第73話 取引

 制服に着替えて、オレは重い足取りで玄関へと向かう。気配の数から言って、くのいち一人ではない。当然だ。まさか被害者、それも性的被害者が、加害者に一人で会いに来る訳がないのだ。


 またオレに犯される。


 こちらにどんな言い訳があろうともそう考えるのが自然だった。ランキング一位を取る強さを、暴力的性衝動としてぶつけられる恐怖と戦い、こうして対面してくるのである。相当の覚悟で、相応の対処をしてくるだろう。


「お待たせしました」


 オレは言った。


 セラムの襲撃でボロボロの玄関に出ると、頭巾をはずしたくのいちを先頭に、男女の忍者が数十人、こちらへの敵意をむき出しにしている。


 応対してくれていた球磨とすみが左右に避けた脇を抜け、オレは素足のまま、くのいちと同じ場所まで下り、正座した。


「昨日のことについては、大変申し訳なく反省しております。未熟な能力でそちらに与えた被害については誠心誠意……」


「謝られても不愉快」


 くのいちがオレの言葉を遮った。


「反省? 反省してるって言うなら、この場でアレを切り落としてみなさい。誠心誠意って言葉の意味がわかってるならできるでしょう?」


 正座したオレの膝の上に短刀を置く。


「……」


 予想していなかった訳じゃない。


 くのいちの怒りは正当で、怒りの矛先は正確だった。男からしてみれば、どんな謝罪をしてでも守りたい最後の一線に踏み込まれた形だが。


 どうしようもない。


「斬っても、たぶん回復」


 情けないが、オレはもう泣きそうだった。


 怖すぎる。自殺するより怖い。


「あたしが許すまで斬りつづけろ」


 容赦などある訳がなかった。


「……」


 短刀を持ち、オレは立ち上がる。


 逃げるわけにはいかなかった。そんなことをすれば、オレを許してくれた背後で見守る妻たちに顔向けできない。禊ぎの機会を与えられた。それだけでも慈悲深い相手だったと言える。


「失礼します」


 オレはベルトを外して、ズボンとパンツを一緒に下げる。もう見られることにそれほど恥は感じない。慣れてしまった。


「では」


 短刀を抜き、モノに手を添えようとしたとき、


「……」


 目の前でそれを見つめる少女と目が合った。


「え?」


 どういう状況なのかさっぱり訳がわからず、オレはくのいちやその背後の忍者を見るが、なんの反応も示さない。それどころか股間に視線を集中したままだ。まるで動かない。


「え?」


 なんだこの状態。


「と、き、と、め、の、じゅ、つ」


 少女は掠れた声で、一音ずつ区切りながら言った。それは聞いているこっちが心配になるほど、弱々しく、普通なら聞き逃したかもしれない。


 だが、他に音はなかった。


 世界が無音だった。


「ときとめの、時止め?」


 聞いた言葉を繰り返して、意味を把握する。


 思わず周囲を見回して、オレと少女以外のだれの反応もないことを確認する。呼吸の音どころか、遠くで響いている滝の音すら聞こえない。


「時間停止?」


 最低でも山頂の時は止まっている。


「……」


 少女はこくりと頷いた。


「君が、止めたの? 時間を?」


「……」


 こくり。


「……」


 間違いなく能力だろう。


 だが、正直なところ意味不明だった。


 なにから考えたらいいのかわからないほどに意味不明だった。一番は少女がオレのモノをしゃがんで見つめているということだが、なぜか両手両足に枷をはめていたり、服装がスクール水着だったり、全身がやせ細っていたり、混乱する状況しかなかった。


「ち、い、さ、い」


 少女はオレのモノを指さした。


「ごめんなさい」


 だれと比べているのかはわからないが、そう言われては返す言葉もない。この領域に限っては平均値など経験値の前に役に立たないのだ。


「……」


 ふるふる、と首を振った。


「あ、や、の」


 そしてくのいちを指さす。


「あやの、って名前?」


 くのいちの知り合いの子なのか。


「……」


 こくり。


「お、か、し、た」


「ごめんなさい」


「……」


 ふるふる。


「いや、お友達なら、怒って当然なので」


「お、お、き、い」


 少女はオレの言葉を無視して、手枷で自由にならない両手で自分の股間を指し、そこから臍の辺りまで引き上げた。オレの目が汚れているのは事実だと思うが、卑猥な動作にしか見えない。


「……」


 こくりこくり。


 なんかすごく頷いている。


「ん? あれ? 今、心を読んだ?」


 オレは気付いた。


「……」


 こくり。


「……」


 本当だろうか。


 オレはもちろん疑う。


 冷静に考えれば、異常なことしかない。相手は忍者に関係がある少女のようだ。時間を止めたというのも、現実というより幻惑、幻を見せる能力のようなものと解釈すべきかもしれない。


