第96話 深淵潜者

 首相誘拐事件の発生で、島のマスコミはにわかに忙しくなった。だが、現場に居合わせ、犯人の姿をスクープすることに成功した宮本久美子と柳田常一のコンビはもう別の事件を追っていた。


 逮捕された全先正生の逃亡。


 異星の王子殺しの犯人が、警察署から逃亡後、追跡しようとしたウルフ一家の一部を返り討ちにして、そのままどこかへ消えたとSNSに匿名で書き込まれ、すぐに削除された事件である。


 逮捕を担当したヒーロー、碧天刑成は取材に対して「そのような事実はない」とコメント、ウルフ一家長男、逸狼は首相誘拐の責任を問われ待機命令中につき取材には応じていない。


 外出の自粛が要請される最中のことであり、目撃者がおらず、首相誘拐という大きな事件の影にあることもあって各社の扱いは小さかったが、久美子は直感的に二つの事件の関連を疑う。


「柳田、首相誘拐を目くらましに、全先正生を逃亡させた勢力がいるはずなのよ!」


「何度も聞きました。宮本さん」


 久美子の言葉に常一はうんざりと答える。


 時刻は深夜を回っていた。


「王子殺害、首相誘拐、立て続けに起きた事件が関連性を持っている。そう考えるのは別に変じゃないですよ。でも、情報が足りないんです」


 二人は社用の軽ワゴンを走らせ、全先正生が逃亡したとすれば立ち寄りそうな場所を虱潰しにしたが、成果はまったくなかった。


 逃げたことが事実かどうかもわからない。


「そろそろ切り上げましょう」


 そう言って常一はハンドルを切る。


「バカ言わないで」


 助手席の久美子は丸めた地図でポンと自分の手を打つ。表情に疲れは見えたが、目だけはやる気に満ち溢れていた。


「誘拐犯が捕まってからじゃ遅いの。関連性があるとするなら、ここで尻尾を掴んでおかないと、コトは戦争なのよ? 全先正生に王子を殺させ、首相誘拐のどさくさに身柄を隠す、それだけじゃないわ。そもそも、ヒーロー予備軍として島につれてきた段階からそう仕組んでいたかもしれない。巫女田カクリが、あっ!」


 喋っている途中で、急に叫ぶ。


「宮本さん、どうしました?」


「柳田! ブレーキ!」


「え?」


 常一は急ブレーキを踏む。


「クッキーがいた」


「クッキー? ああ、天才少女の」


 久美子に言われて、常一はその少女のことを思いだした。学園の初等科に通う娘が同い年で大学院生というその子のファンだったのである。


「全先正生の妻の一人という話だわ」


「え?」


「え? ってなに? 資料読んでないの?」


 久美子が訝る。


「ははは、チームメイトなのは知ってましたが、妻? 九歳か十歳の子でしょう?」


 資料は斜め読みで、それこそ十六で一夫多妻なんぞしようと思う若い少年の浅はかな蛮勇を笑っただけだったが、常一は誤魔化す。


「九歳か十歳でも、本人が望めば妻でしょう」


 久美子は言う。


 月暈島では結婚の最低年齢を定めていない。なぜなら、外見年齢と実年齢が一致しないタイプの存在が多くいるからだ。極端なことを言えば生まれて一年で大人になるような例もある。宇宙規模で見れば、地球の公転を基準にした歳という年齢の基準に意味がないということであった。


「責任能力で言えば、ランキング参加者は大人と同等だから。だから逮捕も実名報道で」


「わ、わかってますわかってます」


 常一は脱線しそうな喋りを遮って、


「追いますか? クッキー・コーンフィールド」


 久美子の食いつきそうな方向に逸らす。


「そうだった。追うわ」


 言うと、車から飛び出した。


「ふぅ」


 常一は溜息を吐く。


 考えるのは娘の結婚だった。


 まだランキングには参加していないが、親の能力は受け継いでいるから数年の内にはヒーローを目指すようになるかもしれない。そうなればチームを組むことにもなるだろう。


「そこで男と知り合って、結婚。あぁ……」


 ありうるイメージだった。


 落ち込むしかない。


 常一自身、妻とはそうして知り合った。


 憧れる相手に近づこうと勉強しはじめたことを妻が喜んでいたが、同じように早く結婚したがったら父親としてどうすればいいのか。


「天才ですら男を選べば失敗する、と目を覚ましてくれれば良いんだがなぁ、ん?」


 ハンドルに顎を乗せ、暗い道を見ていると、久美子が天才少女と美熟女を連れて戻ってくる。常一の目は釘付けになっていた。ボディライン丸出しの黒いスーツながら、それでも卑猥というより淑やかに見える完成された雰囲気を持っている。


