第66話 どうします?

 夕食はさながら妻たちの交流会だった。


「これが学園の生徒だった頃、右がわたし、左はクマちゃん。ね? 可愛いでしょー?」


 すみがヒロポンで昔の写真を見せていた。


「……」


 可愛いかな?


 コクのある辛さのカレーを口に運びながら、オレはどう反応すべきか迷う。今とあまり変わらない制服姿のすみと並んでフレームに収まる球磨は妙に殺気だった表情だ。


 ジャージ姿なのは変わらないが、すり切れてボロボロだし、髪の毛は長くてボサボサ、山から下りてきたみたいな雰囲気である。こうしてみると教師になった今はかなり丸くなっている。


「覚えてます。私が初等科六年の時、伊佐美さんが空気熊に弟子入りしたのはニュースでした。弟子取らないので有名でしたもん」


 ルビアがうんうんと頷いた。


「うん。それはわたしも覚えてる。八十ぐらいの空気熊がイサミンは素晴らしいって褒めてて、この爺さん若い子にメロメロだって」


 五十鈴が同意する。


「そういうこと言うな。師匠はあれでお茶目な人なんだ。人前に出るのもあれが何年かぶりで、その上インタビューだからサービスしただけだ。しばらく後悔してたがな。自分が死んだときの映像として使われるって」


 球磨はそう言いながらも嬉しそうだった。


「空気熊って今も生きてんの?」


 クッキーはピンとこない様子だ。


 十九のルビアが少六、つまり十二の時の話である。九歳にとっての七年前だからそれは当然のことだろう。天才でも記憶以前だ。


「生きてる。もちろん。人嫌いは変わらないから、山奥に引っ込んで出てこないが」


「……」


 オレはカレーを食べながら会話を聞く。


 白い獣という脅威を前に、ヒーローらしく連帯感が強まったのだろうか、少しずつそれぞれの人間関係が結ばれつつあるようで、オレを介さなくても会話が進んでいくようになっていた。


 いいことである。


 とりあえず仲良くしてもらうのが一番だ。


「次は、島に来た頃のクッキーちゃん!」


「すみ、それはアカン!」


「なるほど、アメリカで逮捕された子供です」


「凶悪犯の顔してるわ、ね」


「なんやねん! メッチャ可愛いやん!」


「いや、このマッドサイエンティスト感は末恐ろしいぞ? なんなんだこの人を信じてない目」


「それは伊佐美もやろ!」


「先生のはむしろ警戒心の強い小動物だから」


「ですね。可愛げというものがあります」


「クッキーちゃんはこういうところも可愛かったの! 今はもっと可愛くなったけどーっ!」


「……」


 まったく微笑ましい。


 完全に蚊帳の外。


 これで子供が産まれたりしたらオレの居場所がなくなりかねないので家庭内での存在感を保つ努力はしなきゃいけないのだろうとか不安になっちゃうぐらい微笑ましい限りだ。


 寸胴いっぱいのカレーは寝かせる間もなくオレと五十鈴によって片づけられる。そして妻たちはだれが言うともなく、速やかに行動を開始していた。風呂、布団、その他の単語。


 妙な緊張感がオレにも伝わってくる。


「意識しすぎやんな?」


 その流れに加わらず、オレの隣に座ってテーブルに残っていたクッキーが言った。なにを意識しているかは言うまでもないという口調で。


「今日の今日やん」


「釘刺してる、よね?」


 オレは答えた。


 この天才はなんだかんだ冷静すぎる。


「兄さんが反省してんのなら、今日は節操があるやろうと思てるだけや。いややで、ウチは。みんなで一緒に出産準備すんの」


「……」


 オレはその光景を想像しそうになって止める。


 露骨に生々しい感じでちょっと今は耐えられそうにない。いくら一夫多妻でも同い年の子供の誕生日がみんな近いとかどうなんだって話だ。大きくなったら確実に父親として軽蔑される。


 一ヶ月おきぐらいなら大丈夫なのか?


