第71話 食事には感謝を
食える。
なんだって食える。
「先生、どいてくれ!」
オレは石のハンマーを振り上げ叫んだ。
「正生、なのか!?」
球磨は変化したこちらの姿に驚いたようだ。
当然だろう。
獣になったときより、オレ自身も驚いている。
神社の石畳を食った瞬間、オレは今まで意識しなかった胃袋の存在を感じた。長年、食芸によって不当に抑圧されていたそいつは好みの女を選ぶ性欲よりも節操がない。
あらゆるものを貪欲に求めていた。
「セラム!」
球磨と競り合う虫けら野郎へ突進。
「石よりは金属の方が堅いでしょうけどねぇ?」
言いながら、翅が機敏な反応を見せる。
避けて、切り返して回り込む。
「堅さじゃねぇよ!」
オレの目にはもう先の動きが見えている。
「フラッシュ殺し!」
ハンマーを投げ込み、それが触角に切り裂かれるのを横目に、オレはまだだれもいない空間へ向けて機械化した腕で殴りかかる。
「!」
セラムが拳に当たりにくるように飛んできた。ぐにゃ、っとした軽い手応えだったが、虫けらの身体を地面へ叩きつけ、オレは着地する。膝に生まれたサスペンションが衝撃を吸収、全力を使った肉体への反動もほとんど感じない。
「先読みを? まさか」
「地球の天才を侮んない方がいいと思うぞ」
オレは言う。
キュイ・ダオ・レーンを食ったときに、クッキーの目も取り込んだようで、オレの視界には情報が溢れている。頭でその文字情報を理解できる訳ではないが、感じている気配と組み合わせることでおおよそなにを伝えるかも把握できた。
「クッキー様の力、ですか」
セラムは立ち上がる。殴られて凹んで見えた外骨格はすぐに元通りになった。やはりダメージまでは通っていない。
「食事によって力を手に入れたようですねぇ?」
「そう見えるか?」
オレは言う。
食欲の恐ろしさはそういうことじゃない。
全身が飢えている。
胃袋が教えてくれたのは、そのことだった。普通に食事をして、健康に生きているように思っていたオレの肉体の各部、各臓器がどれもこれも不完全だということだった。
おそらく地球人として生きてきたからだろう。
実際のところ、オレの体内には人体模型に含まれていない臓器がいくつもあるようで、それらの機能はほとんど休眠状態だった。地球上では使わなくても生きていけるものなのだろう。
そして活動状態にあるものも不完全だった。
例えば機械の心臓。オレの回復補助に徹しているその三種の心器のひとつ。改造以後に追加され、どうやら全身に点在しているそれさえ、力を注ぐための食事が必要だと訴えかけていた。
だから機械を食ってみたのである。
「そう見えるか」
「どういう意味ですか?」
二度も言ったので、セラムが首を捻る。
「別に、虫けらには関係のない話だ」
教えてやる義理はなかった。
潜在能力、宇宙人としてのオレはまだ目覚めてすらいないらしいなんてことを伝えて絶望させるまでもない。機械の心臓が接続したクッキーの力だけでも十分なのだ。
「そろそろ終わりにしようか」
全身に広がった機械化を、オレは右腕に集約していく。胃袋が取り込めるものは取り込んだ。取り込めないものは出さなければならない。血肉になるものがあれば、ならないものもある。
「終わりですか? 気の早いことですねぇ?」
セラムが飛び上がる。
翅が起こすわずかな空気の流れの変化を捉えて、視界には相手の飛行経路の予想が出てくる。オレはそれに感じ取れる気配の変化を重ね合わせて移動する位置を意識した。
「どうかな」
「我々の力の本領というものを見せて」
ブン。
翅の音が高まった。
「いただきました」
オレは言う。
いただきますの反対。
ごちそうさまを、地元ではこう言う。
食事には感謝を。
残像のような黒い影を残して夜の闇にとけ込む虫けらへオレは右腕に圧縮されたテヤン手とキュイ・ダオ・レーンのエネルギーを放出した。
「な」