「あんな艶っぽい女性がこんな夜中に?」


 見つめる間にワゴンの後部座席に乗ってくる。


「お待たせ、車に乗せる代わりに取材に応じてくれるって。コーンフィールドさんと、あとマタさん、二人とも全先正生さんの奥さんだそうよ」


「奥さん!?」


 久美子の紹介に常一は驚くしかなかった。


「よろしくおねがいしマス」


 天才少女を守るように横に座りながら、丁寧にお辞儀をする熟女。その淑やかに微笑み。それだけでほとんどの男は誤解するだろうという親しみやすさと包容力を感じさせた。


「はい」


 胸の奥に熱いものを感じて、常一は正面を向く。同時にあまり興味の無かった王子殺害犯の少年に割り切れない感情が動く。


 年端もいかない少女から、美熟女まで。


 なんと傲慢な男だ。


 しかし、天才と人生経験豊富そうな熟女が同時に男を見誤ることがあるのだろうかとも思う。逆なのかもしれない。むしろ、少年が女に騙され、陰謀に巻き込まれているのではないか。


 その方が、よほど自然だ。


「ほんなら、このルートで走ってくれる?」


「ええ、取材をしながら」


 少女に手渡されたメモを元に、久美子がカーナビにルートを入力していく。常一はそれを横目で見ながら不安になっていた。


 渦中の人物があっさりと取材を受ける。


 相手は天才である。


「……」


 利用されているのではないか。


「柳田」


「はい」


 軽ワゴンは静かに走り出す。


「単刀直入に伺いたいんですが、旦那さんが逮捕されてから逃亡したというのは本当ですか?」


 助手席の久美子が後ろを振り返って言う。


「逃亡? なんの話ですか?」


「SNSに……」


 天才少女が本気なのかとぼけたのか、常一にはわからなかった。久美子の説明を聞き、まっとうに受け答えしてはいるが、見た目の子供さと、大人びた受け答えのギャップが大きく、それ自体が現実離れしていて嘘くさくもあり、なにがなんだかわからない。


 そして美熟女は喋らない。


「……」


 黙って窓の外を見ている姿をバックミラー越しに視界に入れながら、常一は指定されたルートを走る。取材は天才が久美子の質問攻めを的確に回避して当たり障りなく進行する。


「質問を変えましょうか」


 明らかに苛立つ同僚に常一は首を竦める。


「知り合ってからの期間が短いと思うのですが、結婚生活で良かったことなどあれば」


「正生様の処女を奪いまシタ」


 熟女がいきなり口を開いた。


「は? え? 処女?」


 記者として相手の言葉を聞き逃す訳のない久美子が思わず聞き返さざるを得ない言葉だった。とてもその淑やかな表情から出てきたとは思えない内容だったからだ。


「そないなこと発表せんでも……」


「いいえ、永遠の思い出にしなければなりまセン。嫌がる正生様に消えない傷を刻み、妻となったのだと世間にも伝えたいのデス」


「そうなん? それでええならええけど」


「記事にできませんから」


 久美子が珍しく完全に引いた。


 ある意味スクープには違いないが、月暈ヘッドラインの紙面には載らない話題なのは間違いない。


「……」


 常一は静かに溜息を吐いた。


 性に奔放な熟女が少年を誑かし、操っている構図に信憑性が出てきた。こうなってくると事件の関連性も疑いが濃くなってくる。天才に熟女、それに元ヒーロー、議長の娘、妻として集まる面々は曲者揃いだ。


 どんな陰謀があってもおかしくはない。


「動きがありまシタ」


「なんや?」


「戦闘デス。ここから数百メートル」


 熟女がなにやら怪しげなことを口にしたのは、車が空港にほど近い海岸沿いを走っているときだった。言葉と同時に、ドアをスライドさせ、少女を抱えて飛び降りる。


「柳田! 止めて!」


「言われなくとも」


 久美子と常一も車から出る。


「海の中」


「そうみたいですね」


 二人の出ていった方角にあるのは、暗い海だけである。だが、誘拐犯にしろ、逃亡者にしろ、そこに潜んでいるとすれば、確かに見つけづらい場所であるのは確かだった。


「泳げる?」


「だれに言ってるんですか」


 常一は久方ぶりに能力を使っていた。


 中年太りの肉体が、アザラシのような動物の外套に覆われていく。若い頃は水中戦闘のプロフェッショナルを自負していた。


「珍しくやる気みたい」


「娘の未来がかかってるんですよ」


 この事件の真相を暴き、それを父の仕事として娘に伝えよう。憧れを打ち砕くことになるかもしれない。だが、欺瞞に生きさせる訳にはいかないのだ。


 深淵潜者アビス・ダイバー


「宮本さん、乗ってください」


 鉛色の体毛を持つ獣の姿となった常一はヒョコヒョコと地上を進みながら言う。宇宙を泳ぐ生物をモチーフに、地球の海で戦う前提で開発された古い系統の能力だ。当人とそれに触れる人間を空気のない環境に適応させる。