「そこまで確実な感じなん?」


 悩むオレにクッキーは引き気味に尋ねる。


「え? ああ……うん」


 そりゃ引くよな。


「手応えみたいなんがあんの? それ」


「やっちゃったな、感?」


 なにをどう説明しても子供相手だと犯罪になりそうでオレは言葉を探したが、どうしてもどうしようもない内容になるしかなかった。


「くのいちは寝てて、すみは元気やったけど、違いはあんの? ウチでも兄さんを負かせる?」


 知的好奇心なのかクッキーはさらに追求してくる。妻相手でも九歳だから答えに窮する。とかダジャレてる場合ではない。


「負かしたいの?」


 オレははぐらかして椅子を立つ。


「逃げるんか?」


「トイレだよ、その話はその時に」


「その時て、兄さん」


 クッキーが赤面している。


 自分もかなり意識しているじゃないかと言ってやりたいが、それは後回しでいいだろう。先に片づけるべき問題がある。告白されたりして完全に吹っ飛んでいた。


 すみの洗脳能力。


 本人は能力を使えなくなっていると思っている。ならば、このまま知らせない方が幸せではないかとも思う訳だが、その能力をコピーすべく甘根館にいたルビアは知っているのだ。


 伝える伝えないどちらの方針に決めるにしても話し合わねばならない。お義父さんと話をしたことや、結婚のきっかけでもあるオレが宇宙人という話も含め、急ぎの用件は多い。


「……」


 一端、トイレに入って。


「あ、正生さん」


 ルビアがいた。


「ごめんなさい。鍵をかけてませんでした」


「! こちらこそ、ごめんなさい!」


 オレは慌てて飛び出した。


 最近、タイミングが悪すぎる。


 いや、様子から言ってまだパンツを下げただけの段階だったから、全裸での初対面よりはマシだろうけれども、白か。白だったか。


 トイレから少し離れて目に焼き付いた映像を持て余して考える。今日の今日、節操はある。だが、話し合いをするには二人っきりにならねばならない。


 この一夫多妻の状況下では、この社務所だろうが、甘根館だろうが、自然と二人っきりになれるものではない。一人を選んで誘えば当然そういうことと他の妻には理解されるだろう。


 それは相手もそのつもりで誘われる訳だ。


「話だけってのも」


 オレは自らの欲望を正当化しようとしていた。


 節操はある。だが、欲望はさらにある。


 相手が妻ならいいじゃないか。


 白い獣にさえならなければ、普通のことだ。


「正生さん、どうぞ?」


 しばらく懊悩していると、ルビアが普通にトイレが空いたことを伝えにくる。全裸にも動じてなかったが、トイレも大丈夫なんですか。


「うん」


 オレは頷いて、


「あのさ、ルビア。後でちょっと二人で話したいことあるんだけど、いいかな?」


 言ってみる。


 よく考えてみれば、女子を誘うなんて人生初である。ビビる。結婚するとかセックスとかが先に来て、なんでこんなことでビビってるのか自分が変な気がするが、経験がないのだから仕方ない。


「あ、なるほど」


 ルビアがポンと手を叩いた。


「トイレに鍵をかけないのはその筋では」


「どの筋!?」


 オレは発言を遮った。


「いわゆる」


「それ以上言わなくていいから!」


「そうですか?」


 ルビアは少し残念そうに言った。


「わかりました。後で。メールします」


「う、うん」


 誘いには乗ってくれたが不安しかない。


 正直なところ、本気かどうかよくわからない人だ。オレが地球人類でないという話も、あくまでルビアの能力の判定であり、信じられるかというと実際は怪しい。


 でも秘密を守るために結婚するという。


 そう言われては信じざるをえない、という空気に流されている感じは否めない。今のところ、含むところもなさそうに妻のひとりという感じで加わってはいる。


 それも怖いと言えば怖い。


 オレのことをどう思ってるのか。


 トイレで悩んでいるとすぐにメールが来た。


「風呂?」


 入浴はオレからだった。


 もちろん夫を立てる意味で一番風呂という訳ではなく、女子の後に入らせるのは危ないのではないかという判断でまとまったとのことだった。


 匂いで発情するとかなんとか。


「ケダモノじゃなきゃ変態の扱いだな」


 オレは髪の毛を洗いながら気落ちする。


 どっちにしろ人間としてはもうダメな感じだ。そして事実、気落ちしながらも、これから待ち受けるであろう状況に期待が膨らんでいる節操のなさである。ケダモノで変態だ。


 ルビアと混浴。


 社務所の浴室は単なるユニットバスなのでそもそも混浴など想定されていないムードもなにもない空間ではあるが、狭いだけで十分に脅威だ。


 果たして真面目な話などできるだろうかという気分である。オレが入浴した後に、他の妻の目を盗んでこっそりと入ってくるという話だったが、それはそれで難しいのではないか。


