第94話 偶像崇拝
近づいてくる。
恐る恐るという感じに四人の男が息を殺して足音も消して、目の前を通り過ぎた美少女のようなものの肢体を確かめようとしていた。抜け駆けをせず横一列、示し合わせての行動だ。
オレには熱い気配で丸わかりではある。
だが、気持ちもわかっていた。
男湯にいきなり女が入ってくるようなバカげたことはAVの世界にしかないと頭の中で打ち消しながら、それこそ長髪の細い男だったら笑い話にもなるからと自分に言い訳してスケベに挑む男の気持ちは痛いほどわかる。
確認しなかったら、一生そのことを悔やむ。
男はまず欲望に忠実な生き物だが、同時に非常にカッコを気にするプライドの高さもある。理性と呼ばれるもののほとんどはこのカッコという自己満足にカッコ良い理由をつけたものだ。
たとえば、風でスカートがめくれた時。
男がそれを視界の端に捕らえたとする。色が判別できたかどうか、淡い残像のようなものだ。だが、頭の中はパンチラのことしか考えられなくなる。不思議なものだがそうなのだ。
男は次にスカートの主の顔を確認する。
街中のパンチラに関して言うなら、顔を見た瞬間に八割はそれで興味を失う。好みの顔じゃないからだ。男は見なかったことにする。カッコつけて内心ではめくれるようなスカートの女を罵倒したりもする。オレじゃなかったら襲われてたかもしれない。気をつけろ。と紳士ぶったりする。
顔が好みだったり、顔が見えなかった時。
パンチラへの興味が果てしなく増幅する。好みの場合は言うまでもないが、こちらに背を向けていたりすると、髪の長さで理想の女性を勝手に当てはめる。セカンドチャンスを意識する。
さっきの風はなんだったのか、同じ条件は発生しうるか、時間的についていける余裕はあるか、どの位置に立てば確実に見られるか、様々な要素を勘案して決断を迫られる。
追うべきか、追わざるべきか。
ここで多くの場合、男を踏みとどまらせるのがカッコである。女の尻を追いかける自分という姿のみっともなさに耐えられないのだ。理性というものは概ねそういうことである。犯罪になるなどの具体的なリスクが生じる場合に踏みとどまるのは理性ではなく単なる社会常識である。
カッコを気にしなくていい理由があれば、男は踏みとどまらない。今のように男が裸でいるのが当然の場所に女が勝手に入ってきた場合はそうだ。そして男の友人同士はカッコつけないことが友情の証になっている場合が多い。一人だけカッコつけると逆にカッコ悪いのである。ややこしいが。
そんな訳で、男たちが友人である時点で、この場に理性は存在し得ない。個人の欲望と友情を証明する為にケダモノの檻は開かれる。
「……」
オレは壁から尽きだしたシャワーヘッドを見つめながら、覚悟を決めた。見られるのは仕方ない。それだけなら堂々とこの間々崎咲子の美貌を見せつけ、彼らの良き思い出になろう。
オレも男である。どう妄想で使われても許す。
騒ぎになってこの芸術家の作品が痴女扱いされるぐらいなら、堂々と間違えて男性用を利用しただけの天然美少女の方が可愛い、はずだ。
男たちの気配が迫る。
ブースは左右はかなり隠れているが、入り口側、シャワーを浴びている場合は背中側は腰ぐらいしか隠れていない。芸術的腰のくびれと、素敵ヒップ、そして腕を上げて見える脇乳、しっかと目に焼き付けるがいいさ。
「はぁ」
ちょっと甘い吐息なんかもサービスだ。
置いてあった石鹸を使って、身体にこびりついた臭いを取り除く、あさまに対して少し罪悪感があるが、いちいち吐いてもいられない。
「あ、あの」
背後の一人が声を出した。
「ここ、男用ですよ」
「バカ、言うな」
「見てたのがバレるんだな」
「気づいてなかったら悪いなと思って」
「……」
まさか声をかけてくるとは。
「気付きませんでした。ご親切にどうも」
石鹸の泡を流しながら背中を向けたまま答える。この状況でコミュニケーション取りたくないぞ。隠さないから黙って見てろよ。
「あ、ああっ、タオル持ってきますか?」
「タオル?」
なにを言い出すんだ?
