第70話 おかしな猿

 手出しができない。


「なんで兄さんは獣にならんかったん!?」


 女鬼数人に抱き抱えられ、地面にはいつくばるような体勢でクッキーが大声で言う。


「わからないけど! なれなかった!?」


 あさまも大声で答えた。


 引きずり込まれないように、自らも女鬼たちと互いにしがみついて体勢を低くしている。正生が苦戦しているなら助けたいのだが、それどころではなかった。


「なれる感じでこっちを見たやん!」


「使いこなせるつもりで、使いこなせてなかったんでしょう!? バカなんだから!」


(一人でやるなんて、カッコつけて)


 あさまは後悔している。


 虫男が飛び回り出してから数分、周囲の空気を巻き込んで上空へと放り出す猛烈な空気の流れが生じていた。単なる飛行ではない、能力を使っているのは明らかだった。


「なにごとだ!」


 飛び出してきた球磨は、両腕に管理人と桜母院を抱えている。流石にパワータイプだけあって、きっちり踏ん張っているが、二人抱えて救援に向かう余裕はなさそうだった。


(! 桜母院さん、裸!?)


 あさまはタオルを巻いただけで、ぶらんと抱えられるままになって、ほとんどおしりをむき出しにしている女の姿に思い出す。


 虫男に出会う直前までなにを疑っていたか。


「セラム・バイシダエとか言う虫みたいな地球外人類が何百年前の契約で姉さんのことを許嫁やとかなんとか言うて兄さんが戦っとる!」


「なんだって!?」


 クッキーの説明は聞こえていただろうが、色々と唐突すぎて球磨の理解までは追いつかなかったようだった。


「あさまちゃんを取られそうだから、正生くんが戦ってるって! クマちゃん!」


 管理人が叫んだ。


「そうか! ん? バイシダエ? どこかで……」


「先生! 桜母院さんどうしたんですか!?」


 あさまは我慢できずに尋ねる。


「あ? これは」


 球磨が言い掛けたとき。


 メキメキメキメキ。


 木材が弾ける音が響いて、霊根神社の荒れた社殿が流れの中心へ引きずり込まれそうになっていた。木材が社務所の玄関先、さきほど切り刻まれて弱くなった部分はとっくに吸い込まれ粉々になった。本体も徐々に傾いでいる気配がある。


「まずいな! 二人を頼む!」


「あ、はい」


 言い掛けた言葉を飲み込んで、球磨は女鬼に二人を手渡すと、流れの中心、高速で飛び回る虫男によって黒い壁のようになっている場所へ向かって駆け出す。


(空気熊なら)


 風の流れも打ち消せるかもしれない。


「プッシュ!!」


 叫びながら両手を突き出す球磨、すると、あさまたちのいる周囲の風が一瞬にして収まる。空気が動いて風の流れを分断したのだ。


「助かったわ。ホンマ」


 クッキーが言う。


「でも」


 空気熊の力も、虫男の力を打ち消すところまではいっていなかった。風そのものは球磨の正面で拮抗したまま動かない。


「お互いに空気を支配する能力みたい」


 管理人が言う。


「ええ、そうなると後から出てきた先生が不利になる。空気熊は先生の周囲にある空気の量がそのまま力になるから、どうしても」


 あさまは頷いた。


 虫男が先に支配していた分だけ力を削がれてしまう。なんとか手助けしたいところだが、押し切ってしまうと正生も一緒に巻き込まれるので、下手なこともできない。


「兄さんが脱出してこんことには」


「そう、ね」


「白い獣になって追い込まれてるの?」


 管理人が言う。


「いいえ。なれなかったみたいで」


「あー、ルビアちゃんとセックスしてたからー」


「え?」


「なんて?」


 あさまとクッキーが同時に桜母院を見る。


(やっぱり)


 あさまは苛立つ。


 なんだか幸せそうな表情で眠っている桜母院を叩き起こしたくなる衝動にかられるが、現在の事態を引き起こしているのが自分の家だと思うとそれも八つ当たりのようで苛立ちは増すばかりだ。