「お待たせしました」


 浴室の戸を開くでもなく、背後に気配がするりと現れた。もうここまでくればなんらかの能力を使ったと考えるしかない。そこはコピー能力者、便利ななにかが。


「おあっ」


 振り返ってオレはビックリした。


「ん、しょ」


 女の下半身がぶら下がっている。裸だ。オレは両手で目を押さえて見なかったことにする。こんなもの多少の覚悟では驚くしかない。状況がさっぱりわからない。


「んんっ? すみません。引っ張ってもらえますか? つっかかっちゃったみたいで」


「いや、引っ張るって、見えちゃってる」


「別に構いませんよ。正生さんにはさっきも見られましたし、私は初対面から見せてます。夫婦なんですから問題ありません。どうぞ」


「……」


 許可されてるのに罪悪感がある。


 それでも誘惑に負けて見ると、ぶら下がる下半身の先、天井に穴ができて、そこから入ろうとしているようだった。だが、その穴は小さくて胸が通らないようだった。


 なんかぐにゅっとひしゃげて痛そう。


「引っ張って大丈夫なのか?」


 おっぱいを傷つけそうなんだが。


「わ、からないです。あ、せ、石鹸で滑らせてくれませんか? つっかかってるところに正生さんが塗ってくれればつるんと」


「え? 本気で? 本気の提案?」


 それってつまりオレが触るってことだが。


「冗談でこんなことしません」


「わ、わかった」


 狭い空間に下半身がぶら下がっていることも理性的にヤバい状況には変わらない。オレはお湯でボディソープを泡立て、浴槽に足を乗せてルビアの下乳へ塗りつける。


「ど、どのくらいだ?」


「たっぷりでおねがいします」


 ぷるっぷるだった。


 張りが強い。これまで揉んできたどの胸より密度を感じる。これは引っかかる。気付いていたが、ルビアのスタイルは抜群だ。日本人的なたれ感のないグローバルな意味での抜群である。


 プレイメイト的で、現実感がないぐらい。


「ん、あ、いけそうです」


 そう言った瞬間、するりとおっぱいが抜けて、ルビアが浴室に落ちそうになる。目の前で暴れる乳首の迫力に、オレは思わず受け止めようとして、足を滑らせ浴槽に落下した。


 びゃしゃん。


「助かりました」


「そりゃ、よかった」


 泡とお湯がしく散って、オレはルビアに乗っかられた状態で向き合う。四つん這いになったことで胸はぶるんと実る。弾力の感触は手が覚えていた。素晴らしかった。


「あ。そうなりますね」


 腰を落としかけたルビアが、当たった感触を見つめて、納得する。もう散々見られたから恥ずかしがる気にもならないが。


「どうします?」


「ど、どうもしない」


 なんとか理性が働いたのは、すみにほとんど搾り取られていたからだろう。今日の今日でなければ、違った答えになったと思う。


「天井の穴、消えたな」


 オレは視線を上げて、言う。


 通過すると元通りになる通路を作る能力。忍び込むのには確かに便利ではあるが、かなり使える状況が限定される気もするんだが。


「……そんな感じですが、どうもしないんですか?」


「なんの能力なの?」


「無視するんですね。なら秘密にします」


 ルビアはそう言うと浴槽から出て、シャワーの前に座って体を洗いはじめる。怒っているらしい。裸で出てきてスルーされたら女性のプライドは傷つくのかもしれないが。


 この流れで前のめりなのも変だろ。


「あのさ、どうするもこうするも、オレが一人で長風呂してたら怪しまれるじゃん。そうなったらわざわざ隠れて会っても早晩バレる訳で」


「バレて問題がありますか?」


 オレの言葉にストレートな反論。


「ふむ」


 確かに、浮気じゃないから問題はない。


「正生さんはもうだれと既成事実を作ったっていい状況にあるんです。巫女田さんや、くのいちさん、すみさんの後でもだれも去らなかった。それは結局、皆さん待っているからですよ」