「持って入ってないみたいだから」
「バカ! ロッカー開ける気か?」
「あ、そっか」
どうも一人かなりバカがいるらしい。
「すいません。別に脱いだ下着とかに興味がある訳ではなく、純粋に隠すものが欲しいんじゃないかと思いまして」
「興味あるって言ってるんだな」
「どうせなら隠さない方が良いって言え」
「……」
いかん、悪ノリがはじまった。
見られても動じない態度が、男たちには見てもいい女として翻訳されたようである。しくじった。オレが思っていた以上に間々崎咲子の身体は男にウケるようだ。カッコを捨ててもお願いしたいレベル、これでは理性が最初から意味をなさない。
これでタオル持ってなくて、全裸で移動してきたなんてことが知れたら完全に痴女、それどころか男を誘うためにこの場に表れたビッチである。その気にさせてしまう。むしろヤらなければカッコ悪いという状態だ。
「間に合ってます」
一刻も早く逃げよう。
オレは振り返ってシャワーブースを出ようとする。男たちはハッと視線をおっぱいに向けたが、流石に行く手を阻もうとまではせず道を開ける。背の高いの、低いの、太め、細め、あまり統一感のない四人の男たちの視線が下腹部に向けられるのを横目に、通り過ぎようとする。
「あ、危ないですよ?」
「え」
意識を男たちに向けすぎていた。
タイルに転がっていた石鹸を踏みつけ、オレはつるんとすっ転ぶ。冗談みたいだが勢いが良すぎて逆さまになって、床に手をつき一回転。流石に倒れはしなかったが、前屈して尻を向けたような状態になってしまう。
無言。
ゴクリ、と喉を鳴らした音が聞こえたような気がしたのは気のせいだろうか。オレも流石に恥ずかしくて赤面する。男同士の身体だったとしても恥ずかしい。丸出しだ。それもマタとあさまとの二連チャンでかなり仕上がってる。
「……」
無言のまま、オレはゆっくりと身体を起こし、何事もなかったようにシャワールームを後にしようとする。だが、肩を掴まれた。
「あ、あああの、す、好きですっ!」
背の高いバカの声だった。
「あ、俺も、俺も好きです!」
便乗して、背の低いのが手首を掴む。
「ぼ、僕もなんだな」
反対側の手を掴む太め。
「よろしくお願いしますっ!」
そして正面で土下座する細め。
「……」
鳥肌が立った。
呪いとは関係のないストレートな男としての拒否感でオレは反射的に男たちを振り払っていた。シャワーブースが割れ、壁にヒビが入り、お湯が噴き出す。
「……」
やっちまった。
呆然とする男たちの視線を浴びながら、オレは脱兎の如く逃げ出した。どこをどうやって歩いてきたのか、研究室に戻る道筋もわからない。
「待って! 急ぎすぎました!」
背後からバカの声。
追ってくる気か?
行き場がない。全裸で隠れる?
「完全に痴女だな」
オレはつぶやく。
隠れるのは気配を察知できるから余裕ではあるが、みっともない行動に違いはない。ともあれ、女の残り香を避ける意味でも外に出てしまうことにする。
このままホテルまで戻るか。
「幸い夜だし」
外出が自粛されているなら見かけられることもないだろう。駆け足で建物の影から影に移動しながらオレは一刻も早く男に戻ろうと考える。
だが、男たちの気配がこちらに近づいていた。
「ウソだろ」
それもオレを取り囲むように。
ならば消極的に逃げてもいられない。
積極的打開策。
「強行突破だ」
オレはつぶやいて、学園外に向かう先の一人へ向けて突っ走る。気配から言って強くはない。敵でもない相手を殴りたくもないが、窓から飛び出して逃げた全裸の女を追ってくる方が悪い。オレも異常だが、男たちも十分に異常だ。
そんなことをする目的はひとつ。
夜道を早足で歩く自意識過剰女を嘲笑したこともあるが、実際にこの立場になって見ればわかる。これはかなり心細いことだ。オレはセクシーな装いを通り越して誘惑したかも知れないが、襲われる筋合いはまったくない。
だから、見せしめに一人叩きのめす。
割に合わないと思い知らせる。
「!」
建物の影を飛び出し、一直線に気配に向かうと、パンツ一丁の背の高いバカがこちらを見て驚いていた。それはそうだ。全裸の女が猛スピードで突っ込んでくる。
「死ぃねぇぇええっ!」
拳を振り上げ、物騒なことを叫びながら。
「ちょ、待っ」
バカは構えたが、視線が揺れるおっぱいに引っ張られていた。隙だらけもいいところである。踏み込んだ勢いのまま、その無防備な顔面に体重を乗せて拳を叩き込む。
ぐるん。
「!?」
だが次の瞬間、パンチは空を切り、オレは一回転して裸の尻で芝生を滑った。男たちの気配は四方に散っている。訳がわからない。
「消えた?」
と言うより、瞬間移動か。
「し、心配しないでください!」
「暴れると騒ぎに」
「目立ってもっと見られるんだな」
「服を着てもらおうと」
両手を挙げ、パンツ一丁の男たちが現れる。落ち着いて見ると、太めがTシャツとハーフパンツを持っている。親切心だった?
