第69話 腹ぺこのガキ
「なにもできないんですかねぇ?」
セラムが言うと、視界からその姿が消える。
「っ!」
気配と風の流れ。
オレは本能的な反応でそれを追うが、夜空にとけ込む黒いスーツと外骨格はすぐに見失う。赤い斑点さえも星の瞬きに紛れた。
「ほら、こっちですよ?」
「ぐ!?」
声がしたと思った逆の方向から頭に衝撃を受けて、オレは石畳を転がる。なにが当たったのかわからない。まずいぞ。
余裕がなくなってる。
「どこを見ているんですか?」
急加速と急停止、派手な翅の音をさせながらも、点から点へ瞬間に移動するように気配を移していくセラムを追いきれない。
「だっ、が、げ」
そして逆かと思えば正面からも飛んでくる謎の衝撃にオレは翻弄された。なにが当たってるのかまったくわからず、弾き返そうとすると消えてしまう。
「空気の弾か」
オレは言った。
「ご名答!」
セラムは高らかに答える。
「……」
一発一発は重たいというほどではない。
だが、一方的に攻め立てられ、白い獣になればなんとかなる、という心理的優位が失われて、完全にテンションが落ちていた。身体のキレがかなり悪い。だるい。力も入らない。
「どうしました? さっきまでの威勢は?」
セラムの気配が周囲にいくつもあるように感じられる。上下左右、飛び回っているだけだろうが、何十人もの相手に取り囲まれたような気分だった。
シュパパパパ。
そして内部には引きずり込まれるような猛烈な風が吹き、空気の弾の衝撃とは別に皮膚を切り裂いている。細かな傷が全身に広がっていった。
「くっそ」
強引にでも立て直す。
オレは相手の気配を無視し、囲むような飛行の輪の中から飛び出そうとする。だが、それを待ちかまえていたかのように、目の前に立ちはだかったセラムの触角がオレの腕を斬った。
「!」
これが狙いだったか。
「惜しいっ」
反射的に飛び退いて、見ると、骨まで深くえぐれている。だらだらと流れ落ちる血。踏み込めば骨まで断たれた。そして再びオレを周回飛行。どうやら、この形でこちらを追い込む気のようだ。
敵を逃がさず、徐々に削る。
こちらの治癒能力も計算の内であるだろう。実際のところ、皮膚の裂け目は回復が追いつかず、次第に数を増やしている。
「……」
あの触角はやはり厄介。
絶え間なく飛んでくるパンチのような空気弾の衝撃に耐えながら、オレは気配の隙間を探る。これだけ内側に攻撃を集中するからには外側は無防備のはずだ。飛び出せれば勝機はある。
獣になれないからなんだ。
調子に乗っていた。そうだ。童貞を捨てて、その力が妻たちを圧倒して、いい気になっていた。内心、喜んですらいた。この能力を理由にすれば、いくらでもセックスができる。気が大きくなったオレを笑えない。性欲に頼るヒーローがどこにいるんだ。
「フラッシュ、殺し!」
オレは自分への怒りを込めて、石畳へ拳をたたき込む。砕けてへこんだ地面から、石の礫が広がって空中で切り裂かれていく。
「無駄ですよ」
セラムの声がサラウンドで聞こえる。
「そんなものでこの虫取り網からは逃れられません。侮っていたんでしょう? 地球人の男性のほとんどは我々の顔を見ると、虫けらと思うようですが、それは我々もですよ」
「……」
残念ながらオレは宇宙人らしいが。
「裸の猿など生まれ得ない過酷な環境に適応した我々がどうして自由を制限されてこの島で大人しくしているかわかりますか? 観察ですよ。やっと宇宙という厳しさに触れた生き物がどうもがくかを見てみたいのです」
セラムはオレに言われたことを気にしていた。
「地球人の女と子作りもか?」
砕けた石は、風に押し戻されてオレの立つ中心に集まってくる。飛び出しても全方位逃げ道はなさそうである。
だが、地面を掘るのは現実的じゃない。
「夢魔を効率よく手に入れるには、共生させる生き物を育てる必要があります。地球人の繁殖力は悪くない。ならば地球人を支配するための地球人に近い我々を作る必要もあるでしょう?」
「で、五十鈴家の血か」
地球人類の美的基準を理解しない宇宙人にはもったいない女だ。理解したってオレのだからやらんが、豚に真珠ならぬ、虫に琥珀である。
「ええ、呪術という概念は面白いですから」
「……」
しかしどうする。
考えがまとまらない。
腕の一本や二本で済むなら突っ込んで強引にやるのも手なんだが、触角の動きは意外と的確だ。両腕両足まとめてもっていかれかねない。オレがヤツなら当然そうする。
「どうしました? 諦めましたか?」
「うるせぇ、かかってこい」
