第72話 今日はクッキー

 明日は球磨、明後日は五十鈴。


 ルビアとの行為の結果はそういうことだ。


 ちゃんと全員とやりましょう。


 とりあえず不公平感のないスケジュールを組み、白い獣を制御する意味でも適度な夫婦生活を営むべきだということがまとまったときには午前零時を回っていた。


 社務所はボロボロであり、神社も全壊、合宿は期間短縮ということになるだろうということだがその辺りはセラムの件の報告を済ませてからになる。機関の調査も入るだろうとのことだ。


「眠い」


 途中からは疲れて、聞かれたことには全部答えてしまった。ルビアが恥ずかしがらないものだから、あれもこれもそれもと詳らかに。


 オレは恥ずかしい。


「兄さん、お疲れ」


 一階の部屋に戻ると、話題の内容的に参加させられなかったクッキーが待っていた。布団が布かれた部屋だが、オレが食って出した機械の塊が分解されて、寝床の雰囲気はまったくない。


「ホンマ、臨場感溢れる内容やったわ」


「盗聴してたのか」


 オレは言う。


 道理で素直に退席した訳だ。


「ウチはもう少しソフトにお願いしたいわ」


「考えとく」


 オレは言いながら布団に倒れ込む。


 今日はクッキー。


 もちろん抱くわけではない。オレにそういう趣味はないとか以前に、そんなことはすみが許さない。一緒に寝るというだけだ。


「悪かったな。テヤン手とキュイ・ダオ・レーン。使い物にならなくなったろ?」


 オレは機械を見つめて言う。


 ランドセルも、機械の鎧も、原型をとどめていない。いくらかは取り込んでしまったし、使い方も強引だったからおそらく壊れている。


「そうでもない」


 クッキーはバラした機械もそのままに、お団子頭を解く。そのままころんとオレの横に寝っ転がった。大きな瞳が、じっとこちらを見つめる。


「兄さんの体内を通過して、ウチも知らん宇宙の技術が組み込まれたみたいや。これを解析できたら研究は一歩も二歩も進む。むしろ嬉しいわ」


「……賢い慰め方だ」


 オレは言う。


「フォローしてる訳やない。ウチは本当のことを言うてるだけや。兄さんの機械の心臓、どうにかして見られんかな。とかな」


 言いながら、クッキーは横向きになっているオレの胸に耳をピタリとくっつける。球磨のジャージから着替えさせられた新品の寝間着は肌触りが良い。だが、それよりもマーブルの髪の毛の方がさらさらだろう。


「医者になればいいんじゃないか?」


 オレは頭を撫でたくなる衝動を抑えた。


「何年もかかる。それやったら腕の良い医者に頼んだ方がええわ。経験と技術は、天才の不得意分野やからな。あんま興味わかんし」


 夢のないことを言いながら、クッキーはオレの寝間着のボタンをはずして、直に胸に触ってくる。たぶん複数聞こえる心音を確かめているのだろう。


 愛撫ではないと思う。


「……」


 乳首を摘んでるけど。


「ウチも既成事実を作りたいわ」


 黙っていると、不意にクッキーが言う。


「いずれな」


 オレはそう答えるしかなかった。


「兄さんは、ウチのこと好きなん?」


「好きだよ」


 クッキーの質問に即答する。


 結婚という言葉と、めまぐるしく変わる状況の中で、落ち着いて話すこともできなかったが、クッキーとの結婚は妙に自然に思える。


「性欲が絡んでない分、純粋に好きなんじゃないかとすら思う。だから、むしろ、クッキーがいずれの時までオレのことを好きでいてくれるか不安になる」


「不純でもええんやけど」


 ぽつりとクッキーは口にする。


 そしてオレを仰向けに転がすと、開いた胸元に顔を押しつけるようにして乗っかってきた。上目遣いにこちらを見つめるその顔はあどけなさの残る子供なのに、女だった。


「それは、ケダモノのオレに言うしかないな。もう出番があるかどうか怪しいところだけど」


 動揺を押し殺して、オレは言う。


「やっぱアカンか」


 クッキーはそういうと、グーで股間を叩いた。


「だっ!?」


 それほど痛くもないが、やはり痛い。


「ウチの裸を見た後やったら、その気になるかと思ったんやけどな。でもま、ケダモノの出番はまだあるやろ。ローテーションなんて、すぐ飽きる。兄さんの性欲の強さに期待しとくわ」