「そ……っか」
ハッとオレは気付く。
ここはヒーローを養成する島だ。普通に考えれば治安はどこの国よりも圧倒的に良いはず。どこかの白い獣じゃないんだから、裸を見かけたからって女を襲うような男はまずいない場所なのだ。まったく白い獣はどうしようもない。
勘違い。
「ごめんなさい」
緊張が解けて、オレは恥ずかしさに顔を覆う。
「気が動転して」
「い、いえ、俺らこそ、なんかすいません」
「見慣れないもんで、舞い上がっちゃって、な」
「カノジョいない歴、二十年揃いなんだな」
「おい。まだ十九年と十一ヶ月だよ俺は」
大学部の男子四名、ヒーロー予備軍のチームだが、だが、もう一位は目指さない半リタイアで、頭の良さと能力を生かして機関の職員を目指しているのだという。
それでも体力は必要なので、夜に大学の施設を借りてトレーニングするのが日課になっているのだそうで、汗を流していたところにオレが紛れ込んでしまったという次第だ。
「俺の名前は
バカノッポ。
「俺は
チビ。
「
デブ。
「
ガリ。
失礼ではあるが、区別はこんな感じだ。
いや、親切な人たちではあるのだが、その視線はむしろ遠慮なくエロくなっているので、生理的嫌悪感はまったく拭えていない。
パンツ一丁のままで自分たちが服を着ないのは、どう考えてもこちらより薄着でいることで脚とか鎖骨とか見ようとしてるだけだと思う。勃起してないのが最低限の紳士っぷりだ。
「間々崎咲子です」
Tシャツとハーフパンツを借りた時点で立ち去りたかったのだがシャワールームを破壊し、勘違いで暴漢扱いして、親切にされたのに礼も言わずに立ち去ったのでは女全体の印象を悪くする。
男の純情を弄ぶ罪は重い、と思う。
オレが男だからこそだが。
「ど、どんな字を書くんですか?」
バカノッポが言う。
「え、あー、その」
結果、サークルとして部屋だというゴチャゴチャした一室に通され、四人に取り囲まれて質問を受けるような状態に陥った。こんなことをしている場合ではないが、研究室に戻るにしても道がわからないので、尋ねるタイミング待ちだ。
「咲子さんの好きな食べ物は?」
チビが言った。
なんとなく無難な選択をするタイプ。
「えー、なんでしょう。リンゴ?」
思い浮かばない。
「咲子たんはカレシいなさそうなんだな?」
デブが汗を書きながら言う。
「……」
寒気がした。
質問かそれ、第一、たん、って何だ。
「そんなことより、全裸で学園内にいたことを聞けよ。どういうつもりだったのかって」
ガリが三人に向けて言いつつ、こちらの反応を伺う。自分が質問した訳じゃないというエクスキューズ。かなりいやらしい会話術だろう。
「な、なに言ってんだ治」
「露骨すぎるだろ」
「咲子たんをいじめるな」
「じゃあ俺が聞くよ。露出狂なんですか?」
「さっきの能力凄かったですね?」
冷酷に話題を逸らす。
「あ、やっぱそうなんだ。なら見られて」
「め、
ガリの言葉を遮ってバカノッポが言う。
「そうなんですか」
見た対象を中心に瞬間移動?
