歌とか上手く」


 なんか呼び捨てにされた?


「上手に歌う必要はないんだな。僕の咲子たんの必死さを受け止めるだけ。応援して、応援される。それがアイドルとファンなんだな」


 デブが照れくさそうに言った。


「はぁ……」


 僕の咲子たんにされてしまった。


「行ってくるぜ、サッキーっ!」


 チビが親指を立てた。


「サッキー?」


 あんな義務的なキスで距離感詰めるなよ。


「これが誘拐犯の写真」


「小柄なんだな」


「恐ろしくない、やれる」


「戻れば童貞卒業」


「「「「偶像崇拝!」」」」


 マイクを握らされて呆然とするオレをよそに、ハッピ姿の男たちは能力名を叫んで、飛んだ。やっぱり本当の報酬は本番のようである。


 それは全力で回避するけどね。


「歌うか」


 でもとりあえず頑張って貰わないとな。


「ほぉたーるのひーかーぁり」


 山の中の荒れた神社の前で、一人カラオケ。


 そりゃ哀しい気分の曲も選びたくなる。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る