 あるいは悪夢を見せるような。


 くのいちに対する罪悪感を考えれば、こうした罰を受ける想定は無意識にあったとは思う。オレはまだ寝たままなのかもしれない。夢と現実の区別をどうつければいいのか。


「とりあえず、チンコ斬って、っだあああっ」


 激痛。


 これは間違いなく現実ですよ。


「……」


 半分までいかないところで、思わず手を止めてしまったオレを、少女は不思議そうに見ている。血が少し顔に飛んでいるのだが動じない。


「バカだと思う?」


「……」


 こくり。


「そうだよね、うん」


 中途半端にやっちゃって、実際にやる怖さがさらに増して大変なことになってる。絶対、これ斬れない。誠心誠意、斬れません。


 他の方法で許してもらえないだろうか。


「も、ら、え、る」


「貰えないでしょう」


 ナチュラルに少女が心を読んできた。


「け、も、の」


「獣?」


 そう言われて思い浮かべるのは、当然のことながらオレ自身のことであり、そして止まった状態のくのいちのことだ。


「ち、づ、る、に」


 手枷された両手で、少女は自分を指さす。


「?」


 どういう意味だ。


 今の流れだと、オレが獣になってこの少女を襲えば許される、という風に聞こえたのだが、まさかそんな訳はない。


「……」


 ふるふる。


「首を振られても」


 ちづる、少女の名前かと思ったが、なにか別の意味があるだろうか。地図? るに? るにってなんだ。ち、ズルに。ち、が意味不明だし、獣とは繋がらない。


「ち、か、ら」


「力?」


「……」


 こくり。


「ほ、し、い」


「力が欲しい。いや、十分に凄いよ。時間を止めて、心を読んで。オレの知り合いにも心を読む女がいるけど、狙撃しないと読めないとかだから、それだけでも圧倒的だと思う」


「……」


 ふるふる。


「それだけじゃ足りない? ん、とりあえず、ご飯食べたら? 痩せすぎじゃないかな? ものすごく不健康そうに見える」


 下半身丸出しでなにを言ってるんだろう。


「た、べ、ら、れ、な」


 言葉の数が増えると少女は苦しそうだった。


「無理しなくても、食べられない? もしかして病気? それとも宗教上の理由? なんにしても専門家に話を聞いて貰った方が良いんじゃ」


「……」


 ふるふる。


「違うのか、力が欲しいが、食べられない」


 食欲。


 考えてみれば、オレの能力もそういう要素があるな。テヤン手とキュイ・ダオ・レーンを食ったら割と空腹感はなくなった。


 今、使えるのか?


「……」


 オレは血塗れの短刀を見つめる。


 バリ。


「食えるな。うん」


 飢えていなくても問題はないようだ。ただ、まったく求める栄養素は入っていないようで、指先をちょっと刃物っぽくしただけで、出てきてしまう。血だけが体内に戻った。


「あ!?」


 オレのモノ斬ったヤツだし、時間停止が解けたら、反省どころか拒否したように見られる。大変だ。どっちにしても、もう斬りたくないけど。


「……」


 こくりこくり。


 なんか頷いているな。


「そうか! 断食で力を得るのか?」


 ようやくピンと来た。


「……」


 こくり。


「断食で力を得るから、食えない。力が欲しい。獣、ちづる。力、力、許される、力」


 ぶつぶつと言いながら、オレはふとすみのことを思い出した。失っていた能力を一時的に取り戻したことだ。夢を見せる能力。


「……」


 こくりこくり。


「え? あー」


 心を読んで、頷いているとすれば、そういうことなんだろう。つまり、すみだけでなく、くのいちにもそういう効果が出たということだ。


 そういや、胸デカくなってる。


 状況的にじっくり見られなかった相手の違和感。


「……」


 こくり。


「それ目的で、オレのところに来た、と」


 オレは周囲の状況を見る。


 時間停止に読心。とんでもない能力だ。それでも足りずそれ以上に力を得るための断食を強制されてか自発的かに行っている。おそらく少女に自由はないのだろう。それが手枷と足枷であり、断食である。だから力を欲している。


 そんな境遇から抜け出すために。


「……」


 こくり。


「あやのがオレを許すってのは、つまり君に力を与えれば許すってことになる訳だ。オレ自身、どのくらいの力を与えられるかわからないけど、被害者がそう思うぐらいなら、それは現実的な取引になるんだろう」


「……」


 オレの言葉に少女は唇をきゅっと結ぶ。


 覚悟を決めてきたのだろう。


「悪い取引じゃない。オレにとっては、むしろありがたいぐらいでもある。あんな痛い思いをしなくてすむだけでも、お釣りがくる。逆に申し訳ないぐらいだ」


 問題は。


 目の前の少女に性欲を覚えないことである。


 一晩でそれなりに回復しているとは思うのだが、軽く集中しようとしても湧き上がるものはあまりない。限界だったからか。


 だが、普通にヤっても効果はないだろう。


 ルビアは能力の変化を訴えていない。


「……」


 こくり。


 少女はわかっていたという風にうなずく。


「どういう意味?」


「こ、れ」


 少女は髪留めを外す。


 特に気にしていなかったが、折り紙の鶴の意匠をあしらったそれは、小さなケースになっていたようで、中から黒光りする小さな玉が出てきた。


「く、す、り」


「薬。ですか」


 この流れで意味するところはひとつだろう。


 やっぱあるんじゃん。防虫術。

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