追跡?
「それって実物を見なくても使えるんですか?」
「どういう意味?」
チビが首を傾げる。
「たとえば写真とかを見て」
オレの頭にはひとつの可能性が浮かんでいる。
もしかするとコイツらと出会えたのはかなりの幸運かも知れない。姿を隠す能力があるのなら、当然、探す能力もあるはずなのだ。
「できるんだな。僕らはそれで、ふひっ」
「靖司、それは言わなくていい」
デブが喋ろうとするのをガリが押さえる。
「い、いやいや、そんなことしてないですよ。こっそり日本のアイドルを追っかけたりとか、そんなヒーローにあるまじきこと」
「バカ!」
チビがノッポの頭を叩いた。
「島を出られるほど?」
それ凄い能力じゃないか。
いやらしい男の理由で悪用していたらしく、機関にも秘密だったんだろうし、明らかに戦闘能力が低いから生かせてないんだろうとも思うが、それが本当なら今のオレが抱える問題を一発で解決できるはずだ。
「さ、咲子さん? し、島から脱走するとか無理ですよ? 機関を舐めちゃいけません。そんなこと俺らだって考えてもいない。この能力にはいくつか限界があって……」
「首相誘拐犯を見つけられる?」
ノッポの言葉を無視してオレは言った。
四人の顔色が変わる。
「ワタシの知り合いなの。機関より先に見つけてなんとか犯行を止めたい。力を貸して」
女の甘え声を全力で活用して懇願する。
好意を持っているなら利用してでも。
「咲子たんの頼みでもそれは無理なんだな」
デブが頬肉を揺らして即座に拒否した。
「無理無理無理無理」
チビも同意する。
「犯罪者の知り合いは犯罪者?」
ガリがクスクスと笑う。
「む、無理なんですよ。そそそりゃ、俺らだってヒーローを目指した人間ですから、事件の解決に貢献したいとは思いますよ? で、でも俺ら、戦闘力というより、闘争心がまずなくて」
「戦うのはワタシがやるから」
ノッポの言葉にオレは少し苛立つ。
「き、危険ですよ」
「そんなことわかってる」
心配される筋合いでもない。
「めめめ偶像崇拝は、他人を送れないんです。俺ら四人しか瞬間移動できない。つつつつまり、咲子さんがいくら強くても」
ノッポは言い訳をする。
「行ってすぐ戻ってきて場所を教えてくれればいい。島の中ならそれからでも移動できる」
さっきの動きなら連続使用はできるはずだ。
「それだけじゃなく、て、そ、そそその、誘拐犯は機関も見つけられてないってことなら、なんらかの能力で隠れてるはずなんです。の、能力の相性というか、効果の相性なんですが、隠れると見つけるというこの二種がぶつかると、お、俺らの場合、対象との距離が近くなるんです」
「よくわからないんだけど」
「すぐ近くに出るんだよ、露出狂」
ガリが刺々しく言った。
「かごめかごめ状態なんだな。咲子たん」
デブがニヤケ顔で補足する。
「……」
なるほど、千鶴の写真で飛べば、千鶴を四人が取り囲むような状態になってしまうということか。確かに戦闘能力に自信がなくて、相手の強さがわからない上でその状態はかなり怖い。
だが、やってもらわないと。
「なんとかならない?」
オレは言った。
四人は黙って俯いてしまう。
「無理なのかな?」
パッと行ってパッと戻ってくる、と簡単に言っても、場所を特定するには多少の時間がかかる可能性は高い。それこそ甲賀古士は潜伏しているのである。彼らのやる気がなければ、ただ飛んでもらってもなんの意味もない。
だが、他に確実な手もなかった。
「そこをなんとかお願いします」
オレには頭を下げることしかできない。
散乱した物をどかしてできた絨毯のスペースに正座したまま、オレは土下座した。カッコつけている場合ではない。女になって男のプライドなんかどうだっていいのだ。
切り札を使おう。
「ワタシ、なんでもしますから」
男をグラつかせる、女の最終兵器だ。
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