第67話 セラム・バイシダエ

 比霊根神社の社務所は二階建てで、一階にある四畳半の一室を正生の部屋とし、二階の大部屋を女性陣で使って宿泊することになっていた。


「桜母院さん見なかった?」


 あさまは尋ねる。


「ん? ここは通ってないぞ?」


 キッチンで将棋を指している球磨が答えた。


「クマちゃん、はーい。王手飛車取り」


 相手をしている管理人が角を成らせると盤面の流れは完全に傾いたのが素人目にもわかる。どうやら実力差があるようだ。


「ま、待って」


 球磨が狼狽えた。


「待ったなしだよー。あさまちゃん。お風呂へ繋がってるのはここだけだから、心配しなくても正生くんはひとりだよ?」


(あさまちゃん?)


 そんな風に呼ばれたことは幼い頃ですらない。


(妙に慣れ慣れしい人、ね)


「正生のことじゃなくて、あの忍者の能力をコピーしたはずなんで解析させてもらおうかと。とりあえず今のところ手がかりはあれだけなので」


 あさまは目的を伝える。


「そんなことできるんだー? すごいねー」


「古い一族なので、それは」


 素直すぎる褒め言葉に、あさまは戸惑う。


 正直なところ、目の前の管理人はあっさりと正生を射止めた感じがして好きになれなかった。一目惚れ、運命の相手、だからなんだと思う。二十四の女だ。今はまだ綺麗でも。


「家を頼るのか?」


 球磨が駒の動きを確認するように指を動かしながら、次の手に苦しい表情を浮かべて言う。担任教師だけあって事情は把握しているようだ。


 兄の死後、ほぼ家とは切れていることを。


「結婚の話は伝わるでしょうから、ね」


「そうだな。頃合い、これでどうだ?」


 球磨は駒を進める。


「残念っ。こーくると思った」


 だが管理人はノータイムで防いだ。


「んー? 五十鈴、困ったことがあれば、先生に相談しろよ。手伝えることがあれ、ばっ」


 生徒想いな言葉とは裏腹に盤面にかぶりつき。


「将棋の相談はできなさそうですけど」


 悩む担任教師を横目に、あさまは廊下を戻る。桜母院がこちらに来ていないのはわかってはいた。二人が見張っていて、さらにあさまも呪符を用いて脱衣場の入り口を通過する人間を感知できるようにしているのだ。


(でも、どこに?)


「いなかった」


 二階の大部屋に戻ってクッキーに伝える。


「ルビア、散歩にでもいったんやろか?」


 持ち込んだなにかの機械をいじりながら、天才少女は言う。女しかいない部屋とは言え、胡座で機械を抱いているので、スカートの中が丸見えだった。


「なんや押し入れの中を見てたんやけど」


「押し入れ?」


 大部屋にはすでに布団が敷かれている。


 風呂から上がればすぐに寝るという構えだった。新婚旅行的な気分はないではなかったが、白い獣の件もあり、疲労回復を優先する、という体で、互いに牽制している。


「まさか押し入れで寝てるとか」


 ありえないと思いながら押し入れを開けた。


「? これ、桜母院さんの服?」


「なんて?」


「だから、服が」


 奇妙な光景だった。


 ブラウスにペンシルスカート、秘書らしい落ち着いた昼間の服装が脱ぎ散らかしたというにはやたらと固まって置かれている。状況の意味がわからない。


 二段の押し入れの下に、だ。


(こんな狭い場所で着替えた?)


 ありえなかった。わざわざしゃがんで隠れて着替える必要はどこにもない。あさまは服を持ち上げ、違和感の正体を理解する。


「どう思う?」


 ブラウスもスカートも着た状態で脱がれているのだ。ボタンもホックもチャックも閉じていて、そして中から白いブラジャーとショーツが出てくる。異常だった。


「肉体を状態変化させて、服から抜け出たらそんな感じかもわからんな。気体とか液体とか、例がないってほどでも」


 喋りながらクッキーはハッとしたようだった。


「正生のお風呂、長くない?」


 あさまもなんとなくピンと来ていた。


「結論を急いだらアカン。兄さんは一日閉じこめれられて、それからあないなことになって、常識的にもお風呂でゆっくりしたいはずや」


「わかるけど、あの治癒能力で、疲労なんて」


「言うても、食事でエネルギーを取らんと力が出んらしい。改造された肉体も代謝と無関係ではないはずなんや。疲労は疲労として」


「わかった。わたし一人で見てくる」


 あさまはクッキーの言葉にこそ疲れを感じた。おそらく知りたくないのだ。この期に及んで、こそこそとなにをやっているかなど。


「姉さん、ちょい待たへん? 相手がルビアやったら必ずしも悪いことではないんやし、そないに追求せんでもええんちゃう?」


「クッキー」


 あさまは少女の目を見て言う。


「正生があの能力を制御できない限り、間違いなく妻は増えるの。それで好き勝手にやってたらどうなると思う? わたしや、あなたみたいな真面目な人間が損をすることになる」