「よろしくね。柳田」


 久美子は遠慮せずに背中に跨がった。


「行きますよ」


 常一が言うと、首に法螺貝のような武装がぶら下がる。大きな口でくわえて吹くと、荒れてもいない目の前の海から大波が押し寄せ、二人を海中へ引き込んでいく。


「三回目だっけ?」


「四回目じゃなかったですか? ほら、去年、島に入り込もうとした不審な船と勘違いして、海賊チームに乗り込んだ時」


 久美子の言葉に常一は答える。


「よく覚えてるわね。忘れてたわ」


「……」


 指示したのは久美子で、敵と勘違いされてかなりボコボコに殴られた常一としては許し難い発言だった。一週間ぐらい入院したが見舞いにも来なかったことも思い出される。


「それでどう? なにか見える?」


 年上の男の無言を黙殺する記者気取り。


「待ってください」


 常一はさらに法螺貝を吹く。


 ほとんど真っ暗な海の中の様子を視覚的にはとらえられないが、武装は水を操る他、アクティブ・ソナーの役割も果たす。


「なにか、大きな物が動いてます」


 外套をまとって翼のように動かして泳ぐ腕の角度を変えながら、常一は海底に感じた異変を久美子に伝える。それは相当に巨大でありながら、あり得ないほど静かに高速で移動している。


 複雑な形をした構造物だ。


「あと、その近くに人間サイズの」


「あの二人ね」


「おそらくはそうでしょう」


 天才少女と変態熟女、水中に適応した能力か技術を持っているのか、海底の異変へともう近づいている。問題はそれがなにか、だ。


「宮本さん、追いかけると危険かもしれない」


 常一は言った。


 法螺貝をさらに吹いて、構造物の形を確かめていく。感じ取った感覚が頭の中で具体的な形に置き換えられていくと、中年男の心に不安が膨らんでいった。


「当たり前よ、首相誘拐をめくらましに使うような勢力がいるなら、相当に大きな組織で」


「そういうレベルではなく」


 海底火山の噴火でできた島の周囲の海はすぐに深くなる。その底を、砂すら巻き上げず、ほぼ無音で移動する巨大構造物の見えない姿。


 そんな技術は地球上にないだろう。


「もしかすると」


「ともかく近づいて」


「いや、宮本さん、宇宙じ」


 久美子に言い掛けたところで、海底が不意に明るくなった。そして水中を伸びてきたサーチライトのような光が常一たちに当たる。


「見つかった! 逃げて!」


「だから言ったのにっ!」


 光から逃れるように腕と脚を動かして、法螺貝を吹いて海流を動かし、常一は水中を加速する。背中に跨がっていた久美子がぴたりと密着、だが、ライトは的確に追ってきていた。


「あの二人は?」


「!」


 常一は法螺貝をさらに吹いた。


「下のに取り付いて、っ!?」


 光から少し飛び出して下を見た常一の言葉は途中で止まる。信じられないものがそこにはあった。だれにでも見覚えはあるが、実際に目撃したことはないものだ。


「あれ、私、知ってるんだけど」


 久美子が言う。


「宮本さん、それ以上は口にしない方が」


 長くヒーローに関係する世界に暮らして、その成り立ちを理解している人間として常一はそれと認識することを拒否したかった。


 そんなものが実在しては困る。


 要するに宇宙人と関係するかもしれないものとしてそれを認めたら、この世界は大混乱に陥るだろう。知らなかったことにすべきだ。


「なにも見なかったと」


「あれって、竜宮城じゃない?」


 久美子は言った。


「なんで言うんですか! なんで!」


 常一は抗議する。


 この件について言い逃れる機会を完全に失った。裁判でも知らなかった気付かなかった存じないで通さなければならないところだ。自分たちが知らなかった時点で明らかに秘密にされていたのだから。