オレが怒鳴ると、セラムの声が高くなる。
「挑発にはのりませんよ。わかっているのでしょう? 時間の問題なのです」
「……」
わかっている。
相手の気配の動きは時間の経過と共にハッキリと見えつつあった。同じ軌道を寸分の狂いもなく高速で飛び回り、オレを中心とした風の渦を生み出している。幾何学的な模様のような気配の点と点が広がる様は芸術的かもしれない。
芸術はわからないが。
「我々の時間の雄大さに比べれば、地球人の時間など閃光のようなものなのです。確実に倒す方法を捨てる理由あると思いますか?」
ないだろうな。
「はっ、う」
空気弾の何百発目で、オレは地面に膝をついた。縦横無尽に飛び回り、全身をくまなく打撃、さらに空気によって皮膚を切り裂いていく。回復が追いついても、こっちのエネルギー切れは見えている。
腹が減っていた。
さらに眠くもなっている。
「どうしました? まだ十分も経っていませんよ? 先日は夜中から明け方まで戦っていたではありませんか」
「う、あ。あ、ぐ」
痛みに耐える気力も失って、オレは無様に声を上げた。スタミナなんかとっくに切れてる。死にかけるほどのダメージを受け、一日以上セックスして、それからさらに連続でセックスして、またしてもセックスしてる。十分だと思う。
自分で言うのもなんだが。
「が、ぁああっ」
仰け反って、倒れる。
セックスのしすぎて死ぬのか。
「これほど弱い男が次のヒーロー候補筆頭とは、地球人も報われません。お飾りに喜んでいる猿というのは見ていて可愛いものでしたが」
「……」
腹、減ったな。
もうセラムの声は聞こえなかった。倒れたところに空気弾を浴びながら、オレは自分の肉体の回復が止まったことを感じる。裂けた傷跡が、どんどん増えて、減らない。
カレーライス七杯程度じゃ足りなかったか。
腹、減った。
痛くて苦しいはずなのに、腹がぐぅぐぅと鳴いている。ダメージより先に空腹で死にそうだ。なんでもいい。腹に入れたい。
こんなに空腹なのはいつ以来だろう。
思い出すのは、小学校に上がる前、保育園で、昼前に自分の弁当を食べて、さらにクラス中の弁当を全部食べて叱られたときのことだ。大問題になった。オヤジが呼ばれて「なんで食った?」と聞かれて「まだたりねぇ」と答えた。
オレは腹ぺこのガキだった。
食事を十分に与えられていなかった訳じゃない。むしろ物心つく前から大食いで、それを知った近所の農家や、工場の取引先の子供好きやらがどんどん食材を持ってきてくれて、腐らせないかと心配するぐらいにメシはあった。
でも足りなかった。
まったく足りなかった。
二人なら一週間は大丈夫だろうと持ってきた食材が翌日には消えてなくなる。焼け石に水となる。気の良い人たちが許せなくなるぐらいにオレは腹ぺこで、それは成長と共に手がつけられないものになっていった。
畑にある摘果で落とした野菜や、それに群がる虫を食っていて、近所の住民に虐待ではないかと疑われて警察に通報された。ついには工場の中でネジかなにかをしゃぶっているのがオヤジに見つかったりもした。
それでオレは食芸者に弟子入りすることになり、空腹をコントロールする修行を行うことになった。多く食うための技術としてではなく、食わなくても我慢できるようになるために。
「つら、かったな」
人並みの食事量で我慢できるようになるまで五年かかった。十歳ぐらい。そういう意味で、小学校時代は暗黒だった。
給食室から出る匂いだけでオレの腹は鳴りつづけ、あまりに酷いので退室を命じられたことが何度もある。廊下に出て、水を飲んでごまかそうとして、レモン石鹸を食ったこともある。まずかった。腹も壊した。
食事を制限されたことで食欲はあらぬ方向へ突っ走った。おいしそうな匂いがすると思って、女子の体操服を噛んで、全校集会が開かれたり、タイヤのゴムを噛んだり、食えないものもどんどん食おうとした。なんだったんだろう。
なんでオレの身体はこんなに。
「!」
宇宙人だからだ。
長年の疑問過ぎて結びつかなかったが、生まれ持った地球人離れした食欲の理由がようやく理解できる。地球人じゃないんだから、地球人離れしていて当然だったのだ。
「は、ははっ」
こんなことに今更、気付くなんて。
「おかしいですか? こんなに簡単に地球人の中では強いはずの自分が死んでゆくことが?」
「……」
オレは砕いた石畳を掴む。
食えそうな気がする。
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