 ボディスポンジを泡立て、その抜群の身体を磨きながら、ルビアはオレをちらりと見た。スポンジを動かして身体のラインを見せつけ、さらにわざとらしくウィンクまでする。


 そういう誘惑らしい。


 どうも演技が大根らしく、逆にオレの興奮は落ち着きを取り戻してしまったのだが、言っていることは正しいような、オレにとって都合が良すぎるような、よくわからない感じだ。


「ルビアは違うだろ」


 オレは言った。


「そっちからの提案とは言え、こっちの秘密を守り、自分の身を守るための結婚だ。それだけでもストレスだろ。結婚らしさを演出するためだけに既成事実まで作らなくても」


「なるほど。でも無理はしてないですよ」


 ルビアはスポンジを吹いて泡を飛ばした。


「仰るとおり、私と正生さんの間に恋愛感情はないと思います。裸を見られてもドキドキはしないですし、触られてもくすぐったいだけですし、好奇心というか、興味本位です」


「それは、オレの秘密に関係して?」


 地球人類でない男の身体に興味があるとか。


「それも半分ぐらいはあります。子供ができれば握因悪果の能力制限が外れるかもしれないとか、そういう意味で正生さんを利用する考えもいくらかあるかもしれません」


「きっぱり言うね」


 それくらい言ってくれる方が、疑う必要がなくてこちらも楽ではある。能力の遺伝、言われて気付いたが、もう作ってしまった三人の子はどうなるのか心配になってくる。


 ケダモノの子がケダモノでは。


「そうですね。けれどもう半分はお母様の影響だと思います。正生さん、お父様と話をされましたけど、一夫多妻のことは聞きましたか?」


「あ、ああ、聞いた」


「お父様には沢山の奥さんがいます。ほとんどが恋愛結婚であるようです。でも、お母様はお父様に選ばれた訳ではなく、政治的に結婚しました」


「政治的に?」


「お父様がヒーローとして訪れた東南アジアの国の王妃の権限で、王宮に呼び寄せ、かなり強引に私を作らせたそうです。自慢していました」


「自慢って」


 なにから質問すればいいのかわからないレベルでとんでもない話を聞かされている。まず王妃って、夫の王をさしおいて余所の男と?


「国が倒れそうだったのです」


 ルビアはオレの疑問はわかるという風に言う。


「民主化が遅れた国で、王族が腐敗していて、民衆が怒っていました。このままでは自分の立場も危ういと思ったのだそうです。それでヒーローの子を身ごもっておけば、いざというときに機関に助けてもらえると考えたようです。お母様の狙いは的中して、機関の取りなしで日本への亡命と帰化を果たしました。桜母院はその時につけた姓です」


「とんでもない話だな」


 お義父さんも修羅場を潜っている。


「その通りです。でも、お母様は言っています。結婚は女の武器であり、子供を産めば、自分の子の母親を世のほとんどの男は大事にせざるをえなくなるのだと」


「……」


 お義母さんマジ半端ない。


 会いたくない。


「それで、大事にされれば好きになれるそうです。今やお母様は隙を見てはお父様を夜這うベタ惚れの奥様です。私もそういう結婚にあこがれます。打算はあっても、それを超える愛情もあるのです。素晴らしいと思いませんか?」


 ルビアは目を輝かせて言う。


「だから?」


 オレは言った。


 素晴らしいとはとても思えない。


「既成事実を作るのです」


 ルビアは答えた。


 秘密を守るために結婚なんて発想が出てくる女はおかしいと思っていたが、なんのことはない母親からおかしいのである。さらっと言ったが、隙を見て夫に夜這いを仕掛けるってどういう関係なんだと言いたい。


 お義父さん!


 あなたの娘は立派に育ってますよ!


「……」


 オレは、追い込まれていた。

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