「なんでって見たらそう言うしかないでしょ、あのお城! 中華風って言うか、あの赤い、えーと、龍神とか乙姫とか、ってあれ? 機関ってかぐや姫の末裔が作ったんだよね」


 久美子の理解がやや遅い。


「だから!」


 叫びながら、常一は浮上する。


 本来なら写真の一枚でも撮るべきスクープだったが、妻子ある身として優先すべきは平穏な暮らしだと気付く。カメラマンの仕事としても当たり障りのないところにいるべきだったのだ。


 娘の未来を見るためにも己の未来が必要だ。


「なんかピッカピカの出てきた!」


 久美子が叫ぶ。


「!」


 思わず振り返って、常一は絶望した。


 クリオネ。


 流氷の天使などと呼ばれて愛される知られたものと形はそっくりだったが、光り輝くそれらは明らかに大きかった。ウミガメぐらいはあるだろう。そして遊泳力は比較にもならなそうで、軽く魚雷ほどの速度は出ている。


 このままでは逃れられない。


 頭部の口円錐バッカルコーンが開いていた。


「追いつかれてる! 柳田!」


「……!!」


 久美子に頭を叩かれながら、常一は思う。


 背中の女を捨てれば己は助かる。


 クリオネと同じならばあの触手は餌を捕らえて養分を吸収するはずである。この生意気な記者気取りがぐちゃぐちゃのぬめぬめになるのはさぞ気分が良いだろう。気分爽快だ。


「いや、だめだ」


 同僚を見捨てて娘に会わせる顔はない。


 父親として、ヒーローを目指した男としての最後の良心が、彼の助かる道を閉ざした。方向転換して、法螺貝を吹き鳴らし、海流に乗って戦いを挑む。


「待って! なんで戦うの!?」


「すみません宮本さん! 男なんです!」


 相手の数は百近い。


 そして完全な水中生物、久方ぶりに能力を使った人間など相手にもならないだろう。だが男には退けない場面がある。戦いもせずに散ったとあっては浮かぶ瀬もないのだ。


「うおおおっ!」


 三つ叉の銛の武装を展開して常一は突進する。


 結果。


「一匹も倒せないって!」


「……面目ない」


 数分後、二人は竜宮城に捕らえられていた。クリオネから、巨大なイカのようなものに引き渡され、その太く長い腕か脚かに絡まれ内部へ連れて行かれる。


「あの二人はどうなったのかしら」


 珊瑚のようなもので飾りたてられた煌びやかな城内をキョロキョロと見つめながら、心配している様子でもなく久美子が言う。


「たぶんドサクサに潜り込んだのではないかと」


 常一は上手く囮にされた気がしていた。


「……」


 久美子が沈黙して考え込む。


「……」


 おそらく助けてもらえるか計算しているのだろう。それはこれからの状況による。とりあえず、全先正生を逃亡させた勢力がこの竜宮城ではないはずだ。仲間なら探すまでもなく合流地点ぐらい決めておくはずだからだ。


「逃亡ではなく、捕まっていたんですかね」


 常一は言う。


「そうかもしれないわ」


 久美子も同意した。


 王子殺しの身柄となれば、利用価値はある。だが、仮にもランキング一位がそう簡単に誘拐されるとは思えず考慮していなかった要素が、この竜宮城の存在で揺らいでいた。海底を移動する城、地球の技術ではないとすれば宇宙からのもの。ヒーローを圧倒するかも知れない。


 かぐや姫に匹敵する存在であるならば。


「……」


 巨大な扉の前で、イカは拘束を解いた。


「中に入れってこと?」


「……」


 イカは答えない。


「宮本さん、開きます」


 扉は静かに開かれる。


 タイやヒラメが舞い踊っていた。


 能力を解かれても空気を必要としない不思議な空間ではあったが、室内を泳ぎ回る魚を見れば、そういうものだろうとしか言えない。


「今日はまったく賑やかな日じゃ!」


 扉からまっすぐに敷かれた赤い絨毯の先。


「妾は乙姫! その方等、敵か?」


 玉座だろうか、ゴテゴテと派手で大きな椅子に似合わぬ少女がぶらぶらと脚を振って座っている。エメラルドグリーンの髪を無重力的に靡かせ、八重歯を剥き出しにニッカと笑顔である。


 元気いっぱいの子供だった。


「昔ばなしと違う」


「かぐや姫も違いますから」


 久美子の小声に、常一も同意した。


 だが、事態は少しずつ見えてきていた。絨毯の脇に居並ぶのは城の雰囲気に似合わない忍者の軍団、そして、舞い踊りを見物しているのは総理大臣その人である。


 誘拐犯側の組織、ということのようだった。

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