 幻滅したくない気持ちはわかる。


 だが、夫の勝手はともかく、同じ立場であるはずの妻の勝手は看過できない。女同士のことだ、格差ができればそれは間違いなく争いの火種となる。最初が肝心なのだ。


 なにより、自分が火種を大火に変えかねない。


「わたしは、そんなのいやだから、ね」


「わかった。ウチも行く」


 機械をおいて、クッキーも立ち上がる。


「急ぎましょう」


 どのくらいの時間が経っているか、もう行為は為されてしまったかもしれない。だが、現場に踏み込む意味はあった。


 堂々と求めることができる。


 こちらから誘うというハードルをクリアせずに、夫のやるべきこととして責任を預けることができるのだ。経験のないあさまにとって、すでに何人かと経験を重ねてしまった正生を満足させるというプレッシャーから解放されるのはある意味でチャンスだった。


「ごめんください」


 二階から階段を下りたところで、社務所の玄関前に人影があり、戸をノックしているのとはち合わせる。聞き覚えのない男の声だった。


(なんて間の悪い)


「どちらさんですか?」


 あさまが大人勢に対応させようか迷っている間にクッキーが応答してしまう。風呂場の様子が気になりながらも、まさか他人がいるときに夫婦の恥部を晒す訳にはいかない。


「五十鈴家から参ったものですが。こちらにあさま様がいらっしゃると伺いまして」


(家から)


 あさまはその言葉にビクッと震えた。


 思っていたよりも早い。


「少々お待ちください」


 クッキーは言うと、小声になる。


「姉さん? どうする? おらんって言うとく? 疎遠なんやろ? 使いがお祝いを言いにくるとも思えんし、どう考えてもええ知らせやない」


「……」


 無言で靴を履き、玄関の戸を開ける。


「わたしはここにいます」


「これはこれは、あさま様、はじめまして」


 立っていた男は、中折れ帽をとって、うやうやしく頭を下げる。緑色の硬い外骨格と六本の手足、そしてスーツの外に出した背丈ほどの翅、地球上で言うところの昆虫によく似た形態を持つ、


 地球外人類、宇宙人だった。


「あなたの許嫁、セラム・バイシダエと申します。これからよろしくお願いします」


「い?」


 ひょろりと背が高いが、それ以上に帽子を取って飛び出した長い触覚と、大きな複眼に写る自分の姿にあさまは後ずさる。


(生理的に無理)


 ありえないことしかなかった。


「よりにもよって許嫁ってなんや。もう結婚を決めた言う話は聞いてきたんやろ? そないな話、嫌がらせでしかないやないか」


 クッキーが代わりに言ってくれた。


「いいえ。これは契約なのです。クッキー・コーンフィールド様。あさま様が生まれる前から決まっていた自分の星との技術交換の条件ですから。履行していただかないと困ります」


「困るって」


 あさまは、鬼魂石を握りながら言う。


「戦争です。困るでしょう?」


 虫男はわしゃわしゃとした口器を広げて、笑うように言う。あまりにも虫々としたそれを見るだけで血の気が引きそうだった。


(絶対、無理)


 正生と結婚する前に出会っていたとしても拒否しただろう。思わずすとんと座り込んでしまいながら、あさまは首を振る。


「そんな話、聞いたことないから」


「でしょうねぇ? 五十鈴家の方々も知らないようでした。自分たちがちょっと宇宙を旅している間に地球は何百年も経ってしまいましたから」


 地面に立つ二本以外の四本の脚を広げ、関節が露骨に見える三本の指を素早く動かしながら、虫男は肩をすくめる。


 いかにも、地球側に非があるかのように。


「それで、なんで、わたしに」


「五十鈴家の方々が、それならばあさま様だと。年頃で、地球の美的基準では一族で最も優れたものをもっていると推薦されましたので」


「そんなことを言ってましたか、ははは」


(厄介ごとを押しつけてきた!)


 おそらく家の方も何百年前の契約では対応に苦慮したのだろうが、それにしても無責任だった。宇宙人との戦争、そんな重たいものをどう扱えと言うのだろう。


「それで、どうですか? 実際にわたしを見て、地球の美的基準はそちらの美的基準と合いますか? 合わないようなら、要望を聞いて、一族からそれに近い人間を出すように」


 あさまは緊張しながら喋る。


(厄介ごとは投げ返すしかない)


「自分には地球における美しさの基準はわかりませんが、しかし地球人類との子を残すのであれば、やはり美しさというのはひとつの力になるでしょう。是非、よろしくお願いします」


 細長い上の脚を伸ばして、手を取ろうとする。


「!」


 風が吹き抜けた。


「オレのだから、やめてもらえるかな?」


 だが、その脚を掴んで正生が言う。


 腰に巻いたタオル一丁、風呂上がりのまま、駆け抜けてきたらしく、廊下には濡れた足跡がそのまま残っている。


「正生」


 あさまは力が抜けるのを感じた。


「戦争でもよろしいと?」


「女を奪うなら、そりゃ戦争だろ。どこの国の男が自分の国の女を奪われて戦わないんだ?」


 まるでヒーローみたいなことを言っている。

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