「……」


 恐ろしいことを口走るな、この天才。


「寝よ寝よ。性欲、食欲ときて、睡眠欲で潜在能力が覚醒したら困る。兄さんを飼い慣らすには欲求不満にさせたらアカン」


 オレの腹の上で立ち上がり、電灯の紐をカチカチと引っ張って赤い豆電球まで照明を落とす。真っ暗にすると寝られない子供なのか。


「おやすみ」


 オレはそう言って目を閉じる。


「おやすみ」


 オレの上で正座したらしいクッキーが顔をつかんで、唇になにやらやわらかいものを押しつけてくる。じんわりと熱い。


「!」


「これくらいええやろ。妻なんやから」


 クッキーは恥ずかしそうに指でうっすらと濡れた唇をなぞって言う。耳年増というか、さっそく性教育に悪い環境に感化させてしまったようで、罪悪感を覚える状態だ。


「そうだな。これくらいいいよな。夫婦だし」


 オレは言って、素早く身体を入れ替え、クッキーを布団に押し倒してキスをする。赤い照明の下でも、その顔が真っ赤になっていくのがわかった。


「んんっ! ん! んーっ!」


 目を丸くして、じたばたとオレの身体を叩いたり蹴ったりしていたクッキーだが、しばらく唇を離さずにいると、その力を抜いていく。


 舌までは入れなかった。


「どうだ?」


「急に、情熱的やん?」


 クッキーは強がった。


「これで既成事実ってことにしといてくれ」


 オレは乱れた髪の毛を撫でながら言う。


「いつか、オレのことが嫌いになったら、容赦なくこれを根拠に訴えてくれればいい。そうならないように、オレは頑張ってケダモノにならずに、いずれの時を楽しみに待つよ」


「なんや、女たらしやな」


 言って、クッキーは枕に顔を埋める。


「多妻の夫ですから」


 オレは肯定した。


 あまり人聞きの良い言葉ではないが、女たらしと言われるぐらいでなければ、たぶん家庭内で死ぬことになるだろう。不公平感をなくすというのは、平等の機会を持つということではなく、全員を満足させるということのはずだ。


 なんだか久々に穏やかな睡眠だった。


「……」


 明け方に少し目を覚まして、横で小さな寝息を立てるクッキーを見つめて幸せな気持ちで二度寝する。こういうのはとてもいい。


 結婚して良かった。


 彼女たちを守るためなら、厄介な宇宙人を殺したことなど後悔するほどのことではないと思える。そこまで憎かった訳でも、殺したかった訳でもないが、手加減なしの戦いだった。


 オヤジもそんな気持ちだったのだろうか。


 テロリストになってでも守らなければいけないものがあったのだろうか。会って聞いてみたいと思う。結婚の報告もして、オフクロのことも聞きたいと思う。わからないことばかりだ。


 オレは何者なのか。


 オヤジの息子であればそれでいいと思っていた。だが、それだけではもう済まないだろう。食欲が目覚めさせたオレの意識は、完全な宇宙人となることを求めている。


 まったく別の生き物になっていくのだ。


 性欲を抑制しようとすれば、今後の戦いで食欲には頼らざるをえないだろう。修行で長年押さえ込んできた欲望だ、目覚めさせてしまった以上、もう止められない。オレは食いたいものを食っていくことになる。


 そして食えば食うほど、完全な意味で宇宙人に近付く。


「……」


 オレはクッキーの寝顔を見つめた。


 好きでいてくれるオレが、いつまでオレでいられるかはわからない。それでも好きでいて欲しいと思うのは、身勝手だろうか。


「正生!」


「ん? う?」


 うとうととしていたところに、五十鈴が飛び込んでくる。なにやら玄関の方が騒がしい。ずいぶん沢山の気配を感じる。


 もう機関の調査が入るのか?


「くのいちが来た」


「!」


 飛び起きるしかなかった。

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