「すみ、見たん?」


「現場は見てないけど、痕跡はあったよ? そーじゃないの? わたしのときは二、三回目ぐらいには普通の正生くんに戻ったんだけど?」


「盲点、ちゃうな」


 管理人の言葉にクッキーは考え込む。


「能力自体が獣の発情期みたいなもんっちゅうことか。安定的な力ではないな。そもそもヒーロー向きやないから戦力としてカウントしてもしゃーないんやけど」


「要するに、正生は自力では出られないってことでしょう? 外からなんとか脱出のきっかけぐらいは作らないと」


 苛立つ気持ちを押さえ込んで、あさまは現状打破を訴える。考えがまとまらないが、天才少女ならなにか打つ手を思いついているはずだ。


「それな」


 頷いてクッキーはしゃべり出す。


「支配してる言うても流入する風を減らせば弱まるとは思うから、そこで鬼さん方に突っ込んで貰えばええと思う。空気熊をルビアにコピーして貰うんがてっとり早いとは思うんやけど」


「寝てるからねー?」


 二人は微妙な表情で桜母院を見る。


「この状況で安眠って」


 あさまは言う。


 空気熊と暴風がぶつかって激しい音を立てている。ついに社殿が倒れ、黒い渦の中心にぶつかって木材が砕けはじめていた。緊迫した状況に即座に対応できないヒーローなんて役に立たない。


「アッチが相当ヤベェな、あさまのダンナ」


「自分で招いたピンチ? ウケるんですけど」


「覚えたてはしょーがないっしょ」


「なにが、なんのことしゅか?」


「隠形鬼はあさまに聞きな。で、大人になった方がいーよ。それこそあさまを守るために二人でダンナのところに行くとかどう?」


「ちょっと黙ってくれる!?」


 緊迫感をさらに削ぐ女鬼たちに言って、あさまは考える。風呂場のことはともかく、正生は自分のために戦ってくれている。


(わたしが助けなくてどうするの)


 だが、実際のところ、有効なアイデアは浮かばなかった。無力感、巨大な墓石に閉じ込められたときも、白い獣のときも、自分は正生の力になれていない。


 これまでなにをやってきたのか。


「なんや?」


 風が急に弱まって、空気熊が一気に遠くへ押しやったのはそのときだった。中心の黒い渦が砕け、虫男が倒れた社殿の上に着地する。


「脆い身体になっただけでは?」


 語りかけるその先。


「いや、痛みもねぇし、血も流れねぇ、回復速度も速ぇ。捨て身には丁度いいってとこだ」


 渦の中心があっただろう場所から、瓦礫がむくりと起きあがって喋り出す。人の形をしているが、その肌は石そのもの。


「正生くん?」


「え?」


 管理人の言葉に、あさまはその石像のような顔を見つめる。言われてみれば、間違いなくそうだった。喋りながら、石の塊を拾って口に運ぶと、取れかけた腕が繋がる。


「食ったもんで、身体を回復しとる?」


「そーゆー能力だったの?」


「いや、聞いたことない。せやけどあれは消化吸収言うより、能力で物質を分解して自分の身体に置き換えてる感じやろか?」


 クッキーと管理人が驚いている。


「おかしな猿です。本当に」


「そっちこそ、おかしな虫けらだ」


 正生は次々に石を食って、身体を大きくしている。その目がちらりとこちらを向いたので、あさまは思わず怯えてしまう。


(怖い。なんで。正生なのに)


 虫男と同じような、異質な存在に思えた。


「クッキー! テヤン手と、キュイ・ダオ・レーンをオレにくれ! 石だけじゃ足りねぇ!」


 正生が叫んだ。


「どういうことなん? あれウチのサイズに合わせてるから兄さんには使えへんと思うけど」


「いいから!」


 戸惑うクッキーにそう言うと、石の正生はこちらに向かって重たそうな身体で走ってくる。


「させません」


 虫男が即座に追ってくる。


「スラぁあああッシュ!」


 だが、そこに球磨が割って入った。


「! 球磨伊佐美様、理性的判断とは言えませんよ。我々が何者かご存じでしょうに」


「引退した身だからな、現役の時とは違う」


 球磨は言って、虫男を蹴り飛ばした。


「幸せな結婚生活が最優先だっ」


「なんやわからんけど」


 クッキーは機械のランドセルを正生に向かって投げ、同時に叫んだ。あの戦いで見た、機械の鎧を呼び出そうというのだ。


「キュイ・ダオ・レーン!」


「ありがとう!」


 正生はランドセルをキャッチして、そのままかぶりつく。開いた石の口の中に密度の高いエネルギーの光があるのがあさまからも見える。


 それは牙のように突き刺さっていた。


「飲み込んでく」


 管理人が口を押さえて驚く。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る