掌から伸びた光線がその外骨格を貫いて縦に真っ二つ。翅の動きは止まって、全身を燃え上がらせながら地面に落ちていく。
「最期の言葉ぐらい聞いてやるんだったか」
王子なんだしな。
「ま、どうでもいいか」
オレは腕から消化できなかった機械を排出する。胃袋が必要としていないものはあまり長くは取り込めないようだ。それこそクッキーの力を常時使えるなら便利だと思うのだが、そう簡単ではなさそうである。
「なんだ、今のは?」
球磨が駆け寄ってきた。
「掌から光線とか出せたらカッコいいなって」
オレは言いながら、燃えるセラムの遺体に向かって歩き出す。とりあえずちゃんと死亡は確認しておきたい。虫けらとはいえ、はじめての人殺しだ。
よくわからない感情が渦巻いている。
「そういうことではなく」
「先生、知り合いだったんですか?」
オレは逆に尋ねる。
戦闘中に妙な会話をしていた。
「知り合いという訳じゃない。バイシダエは機関がヒーローに敵対を禁止している地球外人類だ。理事会に合わせて島に戻ってきたんだろうが、理由はどうあれ、これから厄介なことになるぞ」
「仕方ないでしょう」
オレは言う。
「五十鈴を奪われていい訳がない。クッキーだって殺されかけた。戦争でした。敵の言葉を借りるならという話ですが」
「それはそうだが……」
「やらなきゃオレがやられてました」
セラムの遺体はよく燃えていた。流れ出た体液が油のような性質を持っているようで、外骨格が炭のようになって、ボロボロと崩れていく。
確実に死んだだろう。
「先生は敵を殺したこと、あるんですか?」
「ヒーローとしては何度か」
球磨はジャージの上着を脱いでオレにかけ、下を脱いでスパッツ姿になると、それを手渡してきた。そういえば裸だった。
「どんな気分でした?」
受け取ったジャージの下に脚を通しながら尋ねる。体格的には余裕で着れる。女教師の匂いに包まれるのは変な感じだ。
「悔しさだな。もっと強ければ、殺さずになんとかできたと思う。正生はどうだ?」
「酸っぱいですね」
オレは思い出していた。
「蟻を食うと、酸っぱいんですよ」
「そうか」
球磨はオレの背中をポンと叩いて、燃え崩れる遺体へ掌を突き出す。空気熊だった。炎をかき消して、セラムの痕跡は跡形もなく潰えた。
「受け持ちの生徒の尻拭いも担任の勤めだ。この件は先生が引き受ける。だから、正生」
優しい教師の声だった。
「はい」
「風呂場でのことを聞かせてもらおうか?」
恐ろしい妻の声に変わる。
「!」
ハッとして、オレは胃がキュッと縮こまるのを感じる。空腹がどこかへ消え去って、チクチクと腹が痛むのは、食い慣れないものを食ったからだけではないだろう。
「そ、そのことは……」
「みんなの前で、な?」
球磨が肩を組んでくる。
Tシャツ越しに重量感のあるおっぱいが押しつけられて気持ちいいというような場合ではなく、振り返らされた先の妻たちの顔が見れない。
「あ、あああ、あの、ちょっと時間を」
「その時間でだれを抱くつもりだ?」
「そうじゃなくて」
力任せにズルズルと引きずられながら、オレはすっかりボロボロになった社務所に引っ張られていく。他の妻たちも外で話をするつもりはないようで無言でオレを取り囲んで、中へ。
「おはようございます」
鬼に抱えられていたルビアが目を覚ました。
「えーと、何事かあったんですか?」
「なにがあったんか聞きたいんはこっちや」
クッキーが言う。
「聞くまでもなくわかるけど、ね」
五十鈴が嘆息する。
「なるほど。中に……」
「ちょっと黙ってくれないかな!?」
オレはルビアの発言を遮った。
風呂場にそのまま残した状態は本人よりもオレが一番よくわかっている。見ればわかる。そういう状態だったことは間違いない。
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